[165]
今日も掲示板前のホールでスイーリと合流する。このまま帰宅するベンヤミンとヘルミ、ソフィアとアンナも一緒だ。
色のない風が寒樹の間を吹き抜けていく。季節が変わることを静かに告げているかのようだ。
「冷えるな」
コートの襟をぎゅっと掴んだベンヤミンが呟く。
「そろそろ初雪になりそうですね」
普段なら何気なく交わして終わるはずのその言葉に、顔がこわばる。
数日前から謹慎の解けたビョルケイが戻ってきていることは知っている。昼食時など視線を感じることもあったが、それ以上何をするということもなく意外なほどに大人しかった。これから起こることを知ってしまった以上、これも嵐の前の静けさと言わざるを得ないのだが。
今日もいつもの場所にいつもと変わりなく三台の馬車が並んでいるはずだった。
王宮の緑の馬車はいつもの場所で待っていた。その隣、見慣れない馬車が一台停まっている。
白く塗られ金の装飾を施された見事な馬車だ。装飾に薔薇が描かれたそれは、いかにも令嬢が喜びそうな意匠だった。
『スイーリ 新しい馬車だね 素晴らしく凝った意匠だ』
「スイーリ様!新しい馬車を買われたのですね とても素敵です 皆羨むに違いありませんわ」
アンナが歓声を上げた。
「ええ とても美しいですわ スイーリ様専用の馬車なのですか?」
令嬢たちは初めて見る美しい馬車に夢中になっている。だがスイーリの顔はすっかり困惑していた。
「これはうちの馬車ではありません」
それを聞いて皆の視線が一斉にベンヤミンへと向けられる。
ベンヤミンは慌てて大きく手を横に振った。
「違う違う!うちの訳がないだろう」
『だよな・・・』
「レオ様 王宮の馬車と言うことは・・・」
『違うな』
「ですよね・・・」
豪華絢爛な白い馬車の奥に、ダールイベックとノシュールの馬車が停められていた。
この謎の馬車がどこのものかはいずれわかるだろう。今日のところは早く帰ることにしよう。
スイーリを馬車まで送るため、再び歩き出そうとしたところへ、胸を大きく突き出すようにして歩いてくる例の人物の姿が見えた。
「ごきげんよう皆さま」
何やら上機嫌で近寄ってくる。ベンヤミンが険しい顔をして私の前に立ちはだかった。ロニーと御者も警戒してこちらを見ている。
「あら怖い ベン・・・ノシュール先輩様 私になにかご用事ですか?」
小馬鹿にしたような物言いに苛立つ。ベンヤミンのこめかみが小さく震えていた。
「レオ様 今日はお城までお送りしようと思いますの 馬車をこちらまで呼んでおきましたわ」
白い馬車の前で腕を組み仁王立ちしている。
言葉遣いが今までと少し変わったものの、その立ち姿、そして馬車とのあまりのちぐはぐぶりに呆れるよりも前に笑いが込み上げてきた。
「お礼など気にしなくて良いですわ でもどうしてもとおっしゃるのなら 王宮でお茶を頂きたいわ できれば王妃様も呼んでくださると嬉しいですわ まだご挨拶も済んでいないのですもの 泊っていくようにと急に言われても困るわ 令嬢は恥じらうものなのですもの 一度邸へ戻る時間は頂きたいわ」
堪えることが出来ず声を出して笑ってしまった。今日もまた自分の感情を抑えきることが出来なかった。試されているのか?ビョルケイは私の力量を測るために遣わされた試練か何かなのか?
私が笑ったことで完全に誤解したのだろう。得意げな顔をして近づいてくる。
『なかなかに貴重なものを見せてもらった ビョルケイ嬢には喜劇の才能があるようだ』
まともな人間ならば褒められているのではないとわかるだろう。だが相手はビョルケイだ。私が応じると信じて疑わない。
「私のことを見抜くなんて やっぱりレオ様は他の方とは全然違いますわ 私にふさわしいのはレオ様しかあ・・・」
耳障りな声で捲し立てるビョルケイを放置し、白い馬車へ向かう。慌てたようにベンヤミンも私の後を追ってきた。
馬車には御者が一名に執事らしきものが一名。二人とも馬車の前に立っていた。
「ようこそ王子殿下 お嬢様の命でお迎えに上がりました」
主が主なら仕えるものも仕えるものだ。期待した私が愚かだった。
『この場所へ停める許可を出したものの名前は?』
ぽかんと呆けた顔をしている。聞かれる理由がわからないといった感じだ。
『どう偽ってここまで入り込んだのか そのやり口を聞いている』
それでも口を開こうとしない。まだわからないのか。
『答えなければ罰を受けるのはお前達の主だと言うことはわかるな』
これはただの脅しだ。ここは学園の中であり私は一生徒にすぎない。このもの達を裁くつもりはなかった。だが罰と言う言葉はなかなかに効果があったようだ。
「わ 私共が門の外で待たねばならないことは存じ上げております はい毎日そうしております ですが今日は王子殿下のお迎え当番だから一番奥に停めて待つようにと」
早口で説明をするが、めちゃくちゃだ。お迎え当番とはなんだ?呆れてこれ以上話を続けるのも面倒になった。
ため息をついた私の後をベンヤミンが引き取る。
「お前なぁーどうせつくならもうちょっとマシな嘘を考えてはどうだ? 王子殿下のお迎え当番てなんだよ?王宮には殿下をお迎えする馬車も人員も不足しているとでも言いたいのか?」
「はぁ・・・しかし確かに当番だと」
これは嘘をついているのではない。ただ主の言葉を盲目的に信じる愚かな使用人というだけだ。それよりもこんな言葉を信じた門番の方を窘める必要があるように思う。
『今日のところはそこにいるお前たちの主を乗せて帰れ 私の迎えはこの二年間 毎日ただの一度も遅れることなく王宮から来ている 心配は無用だ』
用は済んだ。もうこの馬車に用はない。
『ベンヤミン 時間を取らせて申し訳なかった 先に出てくれて構わない 急いで帰ってくれ』
「気にするなレオ 家庭教師が来る時間にはまだ間に合うさ」
『私はスイーリとソフィアを馬車まで送ってくる 先に出ろ』
「わかった ありがとうレオ ソフィアのこともよろしくな」
ベンヤミンを見送り、二人を馬車まで送る。
『スイーリも急がなくてはならないのに済まなかったね 先に帰ってくれ』
「わかりました レオ様もお気をつけて」
スイーリが馬車に乗り込んだことを確認して、ボレーリンの馬車へと向かう。
『ソフィアまで付き合わせてしまったな 毎回申し訳ない』
「おやめください レオ様が謝られることではございませんわ」
『充分に気を付けて帰ってくれ また明日会おう』
ソフィアは私の背後をちらと確認すると御者が二名控えていることに安心して馬車に乗った。
「レオ様ありがとうございました レオ様もお気をつけて」
「殿下 ビョルケイの馬車は留まらせております 令嬢が出てこないよう一人見張らせておりますので 安心してお戻りください」
『わかった』
今年、いやビョルケイが何度目かの騒動を起こして以降、御者の人数が一名増え三名になった。王族の乗る馬車の御者が第二騎士団所属と言うことは公然の事実だ。
「お帰りなさいませ レオ様」
『ロニー・・・やっと会えたな』
ロニーの耳が少しだけ揺れた。笑いを堪えているらしい。
「ご冗談が言えるようで安心いたしました」
『冗談・・・でもなかったんだけどな』
「いえ申し訳ありませんでした レオ様がお戻りになる前に移動させておくべきでした」
『いや ロニーの責任ではないさ』
今まで一度も目にしたことのない馬車が堂々と入ってきたのだ。見慣れない御者が乗っていたとしても、ロニーの一存で排除することは難しいだろう。
『だが門番には経緯を聞いておく必要があるな』




