警視庁捜査一課特対班
車両から降りて来た二人。
女性の名は里中美鈴、男性の方は三上明という。
パッとしない外見、そう評されることが多いのが三上の常だ。二十代後半の彼は、特徴がないことが特徴とまで言われてしまうことがあった。
その三上とは異なり、里中は一般に美人と呼ばれる程度には整った顔立ちをしている。真面目そうに黒髪を後ろで縛っている髪型、しっかりとアイロンの掛かったシャツに華のないスーツ。一見真面目そうに見られるのでその勤務態度もしっかり者だと思われがちだが、実際は違う。時折表情豊かに人を罵倒するその姿など、見ている人間たちはひやひやものだ。
その生意気そうな態度があまり職場では気に入られず、現在の部署に三上と二人だけで勤務している。それも、他の部署とは一線を画す所属名だ。
その名も、警視庁捜査一課特対班である。
文字狩りへの対処がある程度可能で、また協力者でもある極めて特殊な部署だ。
特対班は人員の入れ替わりが激しい部署としてかつては有名だった。数カ月もの間文字狩りが現れないような場合もあり、現場に行く前に別の部署に移ってしまうことすらある。辞職してしまう者さえ過去には存在した。
とびきり特殊な事件を取り扱うため、秘匿義務があるからおいそれと業務内容を明かすわけにもいかない不透明な人員。そんな彼らは、職場があるオフィスでは孤立している。大抵の場合、何もしていないと思われるのが関の山だ。ひと昔前なら窓際族とでも言われていたであろう部署であり、現在では単に落ちこぼれの集団とまで言われている。だがそれは、合っているようで間違いでもある。実の所、里中と三上は高度な訓練を受けた元エリートなのだ。
しかし驚いたことに、この二人はもうかれこれ半年もの間この部署から異動していない。ゆえに、暁古書店の三人とはそれなりに話せる仲だ。
愚痴をこぼしながら廃ビルの階段を上がっていった二人が目にしたのは、座り込んで雑談をする暁と篠宮の姿。
「こ・ん・ば・ん・は! 遅い時間までご苦労様でーす!」
無反応の二人。
里中の嫌味ったらしい挨拶が夜中の空に消えて行った。要は明るい内に対処に当たってくれということなのだろう。暁と篠宮はそれに気づいたかどうかはともかく、ようやく来たかと立ち上がった。
「お前な、気持ちは分かるけど挨拶ぐらいシャキッとしろよ……やあ、暁古書店のお二人さん。調子はどうだい」里中は別にシャキッとしていない挨拶をした三上を睨み付けた。
「ん、ぼちぼちですかね。戦闘したんでちょいと疲れましたけど」
「俺は気分が悪い。さあ、とっとと彼を運ぼう」
実際に文字狩りの対処に当たるのは現場の人間、すなわち特殊技能持ちのグループだ。特対班が担う役割は、時に戦闘補助、主に事後処理にある。
もっとも事後処理とは言っても、実際に特対班の二人が現場でやることといえば、文字狩り抜けの人を病院まで搬送する位のものだ。しかし後に行う現場の処理には通常の捜査一課が当たる事件とは異なり、様々な特殊工程を汲むことになる。
それに付随して控えている事務仕事も、それ程楽なことではない。決して殺人的な仕事量ではないが、他の部署の人間が想像している程チンケな業務でもないのだ。
彼らは三上が持ってきた担架に四人で男を乗せ、慎重にビルの階段を降りていく。文字狩りが抜けた以上、この男性は真っ当な人間でしかない。慎重になるのも当然だ。
無事地上まで辿り着いた彼らは、停めていた車両に男を乗せた。後部座席のシートを倒すと広いスペースが確保できる作りとなっている。
病院までは暁と篠宮も同行するのが決まりとなっていた。
全員が車両に乗り込んだことを確認すると、三上は車を発進させた。
移動の最中に、里中は面倒くさそうに暁に問う。
「暁さぁん、身元が確認できるものとか見つけましたか?」
「知らん。篠宮、何かあったか?」
急に話を振られて驚いたように篠宮が返事をする。
「ええ!? そういうのはいつも暁さんがやってくれるじゃないですか。僕は戦闘が専門ですよ!」
「バカかお前は、俺は首を絞められたんだぞ。そんな余裕はなかったに決まっている」
「まあ確かに……迂闊でしたね。以後気を付けたいと思います。精進します!」
「前から思ってましたけど、二人とも案外ダメダメですね。前世からやり直したらどうです?」ニンマリとした笑顔で里中が言った。
特対班と暁古書店の二人が病院に到着する頃には、既に日が出始めていた。
病院、とは言っても一般的な病院などとは違う。入院患者の殆どが警察関係者、また、文字狩りに巣食われた人間だけだ。建物自体もそれ程大きくない。というよりも、そもそもここが病院だと知る者はそう多くない。
「着いたぜ、降りな」
三上が患者専用の搬送口前に車両を停めた。男性を運ぶべく四人が降りると、彼らは人影があることに気付く。
「待ってたよ。調子はどうだい、暁君?」
立っていたのは女性で、白衣を着用している。
他には目もくれず、暁だけに挨拶をした彼女。暁はそれを見て、若干ではあるが表情を崩した。ただ、それは決して歓喜ではない。
「……こいつは放っておいて、さっさと彼を運ぼうとしよう」
「ちょっと、無視しないでくれたまえよ。たっぷり文字狩りについて語り合おうではないか。結局彼らとは――」
医者らしきこの女性は高梨という。一度自分の世界に入って語り出すと、周囲がまるで見えなくなるという変わり者だ。一部では有名である。
結局暁たちは彼女を無視して、文字狩りだった男性を車両から降ろした。
それから彼女一人を取り残して、全員既に病院内に入った頃。
「――であるからして、つまり文字狩りとは……むっ、いない。いないぞ!」
いつしか一人になっていた彼女は、周りに誰もいないことに気付くと、空を見上げて優しく微笑んだ。
実に悲しげに。
一方、作業を終えて待合室に集結していた一同。
「それでは、私たちはこれから仕事があるので、失礼しますよ。ああ眠い」
特対班の二人はそれだけ言い残して去っていった。
篠宮も、暁に帰宅を促される。素直に従うようだ。
「ご苦労だった。俺はここに残るから篠宮も帰れ。疲れただろう」
「ええ、お疲れ様でした。明日はお伝えしておいた通り休むのでよろしくお願いします」
篠宮も待合室から出ていく。その後姿を暁は見つめていた。ご苦労、と言わんばかりに。
その様子を隠れて見ていた白衣の女性、高梨はニヤニヤとしながら暁に近づいていく。
「やあやあ酷いじゃないか、私を置いて行くなんて。さあ、それでは定例通り文字狩りについての情報を寄越したまえ。今回は先ほどの連絡にあったように、かなり特殊なケースなのだろう?」
「そうだ。ヤツは明らかに今までの個体とは違う。篠宮が言うには、人間を通して言葉を発したらしい」
暁は移動中の車内で篠宮よりいくつかの報告を受けていた。
文字狩りがはっきりと喋ったこと、今までの個体と比較すると戦闘能力が高く、特殊能力も保持していたことなど。
それを聞いて高梨は怪訝な表情を見せた。
「ふむ。ということは、そいつは特別な個体だったのかもしれないね」
「間違いない、とは言えんがな。そして今回も、文字狩りは実体を現さなかった。ようやく糸口が掴めたかもしれない、そう思ったのだがな」
「そうかい。しかし実に惜しいことだね。いつか、私たちの仮説が証明されることを祈るしかない、か」
高梨は憂いを見せる。事実、文字狩りをそのまま捕らえさえすれば、情報を引き出すことは容易なことだが、現在誰一人としてその糸口さえ掴めていない。
文字狩りに関して分かっていることはそれ程多くないのだ。実際に対処に当たっている暁一行ですら、持っている情報はそれ程多くない。暁自身が情報を制限しているということも手伝って、メンバー間での情報共有も曖昧だ。
「いずれ、わかる時が来るはずだ。それまではこの仕事を続けるぞ。何年かかってもな」
「今はそうする他ないだろうね。……おっと、時間だ。私はこれから彼の治療をするから、先に失礼するよ。君も、今日は帰って眠るといい」
高梨はそう言い残して待合室を後にした。一人残された暁は何を思うか。
「いずれわかる。そう、いずれな」
静かな待合室に、暁の乾いた呟きだけが残された。