不義理な逢瀬
デート。それは主に男女が共に出かける場合にそう形容される。内容としては、例えばショッピングをしたり、食事をしたり、場所を問わず多種多様な会話を楽しむなど。お互いの趣味嗜好や育ってきた環境によっても、その内訳は大いに異なる、自由の多いお出かけとも言える。行先の選択がどちらに委ねられるか、それだけでも十分に千差万別であるが、多くの場合、得てして愛という不確かな人間感情にも大きく左右される。
加えて、男女の関係になくとも、一方は相手を大変気に入っているが、他方は単なる友人として見ている場合も多々見られる。これはいわゆる、片思いという恋愛感情である。
いずれの場合でも、愛を育んでいく行為を意味することには相違ないだろう。
しかしながら、現在とあるカフェにて談笑を楽しんでいる、と周囲には思われている可能性の高い二人に関しては、その限りではない。厳密に言えば片思いとも言えるが、互いが互いを騙し合うという奇特な関係性を保ったまま行われている。
だが何にせよ、通常、この二人はデートとされている行為に勤しんでいることは間違いないのであった。
「篠宮さん、あ、改めて? 誘いを受けてくれてありがとうございます……」
「いいんだよ、僕としても君がわざわざ誘ってくれたんだから、無下には出来ないと思っていたんだ。こうして君に会えたことを、凄く嬉しく思っているよ」
清楚風に、ぎこちない微笑みを見せた少女。
それに対し、歯の浮くような白々しい文句を決めたのは、篠宮である。いずれも、素の性格とはかけ離れた物言いである。その篠宮の前限定でしおらしい振りをしているのは、他ならぬ伊織翔子その人だ。以前暁古書店に訪れた時とさほど変わらない、むしろ怪しいぐらいの変装をしている。
篠宮は内心、非常に申し訳なく思いながら、自己嫌悪と後悔の感情に苛まれていた。こうなってしまったのには、ある一つの要請が暁古書店にあったことに端を発する。
それは翔子が暁古書店を訪れてから数日後のこと。
依然として文字狩りの正確な位置を掴めていなかった暁は、何か別の手段を取る必要があると考えていた。仮にこのまま恐らくそこにいるだろう、程度しか把握できておらず、しらみつぶしに町を捜索してとしても、成果が得られない可能性が極めて高い。そしてこういった状況ではエレンの力が発揮されるのがこれまでの常であったのだが、今回はどうにも上手くいっていないようだ。
それは当然、エレンの能力にも限界がある上、千里眼を長期間に渡って行使することが危険なことが判明している以上、過度な使用は控えるしかない。
しかしその時、一人の男の提案が、対策を考えあぐねていた彼らに、悪魔のささやき、いや、新たな道を告げることになる。
暁の私用端末に、着信があったのだ。
相手は特対班を管轄する立場にある警察の重鎮、芦屋誠一郎。芦谷によれば、暁古書店、里中および三上の調査では限界があるため、対策を打ちたいという提案、もとい命令であった。
先日翔子が持ち込んだ雑誌からは、結局文字狩りの詳細な位置は全く掴めていない状況。そのため、暁と特対班、特に芦屋の提案にて、篠宮が抜擢された。
それはつまり、伊織翔子に近付くことで、文字狩りあるいは謎の女との接触を図るというもの。
これは、一種の囮捜査である。
加えて、文字狩りの力の程は依然不明であるが、女の方は篠宮が身を持って受けた実績がある。そして、伊織翔子は篠宮にだけ従順であることが、種々の調査にて判明していたのだ。調査と言ってもそのソースは、幾度となく店に掛かって来た翔子からの連絡がほとんどなのだが。
暁も当然、一度は反発した。しかし、既に事態を解決するには自分達だけでは難しいと考えていたのも事実。
よって、暁は渋々ではあるが提案を飲んだ。芦谷は、必要とあらば冷酷な判断も下すことが出来る強い人間だ。慈悲は、見られない。
この作戦はエレンと遥には共有されていない。辛い思いをさせたくないという二人の配慮であったが、果たしてエレンと遥は真実を知った時何を思うのだろうか。健気な乙女心を踏みにじる行為に。
要するに、諸事情、幾つかのいざこざがあった末、暁からの命により篠宮が翔子に接近している、という状況が発生したのであった。
「伊織さん、実は僕、一つ君に言いたいことがあるんだ。というか、知ってるからこそなんだけど」
「はい、何でしょうか……」
翔子は、篠宮が好みそうな大人しい女性を演じようとしている。事実、篠宮の好みとしてはあながちハズレでもない。
しかし、いくら口調を変えた所で、大雑把な彼女自身を隠せるものではない。というよりも、そもそも篠宮を除けば、彼女の関係者は全員が彼女本来の性格を知っているため、完全に無意味な行為である。
それゆえ、篠宮はさっさと素で接してもらうことにしたようだ。その方が、上手くいくと踏んでの英断だ。ではカフェに行きつくまでの数時間は一体何だったのかと問われれば、篠宮は返答に困ることだろう。
「僕、例えどんな人の前でも素で接する人が好きなんだよね。君の明るい性格、実は暁さんたちに聞いてるんだ。騙したようでごめんね……」
「!! え、ええとでも……その、アイドルとしてのあたしと本来のあたしは違うというか、その」
「いいって、ほら、僕らは折角知り合えたわけだからさ、もっとこう、楽しく、ずっと一緒にやっていけたらな、なんて思ってるんだよ。ダメ、かな?」
篠宮も、翔子が好みそうな男性を類推していた。頼りがいがありそうな年上の男性、だけれど時には弱い所も見せるなど。折角知り合ったのに仕事が終われば捨てるといったことが嫌で、実際に交際関係を続ける気があるという、若干の本音が混じっている。
現時点では、お互いが相手を騙している仮初の関係でしかないのだが。
しかし篠宮とて、非情に心苦しい演技ではある。心の内では、これは仕事の為だから仕方がない、後で謝罪しなければ、という心積もりだ。篠宮は、女心を弄ぶ行為を良しとしていないのである。
彼はそういった卑劣な行為を率先して行うような人間ではない。
とはいえ、依頼の翌日から早々に店に何度も電話をしてきたりする部分については、少々考え直してほしいなどとは考えているのだが。
「じゃあ、これから戻りますけど、ビックリしないでくださいね……」
「うん」
「………………よしオッケー。そんじゃ次タピろっか。あたし、いい店知ってんだよねー」
「う、うん。た、タピ? ……あ、タピオカのことか。いいよ、行こう」
急激にため口になった翔子に、何だかこちらの方が彼女らしくていいじゃないかと、篠宮は一瞬ドキッとした。レベルは決して高くないが、演技もこなせるとは流石芸能人だ、といった評価もそこに加わる形になったようだ。
そして翔子は内心、ドキドキが止まらなかった。これまでも彼女はこういった演技をしてきたことがあるし、基本的には良好な反応を得られていた。しかし、本日のデートにおいてはそれが微妙な空気を生んでいることには流石に彼女も気付いていた。よって、篠宮からの提案は、翔子の新たな思いを生むことになった。
篠宮さん、正直で素敵、と。
恋は時に、人の感情を狂わせる。
それからの一日、篠宮は彼女の一挙一動、そして周囲の警戒を怠らぬよう、目線を配りながら、デートを楽しむのであった。
翌日。
「すまん」
店の住居スペースにて暁が、一仕事終えた篠宮をねぎらっていた。
「大丈夫ですよ、暁さんが謝ることではないです。それに……」
言外に、疲弊している現状を考えれば少しでも可能性のある方法を取らなければいけない、そう伝えたいようだ。当然、暁はそれを汲み取っている。
「次は来週の水曜日に約束を取り付けました。もう、こんなことはしたくないですが。それに、こんなのは作戦なんかじゃないですよ。ただ待っているだけじゃないですか」
「特対班の連中も焦っているのかもしれん。特に芦屋だ。……一人同士を失ったことで、少々躍起になっているのかもしれん。ああ見えて、熱い男だ。俺達も、それに応えなければならん」
そして、この非情な、作戦とも言えない希望的観測に満ち溢れた彼らの行為は、成功につながることになるのである。




