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『行ってくる』
「行ってらっしゃいませ レオ様」
普段より少しだけ早く着いた月曜の朝。護衛と共に校舎へ足を踏み入れる。教室へ向かう前にまずは学園長室を目指した。
「レオ様! わざわざお越し下さりありがとうございます お入り下さい」
『おはようございます 失礼致します』
扉を閉めると、学園長は床に膝と手を突き頭を下げた。
『お止め下さい お願いしますお立ち下さい』
私がここへ来たのは謝罪を要求するためではない。
「私の管理が不十分でございました 頭を下げて済むことではないと承知しております」
『謝罪は不要です こうして無事でしたし お願いしますお止め下さい』
何故こうも頑固なのだ。頼むからさっさと頭を上げてくれ。
何度同じことを繰り返しただろう。ようやく立ち上がり、それでももう一度学園長は頭を下げた。
『見舞いにも来て下さっていたと聞きました お会いできず申し訳ありませんでした』
直後から通い続けていたと聞いた。何日か目に陛下自らお会いになり、謝罪の必要はないとはっきり告げたとも聞いている。まさかこんなことになるとは思わなかった。
「とんでもございません 一度もあってはならないことでございましたが 二度と繰り返さぬよう徹底して参ります ご安心して通って頂けますよう騎士団のご協力も頂け感謝申し上げます」
これ以上ここにいては、学園長の後頭部を見続けることになりそうだ。もう行こう。
『改めて今日よりよろしくお願い致します では失礼します』
一言挨拶を済ませるだけの予定が、とんでもなく時間がかかってしまった。急いで教室へ行こう。階段を上り、廊下を進む。既に数人の騎士とすれ違った。思っていた以上に多くの騎士が配備されたようだ。
私にはゲイルとヨアヒムがついている。今すれ違ったこれらの騎士達がスイーリの護衛も兼ねているに違いない。
教室の人影はまだまばらだった。全員が登校するまでにはもう少し時間があるらしい。
『おはようビル』
私の声にびくっと反射したように振り向いたビル。
「レオ様! おはようございます お戻りをお待ちしておりました」
『大きな騒ぎになり済まなかったね』
「レオ様がご無事で何よりでした もう普通に過ごされて大丈夫なのですか?」
『ああ すっかり元通りだよ』
「こちらよろしければお受け取り下さい ベンヤミン様が受けていらっしゃらない経済学のノートです」
『ありがとう助かるよ 明日まで預かっていいだろうか』
「私のノートは別にありますので こちらはお持ちください」
『わかった 有難く使わせてもらうよ』
「おう!来たなレオ おはよう」
『おはようベンヤミン』
少しずつ教室の中が賑やかになっていく。一人ひとりと挨拶を交わしていると、廊下で何やら騒ぎが起こり始めた。
「何すんのよ ここは学園よ なんで騎士がいるのよ邪魔しないで!」
その言葉で何が起こっているのか全て理解した。
「はぁー早速のおでましか」
『そのようだ』
黙っていても騎士が対処してくれるだろうが、今のうちに会っておくか。
『行ってくる』
「へ?!レオ?」
慌てるように立ち上がったベンヤミンも後を追ってきた。
『ビョルケイ嬢 私に何か用か? 入り口を塞いでは他の生徒に迷惑がかかる』
「レオ様!」
押しかけてきたと言うのに私が出てくると思っていなかったのか、驚いた表情をしている。再び騒ぎ出す前に用件を一気に言っておこう。
と思ったが先を越された。一気に早口で語り始めたビョルケイだったが、言葉の選び方が良くなかった。
「ああ良かった!本当にレオ様だわ!レオ様が毒を盛られるなんて信じられない!あり得ないわ!死んでしまったらどうしようかと不安で不安で 良かったわ!また会えて嬉しいです!レオ様」
言い終わるか終わらないうちに、騎士がビョルケイを捕らえた。
「ちょっと何すんのよ!何もしてないじゃないの!」
「お前は今殿下に向かってあるまじき発言をした 即投獄することも可能だ」
別の騎士がビョルケイを威圧する。
『ディランよせ 私は構わない ここでは大目に見てやってくれ ジェフリーも離せ』
二人がビョルケイを解放したところで用件を告げた。
『ビョルケイ嬢 今は始業前で時間がない 話があるなら放課後に時間を取る 一年生の教室は遠いから今すぐ戻らないと遅刻するぞ』
「放課後ですか!放課後二人きりで会えるのですね わかりました!今すぐ戻ります!
放課後ですね!レオ様放課後忘れないで下さいね!」
放課後ですよー!と叫びながら遠ざかって行った。何度も言わなくても忘れないさ、自分から言ったのだからな。
「レオいいのか?」
『ああ 決めていたことだ 心配するな』
「そうだったのか 騎士もいるから大事にはならないだろうが 放課後なら俺達食堂にいるからさ」
『わかった 話が済んだら私も食堂へ行くよ』
朝に釘を刺しておいたおかげで、昼休憩時に騒がれることもなくクラスメートとゆっくり話す時間が取れた。
だが食堂に入った途端ピリピリした空気を感じたのが心苦しい。
料理を運んできたものは明らかに緊張していたし、テーブルを囲んでいるクラスメートもじっと私を見ていて、誰一人食べ始めようとしなかった。
「おい皆食おうぜ レオが困ってるぞ レオももう普通に食っていいんだよな?」
『ああ 気を使わせて申し訳ない 出来れば普通に接してもらえると有難い』
そう言ってスプーンに手を伸ばす。それを見てようやく皆の手も動き始めた。
無言で食べ始めるクラスメート達。何を話題にして良いのかわかりかねているように見える。
「旨い! このスープを見ると冬が来たって感じるよな」
ベンヤミンが湯気の立ち上るスープを掬い感嘆の声を漏らした。嬉しそうに目を細めながら二口目を口に運ぶベンヤミンを見て、少しずつ周囲の緊張もほぐれていく。
「思う思う 年中旨いんだけどさ やっぱ冬に飲むのは格別なんだよな」
「皆好きなんだな 旨いよな玉ねぎのスープ 俺も好きだわ」
熱々のまま供されるオニオングラタンスープは、冬の食堂で特に大人気のメニューだ。スープのおかげで笑顔が広がっていく。
またこうして普通の日常が戻ってきたことに感謝しつつ、クラスメートとのたわいもない会話を楽しんだ。
本作品のとあるキャラクターを主人公にした短編を書きました。
本編で軽く触れるだけの予定だった設定を少し膨らませて、一つの作品にしています。
本作品の伏線も回収していますので、お読みいただけると嬉しいです。




