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『生糸の量が違うんだ 生産高が高くて当然だったな』
「男爵も随分と大胆なことをしますね まさかこのように単純なからくりだったとは」
二十三年前、つまり創業時から不正は行われていたと言うことだ。
『簡単に欺けるだろうと粗悪な生糸に手を出したことが 男爵の失敗だったな
とは言っても私達は見事に騙されてしまったけれどね』
いつか発覚するかもしれない。初めはそう怯えることもあったかもしれないが、十年を過ぎた頃から格段に量が増えたことを見ると、もう見つかる心配もないと高を括ったか。
しかし裁縫師の証言だけでは不十分だ。長年不正を行ってきたのだ。その間いいだけ言い訳を考える時間はあっただろう。これだけ図太い人間なのだ。少々突かれたた程度ではびくともしないかもしれない。
言い逃れできないよう完璧な証拠が必要だ。
『一体どこから・・・』
国境の町ボレーリン領はあまりに遠く離れている。ダールイベック領の南端で暮らしていたビョルケイ男爵が、そこに伝手がある可能性は限りなく低い。それに隣国ベーレングでも養蚕は行われてはいないはずだ。陸路、いくつもの国を経由するような危険度の上がる密輸などするはずがないだろう。ボレーリンの線はほぼないと見ていい。
ダールイベックかノシュール。管理の厳しい港で密輸に関わるのも容易ではないはずだが、協力者がいないとも限らない。絹は高額で取引されるからな。何人か協力者がいてもおかしくはない。
ビョルケイ男爵の過去を調べるよう頼んであるが、まだロニーからは何も報告がされていない。珍しいな、普段ならとっくに調べ終えていそうなものなのだが。
まあ男爵は逃亡する恐れもない。そこまで焦ることもないだろう。
何気なく地図を開き、ダールイベック領に視線を落とす。
港がここで、ビョルケイの本邸がある町がここ、か。これもかなりの距離だな。
・・・
違う。
何故気がつかなかった。
漁師町だと何度も言っていたじゃないか。
『ロニー!ここだ ここで取引するのが最も安全だ 私ならここを指定する』
「まさか・・・
しかし確かに可能性はあります」
漁師町。海岸線全てが国境じゃないか。漁師がいるのだから船が停まっていても怪しまれることはない。町から少し離れさえすれば、町のものに見つかることすらなく取引することも可能だ。
この町の漁はどの程度の規模なのだ。町の大きさから言ってそれほど大規模ではないだろう。ならば船の大きさもそれなりのはずだ。ダールイベック本邸のある湖で漁をしていたあの漁船と同程度かもしれない。あの小さな船で外海を渡り、他の国までたどり着けるものなのだろうか。
『この町で調べなければならないことが増えたな』
すぐには行くことのできない距離と、自分の目で確かめられないことがもどかしい。
「定期的に報告を受け取りに行かせることになっております その時に追加の任務を渡します」
『わかった それまでに私も出来る限り調べておく 資料ならどこよりも揃っているからな』
今すぐ資料室へ向かおうとしたが、立ち上がる前にロニーが思わぬことを言った。
「今ダールイベック領の資料は粗方持ち出し済みです 毎日確認に行っておりますが 今日も返却されておりませんでした」
『そうか・・・それなら戻るのを待つしかないな』
それで男爵の経歴も調べ切れていなかったのか。仕方ない、官僚達も日々様々な政務で利用するのだからな。
『ロニー ここからは雑談だ』
「はい」
『あの町からたどり着けるとしたら どこの国だろうな』
「そうですね・・・
大きな帆船では目立ちますから 恐らくはさほど大きな船ではないでしょう となると自ずと近隣の国 ということになりますね」
『うん 船が大きくては動かすだけで費用もかかるだろうからな 生糸を密輸する程度では割に合わないだろう』
だがロニーはひとつ見落としている。近隣諸国、ステファンマルクよりも南に位置しているとは言え北の国々だ。養蚕が可能な国はない。
『パルードはどうだ?あり得ないと思うか?』
「パルード?!ですか?」
驚いた声を上げたロニーだったが、はっと顔色を変えた。
「まさか 薬物の密輸もその船を利用して・・・そうお考えということでしょうか」
『結び付けすぎだろうか 全ての犯罪がビョルケイ男爵の手で行われているわけでもないだろうにな』
工場の不正に関しては間違いなく男爵の犯した罪だが、薬物、毒物の方は全く証拠がない。一方的に疑わしいと感じているに過ぎないのだ。
『決めてかかるのはよくないな 正しい判断が出来なくなる』
「もうしばらくお待ちくださいませ どちらかの邸から何か出るかもしれません」
『そうだったな』
王都の邸は男爵が不在時に探ると言っていた。本邸は本邸で探る機会を見定めている頃か。
『今出来るのはここまでか 暫くはこのことから頭を切り替えた方がよさそうだ』
「はい 出来る限り早急に資料を揃えます お時間を下さいませ」




