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スイーリを送り届けた後、馬車の中でロニーから伝言を聞いた。
着替えより先に真っすぐ陛下の執務室を目指す。
『ただいま戻りました』
「ああ 急がせたか 悪かったな」
制服のままだったからか、陛下の顔が僅かに慌てたように見えた。
「報告を読んだ ここまで調べ尽くすとはな 見事だよくやった」
『いいえ ご報告申し上げた通り翡翠を見つけたのは私ではありません ロニーです』
陛下はふっと息を吐き、口元を綻ばせると話を変えた。
「翡翠の調査は雪解けを待ってフィルに任せることにする」
『はい ありがとうございます』
これでようやく一連の事件が全て私の手を離れた。やっと一息つけると、この時は微塵も疑うことなくそう信じていた。
「フィルにもそろそろ戻って来てほしいところだが」
ダールイベック公が王都を離れてひと月は過ぎた。年に数度領地に戻っているはずだが、今までも陛下は毎度首を長くして待っておられたのだろうか。
『いつ頃戻る予定かお聞きになっていないのですか?』
「ああ 今回は予測がつかなかったからな あちらは雪も深い 馬車が出せぬのかもしれぬ」
そうだった。本邸の辺りは一階が埋まるほど雪が降るらしいからな。
雪を見ながら風呂・・・羨ましい。
つい不謹慎なことを考えてしまった。そろそろ戻ろう。
『お時間を頂きありがとうございました』
「後は任せなさい 頑張ったな」
部屋に戻り着替えを済ませて一息ついた。
『ロニーのおかげで掉尾を飾ることが出来たな ありがとう』
「とんでもございません 全ての始まりはあの町に目をお付けになったレオ様のお力です」
『しかし思わぬ収穫だったな この国で翡翠が採れるとは』
今回のことがなければ、誰にも知られることなくこの先も川の底に沈んでいたのだろうから。
『ビョルケイ嬢はどうだ?』
「はい 私物も運び終えまして明日から復学するようでございます ご指示通り学期中には仕事を割り振らぬよう管理のものへも伝えております」
『そうか 後は無事三年で卒業してくれると良いな』
「はい そうですね」
『色々助かった 一区切りついたから今のうちにロニーも休暇を取ってくれよ』
「ありがとうございます」
欲しいのは礼ではなくて休暇の申請なんだけどな。
明日はイクセルと二人で会う。
何度も言っているのはイクセルに話そうと思っていることがあるからだ。
いつかは話したいと思っていた。それが果たしてイクセルのためになることなのかはわからない。でも今しか言えない、今でなければ意味のない話だ。必要かどうか判断するのはイクセルでいい。
・・・と言うのは無責任だろうか。
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「えへへ レオと二人で寄り道するの初めてだね」
年末までは超がつくほど多忙だったイクセルも、年が明けてようやく落ち着いたらしい。コンサートが終わって、オーケストラの練習が通常量に戻ったからだ。
私は私で休暇の間は慌ただしく過ごしていたものだから、結局約束していた慰労会もまだ開けていない。そろそろ日にちを決めて集まろうと思う。今日はその前にイクセルと二人で八番街に寄っているところだ。
『クリスマスコンサートとても良かったよ 期待していたイクセルの独奏も聴けたからな』
「うんありがとーレオ 皆ともなかなか会えなくて大変だったけど すごく楽しかった!やっぱりコンサートはいいよねー」
『イクセルは本当に音楽が好きなんだな』
「うん大好き 今毎日が楽しいよ 好きなだけ弾けるからね」
以前イクセルは言っていた、専科へは進まないと。高位貴族の嫡男だ、その選択も当たり前のことだと思っていた。けれど、こうしてイクセルを見ているとその選択が本当に正しいのかわからなくなる。
『やはり専科へは行かないのか?』
「うん行かない あっ芸術科ってことだよね?芸術科には行かないけど僕 政治学科に進もうかなって考えているんだ」
『そうか』
イクセルと同じ立場のものの多くが進む道だ。将来領地の経営に関わるもの達だから、その選択は無難で恐らく正しい。やはり話すべきではないのか。
「どうしたの?レオ」
『うん ああ少し私の話をしてもいいか?』
「もちろんだよ どんどん話して!」
『イクセル 私は学校を作りたいと思っている』
「学校?!学園とは別にってこと?」
『ああ全く別のものだ 幼い子供達に文字を教えるところから始めたい』
ずっとおかしいと思っていたのだ。何故初歩の学びを教える場がないのか。何故学びの場であるはずの学園に、高度な学力を身に付けていないと入れないのか。だから学園には貴族しかいないのだ。僅かにいる平民も幼い頃から家庭教師をつけることのできた、裕福な家庭のものばかりだ。
学びの場が少なすぎるからだ。国にたったの八つしかない王立学園だけでは足りない。
『足りないなら作ればいい 誰もが通えるような学校をね』
漠然と思い続けていたこのことを、今強く考えるようになったきっかけはビョルケイ嬢だった。
彼女が今回学んだのは作法であって、直接学校と結びつくことではないかもしれない。だが、教えられる機会がないことで人生の幅が大きく狭められているものがきっと大勢いる。私が想像しているよりも遥かに多く。彼女の父親も多分その一人だった。
傲慢だと言うかもしれない。しかしビョルケイ嬢をあのように育てたのはこの国なのだと思う。制度を変える力のあるもの、力があるのに変えようとしてこなかったもの達の責任だ。
スイーリが教えてくれた。排除するのではなく救うことの大切さを。
学ぶことを望む全てのものが学べるような国にする。これはいつか必ず国の益となり、何倍にもなって返ってくるだろう。
「レオは凄いや 僕疑問に思ったことなんてなかったよ」
『ゼロから全て作ることは難しい 時間も金もかかる』
「うん そうだね でもレオがそう言うってことは考えがあるんでしょ?」
『ああ まだ漠然とはしているが考えはある 今すぐ動きだすことは出来ないが 留学から戻ってから本格的に取り組みたいと思っている』
「僕 応援するよ レオがやることはいつも驚くことばっかりだよ」
今話して聞かせたことは、自分の夢であり目標でもあるが、そんな話を聞かせるためにイクセルを誘ったわけではなかった。
『なあイクセル イクセルも学校を作らないか?』
「え?僕が?」
もう話し始めてしまった。最後まで話しきるしかない。
『イクセル知ってるか?この国の人間がどれほど音楽を愛しているか』
「え?音楽?」
イクセルは目をパチパチとさせるばかりだ。
『下町の祭りでは手作りの楽器を手にしたもの達が音楽を奏でるんだ それはもう楽しそうに』
「手作り?そうなの?」
『ああ 形も音も様々だ 楽器のないものは歌を歌う』
「楽しそう!僕も行ってみたい」
『一度行ってみるといい とても楽しいぞ』
『もちろんそれで充分満足できるものもいるだろう だが私は貴族以外にも広く音楽を学ぶ機会が広がればいいと思っている』
イクセルは考え込んでしまった。
「それを僕に?」
その問いには直接答えず話を続ける。
『王都でも悪くはないが ベーン領を音楽の都に―』
「音楽の都?!」
話の途中でイクセルが声を上げた。
「ベーンの地が音楽の都になれるの?」
『簡単ではないだろう それこそ時間も金もかかる でも実現できると私は信じている』
「音楽の都―」
イクセルは熱に浮かされたようにその言葉を繰り返す。
「そのための専科 なんだね」
私の意図を理解したようだ。
「僕 音楽は続けるつもりだったよ でもそれはオーケストラのようなものじゃなくて いつか僕が家庭を持って子供が出来たら 子供達のために弾いてあげるような そんな程度だろうなって考えていたんだ」
『うん』
「僕は嫡男だからいずれ領地を継がなくちゃいけない 領地を守っていくのが僕のやるべきこと」
『ああ』
「ほんというとさ 嫡男なんかに生まれなきゃよかったのになーって考えたこともあるよ あっ!これレオだから言ったんだからね」
『心配するな 誰にも言わないさ』
「音楽が領地を育てる そんなことが出来るなんて考えもしなかった
ありがとうレオ!」
『言い出しておいてなんだが 簡単なことではないと思う』
「うん でも無理なことでもないよね」
『ああ もちろんだ 私も出来る限り協力する いや協力させてほしい』
「レオが協力してくれるなら怖いものなんてないね 僕帰ったら父上に手紙書くよ 王都に戻られたらすぐに話をする 僕ずっと芸術科に行きたかったんだよ」
本当に行きたくてたまらなかったんだ・・・イクセルは噛み締めるようにそう呟いた。
『以前―』
「え?」
『以前フレッドが言っていた ステファンマルクの音楽は素晴らしいと それはそうだよな 他国の王族がわざわざ学びに来るくらいなんだからさ』
そう言って笑うと、イクセルも笑う。
「本当だね 僕は素晴らしい国に住んでいたんだね」
『今頃気がついたのか?遅いぞイクセル』
今度は声を出して笑っている。
『イクセルはその頂点を目指す そしてイクセルからこの国の音楽の裾野が広がるんだ
何百年後にもイクセルの名前が残るんだよ ステファンマルク音楽の父ってさ』
「駄目だよレオ そんなこと言われたら僕調子に乗っちゃうよ?」
『乗ればいいんだよ 私が乗せてやる 歴史に名を遺せよイクセル』




