第一章06「見知らぬ部屋」
「な、なあ。本当にこの道で合ってるんだよな?」
「うるせぇ、黙ってついてこればいいんだよ……」
「声、震えてるぜ──痛い!」
暗く、細長い廊下をただひたすらに歩く。時刻はもう夕刻から夜刻に移り変わろうとしている頃。夕闇が、廊下を照らす。灯魔石が暗闇に反応して、ポツポツと薄暗い灯りが灯った。
なぜ、こんな事になったのだろうか。ふとそんな事を思うが否、ほぼほぼ自分のせいだった。一時の好奇心。若気の至り。と、言い訳はたらたらと思いつく。
「っかしいな……」
少年が頭を傾げる。
そう、俺たちは迷子になってしまったのだ。この年にもなって!
−−
「ここが便所だ」
便所というにはあまりにも壮大すぎるドアを開ける。
そこには、トイレというには二畳近く広さがあった。白く、清潔感の溢れる西洋式を見て、俺は少しガッカリした。俺は狭い方が好きだ。狭さとは、一種の安心感がある。
それにしても、
「トイレ多すぎじゃねえか?」
これまで数十の扉を開けてみたが、その三割がトイレだ。いい加減こいつの「ここが便所だ」は聞き飽きた。どうでもいいが、トイレは全部西洋式だった。
俺がそう文句を言うと。ふと、廊下の奥に階段が見えた。
「……なぁ、ここって地下とかあるのか?」
その階段は、二階へ続く方と、下に続く方があるからだ。俺の部屋が三階で、そこから順に各部屋を紹介された。見取り図があり、見取り図は事前に、メイドさんに貰ってそこにはもちろん、上の階や下の階の存在が記されていた。
……その見取り図にはその更に下の階の存在は記されていなかった。
最近出来たものかも知れない。故に、俺は明るい声で聞いた。しかし……。
「っかしいな……。下の階なんて俺も見たことがねェ」
困惑と、未知の階に対する若干の恐怖に晒された声でそう呟いた。
「……行ってみないか?」
俺は、この時の判断を後で後悔することになる。グリアや、メイドの一人でも呼ぶべきなのは分かっていたが、案内で全部屋を見て回ったのに何処にも居なかった。きっと、外にでも出かけたのだろう。
「……分かった」
浅はかな俺の提案を、少年は許可した。きっと、彼も知りたかっただろう。何せ、自分が十年間過ごしてきた家で初めてみるのだ。俺だったら提案する前に行ってるだろう。
階段の手すりに手をかける。ひんやりとした鉄の感触を味わいながら、静かに、ゆっくりと下に降りた。ちょっとした冒険気分だ。
階段を下ると、そこには鉄の扉が佇んでいた。
「鍵…かかってるな」
俺たちの冒険は終わった。第三部完だ。
鍵は、シリンダー錠であり、鍵を捻ることで凹凸が飛び出る奴ではなく、ドアノブ自体が動かないものだった。
「なあ、もういいって」
ガチャガチャと、乱暴にドアノブを上下させる彼を止めようとした。その瞬間、決して鳴ってはならない音がドアノブから聞こえた。
「……」
少年は、数秒の沈黙の後、ドアノブをゆっくりと下ろした。鍵は、壊れた。
俺は、震える少年の肩に手ををそっと置く。そして、指を口元にあてると、少年は黙って頷いた
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「──てなことがあったのに、なぜ俺を殴る!?」
「うるせェ、お前も同罪だ!」
そう言いながらズカズカと奥に進む彼を横目に、俺はため息をつく。
仲良くなれたと思ったんだがなぁ……。どうにも、彼は初対面から俺が気に食わないらしい。
どこが?と聞きたいが、それを単刀直入に言うのもあれだろう。そもそも、初対面は俺は助けられたとしても蹴られたのだ。逆に俺が気に食わないっていう方が通りだろ。
あの鉄の扉を先には、もう、可笑しいとしか言い表せないような光景だった。
まず、なぜ地下なのに窓ガラスがあって、外の光景が見えるんだ?
覗くと、霧がかかっていてよく見えない。空が赤紫色に変わりつつあるから、夕刻から夜刻に移り変わる時なのだろう。
やがて、長く続いた廊下は終わりを迎えた。
入り組んだ廊下を左折したとき、変わらない景色が少し変わった。
奥に、ポツンと古びた扉がある。
そして、後ろを振り返ると、そこには先ほど入った扉が、まるで最初からあったかのように佇んでいた。
声を押し殺して、俺はゆっくりと扉を開ける。ギギギと、音を立てながら開かれるドアの向こうには、俺と彼が下った階段が見えた。
「……戻るか?」
「いや、この先を少しだけ見てみよう」
少年は、戻れることの安心感か、そういった。何だか意外だと思った。
けど、気になるのは俺だって同じ。俺たちはじりじりと、向こう側の別の扉に向かって歩いた。
「──を…ですか!?」
突然、声が、聞こえた。前方にいる少年が息を呑む。聞こえたその声は、悲痛に満ちており、これから起る不条理に納得がいかないといった感じの声だった。
チラと、少年は俺の方を見て、ドアノブを開けようと手を回す。しかし、まるで見えない壁があるように、ドアノブや、その周りには近づけなかった。
「何なんだ?これは……」
「分っからねェ!クソ、開けねぇ!」
ダンダンと、ドアを拳で叩くが、まるでびくともしない。汗が滲み出る。
「しょうがない────けど──だ」
「でも──この子が──こんな──あまりにも──可哀想だわ!!」
若い男と、女はどうやら口論しているらしく、女が、あまり聞き取れはしなかったは、一際大きい声で叫ぶと──。
「──アァァァンッ!!」
赤ん坊の声が聞こえる。その声にかき消される様に、二人の会話は止み、奥からは赤ん坊をあやす様に、優しい声で話しかけていた。
ほぅと、張り詰めた空気が溶けたことに、俺はなぜか安堵のため息を吐く。それは、彼も同じだったようで。俺たちは顔を見合わせて少し笑った。
そんな、綻びた空気に甘んじてたからか、俺は気づくのが遅れてしまった。
「おい……扉って、閉めたっけ……?」
そう言いながら、俺は冷や汗が出ていることに気づく。そう、俺たちは扉を閉めなかった。半開きにしてたのだ。何かがあった時のために、すぐに戻れるように。
なのに、扉は閉められていた。
俺は、気づけば唯一の出口に走っていた。釣られて、少年も走った。
「おい、早くしろ!」
先に扉にたどり着いたのは彼だった。
ドアノブを掴む際、扉の所から突風が吹いた。扉の隙間からではない。まるで、見えない誰かが超高速で移動して、その衝撃波に当てたれたかと思った。
ドアノブが、固い。さっきみたいに鍵でもかかってるの次元ではない。少なくとも、鍵がかかってるのであれば、少しぐらいは上下に動かす事は出来るのだが、全く、動かない。
「クソ、おい、お前も手伝え!」
両手を使ってドアノブを下に降ろそうと押したまま、そう叫ぶ。言われるがままに、俺もドアノブに手を添える。
その時、ドアノブは嘘みたい軽くなって、スコンと、下に傾いた。
それと同時に、バンッと、ドアが開けられた。
「────ッ!!」
ドアの先には、やはり、男と女と、そして赤ん坊がいて、驚いた眼で、俺達を見つめている。向こうがドアを開けたのではなくて、見えない誰かが、いきなりドアを開けた様に思えた。
「────」
……分からない、何で、どうして、どうしてこんなにも俺は今、悲しい気持ちになっているんだ?
赤ん坊がこちらを見る。その眼は、親とは対照的に、見知らぬ人物に興味を示しているような、そんな眼だった。
「──逃げろっ!!」
気づけば、叫んでいた。何やってんだと怒気に満ちた声で俺を引っ張る少年に連れられながらも、俺は、ずっと叫んでいた。
ただただ、悲しかった。泣きそうだった。訳も分からない。俺は、遂に頭でもやられたのか?
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「何の真似だ」
「お前こそ、どういう事だ?あれは、お前が仕組んだのか!?」
あれから、俺たちは地下室を脱して、一階の応接間にいる。そして、今俺は少年に胸ぐらを掴まされている状況になった。
「俺は何も知らない!お前だってみただろ?俺だって今日初めて来たんだ!」
「それは……悪ィ。確かに、そうだよな」
そう言って俺を離すと、ソファに座って、項垂れた。乾いた笑いが、少年の口から漏れる。
「アァクソ、ざまぁねェな。あれほどグリアさんに言われたのに」
そう言って、頭を掻きむしる。
何のことだ?
……いや、分かってるはずだ。
多分、彼は俺と仲直りしたかったんだと思う。
案内中も、彼は、何か俺に言おうとしていた。
何だ、そうか、そうだったのか。
「名前」
「アァ?」
「名前、教えてくれよ。俺とお前は、今日から仲間になるんだろ?名前も知らないなんて、おかしいじゃないか」
そう言いながら、反対側の方に、座る。そこは、ちょうど先ほど俺とグリアが話した場所だった。
「……リゲル。リゲル・ファロウだ」
「俺の名前はアサガミ・ユウ。まぁ、色々迷惑かけると思うけど、よろしく頼むぜ。相棒」
そう言って、手を差し出す。
「相棒?」
「え、まぁ…その、何だ。友達って柄じゃねぇだろ俺たちは。それに相棒の方がカッコいいじゃんか」
「……お前、分かってるじゃねか!!」
手を握り返す。その力は万力の様に強い。骨が軋む音がしたのは気のせいだろう。
「……ちなみにだけど、歳幾つ?」
「……十五」
なるほど、その年齢ならば言動にも納得がいく。
その道は、誰しもが通る道だからな。
「そうか……わかるぜ、その右腕、途方もない力が宿ってんだろう?」
「──ッなぜそれを!?」
「分かるぜ……俺も、この左眼に漆黒の力を宿してるのだからな!!」
俺とリゲルは、何事も無かったかのように話し合った。これまでのことを、俺は前の世界での体験談や、厨二臭いセリフをリゲルに伝授した。
こういう年だ。誰だってこう言うのは好きだろう?
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「マジか、カッケェな」
「アァ、俺の夢なんだ」
時間が経つのは速くて、もう空は星が瞬く頃になってきた。
今、話しているのは、いわゆる誰が強いかの階位である。
この世界には、三つの、冒険者や魔法使いたちが憧れる肩書きがある。
それぞれが、その三つの内の一つに入りたい一心で、鍛錬を積んでいるんだそうだ。
一つは、ストラ王国内での、王が認めた十二人の組織。
『十二神』
一つは、世界の危機に対抗する為に作られた組織。
『四天王』
最後に、世界で今、誰が強いかが序列順に記された。
『八強序列』
これを、まとめて『三大階位』と言うそうだ。
その三つとなる。『十二神』はストラ国内での、それぞれの分野が特化した人物が選抜されるか、或いは王個人が認めた人物がなれる。『十二神』になると、それぞれ「干支」の鼠〜亥の称号を授けられる。今の十二神の人名を聞いたが、名の通り十二人もいるので、あまり覚えていない。
『四天王』は、各国最強を寄せ集めた集団であり、四百年前の『魔人大戦』で活躍した。それぞれ剣士、拳士、魔法使い、そして守護士という防御系を含めた四人で構成されている。
『剣神』 ジェロキア・ホムス。
『闘神』 ダレオス・レイヴァー。
『魔道神』ライアス・クレイヴァ。
『守護神』ニア。
このメンバーは、先代の剣神が入れ替わったそうだ。世界最高戦力だ憧れる。
そして、『八強序列』これは、最初説明を聞いた時、『四天王』でも良いと思ったのだが、『四天王』の推薦を拒否した人物や、魔界出身もいるため、『四天王』は、世界の為に戦ってくれる英雄だとすれば、『八強序列』は善悪問わず、純粋な「強さ」の階位だ。
序列第一位『堕落王』エドワード・リンネル。
序列第二位『闘神』ダレオス・レイヴァー。
序列第三位『終焉帝』ギアス・ダレン。
序列第四位『捻回王』フェリス・アクア。
序列第五位『道化師』サトウ・タクト。
序列第六位『剣神』ジェロキア・ホムス。
序列第七位『死神』レイオス・ダット。
序列第八位『撃墜王』アベル・クレイマン。
四天王の人物がちらほら混ざっているが、概ね、どれも強そうな肩書きだ。
序列が変わるのは、その人の死亡によって序列が繰り上がるのと、その序列者を殺せば、その序列に自分の名が乗るのだそう。
というか、よくこんなにスラスラ言えるな。
「サトウ…タクト?」
俺は、そんな『八強序列』の、序列五位の名前が気になった。
「『道化師』なんてふざけた肩書き持ってるが、強いぜ」
「お前、会ったことがあるのか?」
「……アァ、数年前に、グリアさんに連れられてな。その頃はまだ序列に入ってはいなかったが、強かった」
「どんな、顔立ちしてた?黒髪だったか?」
「……いや、茶髪だった。その頃は、まだサトウ・タクトって名乗って無かったな。別の名前だった」
そう言って、記憶を辿るように顎に手を当てるリゲルをよそに、俺は確信した。
「サトウ・タクト」。日本人名風の彼は多分、俺と同じ異世界人の確率が高い。けど、リゲルが言うには、茶髪か……断定は出来ないが、もしかしたらと思うと嬉しくなる。
いつか、会ってみたい。そして、話してみたい。この世界にも、俺以外の異世界人がいることに、俺は少しばかりの安堵を覚えた。
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「そういえば、ここは?俺まだ見せてもらって無いんだけど」
応接間を出て、自室に戻ろうかと思った頃、確かそういえばと、一つだけ紹介されていない部屋を思い出した。
後で紹介すると言われてから、そのままだったので、俺はどうしても気になって来てみた。
リゲルが、刻魔石をチラチラと見ながら右往左往する。
何だと、そう思ったが、リゲルは意を決したような顔つきになり、言った。
「ドアを開けてくれ」
そんなもん自分で開けろよ。と言いたかったが、何かあると思って、何も言わずに開ける。
部屋は、明魔石に魔力を当ててないから、とても暗い。廊下から溢れる光は、足元までしか照らされていないため、奥の方は完全な闇だ。
明魔石に魔力を流しながら、ホラー映画などで出てくる幽霊も、こんな部屋から出てくるだろうなと、思った時、耳が痛くなるほどの破裂音が聞こえた。
「うわっ!」
破裂音は四回聞こえた。丁度、怖い妄想をしてたので、予想よりも大きな声で、腰を抜かしてしまった。
「ようこそー!!」
明魔石がようやく機能し、パッと明るくなる。そこには、
「グリアさん?」
「そうだ」
グリアと、メイドと、見知らぬ二人の女子が、パーティ等でよく使われるクラッカーに似たような者を持っている。紙吹雪がひらひらと舞い、俺の周りに落ちる。
「今日は、君の歓迎会だ」
上に掲げられている旗幕を見ると、そこには、「ユウ君ようこそ灯火へ」と綺麗な文字で書かれていた。
――俺の為の歓迎会、胸を打たれるが、今はそれどころではない。
皆が、俺が腰を抜かして動けない事を知ったのはもう少し後の事だった。