蔓延せし狂気
「何よあいつ、妙に楽しそうね。サイテー男のくせに」
「エレンだめだよ、篠宮さんだって作戦として仕方なく……」
「ふーん、そうは見えないけど……ま、それは一旦忘れてあげましょう」
翔子の存在が女子高生チームに露見してしまった。いつの間にか寝ていた遥もそこに加わっている。エレンが言っていた寝てなさいとは、一体何だったのだろうか。二人は既に、暁より翔子にまつわる計画の内容は後で伝えるという旨を聞かされ、これを了承していた。
事実関係が判明した時点で一悶着あって然るべきなのだが、あまりにも切迫した状況につき、二人が小言を漏らすに留まった。その点は先送りされただけなので、篠宮への追及は確定した未来となっているが。
暁は翔子と篠宮の絡みをそれ程見ていない。これは決して自身の行いを正当化したわけではなく、注意を向けているのはその周辺だからだ。
三上と里中も、既に不審人物を発見すべく警戒を怠っていないため、当然注意は二人から外れる。
三人は文字狩りの存在を察知し、店内に入る前からそれぞれの役割分担を決め、フロア内の状況を務めることに徹している。だが、そなことを知る由もない証拠と篠宮は……
「翔子ちゃん、これなんていいんじゃないかな。ほら、さっき家の電子レンジが壊れているって言ってたから。これならオーブン機能も良さそうだよ」
「みやっち、マジで色んなこと知ってんねー。気ぃ効くし、イケメンだし? みたいな? ……あっ」
翔子は照れ交じりにそう言った。特に本心を隠せていないあたりが翔子らしいと言えばらしいのだが、やたらと距離が近いため誰が見てもそれは惚気にしか聞こえないだろう。
対する篠宮は、それについては自然と流した。真正面から告白のようなことをされた所で、場所が家電量販店では雰囲気が出ない。いかに鈍い彼でも女性からの行為を察することは可能で、そして悪い気もしていなかった。容姿端麗な彼女に言い寄られて多くの男性は悪い気はしないので、篠宮もその例に漏れず若干照れていた。しかし、篠宮はどこか翔子が本気であるとは思えないという感覚を持っているようだ。
翔子は篠宮と買い物を続ける。
「てか、エアコン効き過ぎじゃね? 夏なのに寒いんだけど」
「あ、本当だ。言われてみればって位だけど。……これ着る? 僕はそんなに寒くないから」
「えーありがと。優しすぎて引くんだけど」
「あ、じゃあ遠慮してもらって……」
「ち、違うって! 引くってのは悪い意味じゃなくて」
ピチャリ。
「二人の周囲は平気だ。そっちはどうだ?」
「はい里中でぇす。生鮮食品エリアは問題なさそうです。三上さんは?」
「こちら三上、現在冷蔵庫売り場の辺りにいるがこちらも問題ない……しかし嫌に寒いな、ここは」
ピチャリ。
「様子がおかしい気がします。まるで冬のように寒いです」
まだ、気が付くことが出来ない。
「里中です。緊急事態発生。至急二人を保護して下さい! 男性が倒れています!」
「!! 旦那、今すぐ――」
空気が、凍てつき始めていた。
脅威はもう、目の前に来ているというのに――
「主は言った。汝らに死を与えよと」
篠宮と翔子に、冷徹な死の宣告がなされる。
「――危ない!」
「え?」
篠宮が咄嗟に翔子へ飛びつき、その勢いに任せて転がる。
翔子は何が起こったのかを理解できていない。篠宮が見たのは、祭服のような黒衣に身を纏い、鈍く光を放ちながら二人に手を向けていた男。そして片手には、真っ白な一冊の本。
その本を胸のあたりに抱えているが、それは、とても大切な物を守るかのような持ち方をしていた。
一体どこから現れたというのだろうか。とっさの対処を間に合わせることに成功した篠宮は、戦闘慣れしている者だけが持つ、自身の危機感と経験の賜物だと、過去の自分に感謝をする。
ターゲットの文字狩りが意思を持ち、強力な力を持つことを、その場にいた翔子を除く全員が認識した。
強大な力を持つ文字狩りは、まるで聖職者のような雰囲気を漂わせている。
間一髪でその攻撃を回避した篠宮は起き上がると、翔子を背後に隠して暁達の存在を察知した。
「暁さん!? どうしてここに――」
「説明は後だ。構えろ。あのようになりたくなければな」
「あれは……」
一般の客があげた悲鳴が店内に響き渡る。暁が視線を送った先には、一人の男性が床に倒れ伏している。三上は男性の介抱に向かい、素早く抱き起こそうとするも、触れることは叶わない。
里中は客を下のフロアに誘導している。賢明な判断だろう。建物は二階建て、彼らがいるのは二階であるため、避難は比較的容易いのがせめてもの救いだ。
倒れ伏している男性は、頭部から肩にかけて、氷の彫像と化していた。既に、意識はない。重度の凍傷と呼吸困難により、その命を維持することが出来なくなってしまった。
そして物言わぬ肉体を作り上げた理知的な似非聖職者は、ただ一点だけを見つめている。篠宮の背後、翔子の存在を。
一連の流れが示していたのは、暁と篠宮に立ちふさがるその文字狩りが、氷結の力を操ることが明白になった瞬間である。
それは、分子の運動を操る力なのだろう。冷気を迸らせて、文字狩りは笑う。ただ笑う。声を出さずに笑った。
文字狩りの要領を得ない喋り方には抑揚がなく、人工的に作り出された声のようだった。不気味という表現を体現したかのような存在は、ただ口から零れ落ちるだけの言葉らしきものを発するスピーカーだ。
「主は言った。汝らを滅せよと。私はそれを肯定した」
過去に類を見ない程の能力を有する文字狩りは、ゆっくりと暁達に歩みを進める。不可思議な喋り方を除けば、あまりにも理性的なその挙動に、全員が戦慄を禁じえなかった。
対処方法を練りながら得物を抜く暁。客の避難が完了しない内は暴れられては困るのだ。
更にその不気味さを表すかのように、文字狩りはどういうわけか全身が濡れており、それを振りまくことで陳列されている製品がたちまち凍り付いていく。
常に周囲へ凍てつく冷気を放つ文字狩りは、濃厚な死の香りをまき散らしながらゆっくりと彼らの下へ歩み寄って来る。
「何、これ……どうなってるわけ?」
篠宮の後ろに身を隠した翔子は、未だかつて経験したことのない状況を、掴むことが出来ずにいた。
篠宮が動こうとするタイミングに合わせて、暁は店で指示を待つ二人に連絡を飛ばそうとした。
「エレン、サポートを……」
しかし、返事がない。通信が切れたのかと暁と篠宮が怪訝な表情を見せると、それに合わせて文字狩りは更に笑う。笑い、嘲るように言う。暁にはそれが、人間を見下しているかのように見えた。
「主は言った。刺客を放ったと」
「遥! 今、上に誰かいる! 迎え撃つ準備を――」
「どうしたエレン! ……いかん、これは……」
そして二人からの連絡が途絶えた。暁は今にも理性を捨て、憤慨し、敵に飛びかかりそうな形相で文字狩りを見据える。
幸いにもその直前、篠宮がそれを静止した。今は目の前の敵をどうにかすることが先決だと、冷静な視点を忘れなかったようだ。
「……三上と里中は店に向かえ。こいつは俺と篠宮が引き付ける」
暁の言葉を受け、特対班の二人は走り出した。店内にはもう、暁達しか残っていない。客の避難を迅速に終わらせていたことが功を奏したのだろう。しかし、敵はそれを見逃さない。
「私が言う。行かせないと」
急速に室内の気温が低下する。文字狩りが手をかざしたのは、三上と里中が向かう方向。文字狩りを中心に、突如冷気が吹き荒れる。直線状に放出された暴力的なまでのそれは、いとも簡単に氷の壁を作り上げた。
逃げ道を潰された二人は、別のルートを模索し始める前に、脅威の排除を行うという判断を下した。ここまでの敵に、一切の躊躇もなくホルスターから得物を抜く。銃声が轟き、文字狩りの肉体を捉えた。しかし――
「無傷とは。直撃したハズなのによ」
銃弾は何らかの力により、その威力を削がれていた。二人にはその理由が分からないが、とにかく致命的な一撃を避けるべく、残弾を気にしつつも的確に文字狩りの急所に当てていく。
その最中、暁は懐に入れていた短刀を投擲していた。攻撃の為というよりも、何かを確認するように淡々と投げられたそれは、文字狩りに回避された。
彼らが躊躇なく発砲できたのは、ある一つの調査結果を知っていることに起因している。東北で確認された文字狩りは死亡した後、この世に存在するはずのない人間だということが判明していた。そして、いつの間にか死体安置所からも姿を消していた。DNA、指紋、戸籍、出生、その全てに裏付けがなかったのだ。
それはつまり、文字通り人間ではなく文字狩りという一つの個体であることを意味している。これを特殊な個体だと断定したのは、結城大輔率いる調査チーム。
そして、それは既に暁も知っていたこと。よって、最初から対象を斬殺するつもりで刀を抜き放つと、上段に構える。最高速度に乗せた振り下ろしの一撃で、頭部から胴体を薙ぐという魂胆である。
「俺が仕掛ける、篠宮、後に続け」
里中と三上は一時攻撃を中断した。
暁は見ていた。初めに弾丸を弾いたのは男の体ではなく、纏っている黒服の内に纏わりつかせている氷の障壁だということを。
そして、恐らく一度に複数の作用を起こすことができないと当たりを付けていたのだ。その解が導き出されたのは、特対班の二人と周囲一帯を凍てつかせようとした時の事を鑑みれば、観察力に長けている暁には容易いことだった。
まず、暁が咄嗟に投擲していた短刀を弾き返すのに使用したのは、能力ではなく身体の操作によるものであった。銃撃と氷塊が打ち合われていた中、意図的に発見したその機微を見逃さなかった暁の慧眼が光る。
篠宮が注意を引き付けている間に、文字狩りの背後から暁が得物を振り下ろす!
「チィ……!」
「暁さん離れて!」
しかし、渾身の踏み込みは奇しくも肩口を切り裂く程度に終わってしまう。文字狩りは基本的に、並ではない身体能力を有していることを忘れてはいけない。
「……そこです」
追撃の冷気が暁に襲い掛かる直前、銃声が鳴り響き文字狩りはそれを防御することを選択した。氷塊を生成し、弾丸を防いだのだ。
決定打を打つには、装備が足りていない。既に、里中と三上はほとんどの弾丸を使い果たしており、残弾は残りわずか。
「一旦引くぞ、このままじゃジリ貧だ」
「でも!」
篠宮が危惧しているのは、いかにしてこの化け物を封じておくのかということである。自分達が逃げれば、文字狩りはそのまま野に解き放たれるのだ。
だがもちろん、それに一切対策を施しておかない程、三上は考えなしの男ではない。
「こいつを持って来て正解だったぜ。おい、全員目と耳を塞げ!」
三上が投擲したのは、スタングレネード。彼がある場所からくすねていた虎の子だ。
敵の行動を一時的に制限する効果を持つそれは、文字狩りの近くに落ちる。それが何なのか分からないためか、文字狩りは対処を怠った。諸に喰らう。
作用が発生して爆音と閃光が炸裂すると、文字狩りはもがき苦しんでいる。これまで見せていた嘲りの笑みもなく、この一撃が有効な攻撃手段であったことが窺える。
この時点で攻勢に転じようかと意識を変えそうになった一同だが、この場は戦闘には不向きであるうえ、文字狩りは狂乱したように周囲に強力な冷気を放ち始めていた。
各自が己の目と耳を塞ぎ、攻撃を回避するために大きく後ろに下がっていたため、そのまま一時撤退に出る。
ここまでの戦いをただ茫然と眺めるしかなかった翔子は、篠宮の機転により事なきを得たようだ。だが、かつて一度も体験したことのない衝撃を受け、意識が遠のいていく。
そして、里中と三上が戦闘の中で発見していた非常口から、全員が店を出て行った。
三上は男性の遺体を背負っている。置いて行くわけにはいかないのだ。触れた部分がひりつくが、気にせず走る。
戦いは、一歩も状況が好転しないまま中断された。
次回は今回より早くお届けできるかと思います。




