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机の上に重ねられていた手紙の中に見慣れない字を見つけた。オリアン工場長からの手紙だ。
オリアン夫妻が王都を発ってひと月が過ぎた。あの町にはまだ第一騎士団が数十名滞在している。そこからの報告によると町には大きな混乱もなく、住民も以前と変わらぬ静かな暮らしを続けているそうだ。二月の終わりに不審な帆船が接近してきたことを除いては。
この手紙は新工場長として、工場の近況でも報告してくれたのだろうかと封を切った。
『ロニー もう試作の布が織り上がったそうだ』
驚いた。町に移り住んでまだひと月も経っていないだろう。オリアンの熱中ぶりが目に浮かぶ。
「随分と早いですね 数ヵ月はかかるだろうと思っておりましたが」
『うん 今年最初の生糸の分配の時期と重なったことが良かったらしい おかげで手つかずの生糸を充分に使うことが出来たと書いてある』
「布も届いているのでしょうか?」
『いや・・・オリアンが直接持って来るらしい かなりの自信作のようだよ』
この文面だと手紙を送った直後に出発しているようだな。数日のうちに到着するに違いない。
「どのように仕上がっているのか楽しみでございますね」
『ああ』
オリアンには貝に合わせた空色とピンクの二色を希望した。実物を見るのが楽しみだ。
それは日曜日の午前だった。
「レオ様 オリアン染色師長がお見えになりました」
『すぐ行く 裁縫師も呼んでくれ』
このところすっかり春めいてきた王都は、雪が降ることもほぼなくなり、残っている雪もジャリジャリと削った氷のようになり始めていた。日に日に日差しは強くなっており、春はもうすぐそこまで近づいているようだ。
『オリアン 遠いところわざわざ済まなかったな 来てくれて感謝する』
ひと月ぶりに会ったオリアンは、初めて会った時以上にヘーゼルの瞳を輝かせていた。
「王子殿下 お時間を賜り感謝申し上げます 完成した生地をお持ち致しました」
『うん 楽しみに待っていた』
オリアンがテーブルの上に置いていた包みを開く。中には空色とピンク、二枚の布が重ねられていた。
「どうぞ 窓の近くでご覧くださいませ」
開いた包みごと持ち上げて窓の側へと移動したオリアンが、二枚の布を広げてみせた。
それは見たこともない生地だった。真珠を織り込んだかのような光を放っている。咄嗟には言葉も浮かばなかった。
「これが新しい生地でございますね!」
後ろから弾むような声が聞こえた。オリアンの持つ生地に吸い寄せられるように近づいてきた裁縫師の感嘆の声だ。
「如何でしょうか」
『オリアン あまりにも見事で言葉が出なかった』
「素晴らしいです このような生地は初めて目にしました」
裁縫師のお墨付きも得た。これは専門家が見ても申し分のない出来栄えらしい。
『ありがとうオリアン 感謝する あなたに任せて良かった』
「あの場所を提供して下さった殿下のおかげでございます 水も良くいい色が出せました」
オリアンの説明によると、今までビョルケイの工場では織り上げた生地を染めていたものを、生糸を染めてから織る方式に変えたのだそうだ。専門的なことはわからないが、縦糸に何色もの色を用いることによって、このオーロラのような真珠のような輝きを生み出しているのだと言っていた。
『言葉だけでは足りないな 礼がしたい 何か希望はないか』
工場の立て直しにはもっと長い時間がかかるだろうと考えていた。まさか今年中に、それもこのような早い段階で王宮裁縫師が唸るほどのものを作り出せるとは。
「あの場をお任せ頂いたこと以上のものはございません」
欲がないな。
『では新しい邸を贈りたい 専用の工房付きの邸はどうだ?受けてもらえるだろうか』
パッと顔が輝く。自分の工房を持つのが夢だと言っていたものな。
『決まりでよさそうだな そろそろ工事を始めるのにもいい季節だ』
「ありがとうございます ご恩に報えるよう励みます」
「殿下 この生地のご使用はもうお決めでございますか?」
オリアンと一緒に生地を畳んでいた裁縫師が尋ねた。
『ああ どちらも最初に頼みたいものがある 引き受けてくれるか?』
「光栄でございます 最高の一着をお仕立てさせて頂きます」
『オリアン 夏には注文が殺到するに違いない 工場は任せたよ 工場長にも伝えてくれ』
「お任せ下さいませ」
大きな課題が一つ解決できた。工場はもう心配ない。
次はオリアンの邸建設と同時に騎士の宿舎と宿の建設も始めよう。元々は第一騎士団の中でもダールイベック湾岸警備隊の管轄だった町だが、領地の返上により今後は王都の第一騎士団直々の警備対象地になる。
不審船問題が解決すれば、今駐留しているほどの人数を割くこともなくなるだろうが、どの道宿舎は必要だ。
旧ビョルケイ邸の改築も同時に進めた方がいいな。建築や土木の工事が出来るのは一年でせいぜい八ヶ月程度だ。今年は町の基盤を整えることだけに注力する方がいい。翡翠は調査だけに留め、本格的な採集作業は来年からでいいだろう。焦る必要はない。
貝の細工も話がまとまり、町の立て直しもオリアンのおかげで順調に進みそうだ。
やるべきことはやった。これで安心して先に進める。
いいよな進んでも。
日曜日・・・次の日曜日にしよう。




