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「お帰りレオ 何の用・・事だっ・・・たんだ・・・・?!」
『ああ 用はなかった』
「え?なかった?!」
驚いた声を上げたベンヤミンに答えることなく席に座る。もうすぐ移動しなければならないが、それまでに気持ちを落ち着かせたい。机に肘をつき、額に両手を当てた。
「何かあったのでしょうか レオ様があのような表情をされるのは珍しいですよね 初めて見ました」
「俺も見たことないよ 気になるけど聞きにくいな・・・」
「ベンヤミンでも見たことがないんだ」
話し声が聞こえてくる。私は今余程イラついて見えているのかもしれない。今朝ロニーに言われたばかりだと言うのに表情が作れない。弁解したい気持ちは山々だがとにかく今は落ち着くことが最優先だ。
クラスメイト七~八人と昼食を取っていた時のことだ。見慣れぬ男子生徒が言伝を言いつかったとやってきた。ベージュのクラヴァット、今日入学したばかりの新入生だ。
何故今日入ったばかりの生徒に言伝などするのか、充分すぎるほどに胡散臭かったが、無下にも出来ずとりあえず教師が待っているという射場へ向かった。教師が生徒を呼び出すとすれば準備室だ。弓術の講師ですら射場に呼び出したりはしないだろう。射場に私を待つ教師などいないとわかった上で、敢えて向かったのだ。
案の定射場には鍵が掛けられていた。騙されたか。しかし何のために誰が。
言伝を持ってきたあの生徒ではないと思う。
まあいい。
そうして来た道を戻ろうとしたところ、向こう側からキョロキョロと人を探すように歩いてくる一人の女子生徒がいることに気がついた。ベージュのスカーフをしている。この令嬢も誰かに騙されてここへ来たのだろうか。こんなわかりにくい場所にある射場に初日から気の毒なことだな。
私の用事はとりあえず済んだのでそのまま戻ろうとしたのだが、その女子生徒が私を見るなり瞳を輝かせて走り寄ってきた。
「ここへ来るよう呼ばれてきましたヴェンラ=ビョルケイです!
私を呼ばれたのはレオ様だったのですね!髪型が違うからちょっとびっくりしたけどかっこいい!こっちの方が素敵だわ」
そう言いながら両手を伸ばしてきたため反射的に後ずさる。
『待て 呼び出したのは私ではない 私も呼ばれてここへ来たのだが何か手違いがあったらしい』
・・・ビョルケイ?今ビョルケイと言ったか。それに私のことも知っているようだな。
一歩も引かず行く手を阻むように立ち続けるビョルケイ嬢に困惑を覚える。
「レオ様 私今日入学したばかりで学園のことも全然わからなくて 気がついたらここに来ていました」
『そうか とりあえず来た道を戻ればいい では失礼する』
何故だかこの令嬢とこれ以上接する気にはなれなかった。元よりこの場に長居する気もさらさらない。
「待ってください!せっかくここでお会い出来たんです!奇跡のような出会いだとは思いませんか?」
・・・何を言ってるんだ。学園生同士が学園内ですれ違うことのどこが奇跡だと言うんだ。この程度でいちいち奇跡判定していては、世の中が奇跡で溢れかえってしまうだろう。
『悪いが全くそうは思わない ビョルケイ嬢がここが何か知った上で来たのかわからないから一応説明するが ここは射場だ 令嬢に用がある場所ではないはずだ』
「ビョルケイ嬢だなんて・・・ヴェンラって呼んでください」
『名を呼ぶほど親しくなった覚えはない』
「これから親しくなります!」
ダメだ。全く噛み合わない。どうしたものか・・・
気がつくと腕に両手を絡ませてきた。
『何しているんだ 放せ』
「ではもっとお話ししてくれますか?」
その交換条件はどう考えてもおかしい。だがこの令嬢にこちらが常識と思っている行為は一切通用しないらしい。正論で返してはダメだ。
『わかった 話を聞くから腕を放せ』
相手の条件を飲んだようで気に入らないが、なんとか放れさせることに成功した。
『どうした?話さないのか?』
自分から言い出したくせにモジモジと顔を赤らめて下を向いている。今なら逃げ切れそうだ。走るか、全力で。いや・・・騒ぎになるのは御免だ。下手に騒がれて密会でもしていたと誤解されたらさらに腹立たしい。
「レオ様からお話しください」
『私から話すことなど一つもない』
これ以上ないと言うくらい冷たく接しているのに、全く堪えないことに呆れる。
「酷いです ようやく会えたのに」
『酷いと思うなら立ち去るといい 私も戻るところだったんだ』
ん?ようやく?どういうことだ?
『ようやく?と言ったか?』
「はい!何年も前から会いたくて会いたくて 早く会いたくてたまりませんでした」
『今日が初対面だよ な?』
「はい!でもずっと以前から知っていました レオ様のことならなんでも」
気味が悪い。
くそ、なんでここは射場なんだ。ここでは偶然通りかかるものもいない。いつまでこの頓痴気と二人きりでいなければならないのだ。私までおかしくなりそうだ。
あのビョルケイに兄弟はいなかった。あの時感じた嫌悪とは別物だが、目の前にいるビョルケイも明らかに不快だ。性格は全く違うように思うがもしかして・・・
『ビョルケイ嬢に兄はいるか?』
「はい!兄さん・・・お兄様をご存じなのですね!」
『騎士科の二年 ペットリィ=ビョルケイ 一年以上前に一度顔を合わせただけだ』
「たった一度会っただけで そこまで憶えているなんて!レオ様はお兄様のことが大好きなのですね」
返事をするのも面倒だ。こちらも一方的に話をさせてもらう。
『一年前ペットリィに妹はいなかったはずだが』
「そうです 私がビョルケイになったのはお兄様が騎士科に進んだ後ですから」
養女か。一風、いやかなり変わった令嬢だが苦労も多かったのかもしれない。
「母さんが第二夫人になったんです 私は父さん じゃなくてお父様の実の娘ですよ」
・・・
この国で第二夫人を持つことは禁止されてはいない。
何らかの理由があって二人目の妻を迎えるものが全くいないわけではないが、嫡男が生存していて・・・それに十五になるこの令嬢も実子だと・・・?
『ではビョルケイ嬢は寮生なのだな』
「ヴェンラです レオ様!
いいえ 王都に越してきました 母さんと父さんも一緒です
王都は広くて楽しいですね なんでも売ってるし!今まで住んでいたのは小さな漁村で~~~」
何やら熱心に語っているようだが耳には入ってこなかった。
『そうか
話の途中で悪いがもう時間だ 一年生も次の時間は座学だろう 初日から遅刻はしないように』
「はーい!最後はレオ様も実技ですか?剣術だったらこっそり見学に・・・」
『どの授業も見学は認められていない 自分の選択している授業に出席しろ』
後ろからひょこひょことついてくるが、校舎へ戻るにはこの道を通らなくてはならないのだから仕方ない。
しかしこの調子でよく本校の試験に合格したものだ。性格はかなり個性的だがその実切れ者なのかもしれない。ペットリィも優秀ならしいからな。
まあ今日のところは事故だと思って諦めるしかない。今後はそうそう関わることもないだろう。
『はぁー--っ』
大きくため息を吐いて立ち上がった。次の時間はホベック語か。まだいらつきが治まっていないのがわかる。なんとか移動中に静めなくては。




