対話
文字狩りの言葉に耳を傾けなかったのは、篠宮の悪手だろう。
これが暁であれば、情報を引き出そうとするに決まっている。文字狩りが言葉を発することなど、極々稀なことなのだから。
その暁はというと、二人の戦いが始まった時点で既に回復、いくつかの用事を済ませた後、二人を追っていた。篠宮の位置は端末の位置情報を利用すれば簡単にわかることなので、道に迷うことはない。ただ、幾つかの特殊な能力を持っている暁でも、彼我の身体能力の差は埋められない。
しかし、ここでもエレンの能力が光る。
「エレン、篠宮の所まで案内しろ! 一旦こちらに集中してくれ!」
「了解でーす! 急いで!」
耳元に聞こえて来るエレンのガイドに従って暁は街を疾駆する。エレンは篠宮の位置情報だけでなく、最短と思わしきルートを脳内で構築しているのだ。
二人の戦闘が始まったタイミングで、暁は廃ビルに到着していた。急いで階段を駆け上がる。最上階から屋上へのドアを見つけると、急いで飛び込んだ。
屋上に着いた時点では、戦いはまだ続いていた。
そこで暁が目にしたのは、人外と見紛うような戦闘だ。
文字狩りの男は言わずもがな、篠宮の動きは明らかに人間を超えている。
男の繰り出す殴打をいとも簡単に躱すと、総合格闘技の技術に裏付けされた体術が男に見舞われる。
「はっ!」
フェイントによって開いた文字狩りの脇に鋭いミドルキックが撃ち込まれると、男はすぐさま体制を崩した。
すかさず追撃の飛び膝蹴りが文字狩りの男の顔面を捉えると、鈍い音が周囲に響く。文字狩りは崩れ落ち、地面に倒れて意識を失ったようだ。
しかしそれでも篠宮は構えを崩さない。油断することなく、いつでも倒れ伏した文字狩りを追撃出来る体制を保っている。
感心したように暁は戦闘を終わらせた篠宮を見やる。暁は、普段はダメだ、お前はダメだと、篠宮を甘やかすことはないが、戦闘に関しては自分よりも上であることを認めているのだ。
篠宮は暁の存在に気付き、ようやく構えを解いた。
足掻きを見せることもなく、文字狩りは完全に沈黙したようだ。
「……俺の出番はなかったみたいだな。よくやった、篠宮」
「ふぅ、まあ僕にかかればこんなもんですよ。ただ、こいつは今まででの相手の中で一番速かったかもしれません」
「だろうな。エレン、聞こえているな?」
「はいはい、なんでしょう」
「特対班には事前に連絡しておいたが、状況が終了したことを伝えてくれ」
「ラジャー!」
通信が切れる。暁はヘッドセットを外した。
これで緊張が抜けたのか、息を切らして肩を揺らす暁。さしもの彼も、傷ついた体での全力疾走は体に堪えた様子。その様子を見て、篠宮はバツの悪そうな表情で暁の心配をした。
「あ……それよりすみません。置いて行ってしまって」
「いや、俺が言ったことだから別にいい。それより本だ。こっちに寄越してくれ」
倒れ伏した男が懐に入れていた白い本を篠宮が奪うと、暁に投げ渡す……直前で篠宮は暁の目を見て近付いて渡した。鬼と見紛うような目がそこにはあったのだ。篠宮は、直接渡せと言う暁の意思を感じ取った。阿吽の呼吸、なのかもしれない。
「さあ、これでお前たちを助けてやる。さぞや苦しかったろう」
そう言って暁は腰に提げた刀の柄に手をやる。鞘から刀身を抜き放つと、美しい波紋が現れると同時、白い本が輝き出した。そして篠宮のカバンに入っていた一冊の本も、それに呼応するかのように輝き出す。ひとりでに動き出した後藤の著書は宙を飛び、暁の目の前に浮かんでいる白い本にゆっくりと重なった。輝きが肥大化し、暁が包み込まれていく。
「いってらっしゃい、暁さん」
「うむ、行ってくる」
ひときわ大きく重なり合った本が発光すると、暁は完全に包みこまれ、その場から姿を消した。
廃ビルの屋上から姿を消した暁は、一面真っ白な空間にいた。
「また、ここに来てしまったな」
言葉を発した暁に反応したかのように、一面の白しかなかった空間に一冊の本が出現する。暁の目の前に出現したその本は、文字狩りが持っていたモノと酷似している。だが、決定的に違うことがある。
その表紙には、後藤の著書のタイトルが刻まれていた。
宙に浮いた本がパラパラと独りでに捲れて、失われた文字たちがその姿を現した。しかし、その内容は暁には判読できない。これには訳があった。
そもそも、暁は本を読まないのだ。彼は本と密接に関わる人生を送っているにも関わらず、何の因果か、文字を文字としてうまく認識することが出来ない。暁の目には、それらは図形のようにしか映らない。だがしかし、その文章に触れることで、一気に後藤の思いが、情熱が、苦しみが、悲しみが、暁に流れ込んで来る。暁が生まれつき持っている力は、文字に込められた思いを微細に伝えてくれた。
暁は思い出す。来客者の名前は後藤、小説家だ。世間一般ではそれほど知られている存在ではなく、収入も芳しくない。
だが、今の暁には分かるのだ。後藤は小説家としては二流とされていても、その作品に掛けた情熱は本物だった。余人には、知りえないことだ。暁はそれに敬意を表すると、そのぎらついた眼光を少し弱めた。
「文字だけでは飽き足らず人間の記憶までもを食い荒らすゴミどもが。いずれ、お前たちを完全に葬り去ってやる。それまで、辛抱していてくれ……俺にお前たちを読んでやることは出来ないが、助けたいという気持ちは間違いなく本物だ。さあ、真の姿を取り戻すがいい」
刀を大きく振りかぶり、白い本に向けて一閃。
完全に断ち切られた本はバラバラになると、そこに記されていた文章は意思を持ったかのように宙へ舞う。
燦々と輝く文字群は、自分達を読むことが叶わない暁に対して、まるで感謝を示すかのように空間に広がった。思いは、互いに伝わっている。
暁は目を閉じる。
再び光に包まれた暁、美しく輝く光。
暁が再び目を開けると、廃ビルの屋上に戻っていたのだった。
「暁さん。戻りましたか」
「ああ。その人は、……どうなった?」
「相変わらずですね。目を覚まさないし、白い本も消えています。あ、黒い靄が……」
それは、二人にとっては見慣れたもの。
暁がいわば本の世界とでも言うべき場所から帰還すると、文字狩りだった人間から黒い靄が天へと昇っていくのだ。今回もそうだ。
文字狩りとは基本的に先天的に備わっている能力ではなく、後天的なものだと彼らはこれまでの経験から知っていた。
文字狩りは、人に憑りつくのだ。
黒い靄が去った後、文字狩りは元に戻る。
つまり、人間に。
「とにかく、お疲れ様でした、暁さん。一旦休みましょうか」
「……ご苦労」
二人はエレンに状況が終了したことを告げた後、特対班を待つためにしばし休憩に入った。高校生に何度目かの深夜労働をさせてしまったことに、多少の罪悪感を覚えながら。
それから一時間ほど経った頃。
廃ビルの下に一台の車両が乗り付けた。黒いバンだ。
車両から一組の男女が降りて来る。
彼ら、いや彼女は、やけに不満げな表情をしている。おまけに、実に眠たげだ。
「ふわぁ……全く、どうしていっつもこんな時間に呼び出すんでしょうかね」
「これが俺達の仕事ってこったな。お前だって、グチグチと文句ばかり垂れてるからこうなったんだぞ。自業自得ってもんよ」
「ま、それもそうですねぇ……」
二人は廃ビルの屋上へ向かい、歩みを進めた。