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里中美鈴の憂鬱

 里中美鈴はこの日、いつも通り警視庁にて勤務していた。オフィスの端、荷物置き場と化している場所の近くに彼女のデスクは存在している。一心不乱にキーボードを打ち込んでいる里中は現在、絶賛資料作成中である。その机上にはやや乱雑に書類などが積み重ねられている。

 里中が抱えている仕事量はそれなり。自身で作成したタスク管理の項目には、半分程完了していることが記されている。主な項目は以下の通り。


 文字狩り化した男性親族への報告関係。これは非常に説明が難しく頭を悩ませる所。

 全国の特対班を管轄する上司への報告書。これはいつも行うことだから彼女にとってそれほど苦ではない。

 暁に送るメール報告。これが一番面倒だ。そのため、大抵の場合は直接伝えに行くのである。

 極めつけは、高宮遙のことだ。暁から彼女についての細かい情報を仕入れるよう依頼されており、彼女の地元へ現地調査に向かう等、多くのリソースを割かなければいけない作業。


 一方隣のデスクに座る三上は本日、遙の件で数発の弾丸を使用したことにより、軽い叱責を受けた所だった。里中とは対照的に、机上は清潔さが保たれている。性格の違いか。


 彼らが追う文字狩り、それは一種の神秘。 

 文字狩りの存在はそれ程警視庁内でも知られていない。人の口に戸は立てられないとはいうが、現時点では守秘義務が順守されている結果と言えるだろう。

 人知を超えた存在が実在することを世に知らしめるのはリスクが高く、詳細を知る一部の上層部は細心の注意を払っていた。ゆえに、二人の存在も知らない職員も多数。

 その成果が、デスクの位置を含めた二人の冷遇である。多少は、仕方がないというものだ。


「三上さぁん、暁さんに送る報告書、終わりましたか?」

「無理だっての。クソ、仕方がないとはいえ、記号だけで書くのは面倒だな全くよ

 ……」

「そうですか」


 里中は自分から聞いておいてサラリと愚痴を交わした。

 作業に戻るとあることに気付く。


「これは……」


 一通のメールが届いていた。それは、緊急報告。彼らの上司に当たる人物からのお達しだ。内容を見て、思わずその場で三上に確認を取ろうとしたが、まずは場所を移さねばならないと冷静さを取り戻す。情報の漏洩など、もっての外だ。

 会議室を一室借りて、二人は何も持たずに行くことはせず、幾つか適当なファイルを手に取る。メールを見るため、ノートパソコンは持っていく必要がある。やらないよりはマシ、といった程度の工作だが、慎重にならざるを得ない二人であった。

 オフィスを時間差で出ていくが、それに目を光らせる一人の男がいたことに、残念ながら気付くことはなかった。


 会議室にて。


「まさか、こんなことになるとはな。関東どころか、全国でも未だ確認されていない事態だが……」

「これで頭の固い人達も我々の提案に納得して頂けるといいんですが、当然そう簡単には行かないでしょうねぇ」

「せめて、人員がもう少し用意されれば、今回のようなことにはならなかったろうに。それにこちらも安全とは言えんぞ。なんだかきな臭い奴がこの辺を嗅ぎ回っているらしいが」

「ああ、暁さんからの報告にありましたね、怪しい女。まあ我々はとにかく、目の前の事態を解決していくしかないとは思いますがね。それこそ暁さんたちと結託して――」


 ああでもない、こうでもないと非建設的な議論を重ねていく二人の様子が、先程彼らに届いたメールの深刻さを物語っている。


 その時、急にドアが開いた。そこには壮年の男が立っている。二人もよく見知った顔だが、それは親しいからというわけではない。


「お前たち、ここで何をしている」

「……おっと。これはこれはぁ、先ほど三上さんを叱責していらっしゃった稲葉警部ではありませんか。一体どういったご用件で?」

「しらばっくれるな。特対班だかなんだか知らんが、コソコソしているのが気に入らんのだ。お前たちはどんなホシを追っている? なぜ我々には情報が共有されない!」

「それについては、お達しがお上から来ていると思うんですがね」


 苦虫を噛み潰したような顔で稲葉がまくし立てた。彼は止まらない。彼の脳裏には、ある一つの事件が突き刺さったままだ。


「私は忘れていないぞ。半年前の監禁事件の件を。何がどうなったら、アレの被疑者と害者双方が意識不明の昏睡状態になってしまいました、で捜査が終了するのだ」

「またそれですか。いいですか、あれは正式に我々に捜査権限が移ったのです。あなた方が介入する余地はないのですよ」

「ふん、バカ共の目は欺けても、私の目は誤魔化せんぞ。それが資料か、見せてみ――」


 稲葉が資料に手を伸ばすが、里中が即座にその腕を掴み取った。


「……何の真似だ」

「いやですねぇ、そのような越権行為を見逃すわけにはいかないのですよ。これ以上やれば……」


 里中の目が、死んでいるようなその目が力を取り戻し、稲葉を強く見据える。稲葉とて数々の修羅場を潜って来た歴戦の刑事だ。このような小娘に後れを取ることなどないと、自負している。

 しかし、吸い込まれるようなその瞳は、稲葉に得体の知れない畏怖を覚えさせた。動けない。

 三上はやれやれ、と両者の間に割って入った。


「やめろ里中。稲葉警部も、手を離して下さいよ。我々の不透明さに疑問があるのは分かりますが、あなたとて真っ当な刑事。こんな荒っぽい手段を取るまでもないはずだ。それに文句があるなら、ウチの直属の上司に当たる統括班長に、直接訴えかけたらどうなんです」

「……チッ」


 舌打ちを一つ。諦めは付かないが、一旦引き下がることにしたようだ。彼らの上司は、かなり位の高い人物であることがクリティカルに響いたのだ。


「努々忘れるなよ。お前たちに不満を抱いている連中は、私以外にも少なからずいるのだ。お前たちをこのまま自由にはさせんぞ」


 捨て台詞と共に、稲葉は会議室を後にした。




 それから数時間後。

 里中は仕事を終えて帰宅の途に着いていた。今日は深夜に突然仕事が舞い込むことがありませんように、とのささやかな願いを抱きながら。

 電車を乗り継ぐこと三十分、自宅からほど近い最寄りの駅で降りると、大手チェーンのスーパーマーケットにていくつかの食品や生活用品を購入する。


 自宅に辿り着く頃には、時刻は既に十時をまわっていた。

 

 華美でもなんでもない至って平凡なマンション、それが里中の住処だった。

 ビニール袋から安売りしていた弁当を取り出し、缶ビールを開ける。グビりと一口飲み干すと、これではもう車に乗れないな、現場にも急行出来ない、などと考えてしまう。それは里中にとって堪らなく嫌なことだった。仕事のことを家で考えるのは、彼女にとって軽いストレスだ。

 そして、弁当は安かったがあまり美味ではないときている。溜息をついた。侘しい。

 それを解消するようにテレビを付ける。しかし、特に目ぼしい番組は放送されていなかったようだ。里中はものの数分でテレビを消す。余韻すらも残らない。


 里中は食事を終えると立ち上がり、鏡の前に立った。

 顔を軽く流し、縛っていた髪を下ろす。最近行った美容院で前髪を切りすぎたことが、彼女の最近の悩みだった。

 鏡に映っているのは、疲れを隠せない顔をした一人の女性だ。里中はまるで自分ではないかのような感覚に陥る。


「いつもより老けて見えます……! おのれ稲葉め……おっと」


 完全な言いがかりを付けた所で、端末が震える。それも、仕事用の端末だ。溜息を吐く。相手も見ずに出る。


「…………はぁい、里中です……」

「こんばんは、篠宮です。随分とお疲れの様子ですね。まあ僕も疲れてるんですけどね、ははっ」完徹で少々おかしくなっている時の篠宮だ。彼がいかに逸脱した存在であろうと、体力は決して無尽蔵ではない。

「ああ、篠宮くんですか。あなたの疲れはどうでもいいです」


 きっぱりと言う。里中は珍しいこともあるのものだと思うと同時に、少しばかり気が重くなる。篠宮からということはつまり、暁から連絡があったのと同義に近い。つまり、仕事の話だ。


「私は今お疲れさんなのですよ。大事な用件でなければ今すぐ電話を切りたい位には」

「あはは……でしたら、いいんです。ちょっと暁さんのことについてお尋ねしたかっただけなので。それでは、失礼しました。お大事に」


 通話が切れる。疑問符が彼女の脳内を駆け巡った。


「彼のことで話? 一体どういう思考で私に尋ねようと思ったんですかね……」


 普段は言わない相手に疲れを愚痴る程度には、里中美鈴は疲れていたのであった。

 そして若干アルコールが回っている。冷静さを完全に失わない内に、再度確認することがあった。


 里中は会議室での一件を思い出す。ポケットに入った仕事用の端末を取り出した。

 他部署の気時を管轄している立場の稲葉警部。特対班と暁達とを比べるまでもなく、その関係は良好ではなかった。


「あのエセ坊主頭、いつまでもネチネチと……しかし見られなくて幸いでした」


 里中の手には完全にオフラインでしか使用できない端末が握られている。外部と接続可能なのは、記録媒体だけ。庁舎で保存したのだろう。

 画面には整然と情報が整理された資料が表示されている。東北、職業、性別、時刻といったワードが並んでいるが、注目すべきところはただ一箇所。


 それは、文字狩りが犯した最初の殺人事件を示していた。


 二人の男性の名が赤字で強調されており、その横には、死亡という文字が無機質なフォントで記されていた。男性の名前が二つ。


 死亡者は、対応に当たった特対班の刑事が一名。

 そして、暁古書店とは異なる方法を取り文字狩りと戦う、同業者の男の名前だった。


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