ACT.09/ダイバー・ダウン その①
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厄介な能力だった。
サハギンは、洞窟内部の岩の床を、まるで、水のように潜ったり、泳いだりできる――そういう術式を使えるらしい。
厄介な点その一。まず、こちらの攻撃が防がれる。
床は、水のようになっているらしいが、『奇妙』なことに硬いままなのだ。当然俺が床の中に跳び込むことはできないし、曲刀だけを水中(いや『岩中』か?)のサハギンに向かって突きいれようとしても、刃は岩の表面で弾かれる。
厄介な点その二。敵の攻撃が見えない。
サハギンはかなり早く物質の中を泳ぐことができるらしく、一度潜ると次に出てくる場所は予想がつかない。
攻撃の直前に床から出てくる水音が聞こえるため、回避できなくはないが――こちらは、相手がいつ出てくるかわからない/どこからくるかわからない――にも関わらず、向こうからは好きなタイミングで狙い放題というのは、圧倒的なディスアドバンテージだ。
以上の理由から、先ほどから防戦一方になっていた。
俺がサハギンを倒せる方法は、ただひとつ。
相手が攻撃を仕掛けるために、床から身体を乗り出した瞬間をたたく。カウンターだ。俺の心臓を一突きにしようと、岩から出てきたその刹那――手痛い反撃を喰らわせてやるしかない。それも、首を飛ばしたり心臓を貫いたりなどの、会心の一撃を打ちこまなくては意味がない。かすり傷程度では、岩の中に逃げた後、安全にゆっくりと自己再生されてしまうからだ。
そしてそれは、相手も重々承知している。
だから、攻撃のタイミングは一定ではないし、常に俺の死角から攻めるようにするし、身体は出さずに三叉槍だけを岩中から出して突いてきたりもする。
要するに、俺にカウンターをさせないような立ち回りをしてきている、ということだ。
埒が開かない。
サハギンから狙いを付けさせないよう、常に動き続けながら防御をつづけているが、いつまで持つかはわからない。
状況を打破するべく、俺は勢いよく走り出す。
狙いは――頭領の男だ。
使い魔を倒すことが難しいなら、契約者を狙えばいい。
先に契約者を殺してしまえば、もうそれ以上魔素が供給されることがない使い魔には、戦う理由がなくなる。
使い魔ではなく契約者をたたく、というのは、対契約者戦における定跡のようなものだ。
頭領は、俺の行動も想定済みなのか、口許を斜めにする。
男は、息を大きく吸った。
そうして、両手を広げ、天を仰ぐ。芝居がかった所作――そのまま、ゆっくりと背後に倒れた。
男の身体が、床に触れる直前。
ざぱん、という水音と共に現われたサハギンが、男の身体を抱えると――そのまま、水の中に引きずり込んだ。
俺は足を止める。
サハギンの術式は、契約者も物質の中に入れることができるのか――。
じゃぷん――。
背後から、水音。
ふり返る。
三叉槍による突き。
俺は、曲刀でそれをはじく。
その直後、その後ろから、さらに刃が踊りかかってくる。
俺は、横に転がるようにして躱す。
肩に熱さを感じた。
斬られた。傷は浅い。
サハギンの背に、頭領の男が――馬に乗る騎兵が如く――跨っているのだ。
「ハッハァッ!」
頭領が、高笑いをあげる。再び大きく息を吸い込むと、サハギンごと、床に潜って行った。
サハギンと頭領による連携攻撃。
まずいな――。
単純に、攻撃の手数が二倍になっている。どこから攻撃が来るのかわからない以上、二撃とも避けるのは難しい。初撃は、こちらも剣で防ぐ必要がある。その隙を利用して、二段目の攻撃がこちらを削る。
おそらくこれが、この盗賊団の頭領が得意とする戦法なのだろう。このままでは、対応しきれずに傷を増やすだけだ。
その場から、ダッシュで距離を取る。
このまま逃げられるかは微妙なところだ。サハギンの泳ぐスピードは、俺の走りの速度を凌駕していた。頭領が背に乗ったことで、多少は遅くなっただろうが――。
ばしゃん――。
左後方で、水音。
「――マイアッ!」
俺は、彼女を呼んだ。
勢いよく飛んできた彼女が、俺の左手を掴み――そのまま、空中へと引き上げた。
空を切る音。
サハギンと頭領の攻撃を紙一重で躱し、俺はマイアに引っ張られるままに、空へとエスケープした
のだ。
サハギンに跨った頭領が、上半身だけ岩中から出しつつ、舌を巻いた。
「へぇ……、まさかそんな風に避けるとはなぁ……」
そう言うと、また大きく息を吸い込み、床へ沈んでいった。
俺は、ぱたぱたと羽ばたいているマイアの方へ顔を向ける。
「ありがとうマイア。助かったよ」
「いえ――」
「重くない?」
「大丈夫です。むしろ、さっきより力が湧いてくるような気さえします」
「ふたり分の体重がかかるからね。多目に魔素を回してるんだ」
「なるほど。そうだったんですね」
マイアは、ちらりと視線を上へ向ける。
「もうすこし高い方が、いいですか?」
今は、下から七メートル、天井から、三メートルぐらいの高度だ。
「いや、このぐらいの高さで大丈夫。あんまり床から距離が離れると、奴らが顔を出したかどうか見えづらくなるから、さ」
俺は、下へ顔を向ける。この高さからだと、広間全体が見渡せる。
「出て来ませんね……」
さきほど潜った男とサハギンは、まだ姿を見せない。
「この高さで飛んでる俺達に、手出しする方法がないんだろう」
「――それで、これからどうするんですか」マイアが尋ねる。
「そうだな……」
俺は、曲刀の柄を握りなおす。
「『何もしない』。このまま――相手の攻撃が届かない高さで飛んでれば、俺達の勝ちだ」
「え?」マイアが首を傾げる。
「サハギンの術式――『物質の中を水を泳ぐように潜れる』っていうものらしいけど――魔素の消費量はかなり激しいだろう。常時発動型だし、そう長くは持たないはずだ」
「彼が、補填対価を使ってるから、ですか?」
俺は、マイアのその答えに、頷いて見せた。
「その通り。補填対価――契約において通常の魔素以外の条件もつけ足しているってことは、ただでさえ、供給できる魔素量は普通より少ないってことになる。そこでさらに、あんな魔術を使い続けるだけの魔素消費――ガス欠は時間の問題のはずだ」
「私の空中飛行も魔素は使ってるはずですよね?」
「まあね。でもそんなに大量には使わないし、そもそも俺は魔素量には自信がある。このまま持久戦になれば、俺達の勝ちだ」
「彼らは、ずっと潜り続ける訳にはいかなくなる、ということですか」
「そう――魔素が枯渇すれば、陸に打ち上げられた魚みたいに、床の上に出てくるしかなくなるはずだ」
「……そうでしょうか?」
マイアが納得いかないような声を出す。
「というと?」
「その、持久戦で不利だということは、相手もわかっているのではないですか? だとすると、魔素が空っぽになるまでずっと地面の下にいるというのは、考えづらいのではないでしょうか」
鋭い。
「まあ、そうだろうね。本当に枯渇するまで潜り続けるなんてことはしないだろう」
俺は、洞窟の入り口――光が差す方を、曲刀の先で示して見せる。
「だから、地面の下を逃げて、あの入り口から逃げるんじゃないかな。アジトの外で仕切り直しを図るか――あるいは、そのまま姿を隠すとか」
「なるほど」
「そろそろ潜り続けて二分ぐらい経つ。サハギンの方は兎に角、男は呼吸をする必要があるから――もうしばらく待っても、息継ぎに出てこなかったら、逃げたと考えていいと思うよ」
俺が、そう言った、まさにその時、その瞬間――。
じゃぷん――、と。
『水音』が聞こえた。
 




