3 彼女ばかり見ていた
2話同時投稿です。
舞台の前半、俺はずっとチラチラと遥を見ていた。
皆が舞台を見ているので、俺も普通に正面を向いたままで目線だけを左斜め前方に向けていた。座席は一人ずつ一席空けてあるのではなく、同行者は並んで座っているようだ。俺は一人で来ているので両脇が空いている。そんな席順で、俺の席から遥のいる席までは、うまい具合に空いている席が重なっていて、彼女の後ろ姿がとても見やすい。
開演前にもしも彼女が後方を振り返れば多分俺に気付いただろう。だが遥には同行者がいて、彼女の左側に座っているその人の方を向いていてこちらを振り向くことはなかった。
遥の同行者は年配の女性。お母さんかと思ったが、この時期にシズオッカからトーキオに来るとも思えない。職場の人か何かだろうか?
先日の会話では結婚しているような話は出なかったから、お姑さんという事ではないと思う。
むしろ、俺の勝手な印象だが、親や親族に結婚についてうるさく言われるのが嫌でトーキオに戻って来たようだと思った。独身なのかどうか確かめたわけではないから推測でしかないが…。
それとも、「うるさく言われるのが嫌」なのは、結婚していて子供はまだかとせっつかれるとか?いや、違うんじゃないかな。ううむ、わからん。
舞台が始まってからもずっと、俺はそんな考えても答えが出ない事ばかり考えていた。
9年前、付き合うようになったのは俺がまだ18歳で、2つ年上の遥は21歳になったばかりの夏だった。
彼女はミスキャンパスで大学内外でも人気があった先輩で、大学に入りたての俺や友達は、高校時代とは一味違う綺麗なお姉さん達に萌え憧れる、若いパッションが溢れまくる青少年だった。
そんな俺たちにとって、遥は注目の女神の一人、いや一柱。見かけるだけでその日の運気が上がるとされ、至近距離ですれ違った奴などは「俺いま遥先輩とすれ違ったぞ!」と歓喜の報告をしに駆け込んで来て、みんなでそいつから幸運を吸い取ろうと群がったものだ。
そんなバカなノリそのものも楽しかった俺達は、イケてるお女の子が集まるというクラブやカフェの情報を掴むと「出動だ!」とフットワークも軽く出掛けた。
特にナンパ目的というわけでもなく、どちらかというと見物に行くだけだったのだが、逆に声を掛けられる事もあって予想外に交友関係は広がった。
声を掛けて来る女の子達の目的は主に俺だったようで、いつものメンバー内藤、小山内、田中、大越は、俺を「ライオン」と言い、自らを「ハイエナ・カルテット」と呼ぶようになった。
女の子が俺に声を掛けて来ると、ハイエナ・カルテットがさっとやって来て会話を盛り上げる。そして連絡先を交換するのだ。
俺は特に何もせず彼女達とのやり取りもしなかった。それ程興味を持てる子がいなかっただけで、カルテットのそれぞれが女の子とやりとりをして、みんなで遊びに行く約束を取り付けると俺も参加する。そしてカラオケ、映画、遊園地、バーベキューと色々と遊びに行った。今思うと、ライオンというよりは客寄せパンダのようなものだったんじゃないか。
ある時、いつものノリで、新しい人気のカフェにオシャレな人達が集まるらしいという情報を得て、物見遊山に出動した。お洒落カフェが想像以上に雰囲気が良く居心地もよく、「ここいいな、落ち着く」「うん、なんか俺入り浸りたい」「ちょっとリゾート気分も味わえる感じだ」「海外っぽいよな」と、店内に居るお客のきれいなお姉さん達そっちのけでまったりと過ごしていた。
お店のスタッフの女の子がとびきり可愛い事もあって、何杯も飲み物を注文し結構長い時間のんびりしていた。当然代わる代わるトイレに立つ。俺も「ちょっくら行って来る」と席を立って戻る時に店長に声を掛けられた。
何だったかと言うとバイトの勧誘だったのだが、「日本語が上手ですね。留学生ですか?」というのが第一声だったのが笑えると言えば笑える。
でもまあ、よくある事だ。「日本育ちの普通の大学生です」と言うと、店長は「そうなんですか。失礼しました」と丁寧に謝ってくれて返って申し訳ない気がした。
学生にきちんと敬語で対等に話してくれる店長が、とてもちゃんとした大人だと感じて、この店の良い雰囲気はこの人がいるからなのかなと思った。
「母が日本育ちの西洋人です。外見が母親似なので日本人ぽくはないですよね。でも中身はバリバリ日本人なんですけどね」と、気にしてないと伝えようと笑うと、「雰囲気が馴染んでるから日本育ちと聞くと納得しますよ」と言われた。
後にこの時の会話の意味が「思考を何語でしているか」って事だったと教えてもらった。そういうの(他言語で思考しているか)っていうのは、結構すぐわかるらしい。
この店はその頃話題になっていたカフェで、お客もオシャレ人間というか、そういう業界の人が多く、店のスタッフも大半がモデルやアイドルの卵とか、アート系の学生等だった。
つまり、見た目が良いかセンスが良いか、または両方が揃ったスタッフがいる事でも話題だったのだ。
店長がよく「見た目だけじゃないんだよ。自分を客観的に捉えて個性を表現する感性があるかどうか。周囲がちゃんと見えているかってのが大事なんだ。自分がどういう時にどう動けば良いかって自然に考えるし、発想が自由で多角的に物事を捉えられる感覚を持ってる上に、必要な調和も意識できる。そういう人って思って採用すると、自然にうちのスタッフみたいなのばかりになる」と言っていた。
そんな店でスカウトされたという事で、一緒にいた友達に「お前すげーな!」と言われ調子にのり、そして店長の人柄にも惹かれたのですぐにバイトを決めた。
学校でも、遊びに行った先で知り合う人達にも「え?あそこでバイトしてるの!?すごい」と言われ、更にちょっといい気になっていた俺。
ここでバイトを始めた事が、多分俺の人生の流れを変えたのだと思っている。遥と距離が縮まったのもここでバイトをしていたお陰なのだから。
いつも遠目から見ていた憧れの先輩である遥も、友達と良くこのカフェに来ていたようだ。何度目かの来店で「同じ大学ですよね?」と笑顔で話しかけられた。
当然、学校でも会えば挨拶をする様になり、それを見た友達に「お前やっぱスゲーな!」と言われて良い気分だった。
そして夏休みに入り、俺が毎日一生懸命働いている間に、いつの間にかハイエナ・カルテットのうち3人に彼女が出来ていた。
「色々ありがとうな」と言われた事が解せなかったが、どうやら俺を通して?知り合った女の子達と、ずっと連絡を取り合いしっかりと親交を深めていたらしい。
何だよ、あいつらだけ…と田中と二人で渋い気持ちを慰め合っていたある日、いつもは友達と3〜4人で来る遥が珍しく一人でカフェに来た。「バイト何時までなの?」と聞かれ、あがる時間を言うと「待ってて良い?」と言われて胸が騒めく。
それからの俺はかなり浮き足立っていたようだ。バイト仲間には「ニヤニヤしてて気味が悪い」と言われ、店長には「ちゃんと気合い入れて仕事しろ」と叱られた。
19時になると同時に更衣室に駆け込み、速攻で着替えて店の前で待っていた遥の元へ行き「お待たせしてすみません」と緊張して声を掛けた。
振り返った遥の顔も緊張していたような気がして、ああ、これは何かある…と確信をした夏の夕暮れ時。
雑談をしながら駅に向かって歩いた。並んで歩くと遥の頭は俺の肩くらいで、妙にリアルに一緒に歩いているんだなと感じた。
そして、何となく離れ気味に歩いている彼女の、俯き加減の横顔のきれいな顎のラインと鎖骨、そしてノースリーブのブラウスから出ている白い肩や細い腕に見惚れた。
あんまり見てはイカンと視線を空に向け、「今日は月が細いですね」なんて言い、「新月だからこれから丸くなって行くんだよ」と返って来たので、「じゃあ新月のお願い事しないと」と、それっぽい話題を出した。
そのまま駅の手前の小さな公園に差し掛かった所で、「あれ?もしかしてこれは『私の友達の○○の事どう思う?』ってパターンじゃないよな???」と急に思い、フワフワしていた気持ちが急にひゅんと下がった。
その時だ。ふいにシャツを引っ張られて振り返ると「お願い事叶うと良いんだけど…」と言ってジッと俺を見上げている遥と目が合った。
それからすぐに俯いてしまった遥のつむじが妙に記憶に残っている。
俯いたままふるふる小さく震えながら、「私の方が2つ年上ですごく悩んだんだけど、どうしても諦め切れなくて。気持ちだけでも伝えたくて…。あのね、私、リオン君が好きなの」と告白をされ、再び顔をあげて俺を見る目に薄ら涙が浮かんでいるのを見て、俺は意識が爆発してどこかに飛んでいったような初めての感覚を感じながら、ああ、友達の話じゃないのかと安堵しながら、「はい。俺も好きです。け…よろしくお願いします」と返事をした。
うっかり結婚してくださいと言いそうになったが、よろしくお願いしますに変換出来たので良かった。
18年間の人生で告白される事には慣れてはいたはずだったが、遥のそれはこれまでとは全く違う感覚を俺にもたらした。「脳みそバーン!ってこれか?」と思った。
信じられないという顔で「年上嫌じゃないの?良いの?」と繰り返す遥に、「嫌どころか、今すぐ宇宙に飛んで行けそうなくらい嬉しい」と言うと、いよいよ溢れた涙をポロポロこぼしながら肩を震わす彼女。
これは抱きしめた方が良いのか?いや、まだ早い?やめた方が良いのか?とバーンとなってしまった脳みそで考え、抱きしめる代わりに涙が止まらない遥に(ちゃんと持ち歩いていたハンカチは既に手や汗を拭いて微妙な状態だったので)ティッシュを差し出したのだった。
「ごめん、ありがと」と言って涙を拭いてから、そのまま俺の胸に頭をコツンと当てた遥の、「…好きなの」という呟きで俺は完全にやられてしまい、今度こそ抱きしめ、そしてキスをした。
多分、この時まではどちらかと言うと憧れの方が強かったんだと思う。それがもう一気に全部持って行かれた。俺の中は遥で一杯になった。
すごく好きだった。俺は幸せの絶頂を突っ走り、それはずっと続くと思っていた。
でも、半年が過ぎる頃から遥の様子が変わり始めた。笑顔がぎこちなくなって来て少し痩せた。気がつくと俺をじっと見ていて、目が合うと目を逸らす。変わらず甘えて来るのにふとした表情が悲しそうだったり、二人でいる時はべったりくっついて来るくせに、外では手も繋がなくなった。
メールの返事が少し遅いと過剰に怒ったり、ごめんねと謝りながら好きだとしがみついて来たり。
何かあったのか、大丈夫かと聞いても「何もない」「大丈夫」としか言わない。抱きしめると安心したように身を預けて眠る。
そしてある日、とうとう別れを告げて来た。
「リオンと一緒にいると辛くてもう無理なの」
そう言って別れたいと言った。何が無理なのか、何がそんなに辛いのか、幾ら尋ねても理由も教えてもらえず、たった7ヶ月で俺は彼女を失った。俺が19歳になってすぐの事だった。
何がダメだったのかは正直今でもわからない。他に好きな人が出来たとか、そういう事ならまだ理解出来た。だが、一緒にいると辛いって何だ?
俺があんまり落ち込んでいたからだろうと思う。ハイエナ・カルテットがあれじゃないか、これじゃないかと色々考えてくれた。
大越が「足が臭いんじゃないか?」と言い、内藤は「歯軋りが酷いんじゃないか?」と言った。だがどれも検証によって「違うな」という結論に達した。(実は言った本人が彼女に言われて悩んでいた事だったらしい。)
小山内が「お前、激しすぎるんじゃないのか?」と言い、「俺も彼女に言われて気をつけるようにしたからさぁ」と続けて「自慢してんのか、お前!?天誅!」と田中に叩かれていた。
これは検証出来なかったので一生懸命考えた。俺は彼女が嫌がる程に激しくしたことはない…と思う。早からず遅からず、負担をかけず、そして避妊(男の義務)はしっかりしたはずだ。
優しくしていたと思う。大切にしていたと思う。もしかすると大切にし過ぎたのか?鬱陶しかったのか?
言動か?きつい事を言った事はないと思う。怒鳴った事もないはずだ。無意識に失礼な事を言っていたのだろうか?
会話に誤解が生じないようにくどいくらい説明をした事はある。…それか?それがダメだったのか?話がくどいのか?
…など、自分が嫌われた理由を一生懸命考えて、考えて、考えた。
遥は俺を避けるくせに、気が付くとこっちを見ている。一体何だって言うんだ?
やがて俺は考える事に疲れてしまった。もう良いとヤケになって、近寄って来る女の子と軽く付き合ったりもした。
だが、それ程かからず「そもそも理由が思い当たらない時点でダメだったんだ」と、嫌われた原因究明を諦め、ヤケになって来るもの拒まずで付き合う事もやめた。何をどう転んでもダメだったのだ。
気付かないうちに俺の何かが彼女の負担になって、辛い思いをさせた事には変わりはない。原因を見つけて改善して、許して欲しかったが、いずれにしても俺が至らなかった、それだけが答えなのだと結論付けた。ただひたすら自戒をする事で無理矢理自分を納得させたのだ。
「遥は俺が要らない」
それだけだ。
あの時別れてから9年が過ぎて、二度と会う事もないと思っていた彼女と偶然に再会した不思議。
そして今日、本来の予定とは違う日時に変更になった事で、偶然も偶然、座席もすぐ近くに居る遥を俺は見ている。
彼女は俺を見て辛い思いを思い出したりはしなかったか。もう忘れてしまったのか。彼女の中で消えたのならそれで良いんだろう。
答えはもらっていないが、俺はあれから気付けただろうか?やっぱりわからないままだが、それでも変わっていられれば良いと思う。
会場内で彼女を見付けた時に、俺の頭の片隅で小さくリンゴンと鐘が鳴った様な気がしたのは出来過ぎた錯覚だ。わかっていても気を抜くと「女神のお告げか!?」等と思ってしまう。
そういう思い込みはするもんじゃない。これは偶然。ただの偶然だ。こういう事は結構あるものなんだ。変に勝手な意味を持たせて舞い上がらないようにしろ。俺はもう18〜19歳の若者ではないんだ。
そんな事をゴチャゴチャと考えているうちに、現実では舞台の前半が終わりになる。ほとんど観ていなかった。急に友達に申し訳ないと思い、意識が現実に戻って来た。
そして現実に戻った途端、猛烈にトイレに行きたいことに気付く。失敗した。始まる前に行くべきだった。
幕間になり会場内の明かりがつく。俺はその前に立ち上がり、明かりがついたと同時に移動を始めた。
遥に声を掛けるつもりだったが、その前に生理現象を解消しなければ。男子トイレは女子トイレよりも混まないとはいえ、だからと言って余裕をこいている場合ではないのだ。
せっかくそこに遥がいるのに間が悪いというのか、それともこのまま気付かれずに過ごすべきなのか。または、これがベストのタイミングの流れのひとつという奴なのか。
何でも良いけど、とにかくハッキリしてる事は、俺ってカッコ悪い。