Mysterious Dialogue
力を使った暁が飛ぶのは、いつだってどこかの異世界じみた場所だった。
誰かの査証によって厳密に定義されたわけでも証明されたわけでもないが、暁はそこを、本の世界だと考えていた。あながち間違ってはいないのだろう。毎回、幾年も訪れた旧知の場所。暁だけが、奪われた文字たちの意思を感じ取れる空間だった。
そう、いつだって、本を切り捨てるといくつもの情報、情景が浮かび上がって来るのが常だが――
暁が目を開けると、そこは白一色の世界ではなかった。
「ここは……?」
広大だが地平線すら見えず、何一つ物質がない平面の大地。暁の頭上に広がるの、はただ只管に赤黒く染まる空。どす黒い情念が、張り詰めた緊張感を持って、その空間にあった。あたり一面に異様な光景が広がっている。かつて様々な世界を目にしてきた暁ですら、見聞などしなかった世界だ。
これまで暁が訪れた異世界にも様々な景色があった。
暁の経験。これまでの中には当然、暗黒を抱えた人間の暗い世界、つまり、文字を奪われた作品の世界を忠実に再現したかのような風景に出会ったことはある。
だが、ここまで荒涼とした世界はまことに稀有なことだった。暁を持ってしても。
その暁の頭は何かを考えるまでもなく、自分が今、これまでの戦いよりも危険な状況にあることを理解した。己の経験が、ここは危険だと警鐘を鳴らしているのだ。
感情を如実に感じ取ることの出来る暁にとって、地獄にも似た場所だった。
異常事態を迎えた暁が、一刻も早くこの場を抜け出そうと白本を見つけ出すべく動こうとした時だった。
背後から異様なプレッシャーが暁を襲う!
暁は身震いし、目を見開いた。敵の正体を予感する。悪い予感というのは当たるものだ。
暁が、振り返る。
自身の意思とは無関係に、自然と刀を抜き放っていた。
そこに立っていたのは異様な、“何か”だ。
暁にはそれが、生命体であるとも確信できなかった。
人型をしているが、見た目が判別できない。まるで何か精神に阻害を受けているかのように、目の前の相手を判別しようとした瞬間、思考に靄がかかる。識別不能。
「誰、だ貴様は。まさか」
「初めまして、暁くん。僕は創造――うわっと、危ないなぁ」
暁は相手の言葉を無視、迅速な踏み込みを見せて切りかかっていた。何もわからない、定石が通用しないと思われる、得体の知れない相手から勝利をもぎ取る手段の一つ。
やられる前にやる。
渾身の一撃はしかし、あっさりと回避されてしまう。それも、何ら行動を起こすことすらなく。
手応えの無さにほぞを噛みながらも、攻撃に失敗した暁は、勢いそのままに、前方に回転しつつもう一度縦斬りを放った。
それでも、一切の手ごたえを感じられなかった暁は、体勢を立て直し、何が起きたのかを察した。
暁の体は、創造主の身をすり抜けていたのだ。動いてすらいない相手を仕留められなかった焦燥と、何も感じていないかのような創造主の物言いが暁の感情を逆撫でする。
しかし、致命傷どころかダメージすら与えられなかったことは事実である。その事実を確認して、状況を把握する余裕が暁に生まれた。まだ、高揚した感情は抑えきれていないが。
暁は思考を止めない男だ。だが、ようやく出た余裕の中にあっても有効な打開策が見当たらず、暁はギリギリと歯を食いしばった。
「残念。僕の本体はここにはいないんだよ。でも、こいつは特別製でさ。こうして君の意識に、ようやく直接語り掛けることが出来た……」
「……貴様、何を言っている!」
今も尚、興奮状態の暁には冷静さが失われていた。
「もう無駄だって、分かっただろう? 君なら冷静さを取り戻すこと位、朝飯前なのだろう? ふふ」
不明瞭な存在に顔の動きなどありはしないが、暁には、創造主の言う本体とやらが実に楽しそうに嘲笑を浮かべているのを感じた。いや、確信だろう。
悔しい、いや、情念のような憎々しい感情が渦巻いたが、現状ではどうすることも出来ないことを、暁は悟った。
それが創造主の言ったとおりであることに、憤りを隠すことは出来なかったのだが。
戦闘に持ち込むのは不可能、無駄である、暁はそう断じた。
「まぁまぁ落ち着いて、少し話そうよ。といっても、君はもうすぐ動けなくなるだろうけど。……そうだね、何から話そうか? ――そうだ、今回の戦いについてだね! そうそう、こっちとしては今回で何人か減らせると思ってたんだけど、芦谷くんと君の新しいお仲間、高宮遥が思いのほか動いてさ。まったく、彼らの動向をもっと考えておくべきだったかなぁと思うよ」
暁は聞きたいことを、唇を噛んで堪えた。
喋りたがりの奴には、語らせておくのがベターなのだから。
「でも、今回で色々と分かったから今度は負けないよ。君のお父さんみたいに、じわじわと嬲ってあげるよ」
「……今、お前何を言った? ――何を言ったんだ、貴様は!!」
「あれぇ、分かんなかったかな?」
創造主は両手をゆっくりと天に掲げ、仰々しく答えた。己の神性を示すかの如く。
「君のお父さん、暁龍二を殺したのは僕だよ。君らの持つ力が厄介だからさ、排除しよう思ってね」
「貴様ぁ!!」
暁が吠え、効かないと分かっている筈の攻撃を繰り返した。
当然、有効ではない。同じことの繰り返しだ。
「だから無駄だって言ってるじゃないか、全く。いざという時には熱くなるなんて、親子そろって似た者同士だね。冷静を装っているが、熱くなると意外に周りが見えなくなる所なんか特にねぇ」
「くっ……!!」
目の前の屑に、一撃を。
何も出来ないもどかしさが暁を襲う。
「しかし、君を見たのはこれで三回目だね。最初は泣いてわめく子供の君。そして二度目は、本当に驚いたんだよ? まさか力が息子に受け継がれるなんて思わないもの。それに、出来がいいのを二体も揃えたのに負けちゃうとは思わなかったよ」
お喋りな創造主はベラベラとまくし立てる。暁は、兼ねてより組織内で建てられていた仮説を思い出し、答えに辿り着いた。
これまでの事件には、何か作為的なものが感じられるということを。
「そうか、そういうカラクリか――今までとは違う個体が現れ始めたのは」
始まりは東北、かつてない程に強力な個体が現れ始めた。間もなく、東京を二人の強力な個体が襲った。
間違いなく、人為、いや神為的であることは、ここで明白になったのだ。
暁の声に創造主は答えない。
ただただ、楽しそうにくつくつと笑うだけだ。暁は、表で見ていた様子とまるで違う相手の様子に戦慄を覚えた。
とにかく強い怒りが、暁の全身を電流のように走った。どうしてここまでの感情が沸き上がって来るのか、暁はまだ気づくことが出来ない。
「東北の事件は貴様の実験だったのだろう。お前はノウハウを得たのだな。強い力を持つ文字狩りを生み出す、何らかの方法を……!」
「ご名答。驚いたよ、君たちがそこまで掴んでいたなんて。あの医者の力かな?それも……いや、これ以上は喋りすぎかな。あんまり情報を与えすぎてもねぇ。――おっと、そろそろ時間かな」
「何を――ぐっ!」
創造主が何気なく空を見上げたと同時、尋常ならざる振動が世界を襲った。
立つことさえままらない程の衝撃が世界を襲い、暁はのけぞりながら、なんとか立っている。しかし、一歩を踏み出すことさえできない。
世界が、崩壊を始めた。
「動けないだろう? 世界の一つが崩壊するというのは、それだけのエネルギーがあるということさ」
何が面白いのか、クスクス、クスクスと嘲笑を浮かべる創造主は、楽しそう、そう言うほかにない程の愉悦を浮かべていた。
暁は強力な振動により、どうしても身動きが取れない。
なにか、なにか、出来ないか?
こいつに一泡吹かせてやる一手を、何か一つの報いをこいつに、与えたい。
俺の親父を殺したこの存在に、何か一つでも。
強く、思いを念じた、すると両の拳が握力で熱くなり、思いの力が現出する。
暁は、せめて最後に一矢報いてやろうと、何も考えないままに、力を解放していた。
感じていた。これまでやられてきた数々の作者の悲鳴を、叫びを。
貯めて来た力が解放される。
「……!! 来い、俺の力よ!」
両手からまばゆい程の光が溢れる。暁は念じる。
“目の前の敵を倒せ”と。
溢るる力が刀身へと伝わっていく。
刀身に宿りし力に導かれるようにして、暁は一歩を踏み出すことに成功していた。この崩壊の中を、だ。
愉悦を浮かべて空を眺める創造主は、暁の動きに気付けていなかった。
壊れゆく世界の中、確実に、それでいて力強く、暁は駆けだした。
突風に舞うわけでも、水流に身を任せるわけでもない。ただ暁という人間が持つ力が、暁を巨悪の目の前まで運んでいた。
「くら、え」
技術も何もない、単に少し早いだけの、突き。
だが、直撃する瞬間、確かに刀身が光り輝いたのだ。
それは、創造主の腕に突き刺さった。
流れ出た血液は、人のそれではなかった。赤色ではない、錆びた無機質な色。
創造主は、笑いを止めた。
己の身に何が起きたのか理解できないようだ。腕を高く天に掲げ、溢れる流血を黙って見ていた。
再び笑い出す創造主には、少しだけ“顔が出来ていた”。
紛れもない、人間の顔が。
「これは……! ふ、ふふふふっ! …………………………次に会う時が最後だね。それじゃあバイバイ、暁くん――」
破壊の渦が全てを巻き込んだ。大地は割れ、空も割れた。一切合切が、どろどろに溶けてゆく。
世界は崩壊し、暁は意識を失った。
暁の意識が戻る。
現実世界に戻って、彼が目を開けた時。
文字狩りの姿は消失していた。




