Chasing Shadow
翌日の深夜。
この日、暁古書店は臨時休業日を設けていた。それにも関わらず、店内には暁だけでなく篠宮がいて何やら話し込んでいる。篠宮と暁は同じ資料を持っているが、それぞれで紙の厚さが全く違うようだ。
暁は手元の資料を読み込むと、もうこれに用はないとばかりに机上へと放り投げた。乱雑に開かれたままの紙面には、奇妙な図形が並んでいる。暁には多くの者が苦労させられるが、致し方ない。
「なるほどな。その女は他に何か言ってなかったか?」
「いえ、報告書の通りですよ。もう殺されるかと思いました」
前日の出来事から、大学を泣く泣くサボった貴重な時間で簡易的な報告書を作成していた篠宮。もっとも、簡易的とはいえ特殊なルールに基づいて作成する必要があるため、それなりの時間を要した一品だが。
「それにしても創造主、か。随分とけったいな響きだ」
暁は不機嫌そうに息を吐く。
「そうですね。まるで……」
「そう、まるで何者かが文字狩りを生み出しているようにも取れる」
暁の中で新たな仮説が生まれた。ある程度予想していたことではあるが、こうして出てきている以上、可能性が高いと踏んでいる。
そもそも文字狩りなど、昔は存在していなかったのだ。
能力者も。
「だが、無事でよかった。貴重なバイトを失うわけにはいかんからな」
「はい、すみませんでした」
「今後、そいつにも注意せねばならんということか。ああ、面倒なことだ。例の影がそいつだとすると殊更に厄介だがな」
「現状ではそう見るのが妥当かな、とも思いますが」
「うむ」
不安が募る。
二人はエレンを一旦店から遠ざけたのは正解かもしれないと思い始めていた。彼女が自衛の術を持たないことは重々承知している彼らであるから、過去に類を見ないほど不安要素を抱えた状態では、店を開くのも億劫であろう。
固定電話が鳴る。滅多に掛かってこない番号で、そのほとんどは商店街を取り仕切る商工会からの連絡であるので珍しい。
こんな時に、と受話器を取った暁。だが、相手が誰であるかを即座に判別して気持ちを切り替えた。
「落ち着いて聞いてくれ、暁の旦那」
「……お前か。どうした、やけに緊迫した声をしているが」
電話の相手は特対班所属の三上明だ。暁は普段あまり聞いたことがないその声色を聞くと、また何かトラブルかと勘ぐってしまう。
しかも、その予想は的中することになる。
「今監視も兼ねて店の近くまで来たんだが、いるんだよ。例の奴が。これは願ってもないチャンスだ」
「何だと? 詳しく話せ」
篠宮にも聞こえるように、通話モードをスピーカー音声に変更する。三上が言うには、店近くの小さな路地前に、フードの人物がいるとのことだった。
「もう応援は呼んであるから、いなくならない内に捕らえることをお勧めするよ」
「篠宮、俺の刀を持ってこい!」
「了解です!」
「エレン、お前も警戒を――」
そこまで言いかけて、暁は口を噤んだ。
「そうか、いないんだったな……連絡もやめておこう」
暁自身の命だ。それを破るわけにはいかない。それに、そもそも連絡するよりも早く動くことが先決だった。
矢継ぎ早に巻き起こる店に襲い掛かる非常事態。篠宮はさっさとこの状況を打破してやろうと気合を入れなおした。暁も同様に、文字狩りを狩る時の精神状態まで一気に持っていく。
戦闘モードだ。以前のような無様な真似はしないという強い意志と共に、支持を飛ばす。
「三上はそのまま監視を。俺と篠宮はすぐに出られるよう準備済みだ」
「了解。今の所動きは見られないけど急いだ方がいいぜ」
「篠宮、問題はないな?」
「はい、行けますよ!」
「よし、お前から店を出ろ。三上と挟み撃ちだ」
帯刀した暁が先に出れば、対象の逃亡は必至。賢明な判断だろう。
篠宮はドアに手を掛け、かすかに隙間を作り外を覗いた。そこには、正体不明の人物がそわそわと、せわしなくうろついている。意図が読めない動きに合わせるのは至難。
緊張が走る。何せ、相手は文字狩りかも知れないのだ。
それも、暁が危惧している特殊な個体の可能性もあり得る。三上が反対側から行動を開始した。拳銃を構え、謎の人物に接近していく。
それに合わせて篠宮も動く。勢いよくドアを開け放つと、三上と反対方向から接近していく。まだ敵が動きを見せないことに不安を募らせるが、それでも近づくことは止めない。
動きを見せる前に捕縛しようと試みるも、事態は急転しようとしていた。暁が篠宮に続いて店を出た時、それは起こる。
突然、一人の女性が悲鳴を上げた。深夜には珍しい通りすがりの一般人は、拳銃を構えた男性を初めて見たのだろう。日常では起こりえない目の前の非現実に、脳の処理が追いつかず思わず流れた声。
その声に反応して、二人の接近に気付いたフードの人物。それを見ていた暁は思わず舌打ちを一つ。奇襲は失敗だ。
すると突如、目深にフードを被った人物が、どこからともなく竹刀を取り出した。素早く流麗な動作で抜き放つと、両手で柄をふわりと握る。
正眼に構えられた竹刀を見て篠宮は速度を落とし、一旦躊躇した。堂に入っていると感じる。この時点で相手が文字狩りである可能性は低くなったが、警戒を弱めることはない。怪物でなければ、理性ある人を殺害せずに相手にするのは極めて難しい。
しかし、仕掛けないことには始まらない。無手でどこまでやれるのか篠宮は脳内でシミュレートを行い、先手必勝で仕留めるつもりで動く。竹刀による一撃では篠宮の肉体は致命傷を負わないからこその作戦だったのだが、果たして。
「しっ!」
数メートルの距離を数歩で詰め、ノーモーションからのストレートを放つ。相手は竹刀でそれを打ち払うように迎撃し、摺り足によるバックステップで追撃から逃れようとする。
しかしそのスピードは篠宮に及ばず、三上と暁は攻撃が入ったことを確信していた。
だが。
「なんだ?」
篠宮は困惑する。確実にヒットする距離、スピードで打ち込もうとしたストレートが竹刀に命中、弾かれたことは分かった。竹刀の破損もしかとその目に捉えている。
だがしかし、次の一手が虚しく宙を切ったことが解せなかった。渾身の前蹴りをスカされたことに焦燥を見せる直前、強烈な違和感が篠宮を襲った。目の前に敵がいない。
「篠宮、後ろだ!」
「! 危なっ……!」
篠宮は困惑しつつも体が反応し、前方に飛び込むことで背後からの攻撃に対処した。捻りを加えることで敵の姿を今一度捉えようとするも、既に視界にはいない。
暁が篠宮をカバーするように動こうとした途端、突如目の前に人影が現れた。
想定外ではあったが、何とか腰の刀を抜き放ち対応する。
瞬時に研ぎ澄まされた剣先はプラスチックの鍔に命中し、衝撃でバラバラに砕いた。外したか、と思う間に相手は再び姿を消し、暁の視界から消えた。二人はそのまま何度も仕損じて、似たような攻防を繰り返していった。
三上は悲鳴を上げた女性を保護しつつも、一連の攻防を観察していた。敵は恐らく何らかの力を持っているのだが、正体が掴めないことに焦燥を感じて一人呟く。
「このままじゃマズい。二人とも翻弄されてるだけだぞ……!」
しかし、突如二人への攻撃が止んだ。
篠宮が周囲を見渡すと、およそ数十メートル先にターゲットを視認した。
原因は不明だが逃亡を図ったのだろうと予測した三人は、追跡を開始する。
「暁さん、どうします!?」
「追うぞ! お前と俺が東、三上は西だ!」
三人はフードの人物を追うため、駆けだした。武器を失ったことが原因だろうと推察していたのだが、その予想は外れることになる。
そして暁と篠宮、三上は程なくして、一時目標を見失ってしまった。
――
「はあ、はあ……」
サンストリートから離れた通りに面する小さな公園。
フードを外し、汚れたベンチにもたれ掛かりながら、一人の少女が息を荒くしていた。その全身は汗ばんでおり、悲しみや覚悟が入り混じったような決死の形相を浮かべている。
極度の緊張状態にあった少女は、ほんの僅かに気が抜けたのか声を漏らす。
「どうして……どうして出来ないの? 私がダメ、だから……?」
少女の手には、無残な姿の竹刀が握られていた。
中結は千切れ、鍔は失われている。刀身に当たる部分もぐちゃぐちゃに折れ曲がり、もはや竹刀としての機能は消滅していた。
篠宮の膂力が凄まじいことを物語る。たった一度の交錯でこの様かと自嘲した。
「このままじゃ、ダメ。ダメなんだから……あの人たちを負かさないと……私の剣で」
少女は地面にへたり込むと嗚咽し、涙を流した。
彼女の身に、追撃の手が迫っている。
意を決したように再び攻勢に転じたいと立ち上がろうとするが、重しを付けられたように体は言うことを聞かない。
竹刀を握りしめるその手は、何かに脅えるように震えていた。




