1 淡い想い
* 既に完結し掲載済みの話の再編集の為、連投でアップします。
単話だったものを、その後日の話と合わせてひとつの連載として再投稿としています。
よくわからないのですが、あんまり一挙掲載だと良くないのか?と思ったので、1〜2時間起きに投稿設定にしてあります。全7話です。
(2話目と同時投稿です)
「リオン?」と、誰かが俺を呼んだ。記憶をくすぐられる様な懐かしさを感じた。
駅のホームで電車を待ちながらスマホを見ていた俺は、今のは気のせいか?と思いながら声のした方に視線移す。と、ほんの数メートルの所に、驚いたように少し目を見開いてこっちを見ている女性がいた。
俺はすぐに彼女が誰かわかった。
俺の記憶とは髪型も違い、雰囲気も少しだけ大人に見える。でも、細く華奢な所は変わらず、そして真っ直ぐにこちらを見る芯の強そうな目は変わっていない。
彼女は、大学時代の憧れの先輩であり、そして俺の恋人でもあった遥だ。
「ハル…」
一瞬、これは夢か幻覚を見ているのか?と疑った。
9年前、19歳になる手前の俺が、憧れの先輩に告白をされて舞い上がり夢中になった。この人こそ自分の生涯で出会った「真実の愛」だと熱を上げ、心底愛した遥。
心底愛したとは言っても、そこはガキの独りよがりでしかなかった。2歳年上の遥は、やがて俺に「あなたといると辛い。もう嫌なの。無理なの…」と言って別れを告げ俺から離れていった。
理由を聞いても教えてもらえず、俺は人生が終わったと感じて、全てを失ったとしばらく荒れた。わざと派手に遊び、寄って来る女の子と軽く付き合い、これ見よがしに楽しそうに振る舞った。そんな俺を遥が遠くから哀しそうに見ていたのも知っていた。そして、どうせ馬鹿にしてるんだろうとイライラを募らせた。
だが、辛さを紛らわせる為だけにバカを続けるには持続力が乏しかったらしい俺は、そう長くかからず落ち着き、荒れた自分を反省をし、落ち込んで、そして立ち直った。痛みは引き摺りながらも内に秘め、静かに生きる方に切り替えた。
魔法の様に一瞬で変わることはないが、時の流れは緩やかに、そしてじっくりと深く大きく癒してくれるものだ。
遥を失った喪失感と絶望も、1年が経ち遥が大学を卒業をする頃にはわずかな胸の痛みだけに変わって行く。
別れた当初は俺を避けていた遥。それから俺も彼女を避けるようになった。それが良いのだと思った。だが、卒業が近づいて来ると遥が俺に話し掛けようとして来るようになった。
何故急に彼女の態度が変わったのか戸惑いながらも、俺は変わらず彼女を無視し続けていたが、内藤の「遥先輩さ、地元に就職が決まって実家に戻るんだろ?卒業前に仲直りしたいんじゃないか?」という言葉に、そうか…と思った。
卒業したら多分もう二度と会うことはないのだろう。遥は優しい人だ。元はと言えば、俺の何かがそんな優しい彼女を傷つけ遠ざけたのだ。お詫びをして仲直りを申し出るべきなのは俺の方なのではないか。
そう思った俺は、卒業式には笑顔で彼女を送り出そうと思った。そして、会場から出て来た遥に声を掛けた。花を持って行くべきかと思ったが、それはやめておいた。俺から花を貰っても困るだろうから。
「卒業おめでとう」と声を掛けた俺に、言葉を詰まらせて涙を見せた遥。つい抱きしめたいような気がしたが、「あなたといると辛い」「もう嫌なの」と、同じように涙を浮かべて言われた別れの言葉が蘇って俺は動きを止めた。
そうだった。遥は俺が嫌なんだった。そう思って少し距離を取って言う事だけを言った。
「嫌な思いをさせてばかりでごめん。地元に帰るって聞いたから、最後に仲直りだけしたかったんだ。俺が悪いのに無視して悪かったと思ってる。本当にごめん」
優しい遥は、そんな俺に「違う…リオンは悪くない。嫌いなんじゃないの。私が悪いの。ごめんなさい…」と言って泣いた。
これ以上泣かせてはいけないと、俺はまた頑張って笑顔を作り「元気でね、遥先輩。さよなら」と言ってその場を離れたのだった。遥が何かを言いかけたような気がしたが、ヘタレな俺は自分も泣きそうになっていたので振り返らずにそのまま立ち去ったのだ。
それからもう会うはずがないと思っていた。
今、目の前でこちらを見ている遥の姿に様々な記憶が蘇る。ちょっと切ないような、甘く擽るような感覚を感じ、それが余計に現実ではなく都合の良い夢の中にいるような気にさせたのかもしれない。
物語に良くある表現、「周りの音が消えて、まるでこの世界に二人しか存在しない様な感覚を覚えた」の世界そのままに時が数秒止まった気がした。
もちろん錯覚だろう。すぐに音は戻って来た。
周囲のざわめきの中で、笑顔になりかけたものの躊躇する様に動かない遥と、何を言ったら良いのかわからないまま動かない俺が、ただ見つめ合うように立っているっていると、電車がホームに入って来た。そしてドアが開き降りる人が出て来る。
急に時間が動き出したような流れの中で、降りてくる人を避けながら俺たちは慌てて電車に乗り込む。
ドアの両脇に少し離れて立ち、チラチラと互いに見る。マスクで口元は見えないが、遥は微笑んでいるようだ…と思う。
俯く遥のつむじが懐かしい。昔の様につむじの所を指でクルクルと回し髪を絡める悪戯をしたくなる。いつもはお姉さんぶっている彼女が、やめてよとムキになるのが可愛くてやめられなかった子供みたいな悪戯。
そんな事を思っていると、顔を上げて「久しぶりだね」と遥が言った。
あ、俺は今浄化された。そう思った。
何故だか「浄化された」と思ったのだ。
それはここしばらくの絵里との再会に関する重い感覚についてなのか、それとも遥との切ない別れの痛みについてなのか。多分前者の気がする。いや、両方か。
同じ再会でもこんなにも違うものか。絵里との再会で感じた、沼に引き摺り込まれるような、絡め取られそうな不快感は彼女には全く無い。
遥が顔を上げて「久しぶり」と言った瞬間に胸の辺りがふっと軽くなった。
何だか腹から嬉しさが込み上げてくるようで、「うん。元気だった?」と俺も返す。「う〜ん、まあまあかな。そっちは?」と返って来る。軽くて明るい。一方的ではなくちゃんと互いの存在がそこにある「会話」が心地よい。
普通の爽やかな「久しぶり」の言葉で、遥が偶然会った事に戸惑いながらも、多分ちょっと嬉しいと思ってくれているのを感じた。純粋に今の瞬間を喜んでいるのだという感覚だ。
「実はちょうど引越して来たばかりでさ」と俺が言う。
「そうなの?私はもう3年位サンチョに住んでるよ。良いチョイスだね、この辺は住みやすいよ」と遥が言う。
3年?地元に帰って就職したのではなかったのか?と尋ねると、「なんかもう地元が合わなくてね。あっちにいるとさ、親とか親戚が色々とうるさくて。逃げて来ちゃった」と笑う。恐らく嫁に行けとかそいう類の事なのかと思ったが、あまりその辺には触れないでおく。
「俺はニャカメに居たんだけど、内藤と小山内がこの辺でさ。近所に来いよって言ってくれて引越して来た」
「相変わらず連んでるんだ。仲良いね」
「うん。あいつらも結構サンチョは長いんだよ。街で会った事なかった?」
「全然会った事なかった。お互いに気付かなかったのかな?」
「いや、あいつらがハル…遥さんを見逃すはずは無いからな。多分会ってなかったんだろうな。ラッキーだったね」
「あはは、酷い。もし会ったら今の発言をバラしてやる」
笑う遥を可愛いと思った。以前とは違う「可愛い」だ。あの頃の俺は、お姉さんなのに可愛いと思って嬉しかった。だが今思うのはただ「可愛い」。
なんて言うのか、遥はもうすぐ30歳になる大人で、変わらず俺よりも年上だ。だが、「年上なのに可愛い」ではなく、ただひたすらに愛らしい女性だと感じた。大切にしたい、その存在が傷ついたりしないように守りたい、そんな「可愛い」。…これが庇護欲というやつなのか。
「大人になったね…」
「へ?」
「男の子だったのが男の人になってる」
「え?そうかな?」
「うん、なんかカッコいい男の子じゃなくて、男性って感じ」
「それはおっさんになったって事かな?」
「そうじゃなくて、…うん、なんか素敵になってるよ」
「そうかな。それはまあ、あと2年で俺も30だし。大人の魅力が出て来てても仕方ないかもな」
「リオンがアラサーか。信じられない。でも素敵だから良い。合格!」
「ふふふ、惚れ直しても良いぜ」
「あ、そういうこと言っちゃうのはおっさん臭い。減点」
「えー」
そんな軽口を言って笑いながら、遥の可愛さを噛み締めているうちに、彼女が降りる駅に着いてしまった。名残惜しいが「またね」と言って電車を降りていく後ろ姿を見送った。
こんな風に遥と気楽に話せる時が来るとは思ってもいなかった。「時が癒す」ってこういう事なのか。「時」すごいな。
「またね」か。そうだね、同じ駅ならもしかしたらまた会えるかもしれない。今度は嫌だと思われないようにしないとな。やっぱり遥は素敵な人だと思うから、この再会は大切にしておきたい。
また会う事があっても無くても。