終戦?
「…………人間風情がこの僕を……許さんぞ……」
「はっ、吠えてろ化け物風情が」
結城と芦屋の活躍により、暁達は目的を果たすことに成功した。芦谷まで巻き込んで実行された本作戦は、間違いなく成功に終わったはずだ。全員が足元に倒れ伏す文字狩りを囲んで見下ろしている。
強気の結城だがしかし、虚勢を張っているという事実は否めない。
なぜなら、未だ創造主に息があることが不気味に思えて仕方がないからだ。そしてそれは、各自が同じ気持ちを持って立っている理由でもあった。長引いた戦闘はそれぞれ大いに虚脱感を覚えさせていたのだ。それでも、まだ倒れるわけにはいかない。
敵の総本山、トップに立っている敵が今目の前にいるのだ。情報を聞き出す必要があった。
かつて自身がおかしたミスが篠宮の脳裏を掠めた。もっとも、この面子がいる以上当時のようなことにはならない、はずであった。
しかし、創造主が相手と鳴れば話は別だ。これ程先が読めない相手は、かつて誰しもが相手取ったことがない。全てが未知に包まれている。
暁が一歩前に躍り出る。しばらく襲っていた頭痛は治まりつつあるが、今もなおズキズキと頭部を締め付ける痛みが消えたわけではない。
「貴様は創造主だな?」
「おのれ……この僕を……」
目をぎょろぎょろと動かしながら創造主は相も変わらず口から恨みがましい文言を垂れ流している。人の声など聞こえていないのだ。
里中はその様子を見て、やはり耳が使い物になっていなかったことを確認した。それが無ければ、先の奇襲は成功しえなかっただろう。相手が聴覚に強く頼っている生物、つまり人間とそれ程変わりがなかったことが証明された形になる。彼らが勝利できたのは、運が良かったという側面もある。実力を出し切って耐えたからこそ、援軍の到着が間に合ったのだ。
もちろん手札の全てが切られたわけではない。例えば結城大輔など、能力を持つ素振りを見せながらも動かなかったのだ。
「ダメだな、聞こえていない上に正気でもなさそうだ」
「仕方がない。とどめをくれてやろうとするか――むっ!」
最後の抵抗という物なのだろう。ほのかに異能の発動を知らせる冷気が文字狩りから漏れる。彼らの眼下、アスファルトに冷気が侵食していく。
一同は素早い反応を見せ、後退した。
しかし、それが仇となる。
「私が言う、主が――ようやく落ち着いた。今回は僕の負けだと認めてあげよう――ああ、そんな主よ、行かないで――さらばだ」
「――っ、待て! 貴様にはまだ聞きたいことがある!」
既に間に合わない。
急激に空間を支配していたプレッシャーが弱まっていく。元々の文字狩りの存在感が復活して来るが、そこに創造主の意識は既にないのだろう。
ビクビクと肉体が昆虫めいた動きと共に暴れ始めたと思った矢先。あっという間に文字狩りの生気は失われていき、動かなくなってしまう。
結局、不気味な後味を残しただけで創造主を宿していた文字狩りは消滅した。
彼らの中でも、特に芦屋が苦々しい思いを抱いていた。
この場が最大のチャンスだったことは間違いない。もう一度邂逅する時など、誰にも分からないのだ。それを逃したことは彼らにとって痛手を被ったとも言えるだろう。
しかしそれでも、彼らは一人も欠けることなく生き残ったのだ。
結局、辛くも勝利するが、情報が得られないという決して最良とは言えない結果となった。
創造主が消えた後、全てを凍てつかせる死神は息絶えた。
遺体は残らず、遺言を残すこともない。エレンと遥がいれば、その理由もある程度想像が付くのだろうか。もちろん今の彼らには知る由もなく。
「どうやら創造主とやらは逃したらしい。口惜しいことだが」
「それにしてもなぜお前が? 貴様はてっきり俺達とは相容れないものだと思っていたのだがな」
「その疑問には私が答えよう」
芦谷は全てを統括している立場にあるため、説明役としては最適であろう。これは里中にも、三上にも知らされていなかったことだ。厳密に言えば助っ人が外部からやって来たこと自体はつい昨日知らされていたのだが、それが結城大輔だとは誰にも知らされていなかったのだ。
芦谷が来たのは、里中の要請が単に強力な援軍を欲していたからである。芦谷は惜しげもなく誰か最適な人材を派遣しようと決定したのだが、最終的に出した答えは自分が出向くという物だった。
それを語る芦谷は「私より最適な人材はいるまい」と里中と三上に言うので、二人は素直に頷いておいた。実際、芦屋の能力であれば己を過信しても問題ないだろう。
ただ、人材不足がはっきりと露呈してしまったとも言える。関東地区では暁達がほとんどの文字狩りを対処していたゆえに、後進が育っていないのだ。そもそも同業者が少ない上に歴史も浅いゆえ致し方のないことではあるのだが。
ともかく、芦屋の選択は正しかったことは間違いない。
そして、結城大輔。
芦屋の調査では結城は完全に味方の立場にある。不審な点が全くないわけではないが、現状では十分捨て置いても余るほどの戦力に数えられる男だ。実績はあるし実力も折り紙付きときている。
多少のリスクを差し引いても十分にお釣りが来るほどの戦力であるゆえ、突如仲間として迎え入れるのも無理はない。
芦屋による説明が終わると、三上は一般人に死者が出てしまったことを報告した。芦谷は無表情を貫いているが、その心境は計り知れない。一方の結城は、悲痛ささえ感じさせるような表情で拳を握りしめていた。彼にとって、それは許せないことなのだろう。
「これで二人、か」
しかし、いつまでも沈痛に浸っていては未来が見えない。先の展開を予測すること、情報戦を制して敵を叩く必要が今後はあるだろう。
敵側の手の内が多少知れただけでも、かつてなかった進歩と言える。
先頭の結果を受けて各々が思索を巡らせているが、暁と篠宮にはどうしても気になることがあった。特に暁が疑問に思っていたのは、店に電話を入れて来た女の存在だ。結局どこにも現れなかった存在は、暁としても非常に後味の悪い結果となる。
しかし、それがまさかあっという間に解消されるとは二人の予想の範疇の外にも程がある。
「結城、お前が依然匂わせていた女の存在。あいつから店の方に電話があった。一体そいつは何者だ? お前は何かを掴んでいるのだろう、答えろ」
「ああ、それか。……おい、出て来いよ」
芦屋と結城を除く全員が注目したのは、結城が乗って来た車両だ。助手席が開くと、何者かが降りて来る。この時点で、篠宮には既視感があった。主に車両の雰囲気が。
ややフロントが潰れた車体のドアから、一人の女性が降りて来る。
最初に見えたのはスラリとしつつも、やや肉付きの良いセクシーな足。履いているのはハイヒールで、まったく戦場に似つかわしくない。
次いで見えたのは、赤く染まった布。深紅のベールに包まれてその体を外に曝け出した。
着ていたのは赤いドレス。つまりそれは――
「お、お前は!」
「あら、お前だなんて失礼しちゃうわ。一度身を重ねただけじゃなない」
「な! か、体をくっ付けただけじゃないか――」
顔を赤くして若干しどろもどろになる青年は、恥ずかしさを隠すようにそっぽを向いた。その特異な物腰と強烈な印象を与える服装から、以前篠宮が遭遇した女であることは明白である。
「篠宮、お前のことは今どうでもいい。説明しろ結城」
「ど、どうでもいい!?」
納得のいかない篠宮を無視して結城はシンプルな答えを開示した。
「ああ、こいつはウチで雇っている情報屋だよ。事前に奴らの存在をキャッチしてくれたのさ。まあ店の方は分からなかったみたいだが」
「ちょっと、それは言わないでよ。私が失敗したみたいじゃない。今回の依頼はこっちの文字狩りだけのはずよ」
「い、今どき情報屋って……」
篠宮が予想だにしない存在であったことに驚きを隠せない。もちろん情報屋とは名ばかりで、その実態は諜報活動に近いのだが、その詳細が彼らに知らされることはないのだろう。
随分とアナログな人材だな、と暁は評した。敵ではなくて良かったと胸をなでおろす一面も見せるなど、やはり相当懸念していた存在だけに、安心感が大きいのだろう。
篠宮が慌てたように大事なことを思い出した。ようやく、といった所であろう。
「って、それどころじゃない! お店の方は――」
「心配いらないわ、既にあちらも終わったみたいだから」
「え、それって」
「高宮遥が文字狩りを斬ったらしいのよ。あのお嬢ちゃんもやるわねぇ」
それを聞き、店に降りかかった危機が回避されたのだとようやく知ることが出来た篠宮と暁。
「無事だったか」
二人は大きく息を吐き、胸をなでおろした。
――
少し時間をおいた後、暁達はようやく落ち着きを取り戻していた。
戦闘は終わり、新たな敵が出現する気配もなければ、全員の無事が確認されている。
だが暁には、まだやるべきことが残っている。
暁は文字狩りが倒れた位置に残された祭服を漁り出す。
懐には、一冊の本が仕舞われていた。血濡れた祭服から躊躇なくそれを取り出した。
白本を手にして、文字を奪い返さんと力を解放する。だが、暁は結城の目が気になり、一度彼の方を向いた。すると、その横で何やら話していた芦谷が問題ないと目で合図を送った。
どうやら、芦谷は暁の意図に気付いてくれたらしい。この時の暁には知る由もない。結城を引っ張って来るにあたり、芦屋によって事前の調査が行われていたのだ。例えば、悪事に関与していないかといったことを。
結果はシロ。問題ないとのゴーサインが出た所で、暁が出力を上げていく。
ウェブ上に散らばる記事にすら影響を及ぼした今回の文字狩りに対抗するには、必要経費と言ってもいいだろう。
限界まで高められた力が一気に解放される。
全身から迸る赤光が白本に吸い込まれると、暁の肉体は光り輝きその場から姿を消した。
暁が目を開けると、そこはこれまでとは異質な場所だった。




