9. 綺麗なお姉さんは好きですか川・_・川
「やっぱり、お前か、松野」
リコがなすがままに女にかいぐりまわされているところに 倫也が帰って来た。
「お帰り。ポストに鍵を入れていくクセ、直した方がいいわよ、危ないから」
松野と呼ばれた女は 倫也の姿を見ると、親しげに倫也に忠告する。
「道に落とす方が危ないだろ」
遠慮ないトモヤの返し。
(なんじゃ!?随分親密そうに見えるぞ!?)
「ポストの暗証番号だって000のままじゃない」
「取られるものなんてないって。コーヒー、飲むか?」
「いらないわ」
(なっ、何者なんじゃ、この女、、マツノ、だったか?)
「今日、ちょっとバイトあがるの早いんじゃない?卯月先生」
「その呼び方、やめろよ。お前に言われるの慣れないから」
倫也が苦笑いを女に返す。
“マツノ”
リコはその名前を知っている。
ケータイという通信魔具で、倫也が『マツノ』とやりとりしているのを リコは何度か耳にしている。
たしか、倫也についている編集者の名前だったはず。
(仕事の、仲間であったか)
リコはホッと胸を撫で下ろした。
「今日は大学の同期じゃなく、編集者として来たんです。卯月先生」
松野は倫也が嫌がるのが楽しいようで、『先生』を強調し、名前を連呼する。
「編集者が何で料理なんかしてんだよ」
「あら、作家先生の体調管理も私達の仕事だもの」
「……やっぱりお前だったんだな」
(えっ!?)
「え?何?」
「いや。ありがたいよ、松野」
倫也が ふっと微笑む。
(ちがう、ちがうぞ!トモヤ!!今までのはマツノではなく、ワシが……)
「別に///大したことしてないし」
「謙遜すんなよ」
「///」
(なんか、ムカつくぞ、この空気!くっ、、マツノめ!ワシの手柄を横取りしょって、、精気を吸ってくれるわ!)
リコは松野から精気を吸い上げる。
(あ、れ、、?)
「お前、料理出来たんだな。今まで差し入れは買ったヤツばっかだったのに」
「失礼ね!さっ、最近、輝夜羅先生が料理教室に通われてて、つきあいで通ってるのよ、ほら、輝夜羅先生は、食べ物関係の作品をお書きになってるから、、」
「ふ~ん」
(この女……)
腹いせいにリコが吸いとった松野の精気から感じるのは、胸の高鳴るような、暖かなものだった。
(倫也の事が好きなんじゃな)
倫也にはかくしているようだが、リコはこの感覚を知っている。
倫也がリコを撫でてくれる時――
倫也がリコの名前を呼ぶ時――
倫也がリコに笑いかけた時にリコが感じる感覚と同じ――
(ワシも、倫也の事が好きなんじゃな……)
それが“恋心”だということを、リコは皮肉にも 松野を通して知った。
倫也は女の手からリコを受けとると、ひとなでして クッションへと座らせ、ドッグフードを皿に入れ、リコの前に置く。
その背に 松野が呼び掛ける。
「卯月先生」
「ん?」
「新作、編集長のGOサインが出ました。来月から連載、宜しくお願い致します」
どうやら本当に仕事の用事があったようだ。
「そうか。サンキュー、松野、お前がいてくれたおかげだよ」
ふっ、と、倫也が笑う。
くっ、と、松野が耐えるように唇を引き締める。
「おめでとうございます。卯月先生の実力です。では、引き続き、宜しくお願い致します」
事務的に告げると、松野はカバンを手にして玄関へと向かった。
「あれ?帰んの?食事は?一緒に食わねーの?」
「仕事が残っておりますので!!」
そそくさと玄関へ行き、靴を履く松野。
「……倫也」
ドアを開けた松野が振り向く。
「ん?」
「やったね」
夕焼けのせいか、 松野の顔は赤く、
嬉しそうに笑って、松野はパタンと扉を閉めた。
◇
【編集者:松野の場合】
(うわああああ///)
松野は倫也の部屋のドアの外で ココロの叫びを上げる。
(何で早く帰ってきちゃうのよ!!)
なんとかポーカーフェイスで誤魔化せたはず。
松野の動揺は倫也には伝わっていないはず!!
サラッと、スマートに料理を作って、倫也の帰宅時に出来上がりを用意しておく手はずだった。
はっきり言って、料理は得意じゃない。
拙い包丁さばきや、ごっちゃりのキッチンを、見られたかなと、焦った。
作家先生の輝夜羅と料理教室に行ってるのは嘘じゃない。
でも、つき合ってくれてるのはむしろ、輝夜羅の方。
松野が輝夜羅に、いい料理教室はないかと尋ねたら、輝夜羅が教えてくれたのだ。
(一緒に食事なんて///)
飲み屋や惣菜、買ってきたものならまだしも、自分が作ったものを倫也と一緒に食べるなんてハードルが高すぎる!
松野が倫也と出会ったのは、友達に誘われて入った大学の文芸サークルだった。
どちらかといえばアクティブな松野は、もっと活発そうなサークルに入るつもりでいたが、新入生勧誘の鬱陶しさに 決めかねていた。
本を読むのは好きだから、いいかな、くらいに思って入ったのだ。
そこに、倫也がいた。
「松野 燈です」
サークルメンバーの前でそう自己紹介した時、倫也の口元が微かに嗤った。
ボサボサの頭で、顔は顔は見えなかったけど、嗤われたのがわかった。
(人の名前聞いて嗤うなんて、失礼ななヤツ)
第一印象は最悪だった。
初めて話したのは、サークルの同人誌作りの時だった。
大学一年生同士、雑用に走り回っていた時。
松野は思いきって倫也に聞いてみた。
「卯月くん、私の自己紹介の時、嗤ったでしょ」
相変わらず髪はボサボサで、顔は良く見えないけど、倫也は何の事かと思い出そうとしている風だった。
「ああ、」
倫也の口元が微かにほころんだ。
「松の灯りって、ぴったりな名前だなぁと思って」
松の木は燃えやすい。
すぐに火がつく。
気が強く、思った事をぱっと言ってしまう松野は 『名は体を表す』と、良く言われた。
またか、と、思った。
でも、倫也はこう言ったのだ。
“松野さんがいると、火が灯ったみたいに そこだけ凄く明るく見えたから”
ボサボサの前髪からのぞいた瞳は、穏やかで優しいものだった。
あの時、倫也は“嗤った”のではなく“笑った”のだと理解した松野は、それから倫也に惹かれていった。
サークルの同人誌が出来上がり、松野は倫也の作品を読んだ。
(なんて優しい世界……)
田舎の、何げない出来事が綴られている物語。
その世界は優しくて、尊く、輝いて見えた。
倫也の綴る言の葉は じんわりと松野の心の琴線に触れた。
松野はその作風に、倫也の世界が好きになった。
倫也の事が好きになった。
しかし、その頃の倫也には 田舎に彼女がいて、遠距離恋愛中だったから、松野の倫也への恋心は、倫也の作品に対するファン心理に置き換えられた。
大学を卒業すると、倫也は大学院に進み、松野は出版社へと就職し、倫也を応援し続けた。
倫也はいつの間にか彼女と別れていたが、その頃の倫也は 新人賞に向け、執筆に夢中で、松野は告白のタイミングを見送った。
その後、倫也が新人賞をとり、お祝いして、いざ、告白しようとすると、有名になった倫也の元に、元カノが泣きついて寄りを戻してしまった。
倫也が泣かず飛ばずの状態が続くと、元カノは再び倫也の元を離れたが、松野がそれを知ったのは 倫也に新しい彼女が出来てからだった。
そんな事をくりかえしながら、松野は片思いのまま、現在に至る。
今、倫也に彼女はいない。
告白するなら、今なのだ。
倫也の新しい連載が決まり、人気が出れば、また他の女に取られてしまうかもしれない。
だけど……
“そうか。サンキュー、松野、お前がいてくれたおかげだよ”
さっきの倫也のセリフ。
これには抜けている言葉がある。
『友達』
“お前みたいな友達がいてくれたおかげだよ”
倫也の言葉の意味はこうだ。
大学を出て7年、、もう8年目か。
ずっと友達として倫也を応援し続けていた。
この関係性、
作家と編集者としての二人の今のかたち。
これも松野にとってはかけがえのないものだ。
これを壊して、倫也とのこの先を作って行けるのだろうか……
友達のままでいれば ずっと 倫也と共に歩んで行ける。
小説家としての倫也と一緒に、倫也の世界を作って行ける。
しかし、倫也も松野ももう30歳だ。
倫也はよくとも、松野はそろそろタイムリミット。
この先に行けば母親に無理やり相手を宛がわれかねない。
あの母なら、やる。
(次こそは一緒に食べる!!)
ファイティングポーズで気合いを入れて、松野は闘士を燃やし、次なるメニューを考えるのであった。