6 ご近所さんでした
2話同時投稿です。
とんだアクシデントだった、と言っておこう。
俺の中での重大な覚醒と、目の前の俺のリクエストで遥が作って来たタコさんウインナーが内藤に食い尽くされる危機感がゴッチャになってしまい、遥を抱き寄せながら「俺のだぞ」と言ってしまった。
赤くなって固まる遥と気付いて慌てる俺。そして微笑ましそうに見ている四人。そう、彼らからしたら「あらあら仲良いこと」程度のことだ。
だが当の本人同士は動揺して戸惑っている。今の俺達は付き合っているわけではない。「再会して、また交流が始まった昔の知り合い」の枠を出ていないのだ。つまり友人だ。
俺が「あ、ごめん」と言って解放すると遥は黙って30cmくらい離れてしまった。…まあ、元の位置に戻っただけなのだが、その30cmの距離が妙に心に隙間風を吹かせる。というか、寂しい。
たかが30cm、されど30cm。好きになってもらいたいという、自分の気持ちに気付いた途端に嫌われたのか!?と、俺は目の前が真っ暗になりそうだった。
小山内と未来さんは、付き合い始めのラブラブ感で、互いに離れずそばにいる。
内藤と香奈ちゃんはそばにいても少し離れていても、互いの間に見えない磁気が働いているように何となく繋がりが感じられる。
俺と遥は、昔は互いの距離など測らずにいた。俺達にも見えない磁気が働いていたのだ。だが今は、どこまで近付いて良いのかがわからず戸惑っている。ここが越えられたら何かが変わるのだろうか?
俺は思った。
今の俺達の、とりあえずの目標は手を繋ぐ事なのかもしれない。
そんな事を思って遥の手を見つめる。白く細っそりとした指の小さな手だ。いや、女性としては大きい方らしいが、まあ、俺からすれば小さくて可愛い手だ。
「それ貸してもらっていい?」
小山内がそう言って立ち上がり、俺が持って来た遊戯アイテムのボールとラケットを持って、「未来ちゃん、勝負しよ!」と、未来さんを食後の運動に誘う。
「え?勝負って、あなた本気で言ってるの?」と謎の言葉を投げかけながら、未来さんも立ち上がり、二人で少し離れた場所に移動して行った。
内藤と香奈ちゃんも彼らに続いて「じゃ、俺達はこれだ!」とフリスビーもどきを持って離れた所に行って遊び始める。うわ、下手だな。なんか二人ともとても下手だ。ちゃんと相手を見て、そっちに向かって軽く投げるんだぞ。
俺が思わず内藤達の驚くべき残念なフリスビー投げを見て本当に驚いていると、遥が「タコウインナー、足りなかったね。もっとたくさん作ってくれば良かったかな」と言った。
「いや、俺もぼんやりしてたけど、内藤めが遠慮無しにばくばく食ったのがいけないんだよ」と弁当の話題に乗っかる。そうだ、さっき言いそびれた事も言っておこう。
「他のおかずも美味かったよ。遥さん、料理上手くなったね」
「そうでしょ!?やった、名誉挽回出来た!嬉しい!…昔は出来るフリして格好つけてて酷いの作ってたもんね」
俺の言葉に嬉しそうに振り向く遥。そうだね、あの頃は色々と残念だった。味が薄過ぎたり濃過ぎたり、火力が強過ぎて焦したり、弱過ぎて生焼けだったり…。でも楽しかった。
「まあ、俺にはどれも御馳走だったけどね」
「よくあんなの食べさせたよね。今思うとぞっとするわ」
「頑張りが両極に行っちゃったんだよな。でも、あれはあれで美味かったてか、嬉しかったんだよ。一生懸命作ってくれてるのがわかって」
「そんな事言うのリオン位よ。家族に作った時は散々だったもの。でも、さすがにもう作るのに慣れて加減も覚えたしさ」
「うん。今日の、あの煮た野菜を豚肉で包んであったやつ好きだな」
「あれはね、一口で食べられる肉じゃが」
「そう言われてみれば確かに肉じゃがの味だった!おお、考えた人は頭良いな。優れ弁当のおかず」
「えへん!」
「え、遥さんが考えたの?」
「自分が元祖と言うつもりはないけれども、でも、あれは私が自分で思いつきました!」
「すごいじゃん!美味かったよ。あと、鶏肉の味噌風味のやつと、梅とシソの葉のやつ、あれも好きだな」
「鶏肉のはどれも母直伝なの。良かった。みんなも美味しいって言ってくれたけど、リオンが黙ってたからドキドキしてたよ」
「味わってたんだよ。美味いなと思って、時の経過を感じてた。卵焼きもびっくりするくらい良い味だったしなあ」
「卵焼きはね、昔リオンが作ってくれた出汁巻き玉子が衝撃でさ、あれに近付こうと思って練習したんだよ」
「そっか。うん、美味かったよ。もう俺の卵焼きを超えてるね」
「ふふ、本当はさ、ハンバーグも自慢だから作ろうかなって思ったんだけど、あんまりおかずが肉肉しちゃってもと思ってやめといた」
「そうなんだ。じゃあさ、今度作ってよ」 なんて、ちょっと思わせぶりな事を言ってみる。
「…そう、だね」
遥の表情が少し固くなり勢いが引いた。
だめだったか?これで良い感触だったら、帰りに手を繋いでみようかと思ったのに、調子に乗り過ぎたか?
顔に出さないように心の中で反省をしていると、遥が真剣な顔をして俺を見た。
「あのね、私リオンに話さないといけない事があるの。…話さないといけないっていうか、聞いて欲しい事があるの。ずっと話したくて話せなかったから」
聞いて欲しいこと?ずっと?
ずっとって、まさか9年前からってことか?
「…わかった。今ここで聞く?それとも後でちゃんと時間取る?」
真剣な顔で考え込んでいる様子で、あまり楽しい話ではないのかと思った。皆で楽しんでいる時に話すような事ではないのだろうと。
「解散してからにしようか?」
「うん、その方が良いかな」
「じゃあ、後で話そう」
小さい声で「ありがと…」と言って遥は首のネックレスを触った。
そうだ、何故それを今日着けているのかも知りたいと思っていたのだ。その答えも後で聞けるのだろう、きっと。
会話が途切れて、次の言葉を探していた時、びゅん!とフリスビーもどきが飛んで来て俺の右目辺りを掠った。
「うわ、こわっ!」
「わー!ごめん!!大丈夫かっ!?」
内藤、お前の大暴投か!何という場面転換の仕方をする!?
謝りながらも大して悪いと思っていなさそうな顔で走って来る内藤に、俺は拾ったフリスビーもどきを投げる。
「どこに投げてんだよ!柔らかいけど飛んで来て当たったら怖いからね!」
「何でだかそっちに飛んだんだよ。ごめんな〜!でも当たったのが遥さんじゃなくて良かった〜」
それは確かにその通りだ。
まあそれに、「大丈夫?」と遥が心配そうに、フリスビーもどきが掠った辺りに触れながら、顔を覗き込んで来るのもなかなか良いので許そう。…だが内藤よ、反省はしろ。何でだかと言ってないで、ちゃんとどこに投げるか狙え。
香奈ちゃんも内藤の後から戻って来てへなへなとシートの上に座り、「あたし休憩する。フリスビー取りに行くのが結構きつい。だめだ」と言って、ポカスエットをごくごく飲む。互いのノーコンぶりに振り回されてへとへとになってるらしい。
「二人とも下手すぎ、じゃなくて、体力なさ過ぎじゃないか?普段運動してないだろ」
「してない。やばいね。アッ君なんか、最近お腹出て来てるもんね」
「そう、俺メタボに片足突っ込んでるかも」
「アッ君、今日から運動しよう!遥さんとかリオン君は何かやってんの?」
「私も運動不足かな。駅の階段で息が切れるし」
「俺は毎日筋トレしてる。ずっと続けてるからもう日課になってるかな」
「筋トレが日課だと?おい、お前まさか…腹が割れてる種族か?」
「ああ、そうさ。俺は希少種、シックスパック族だ。ふふふ」
「まさか!あの幻の!?いや、騙されないぞ、証拠を見せろ!あ、本当だ」
「わー!かっこいい!アッ君もこうなって!腹筋割って!」
「よし!俺はやるぞ!今すぐ始める!!」
「あたしもやるっ!」
急に腹筋を始めた内藤と香奈ちゃん。そこに(汗だくの)小山内と(爽やかそうな)未来さんがラケットボールの勝負を中断して戻って来た。
「何でお前だけそんなに汗だくなんだよ?」と内藤に笑われた小山内がハアハア言いながら、「お、お前らもやってみればいい」と言うので、それから全員で「なんちゃってテニス大会」になる。
3点先取した方が勝ちのトーナメント戦で、すぐに順位が決まって行き、決勝戦は未来さんと俺の対戦となった。
それまでは運動不足の面々を相手にゆるくやってたが、対戦相手が未来さんになった途端に俺は真剣になった、というか真剣にさせられた。
未来さんがすごく上手くて、左右に揺さぶりをかけてくる。しかも俺がギリギリ返せる程度に。そして俺が返す球は全てしっかり拾うので、こっちの点も入らない。何、この人?
未来さんは手加減をしてくれていたのだろう。ある程度(俺だけが)走り回った所で「じゃ、そろそろ終わりにしようか〜」と言ってサクッと勝負を着けられた。
負けた。さっき小山内の「勝負だ!」の声に「本気で言ってるの?」と返していた謎が解けた。未来さんは学生の時にテニス部の主将だったそうで、県大会ベスト4にも残った人らしい。今もテニスクラブで週一ラケットを振っているそうだ。
未来さんの優勝で喜んだ小山内が抱きつこうとし、「汗臭い!」と叱られて、一生懸命にボディシート(せっけんの香り)で全身を拭いていた。…俺も使わせてもらった。
16時過ぎにそろそろ帰ろうという事になり、また未来さんの車に乗り込んでサンチョ駅まで移動する。移動中に未来さんからテニスクラブへのお誘いを頂いた。バックミラー越しに小山内が睨んでいたので、機会があればと誤魔化す。
直後に小山内からメールが来た。「未来ちゃんに褒められて良い気になるなよ」と送られて来たので、すぐに「俺は二人の幸せを心から応援している」と返すと、助手席の小山内が振り返りとても良い笑顔で笑ってくれた。
駅前で小山内達の車を見送る。内藤と香奈ちゃんはスーパーに寄って行くと言うのでそこで解散だ。じゃあねと歩き出してから香奈ちゃんが「あ、そうだ!」と振り返った。
「あのさ、実は絵里が先週、久しぶりにあたしに連絡して来たのよ。で、リオン君の事聞かれたから、先月結婚したって言っちゃった!」と、てへっと笑う。
香奈ちゃんと、俺の元カノでちょっとストーカーのようになっていた絵里は前の職場が一緒だった。この前、俺的に怖い事があった時、今でも職場の先輩と連絡をとっている香奈ちゃんが、絵里の様子を聞いてくれて色々わかった事があった。
今回は絵里本人と直接話したようだ。
「絵里ってば本気で結婚を焦ってるみたいでさ、リオン君の行方を探してるっぽかった。アッ君とリオン君が仲良いの知ってるから、どこに引越したの!?知ってるんでしょ?ってすごくしつこくてさ。
電話番号教えろとか、知らないなら探しておけとか、もう、人にものを聞く態度じゃなくて頭きちゃって、つい言っちゃった。
でね、結婚したって言ったらいきなり獣の様な悲鳴をあげてブツって切られたの!なんか本当に様子がおかしかった。あたしも怖いって思ったもん。リオン君、引越して良かったよ!」
何それ、怖い。
「俺もその叫び声聞いた。いきなりさ、ギャーッ!だか、アンギャーっ!だかすごい声がして、びっくりして周り見ちゃったよ。そしたら出所が香奈のスマホからだってんで二度びっくり!」
「あたし、その事を先輩に話したの。そしたら、絵里が会社のお昼休憩の時に「この前再会した昔の彼氏はもう結婚してたみたいだから役に立たない!」って怒ってたって。リオン君はカウントから外れたっぽいよって教えてくれたのよ」
「良かったなお前、役立たずだ。多分もう大丈夫だぞ」と、内藤がしみじみと言う。
知らない間に香奈ちゃんが除霊してくれてた。いや、除霊はいくらなんでも絵里に失礼か。でも、心情的に本当にそう言う気持ち。
「…うわ、なんかありがとう。俺、もう忘れたつもりでいたけど、やっぱり随分と重くのしかかってたみたいだ。今それ聞いてすーっと軽くなった」
「あとはさ、遥さんに守ってもらうと良いよ!」
そう言って香奈ちゃんと内藤は「またな〜」と手を振ってヘイユーストアに消えて行った。
救いの天使の後に、まさかの除霊師の登場。俺はきっと完全に解放されたのではないだろうか。
そんな気持ちでその場で少し呆けていて、ふと隣を見ると遥がどんよりと俯いている。
「遥さん?どうした?」と声をかけると、顔を上げた遥の表情が強張っている。
「…リオン、先月結婚したの?…舞台観に行った時…独身って言ってたけど、あれから結婚…したの?」
あ、やばい。誤解が生じている。
「してない、してない。独身です」
「でも、香奈ちゃんが…」
「あれは方便です。後で話すけど、ちょっと面倒臭い人がいてさ」
「そうなの?」
「うん。独身だから、大丈夫だから。何なら、この2年くらい彼女もいなかったから」
「…そっか、良かった」
ん?今、良かったと言いましたね?俺は聞き逃さない。遥さん、俺は期待しちゃっても良いんだろうか。
「ところでさ、俺汗臭くない?一緒にいて嫌じゃない?大丈夫?」
ついでに大事な事を確認しておく。
以前、遥に別れを告げられた時、その理由がわからなくて悩み抜く俺を見かねた皆が、それぞれに足が臭いんじゃないかとか歯軋りが酷いんじゃないかとか、自分では気付きにくい事を色々考えてくれた。
検証により、どれも当てはまらない事はわかった。だが、俺はそれを機に臭い系に敏感になった。だって、もしかしたら酷く汗をかいた俺は、普通の日本人よりも体臭がきついのかもしれないと思ったから。それで嫌われたのかもしれないと思ったのだ。
「え?全然大丈夫よ。さっき石鹸の香りの汗拭きシートでちゃんと拭いてたじゃない。それにリオンはいつもなんか良い匂いだよ?」
そう言ってふんふんと顔を近づける遥。良い匂い?良い匂いと言ったか?
でも待て。汗を吸ったTシャツに雑菌が増えて来たら臭くならないか?頭は?頭はどうだ?立っていれば気づかなくても、座って近くなったら臭わないか?…だめだ、やっぱり俺は、猛烈に全身を洗いたい。
あ、そうだ!
「あのさ、もし良かったらだけど、一旦帰ってシャワー浴びてから、また集合しない?」
「いいよ。まだ17時前だし、一旦着替えてからにしても遅くはならないもんね」
私も汗かいたからシャワー浴びたいなって思ってたし、と遥が了解してくれて、じゃあ一旦解散して1時間後にまた駅で会おうと約束をした。じゃあ後でねと言って互いに自宅に向かって歩き出す。
…が何故か並んで歩いている俺達。
「? 遥さん、こっちなの?」
「うん、1丁目だから」
「…俺もだ」
「え?私、1丁目のセボン・レイブンの近くなんだけど」
「俺はそのセボン・レイブンの斜め向いのマンション」
「「むっちゃ近っ!」」
詳しく場所を確認すると、どうやら俺達は同じブロックの対角線上に住んでいるらしい。それぞれの家から1〜2分しか離れていない。大通りに出るまでは、平行している別の道を使っているので会いにくい事もわかった。
なんだ、そんなに近いならわざわざ駅で待ち合わせる必要もないじゃないか。
「えと…、じゃあ、うちに来て話す?」なんてな。
「あ、うん」
え?来るの?
「あ〜、じゃあ、今のうちにコンビニ寄って何か買っておこうか」
「そうだね」
俺と遥はセボン・レイブンで軽くつまめる菓子類を買う。そして、今はわからないが、以前はカフェオレが好きだった遥の為に、俺はこっそり牛乳と蜂蜜も買ってみた。
「俺、そこのマンションの4階の角のあの部屋だから」
「うん、じゃ1時間くらいしたら行くね」
「おう」
角を曲がって行く遥の後ろ姿を見送り、買った物を持ってマンションに入る。今日は階段ではなくエレベーターを使った。
「まあ、外で話すよりはゆっくり話せるしな…」と尤もらしい事を呟きつつ、本心では「うわー、また俺の部屋に遥が来る事になるなんて!」と、遠足前の子供の様に浮き足立っていた。
ドキドキドキ。