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今日も何事もなく帰ってくることが出来た。
そんな今まで当然だと思っていたことが、とてつもなく幸福なことの様に感じる。
ベンヤミンの言った通り、あの翌日には学園中にビョルケイと私の噂が流れていた。イクセルはオーケストラの練習に向かった後だったそうだが、ヘルミとアンナも騒動を目撃したと言っていた。
視線を向けられることにはもう抵抗も感じなくなっていたが、同情のような憐れみを感じる視線は居た堪れなかった。
ビョルケイは四六時中付きまとうわけではなかった。一度騒動を起こすと、数日間は息を潜める。
神出鬼没―正にそれだ。
帰りの時間を狙ってくることが多かったが、朝、護衛と別れて校舎に入った瞬間に飛びついてこられたこともあった。昼休憩の時、突然隣に座られたことも何度かあった。
沈黙期間も次の作戦でも練られているようで気味が悪く、決して落ち着けるわけではない。
自室に戻り着替えを済ませると、机の上に書類が積まれていることに気がついた。
一枚めくるとビョルケイ家についての詳細がぎっしりと書かれていた。
茶を淹れていたロニーがカップを置く。
「差し出がましいかと思いましたが 少しお調べ致しました」
『いつの間に・・・ありがとう』
「敵を知ることは基本中の基本ですから 私も既に全て頭の中に入れました」
『敵か・・・その通りかもしれないな』
ウォーアリッグ=ビョルケイ男爵―歳は五十五。
クローニ=ビョルケイ―こちらが本妻、ペットリィの母親か、四十歳。
ペットリィ=ビョルケイ―王立学園本校騎士科二年。
マニプニエラ=ビョルケイ―第二夫人、三十三歳。
ヴェンラ=ビョルケイ―王立学園本校本科一年。
男爵にはビョルケイ本人から聞いた時点で良い印象を持ってはいなかったが、年齢を見て更に嫌悪感を憶えてしまった。第二夫人とは親子ほども離れているではないか。本妻すらも十五も離れている。
いや偏見は良くないな。漁村の婚姻年齢は王都とは違うのかもしれない。
王都には第二夫人だけを連れてきたのか。ダールイベック領の邸も売り払っていない。随分と羽振りがよいのだな。ただの男爵家とは思えない。でも流石に王都のタウンハウスは貴族居住地区ではないか。あの地区は伝統を重んじる。金を積んだとて新興の男爵が手を出せる場所ではない。
夫人はどちらも織物工場で働いていた工員。
第二夫人とビョルケイ・・・全員ビョルケイか。まあいい私が言うビョルケイはあの頓痴気のことだ。
二人は男爵家へ入る前も不自由な暮らしをしていたわけではないようだ。十五年前に工場を退職した後は働きにも出ていない。完全に妾か。何故今になって迎え入れたのだろうな。
「工場については引き続きお調べしております どうも叩けばいくらでも埃が出るようです」
『そうか・・・そういう意味ではビョルケイが今年本校へ来たことは良かったのかもしれないな』
「それは同意しかねますが・・・」
二枚目からはビョルケイ家一人ずつの詳細が綴られている。短期間でよくここまで調べ上げたものだ。ロニーが味方で良かった。絶対に敵に回してはいけない人間の一人だ。
男爵の身上を読み進めて行くと気分が悪くなってきた。これが貴族というものなのか。私は今まで綺麗に塗られた表の部分しか知らなかったと言うことなのだろうか。
「レオ様 このような人物ばかりではございません この人物はかなり特殊なように思います」
また顔に出ていたか、ロニーが思案顔をしている。私もいつまで経っても成長しない。
「そろそろお食事にされませんか」
もうそんな時間か。最近あまり食欲が湧かない。食事を取るのもかなりいい加減になっていた。
「少しお瘦せになりました しっかり召し上がっていただきませんと私が叱られてしまいます」
ロニーも完全に私の扱い方に慣れたらしい。そう言われると、言うことを聞かないわけにはいかなくなる。
『わかった これは少しずつ読むことにするよ』
ロニーに諫められなかったとしても一気に読む気にはなれなかった。
引き出しの中に書類を片付け立ち上がった。
 




