Do you understand?
七月某日。
全国的に気温は上昇し、蒸し暑い季節となっていた。
「ありがとうございましたー!」
慣れた手つきで会計をした高宮遥は、にこやかに客を見送った。それを見て篠宮とエレンは遥の成長を実感し、微笑を浮かべる。テキパキと作業をこなしたその姿は、やけに板についていた。だがその笑みには、店の人間としての意味合いも込められている。
商品が売れたのは、実に二日振りのことだった。
この時売れたのは、歴史マニアの間では有名な本だ。いかにもそれらしい時代考証を交えた伝記物かと思いきや、なんとそのほとんどがデタラメ。
しかも、なんと最終章にて作者の様々な持論が延々と展開されるというキワモノで、発表されたのがインターネットのない時代で良かったと言われる作品だ。やたらと表紙が派手なのも、伝説の作品として一部で愛されている所以。愛好家もいるらしいが、全く表に出てこない人種たちだろう。こんな作品が手に入るのは、暁の店ならではの仕事だ。
これは当然、内容も分からずに暁がどこからか仕入れて来た逸品である。これを購入した客は見事、暁古書店の常連となるのであった。暁古書店のリピーターは、そういう客ばかりなのであった。
この日、暁古書店の店内には珍しい光景が見られた。誰も奥に引っ込んでいないというのは、中々に珍しいことなのである。
歴が長い篠宮ですら、店内に三人もいるのはあまり見たことがなかった。
「もう随分と手慣れたわね」
「そうかな? ありがと。あ、もう少しで上がりだよ、楽しみだね、エレン」
楽しみ、という所に少し篠宮が引っ掛かるが、それよりも更に気になることがあった。それは某店主のこと。
篠宮が時計を見ると、時刻は二人の退勤時間五分前だった。そして、篠宮が昼頃に見たきり、暁の姿がない。
「あ、もうそんな時間か。本当だ。もう、こんな時間まで暁さんは地下に籠って何を……まさか」
暁は寝ていた。
それを知らない篠宮は壁の方を見やる。メモ用紙を使って乱雑に作成された予定表――作成者は暁である――には、この時間は勤務予定であることが記されている。が、暁は地下に籠ったまま、かれこれ数時間は姿を見せていない。自由奔放である。
遥は当初あまりにも自由な彼らの姿に驚いたものだが、既に彼女もその仲間になりかけている。しかし一応、遥の勤務態度は四人中最も真面目だった。これから先は、分からないが。
何やら浮足立っている遥と、珍しく私服を着ているエレンを見て、篠宮が気付く。二人のシフトは、この日の夕方からすっぽりと空いていた。
シフトを終えて、エレンと遥は店の制服を脱いで荷物を持った。エレンは半袖のシャツにジーンズと、ラフな格好をしている。適度に色が落ちた細身のジーンズは、良くエレンに似合っていた。アメリカンスタイル。カバンも肩掛けのスポーティな品である。
一方の遥は、まるでエレンのような恰好をしているのだが何かがズレていた。ジーンズが新品という所が大きいかもしれない。カバンも以前から使用している上品なハンドバッグである。そして、なによりラフな格好は彼女にあまり合っていなかった。本人はそれらを着て鏡を見て際、満足げだったのだが。
容姿を除けば姉妹のような二人は、同時に店を出ていくようだ。
「あれ、二人でどこか行くの?」
「はい、今日はね、アイドルさんのライブを見に行くんです」
「へぇ、意外だね。そういうのには興味ないと思ってたのに。特にエレンちゃんなんかは」
「友達に誘われたのよ。最初はどうしようかと思ったけど、考えてみればアイドルのコンサートなんて、こういう機会でもなければ一生行かないじゃない? それで、ってわけよ。ドゥーユーアンダースタン?」
二人を誘ったのは、共通の友人である朝比奈だ。運よく三人分のチケットが用意できたからという理由でやや強引に誘った形になる。
遙は前日から楽しみで仕方がなく、寝つきが良くなかった。それでもしっかりと仕事をこなした彼女はアルバイトの鑑だ。それとは正反対に、暁は自分の店をないがしろにし過ぎている位である。一応、裏の仕事がメインなのはさておいても。
「それじゃお疲れさま。楽しんできて」
「はい、行ってきますー」
「シーユー」
店を出た二人は、駅に向かった。
道中では、楽しげに会話が繰り広げられている。
「ヒナとはいつも通り駅前に集合だから」
話題は無論、これから彼女達が見に行くライブのことだ。
「確かその人たちの名前って、チェリッシュだったかな。グループ、なんだよね?」
「ええ、三人組のアイドルグループで、リーダーがいおりんって言うらしいわね。一応少し調べた範囲だと、最近人気急上昇中らしいわよ」
「やっぱりそうなんだぁ……ヒナさん、チケットが取れてラッキーだって何度も言ってたもんね」
「それと、凄くダンスが上手らしいわね。見ないことには何とも言えないけど、結構ネットだと褒められてたし間違いないかもね」
「そうなんだ。私は踊り上手に出来ないから、踊れるのって憧れちゃうなぁ……私何にも出来ないから……」
「そんなことないじゃない。剣道が凄いんでしょ? 暁さんに聞いたわよ」
「えへへ、そうだった。一応全国大会にも出たことあるんだよ。私が出来る唯一の自慢」
現在はほとんど退部したようなものだが、その実力は折り紙付きだ。遥は剣道だけでなく、居合道なども収めている。いずれも段位持ちの彼女は、間違いなく強者だ。
真剣の扱いでは、実戦経験豊富な暁に軍配が上がるようだが。
「そういえば、遥の能力を見たことないわね。影を使うんでしょ?」
「うーん、あんまり使いたくないんだけど……エレンの頼みならいいよ。えい」
「うわっ、こんな所でいきなり……」
人通りの少ない道だったのは幸いであろう。
遥の姿が消失し、エレンの背後に現れる。
そして、後ろから抱きついた。
「ちょっと、やめなさいよ……でも凄いわねこれ。不意打ちにはピッタリの力じゃない」
「へへ、ありがと」
随分と仲が良くなったものだと、エレンは当初抱いていた彼女へのイメージは当にないことを含めて振り返った。最初は自分達のボスに擦り寄るある意味危険な存在だとすら思っていたようだが、今は違う。
その後、朝比奈と合流した二人は、程なくして会場に辿り着いた。
――
「これ、やっぱりおかしいんだけど。どういうこと?」
「いおりんどうしたのー? もうリハ始まっちゃうよー?」
「あーちょっと待って、すぐ行くからー!」
メンバーに急かされて、持っていた雑誌を置いた彼女は楽屋を出ていく。
慌てて置いたのか、読んでいたページは開かれたままだ。その雑誌では、アイドルグループとして活動中であるチェリッシュの特集が組まれていた。インタビューが掲載されている。
インタビューの文章は、所々が欠落していた。




