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流浪の民

 遥はエレンに駆け寄り、その体を優しく抱きかかえた。


「エレン、エレン……!」

「はる、か……無事でよかった……」


 二人の少女が、膝を着き抱き合っている。涙ながらに安堵の表情を浮かべる遥とは対照的に、エレンは苦悶の表情を浮かべていた。

 咄嗟に患部を衣服で圧迫するが、素人の知識ではむしろ危険な行為に成り得る。

 早急に適切な治療を行う必要があるだろう。


「表に警察の人がいるから、行きましょう……」

「うん、すぐに行くよ。さあ掴まって――」


「――待て」

「……! まだ生きて――」


 顔だけを動かして、文字狩りが二人の方を向く。

 遥が抜刀の体制に入り、エレンを庇うように立ち上がった。

 だが、気付く。

 その目に映るのは、ただ床に倒れ伏す文字狩りの姿だけだということに。そこにはもうかつての荒武者はいない。飄々としていて、なおかつ強靭な殺意を持った表情ではなくなっていた。

 文字狩りの目にはもはや生気も、闘志もなかった。その申し訳なさそうな表情には、今までの文字狩りには見られない思いやりがある。遥はそれが解せない。


「……もう体が動かん。すぐに意識も無くなるだろう。その前にお主たちに教えたいことがある」


 その眼差し、そして口調には強い意志が宿っている。命の炎を燃やして、己のやるべきことを為すためのエネルギーに変換していく。

 それを見て遥は気付いた。

 暁の力が、意思を聞くべきだと静かに遥へと伝えたのだ。この男は既に、文字狩りではないということを。


「今、私の中に創造主はいない。同胞の下へと移動したようだ」

「同胞……暁さんたちの相手、なんでしょ?」

「うむ。しかしようやく理解した。主は私に、肉体と精神を与えたのだと言っていた。どことも知れぬ空間を漂うだけだった私に。だが、それは間違いだった。ようやく、思い出した」


 この時エレンが何か言いたげに口を開こうとするのを、遥は止めようとした。だが、静止を振り払う。


「あなたはやはり、創造主に操られていたのね?」

「ああ、そうだ。私は戦いの最中ですら、自分の意識など持っていなかったのだろう。仮初の肉体に宿らされた薄汚れた男の魂、それが私の本質だ」


 言葉を紡いでいくが、徐々に語気が弱まっていた。


「聞いてはくれぬか、私の遺言を」


 そう言って、遥に近付くよう促す。


「先ほどの奇跡、創造主の意識を通して断片的にだが見ていた。まだお主にはあの力が残っている筈だ。その光が何よりの証拠……」


 遥は、無言で文字狩りの頭に手を触れた。最後の残滓は、鮮明に彼の記憶を遥かに伝えてくれる。

 すぐに済むという確信が、どういうわけか遥の中に生まれた。願いを聞き受ける。


「私は、一人の武士として戦に参戦していた――」


 記憶が流れ込んでくる。遥はあの時と同じだと感じながら、それを受け取った。




 男が生まれた時代は不明。いつの時代かなど、検証のしようがない。古き日本国に産まれたということだけが、断片的な記憶として残っていた。


 それは、まだ侍がいた時代の話。


 文字狩りになる前、遠い昔に生きていた彼は、浪人だった。身分もなく、家もない。あるのは、武器を扱う自己流の武術のみ。それとて特別優れていたわけではなかったのだが。

 苛烈な生存競争が繰り広げられる戦乱の世の中、ある地方の領主に仕えることのなった流れ者。領主は戦力を欲していたゆえ、そういった者達を飼いならすことに決めたのだ。

 彼を含む下級の寄せ集め部隊は、領地争いの小競り合いがある度に、真っ先に駆り出される特攻部隊としての役割を担っていた。使命を全うすべく何とか戦場を生き抜く毎日。決して待遇は良いものではなかったが、何とか腹を満たすことに成功していたゆえ、反発することもない。

 だがある日、戦場において、ほんの少しの判断を誤ったことで命を落としてしまう。戦場では、彼らの命はとても軽い物だった。孤立無援の状況に、寡兵では対抗することなど出来はしない。仕官たちに囮として扱われ、男はあっけなく散った。


 絶望の末、死んでいったのだ。


 それからの彼は、どことも知れぬ空間を、魂だけでたゆたう存在であった。自分が今どうなっているのか、なぜ死んだはずの自分が微弱な意識と共に生きながらえているのか。何一つ分からない状態。


 しかし、突如変わる。

 ふと意識が戻ると、彼は真っ白な空間に、覚えのない肉体と共に目覚めた。手に宿る感触、体を動かした感覚、全てが異質。

 そして目の前には、薄ボンヤリとしか視認できない男性とも女性とも取れる容姿の人間が立っていた。

 ソレは、自分のことを創造主と呼んだ。


「君に新しい肉体を与えたのは僕さ。さあ、これから君は文字を喰らう者として生きてもらうよ。ふふ、君には分からないだろうけど、人気アイドルの文字だ。人によっては泣いて喜びそうなものだよ。ふふ、ふふふふふ……」


 男は望まずして新たな力を手に入れた。文字という不確かな物を奪うことで力を増し、加速度的に狂っていく化け物に。

 今回の襲撃事件からほんのひと月前に生まれ変わった彼は文字を喰らい始める。最初こそあまりにも美味であるその味に感動を覚えていたのだが、ふと気づく。


 自分の名前は?

 そもそも、一体今は何時代で、誰が国を支配しているのだ?

 そして、命を操るあの化生は一体何者なのか?


 数多の疑問が生まれてから、初めて創造主に意見を唱えることにしたのだ。

 かつて自分を見捨てた士官達のことなど、とうに忘れ去っていた。ゆえに、何の疑いもなく創造主に謁見する。


「やはり、自意識を持たせたのは失敗だったかな」

「某の質問に答えて下され」


 すると、創造主はニヤリと笑い、男の頭に軽く手を乗せた。

 瞬間、急激に自身が改変されていく感覚を覚えた男は抵抗を見せようとするが、その手は離れない。


 次に意識を取り戻したのは、それから当分後のこと。

 今まさに、遥に打倒された時のことであったのだ。


 光は消え、数多の情報が遥に渡された。ほんの一瞬の出来事だ。


「見えたか」

「……うん。だからと言って、あなたを許すわけじゃない」

「それでよい。だが覚えておくのだ。創造主は、文字を奪うことで対象を支配する力があるのかもしれぬ――かはっ!」


 吐血が溢れ出る。


「ああ、お迎えの時が来たようだ。さらばだ、強き者たちよ――むっ」


 何かに気付いたように言葉を紡いでいく。


「そうか、同胞も敗れたようだな……ククク、強いな、お主たちは。まっこと感服致した」


 二人は気付く、向こうの戦いが勝利に終わったことを。それをまさか敵から聞こうとは、想像もしていなかったことだろう。しかし、それは紛れもない真実。


「某は天へと参るぞ、かつての同胞たちよ……涅槃にて会おうではないか……」


 武士の魂を持った文字狩りが、消えていく。

 最後に残されたのは、真っ白な一冊の本。男は遺体も残さず、武士としての名誉も汚され、完全に消滅し二度目の死を迎えた。


 戦いは終わりを告げた。

 遥はエレンを担ごうとするが、自分も限界を迎えていることに気付いていなかった。よろけると、意識がぼんやりとなるのを感じていた。


 幸いにも、この時ようやく警察官が店に入り込んで来た。複数名いるが、その内の一人は明らかに異質な存在であった。

 制服を着こんでいるわけでもなく、現場の状況を見ても一切たじろいでいない。警官はむせかえるような血の匂いに、ほんの少し吐き気すら覚えていたというのに。

 二人は多少そのことを不思議に思いながらも、素直に担架に乗せられて店を出た。


 エレンだけではなく、遥とて負傷している。骨にはひびが入り、命のやり取りをしたことによる精神的な疲労も蓄積していたのだろう。

 緊張の糸が切れたことによって、二人は気絶寸前だった。

 救急車に運び込まれる。


 そして、二人は薄れゆく意識の中で暁達の無事を願いながら、ひとたびの眠りについた。

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