[174]
今日も長く厳しい戦いになるだろうと覚悟を決めていた。絶対に負けるわけにはいかない。なんとしても勝ちをもぎ取ってみせる。
『風呂に入りたい』
絶対に猛反対にあうだろうと思っていたのに、拍子抜けするほどあっさりと許可が下りた。
「半身浴でしたら構いません ですがお一人ではいけません それから時間は・・・」
許可さえとればこちらのものだ。どうやら医者は昨日の発言を憶えていないらしい。
食事に形のあるものが出てくるまでは歩くことは許可できませんと言っていたよな。今朝も透き通ったスープしか口にしていない。だがわざわざそれを教えてやる必要はないだろう。許可は取った。
「レオ様準備が出来ました」
『ロニーありがとう!』
ベッドから降りようとするのと、「お待ちください!」とロニーが駆け寄るのがほぼ同時だった。
大きくよろけてベッドに手をつく。眩暈がして立ち上がれなかった。
この数週間で一生分の眩暈を体験した気分だ。くそ、思い通りに動かない自分の身体に腹が立つ。
「もう少し横になられますか?」
『いや・・・肩を貸してほしい』
ロニーの肩を借りて浴室へ向かった。不甲斐ない。こんな距離ですらまだ歩けないのか。
存在すら忘れていた浴室内の長椅子がやたら誘惑してくる。いやここで座り込んでは負けだ。
『一人になるなと言われたからな ロニーここで待っていてもらえないか』
「いえお手伝い致します」
『ロニーにそんなことさせるわけにはいかない 一人で大丈夫だ』
ロニーは何か言いたそうにしていたが、それ以上何も言うことはなかった。
服を脱ぐとなおさらわかる。痩せたな。
取り戻すにはどのくらい時間がかかるだろう。ため息を吐きそうになるのを飲み込んだ。自分で蒔いた種だ、愚痴るのは止めよう。
身体を洗い湯船に両手をかけた。慎重に右足を入れる。そして左足も。普段より湯は少なかったが、それでも充分満足だった。
「―オ様」
「レオ様 起きて下さい」
『・・・え?』
ついうとうとしていたらしい。
『ああ・・・起きてる』
どうして居眠りが見つかった時、こうバレバレの嘘をついてしまうんだろうな。
「洗髪がお済ではないようですので お手伝いをさせて下さい」
そうだった、洗おうと思っているうちに、ついうとうとしてしまったのだった。
『うん 頼むよロニー』
悪いなロニー、こんなことロニーの仕事ではないのに。
でも気持ちがいいな・・・眠くなる・・・
「レオ様 そろそろお時間です」
『うん・・・』
「レオ様 これ以上はお身体に障ります」
『ああ・・・』
「失礼します」
『・・・えっ!?ロニー?』
ロニーに抱えられそうになったところで、ようやく頭が働き始めた。
『済まなかったロニー 自分で出る』
それでもロニーは下がろうとはしなかった。
「お支えします」
ロニーの手を借りて風呂から出た。そのまま椅子に座らされると、ロニーは身体を拭いて着替えも済ませてくれた。
『悪いロニー ロニーにこんなことまでさせたくなかった』
濡れた髪を拭きながら、ロニーはわざと驚いたような声を上げた。
「何をおっしゃいますか
レオ様 私は今日ようやく一人前の従者になった気持ちでございますよ」
やっと風呂に入れたというのに、なんだか疲れと罪悪感だけが残った。
重い身体を引きずるように机へ向かう。
「いけません お休みになって下さい」
『もう充分休んだよ いつまでも寝ているわけにはいかない』
「しかし・・・」
何から手を付けるべきか思案しているところへ医者が戻ってきた。もう来なくてもいいのに。少し煩わしく思っていたところ、入るなり形相を変えて近寄ってきた。
「殿下何をなさっておいでですか」
『今から考えるところだった』
「そうではございません!今すぐ横になって下さいませ」
『もう平気だ』
・・・平気だと言うのに。
・・・
手を腰に当てて睨みつけるように立ち続けている。
『いつまで寝ていろと言うのだ?』
「せめて普通のお食事が出来るようになるまでは 安静にお過ごし下さいませ」
『今すぐ食べ―』
「いけません!まだ数日はかかるとお思い下さいませ 今口にされても全て吐き出してしまわれますぞ」
『・・・わかった』
これ以上粘っても無理だと悟った。のろのろとベッドへ向かう。最初慌てたような顔を見せた医者が、後ろから感心したような声を漏らした。
「もうお一人でお歩きになれましたか 驚きました」
『起きた時はロニーの助けを借りたよ』
「いやはや 驚異的な回復力でございます」
それなら!と振り返った途端に釘を刺される。
「ですが今日のところはお休みくださいませ」
その後入浴の様子を尋ねられたロニーが様子を説明すると、またしても医者は目を吊り上げてずんずんと側までやってきた。
「殿下 それはうたた寝ではございません 失神しかけていたのでございます
きちんと時間はお守りいただけましたか?ロニー殿 湯の温度と量は―」
うるさいな。
「殿下 口喧しいとお思いでしょうが もう暫くご辛抱くださいませ 今の殿下のお身体の状態を例えますと ガラスの器に砂を詰めたような状態なのでございます なんとか形を保っているのだとお考え下さいませ」
静かに諭すように言われたその言葉に医者を見上げると、先程とは打って変わりその顔は憂色に染まっていた。
『・・・悪かった』
「殿下がお焦りになるお気持ちは承知致しております ですが今は急がば回れ でございますよ」
『わかった では今は何が可能だ 何が出来るか教えてほしい』
「今は入浴後でお疲れが出ております 昼食まではお休みくださいませ 午後には一時間ほどでしたら読書は許可致しましょう」
『ありがとう 守るよ』
ロニーにあれこれと指示を出し終えると、もう一度戻ってきた。
「また明日のこの時間に伺います 入浴は当面一日に一度まで 半身浴になさってください 詳しいことはロニー殿にお伝えしております」
『わかった 必ず守る約束する』
そう返事を返すと、医者は初めて笑顔を見せた。
「こうゆっくりとお休み頂けるのもあと数日でございます 今だけ特別な休暇とでもお考え下さいませ」
『そうだな・・・』
結局無理だと思っていたのに、横になっているうちにまた寝ていたらしい。風呂に入るだけで疲れるとは知らなかった。急がば回れ、か。




