第7話「公爵─招かれざる客」
その聞き覚えのない声に、せっかく動き出したところだった俺達の食事の手は止まる。
金属鎧の重装が擦れ合う、ゴツゴツとした硬い音を響かせて。
テーブルの横までまっすぐに歩んできた、その見知らぬ男の顔を目撃するなり、フェリシアの目つきが変わる。
「私のごとき下級貴族の名など、わざわざご確認なさるようなことでもないと思いますが」
「そうでもない。いつ何時も、挨拶というものは重要だ。そうは思わんかね?」
「……ごきげんよう。ホルスト閣下」
フェリシアは、恭しい動作で、貴族式の礼をホルストに捧げた。
それを見下ろして返礼もせず、満足げな笑みを浮かべるこの男のことは──あまり好きになれそうもない。
「誰だか知らんが、まだ相棒が食事中だ。後にしてくれ」
俺は立ち上がって、男と目を合わせる。
俺より頭一つ高い位置から注ぐその視線は冷たく、良い印象とは言い難かった。
──ねぇ見て! ホルスト様だわ!
──ヴァイシャルト公爵家のご長子か、マジモンの大貴族じゃん! 学園に居たんだ!
──お前、知らんかったの⁉ 最上級生主席、学園最強の剣士、勇者候補の筆頭だぞ?
──そんな貴人が、学食に来るなんてことあんのかよ……。
──あの二人が目当てってことでしょ? ほんとに何者なわけ……?
生徒たちのざわめきから、俺はこの男の概略を知る。
『様』などと呼ばせるだけあって、偉そうな態度と装備をしている。
おまけに、傍らには幾人もの従者と、メイド服姿の護衛まで従えている。
恐れ入るというものだ──年の頃は、俺より少し上か。
学園の新1年生は、初等教育を終え、入学してきた十五歳ほどの子らが多い。彼は第6年次生というから、二十歳を超えて少し、といったところだろう。
「──ホルスト様の御前です。お控えを」
立ったままの俺が不敬に映ったか、メイドからの尖った声と視線が俺に突き刺さる。
鉄面皮という言葉がぴったりの、無表情で気配の読めない不気味なメイドだった。
服装が制服でなく、メイドのそれであるということ以外は、食堂に集う若き生徒たちと大差ない見た目をしているのだが。
しかし、俺は何も答えず、フェリシアを背にし、奴らから遮るようにして立つ。
またしても睨み合いのようになったので、いよいよメイドが半歩を踏み出す──そこで、ホルストはメイドに向け、制止するように手を差し出した。
「よい。優れた者には、相応の扱いをする」
「は──」
短い返事とともに、自分の背後へ下がったメイドを見もせず、ホルストは続ける。
「先日の入学試験、話は聞かせてもらった。素晴らしい戦いぶりだったそうだね」
「お褒めを頂き、恐悦至極に存じます」
礼から直ったフェリシアは、俺の横に並び、静かな声で返答する。
まさしく社交辞令といった風なその言葉にも、ホルストは満足げに頷いた。
「その功績を讃え、君たちを我がパーティへ招くのも一興と思っているよ。光栄に思いたまえ」
何となく、予想していた通りの言葉が降ってきたので、俺はうんざりした表情を隠さず見せてやった。
「もったいないお言葉です。至上の喜びに存じますが、なにぶん弱輩の私どもでは、お役には立てないかと」
「ハハハ──まあ、そう萎縮しなくとも良い。未熟なものも率い、育ててこそ──我が勇者の器を証明できるというものだ」
「……御意」
フェリシアの苦々しい返答を聞いて、俺まで胸が悪くなってくる。
明らかに、己が格上だと覆いかぶさってくるような態度には、好感を持てない。
それに、こいつも勇者を目指しているのか──厄介な敵となりそうだ。
やれ、誰が上とか、下とか──貴族社会の面倒事は、三百年経っても変わっていないようだ。
もっとも、国が変わらぬように押さえる、重鎮としての立場こそが貴族なのであり、彼らは使命を成し遂げ続けているのみ、といったところか。
彼らの事情に、さほど興味はない。
ただ、これ以上、無遠慮な衆目を浴び続けるのはごめんだ。
「それで? その勇者になるかもしれない大貴族様が、わざわざお友達になろうと声をかけに来てくださったというのか? さっさと本題に移ったらどうだ」
「言葉遣いに気をつけなさい」
期待したのとは違う方向からの返答。
そこには、無表情のまま──目だけを血走らせて俺を睨むメイドの姿があった。
大貴族への失敬を咎めるのは理解できるが、このメイドからは何か──俺に対する個人的な感情があるように思えてならない。
何のつもりなのか問おうと思ったが、そこにホルストが割り込んだ。
「ノエル、控えていろ。誰が喋っていいと言った」
「……御意」
また一歩下がったメイドを押しのけるようにして、ホルストがさらに近づいてくる。
「直接尋ねたのは、他でもない。王の勅命を読み上げられるのは、我ら公爵家の者だけだからだ」
偉そうに胸を張った後、大声で宣言する。
「フェリシア・マクラグレン、ならびにその執事。明日の朝、謁見を行う──聖王陛下からの勅命、確かに伝えたぞ」
その名──聖王の名を聞いた瞬間、フェリシアの眼球がぐるりと動いた。
目を剥くほどに見開き、ホルストを見やる表情は鬼気迫るものがあり──俺は、その反応に興味を覚える。
フェリシアから一度だけ聞いた、その名──聖王。
彼女は、その存在に対し、何か思うところがあるようだ。
しかし、鈍感なホルストは、フェリシアが単に驚いただけと思ったらしく、高笑いを上げた。
「心配せずとも良い、段取りはこちらで整える。聖王陛下は、君らには触れ得ぬ聖域におわすお方──遠隔にて拝謁を賜ることになろう。詳細は追って伝える。ではな!」
言うだけ言うと、ホルストは、来たときよりも大きな声で笑いながら去っていった。
そっと横目で見たフェリシアは、まだ、目を剥いたまま。
俺たちの昼食は、すっかり冷めきっていた。
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