暁と篠宮とエレン
それは夜中の来客から半日ほどが経過した頃。
暁古書店の二階にある住居スペースには、三人のメンバーが揃い踏みだ。
まず、店主である暁。彼は目を閉じて何やら集中している。その周囲には、赤い光が放たれていた。
一方の篠宮は、少女に対して必死に何かを説明している。相手はエレンだ。
エレンという名の少女は現在高校生で、アルバイトとして暁の下で働いている。彼女は手元の端末を操作するばかりで、篠宮の話を聞こうともしていないようだ。
一言も発さずに液晶画面をスクロールしていくエレン。
見かねた篠宮が思わず肩を軽く叩くと、エレンはようやく反応を見せた。それも、実に鬱陶しいと言わんばかりの苦々しい顔で。
「何よ篠宮。大事な話じゃなかったらその無駄にいい体をつねってあげるわよ」
実際、彼女が言うように篠宮の体はバランスよく鍛えられている。服の上からでも見て取れるその肉体を、彼女はあまり好んでいないらしい。エレンは突然立ち上がり篠宮に近づいていくと、腕を伸ばして篠宮の体に触れようとした。しかし、あっさりと躱されてしまう。ふん、と鼻を鳴らして悔しそうな表情を浮かべた彼女だったが、触れることは叶わないだろうことがわかっているので、さっさと諦めて元の位置に戻った。
「ちょ、本当にやろうとしないでよ。……大体君はどうしていつも僕の話を聞いてくれないんだよ。それから僕は君より五つほど年が上だと思うんだけど、その辺はどう思っているかな」
「そういう細かいのが私は嫌いなのよ、年齢がどうとか。もうちょっとガッとやりたいのよ私は」
「ガッ、てそんな雑な……」
と、ここまで内容のないことを口走っていた二人に、作業を終えたらしい暁が声を掛けた。
「終わったぞ。いつまで下らない話を続けているんだ」
「暁さん! じゃあ次は私の出番ですね!」実にいい笑顔と共に、エレンが敬語で言った。
篠宮は溜息を吐いて「どうして僕には敬語を使わないんだ」と愚痴をこぼすも、目の前にいる二人は短い付き合いではない。半ば諦めていることなので、話を続けることに徹した。
暁は部屋の中央に並んだ後藤の著作を一瞥してから、二人に敵の大まかな位置が分かったことを伝えた。
彼らの現在位置から数キロメートル離れた辺り。公共の交通機関で容易に向かうことが可能だが、経費節約のため徒歩で行くと暁は漏らした。
事実、ここ数カ月の間店の本はわずか数冊しか売れておらず、裏の仕事も一カ月振りのことだった。暁古書店には現在、金がない。主に、暁がどこからともなく仕入れて来る売れない本たちが原因である。
そして今は土曜日の昼下がり。
当然、暁古書店はしっかりと営業中である。
彼らの会議が終わるまでの間、ただの一人も店に客の姿はなかった。
暁と篠宮は町を歩く。
「お金、本当になかったんですね……先月のアルバイト代は出たからてっきりまだ余裕があったのかと……」
「なんだ、さっきから文句ばかりだな。俺の部下になった時点で最早お前に自由はないと思え」
篠宮には本来、大学生という立場があるのだが、ある時から暁の店で働くようになった。一応はアルバイトという形式のはずなのだが、暁はまるで正社員であるかのように篠宮を荒っぽく扱っていた。少ない給料で。
それからしばらく歩いて隣町の駅前に辿り着いていた二人。改修されてから間もない駅舎は新しい風が吹き、建物の外観も良く練られたデザインだ。白を基調としたシンプルながらも見栄えのする駅舎は、町に新たな息吹を与えるかのように鎮座している。
暁が駅舎をじっくりと眺めるばかりだったので篠宮は呆れていた。このようなことは頻繁に暁にはあるため、既に慣れたのだろう。
そんな暁が現在着用しているスーツは、ややほつれた部分が見受けられる。篠宮が気付いた。
「スーツ、そろそろ新しいのでも買ったらどうですか? 結構ボロボロになってきてますよ、それ」
「確かに、そうかもしれないな。イイことを言った、篠宮」
「相変わらず、服装には無頓着ですね」
仕事の際、暁はいつもスーツを着用していた。主に着物を着用している彼だが、以前篠宮に「着物を着てる人と歩いてたら目立つじゃないですか。やめて下さい」と言われてからというもの、スーツを着用することになったのだ。あっさりと承諾した暁を見て、気が強いのか弱いのか、篠宮にもよくわからない部分である。
それからしばらく町を歩いていると、口数が減っていき、段々と暁が無口になっていく。篠宮もそれを見て気合を入れ直す。ターゲットが迫ってきている証拠だ。暁には、文字狩りを感じ取ることが可能な特殊能力があるのだ。
「……篠宮、あと数十メートルで目標が視界に入る。幸い人通りは少ないから、どいつかすぐにわかるぞ」
「了解です。エレンちゃんに連絡を取ります。……聞こえる?」篠宮は端末を取り出し、エレンに電話を掛ける。
「はいもしもし。そっちの現在位置は把握している最中よ。すぐに済むわ」
一般人には計り知れないことだが、文字を狩る者は普通の人間とは違った雰囲気を持っている。相対したことがある者にしかわからない、妖気とも言うべき何かだ。それを嗅ぎ取ることが出来るのは、一部の人間だけだ。
歩みを進める二人の前方にあるコンビニの前に、一人の男が立っている。黒ずくめの格好に、剣呑な表情をしながら煙草を燻らしている。そして手元には一冊の本。
その男を視認可能な距離まで近付いたことで、篠宮のカバンに入れておいた本が仄かに光った。
「栞が光ってます。間違いないですね。あいつです。エレンちゃんも、僕たちの位置を捕捉したらしいです」
「……よし、尾行開始」