恋文
「手紙を書いて欲しいの」
魔獣討伐に行く5日前、妻はそう提案した。
妻が、軍部の名門・シトロン侯爵家へ嫁いで3年。
私は、王国の剣として討伐に参加しなければならない。
(何故だい?)
そう聞こうとして、やめた。
妻の腕には、半年前に生まれた娘が、心地良さそうに眠っている。
これが初めての遠征ではないけれど、子どもができて、妻は少し心細いのかもしれない。
「行く前日までに書き上げて、お互い交換しましょう」
「分かった、書いておくよ」
そう言うと、妻は安心したように笑った。
◇◇◇
「さて、何を書こうか…」
その夜、私は机に向かった。
目の前には、なんの飾りもない、ただの便箋が広がっている。
今まで妻に手紙を書いたことはあるが、それは婚約者の頃の話だ。
結婚し、夫婦となってからは書いていなかった。
妻とは、家同士の政略結婚である。
それゆえに手紙は簡潔に、義務的に。
婚約者の頃に書いた手紙は、もはや業務連絡だった。
『私が死んだら、家は子どもに、財産は妻に……』
そんな事を思い出しながら書いたせいか、遺書のような手紙ができあがった。
「流石にこれは渡せないな……」
私は、書き上げた手紙を、机の奥に仕舞い込んだ。
次の日も、私は机に向かった。
「さて、何を書くべきか……」
聞くところによると、普段は無骨な同僚達も、戦いを前に家族に手紙を書く者が多いようだ。
内容は、日々の感謝を述べたり、愛を綴ったりと人それぞれ。
私もそれに習って、感謝の手紙を書くとしよう。
伯爵家の御令嬢だった妻は、とても自立した女性だ。
軍に務める私が長期間留守にしても、滞りなく家や領地を切り盛りしてくれる。
「あなた、お帰りなさい。
領地の出納簿を見る? 領民の嘆願書を読む? それとも開拓案?」
1ヶ月の討伐遠征から帰った途端、そんなことを言われた事もある。
「福祉改革書でも良いわね」
「と、とりあえず、風呂に入りたいな……」
詰め寄る妻に、私は後退って答えた。
今となっては笑い話である。
「だけど、手紙に書くことでは無いな」
私は書きかけの手紙を、再び机の奥に仕舞い込んだ。
そうこうしている内に、3日経った。
「そもそも、妻は何を書いているんだろうか?」
ふと疑問に思う。
何かヒントは無いかと、過去に貰った手紙を取り出した。
一番下の引き出しを開け、両親に、友人、学生時代の恩師……、もらった手紙は、送り主ごとに全て保管している。
手に取ると、妻からの手紙は、友人のよりも少なかった。
きっと私が妻に送った手紙も、このくらいだろう。
『拝啓 初夏の候、いかがお過ごしでしょうかーー』
これは学生の頃、学園のダンスパーティーでエスコートを頼まれたときの手紙だ。
学生の頃から、妻は字が綺麗だった。
やや癖があるが、文字のバランスがとれており、さらさらと水が流れるように綴っている。
差出人を見ずとも、宛名を見ただけで、妻の手紙だと分かった。
『拝啓ーー』
一方、私は、特徴のない印字のような文字を書く。
読みやすいだけが長所の、何の面白味も無い字だ。
「………私のこんな字では、手紙も味気ないだろうな」
手紙の冒頭だけ書いて、そのまま机の引き出しに仕舞い込んだ。
4日目、明日がいよいよ交換の日だ。
真っ白な便箋を前に、何を書こうかと考える。
「そもそも、なぜお互い書くのだろうか?」
私に伝えたい事があれば、直接話せば良い。
何事も相談し合えるくらいには、信頼関係を築いてきたつもりだ。
「……言いにくい事があるのだろうか」
考えつくのは、借金か、男か……。
だが、馬鹿馬鹿しいと首を振る。
ーーー妻に限ってそれはない。
妻は、よくできた人だ。
領地経営は黒字だし、好きな男ができたとしても不倫に走る人ではない。
そもそも、恋だの愛だのとは無縁の人なのだ。
学生の時から、そうだった。
「お手をどうぞ」
「うふふ、ありがとう」
ダンスパーティーでエスコートした時。
私は横でずっと君を見ていたのに、君は前を向いていた。
将来、仕事をする上で大切だからと、人脈を広げるために挨拶回りをして、ダンスパーティーなのに、ダンスは踊らなかった。
「君は、仕事が恋人だね」
「そうね。そうかもしれないわ」
嫌味を込めて言ったのに、君がそう笑い返すから、肩透かしを喰らった。
何よりも、私が一方的に恋しているのだと思い知らされる。
そんな自分が、余計に無様だった。
少し考えれば、お互い政略結婚で、そんなこと分かりきっていたのに、諦めきれずに心では君をずっと想っていた。
本当はもっと手紙を送りたかったけど、君を煩わせてはいけないと、あえて書かなかった。
だからこそ、君の手紙が来るたびに心が踊ったんだ。
すぐに開いて、何度も何度も読み返した。
君が書く私の名前が、一番好きだった。
◇◇◇◇
夫は、軍人としての力強さと、参謀としての知識を携えた優秀な人だ。
婚約者になってすぐ、わたしは彼を好きになった。
だけど、彼とわたしは家同士の政略結婚だ。
彼からの手紙はいつも簡潔で、義務的で。
それでも、彼のお手本のように整った字を見るたびに、胸がときめいた。
誠実で、まっすぐで、はっきりとしていて、まるで彼の人柄を表しているようだ。
本当はもっと書きたかったけど、彼の負担にならないように手紙は最低限に留めた。
『拝啓 盛夏の候、お変わりなくお過ごしのことと、お喜び申し上げますーー』
これは学園のダンスパーティーで、彼がエスコートの約束をしてくれた時の手紙だ。
一緒に届いたドレスは彼とお揃いの色で、こんなわたしでも、ちゃんと婚約者同士に見えた。
嬉しくて、でも、どことなく恥ずかしくて、彼の方をまともに見る事ができなかった。
「足が痛いのなら、そう言いなさい」
慣れないヒールのせいで靴擦れができた時、彼はそうお説教した。
彼に横抱きにされて、馬車に乗せられたのを、今でも覚えている。
逞しい腕に包まれて、私を宝物のように大切に運んでくれたのだ。
「帰ったら手当てをするんだよ」
「……怒ってる?」
「いいや、心配しているのさ。僕は君の婚約者だからね」
馬車の中で、彼は優しく囁いた。
彼はいつもそうだ。
わたしばっかり好きになってしまう。
今回、手紙を書こうと言ったのは、わたしの稚拙な企みからだ。
結婚して、共に家を盛り上げ、子を為して、……彼もわたしのことを良く思ってくれているはずである。
愛を綴ってとは言わないけど、せめて家族として信頼されている証が欲しかった。
彼に手紙を書くのは、いつぶりかしら?
昔のように、何度も何度も書き直した。
婚約者の頃から、そうだった。
癖字のわたしは、手紙を綺麗に書けるように、たくさん字を練習した。
きっと、世界で一番あなたの名前を書いたわ。
「約束の手紙だよ」
「ええ、わたしも書いたわ」
手紙を交換してすぐ、わたしは封を切り、便箋を取り出した。
「私が死んだら、家は子どもに、財産は妻に、……まるで遺書みたいね」
もしもの時のために書いたのだろうか。
期待したものではなく、婚約者の時と同じく、業務連絡を綴った手紙だった。
政略結婚で、お互いに信頼関係は築いてきたつもりだが、わたしだけが思い違いしていたのだと痛感する。
勝手に1人で盛り上がって、恥ずかしい。
渡した手紙を返してもらおうと思ったけど、彼も既に手紙を開いて、読み始めていた。
政略結婚だというのに、信頼と愛を勘違いをした、面倒な女だと思われるのだろうか……。
不安になりながら、わたしは彼の言葉を待った。
「……机の引き出しに、もう一通あるんだ。そちらの手紙を読んでくれ」
だが、予想に反し、
真っ赤な顔で、彼はそう言ったのだ。