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一時間の休憩を挟んで個人戦が始まる。
ここで帰るものもちらほらといるが、殆どの観客はそのまま個人戦も観戦するようだ。
「殿下 時間もありますし中に入りましょう」
『そうだな』
模擬戦当日に限って観客は、特別に寮の食堂を使うことが出来る。観戦していた騎士団のもの達はぞろぞろと移動を始めていた。
が、立ち上がったところでビョルケイ嬢がいたことを思い出す。
いつも観戦に来るのは男ばかりだからな。開放されているのも当然男子寮だけだ。
『本科の食堂へ行こう
ビョルケイ嬢 今から一時間の休憩だ 私達は食堂に行くが一緒にどうだ?』
「はい!嬉しいです ご一緒させて頂きます」
まさか自分から誘う日が来るとは思わなかった。しかし今日この場に呼んだのは私だ。令嬢一人を置き去りにするわけにもいくまい。
誰に対して何のために言ってるのかわからない言い訳を心の中で呟きつつ、私達は本科の校舎へ向かった。
四人掛けの小さなテーブルに着く。
白いコートを脱いだビョルケイ嬢は落ち着いた深いワイン色のドレスを着ていた。もっと華やかなものを好みそうに見えていたからか、少し意外だった。
「あ・・・先生にご相談して決めたのですが その・・・変 でしょうか」
まじまじと見たつもりはなかったのだが、視線を気にしたのかスカートを掴んで俯いている。
『いや よく似合っているよ ビョルケイ嬢はとても先生を慕っているようだね』
「はい 私の知らないことをなんでも教えて下さるのです 素晴らしい先生なんです」
『アルヴァリッグ伯爵夫人か 確かに彼女はいい講師だろうね』
「先生をご存じだったのですね」
『ああ 私はあまり会う機会がないが 従者が親しくしていてね 話はよく聞いている』
「ロニー・・・ロニー様と」
『うん それにしてもよくロニーの名を知っていたね』
「はい・・・その・・・」
今のは少し意地悪かったな。ビョルケイ嬢は夢にも思っていないだろうが、彼女がロニーを知っていた理由を知っていて、さらにそれを答えることが出来ないことも私は知っている。
今気がついた。会話が成立している。
何から何まで素晴らしい成長だ。こんな僅かな期間でこれだけ変われたと言うことは、幼い頃に教わる環境さえあったなら彼女はもっと・・・
「お待たせいたしました」
考え込んでいたところにポットを持った給仕が茶を注ぎに来た。小さな茶菓子まで添えられている。
「わあ!学園の食堂はお菓子まで作っているのね」
甘いものに目を輝かせる姿を、微笑ましく見守っている自分がいることに驚く。
なんだか調子狂うな。
「いやー個人戦はどうなりますかね」
場の空気を一変させたゲイルのこの一言には感謝しかなかった。
『第一騎士団から参加するのは六名か』
「騎士科が十名ですから はい六名ですね あいつは出ないと思いますよ」
個人戦は勝ち抜き戦だ。騎士科生がメインで、不足人数分を第一騎士団が補う。
「今頃くじ引きをしている最中でしょうね」
「レオ様 剣術大会はいつ開催されるのですか?騎士科の方も参加されるのですか?」
『剣術大会は毎年五月だな 本科生だけの大会だから騎士科は不参加だよ』
「今年はレオ様が優勝を?」
『いや私は不参加だ 今年優勝したものは騎士科に入ったようだぞ』
「え?
不参加?・・・ですか?」
驚き大きな声を上げた後で少し顔を青くしている。
『ん?ああ私は腹を壊したりはしていないよ 参加資格がないだけだ』
「資格が ない?!どうして?」
そんなに動揺することか?
ああそうか・・・ビョルケイ嬢の知るレオは剣術大会で優勝するのだったな。
『剣術の授業を取っていないからだ 驚くのも無理はないだろうね 剣術を取っていない男子生徒はとても珍しいからな』
そうだった、レオが優勝したと聞いたから剣術を避けたというのに、すっかり忘れていた。二年生以降はそのことを聞かれることもなくなっていたからな。
「そんな・・・」
なぜそこまで動揺するのかはわからないが、相当にショックを受けたようだ。まあ何を言われようとも剣術大会に参加しないのは事実だしな。
「そろそろ始まりそうですね」
『よし行こうか』
観客席の入り口に対戦表が貼り出されていた。
『先程の騎士団の名前はあるか?』
大活躍だったあの見習い騎士の名前を聞くのを忘れていた。
「いえ ございませんね」
『そうか』
少しだけ残念な気もしつつ、ほっとしてしまったのは騎士科贔屓ってことだよな。仕方ないよな、私自身がまだ学園生なのだから。
一回戦は二試合同時に進行する。いくつもあった雪山は綺麗に片付けられていて、すっかり見晴らしがよくなっていた。
一試合目、対戦表の一番左に名前があったペットリィが出てきた。対戦するのは騎士科の一年生らしい。
「お兄様・・・」
ビョルケイ嬢の不安そうな呟きが聞こえる。
団体戦ではいいようにやられてしまったからな。だが今度は一年生が相手だ。騎士科の一年の差は大きい。まず負けることはないだろう。
「始め!」
合図と同時にペットリィの目の色が変わった。二年前に感じた同じ不快感が込み上げてくるのがわかる。何故だ、団体戦の時には感じなかったはずだ。何のせいだ?理由がまるでわからない。吐きそうだ。
「殿下 どうされました?」
ゲイルとヨアヒムがほぼ同時に声を落として尋ねた。流石だな、観戦していても意識は常に私へ向けられていると言うことか。
『大丈夫だ なんでもない』
相変わらず言いようのない不快感が全身にまとわりついて離れない。それでも対戦から目を逸らしたくはなかった。最後まで見届けてやるよ、この不快感の理由を必ず突き止めてやる。
勝敗はと言うと、危なげなくペットリィの勝利で終了した。対戦相手だった一年生と握手を交わしている姿は、他の騎士科のものと何も変わるところはない。
「二年生は安心してみていられますね
~殿下 お顔の色があまりよくありません」
「そうですね
~殿下ご気分が優れないようでしたら もう切り上げましょうか」
周囲に聞かせる声と合わせて二人が小声で尋ねてくるが、次の対戦の準備が始まった今は、あの肌を逆撫でするような嫌悪感も綺麗さっぱり消えてなくなっている。
『私ならなんともない 久しぶりに見に来れたからな 最後まで観戦していこう』
「かしこまりました」
「ご気分が悪くなりましたら ご無理はなさらないで下さいますようお願い致します」
『ああ』




