「父の鞄」
藤華が駅ビルの本屋で参考書を手にレジに並んでいると、前の男子学生がアニメ雑誌を買うのが見えた。
『あ……あのアニメだ』
魔法少女の表紙……佐々木が見ていたヤツだ。
支払いを済ませた男子学生が、友達と一緒になって店を後にする。
藤華はお金を出しながら、
『ちょっとキモいかも』
なんて思っていた。
すぐに佐々木のゆるんだ顔を思い出して、
『まぁ、佐々木先生は孫に萌えてるんだけど』
駅ビルを出たところで、すぐに軽バンが近付いてくる。
運転席で憲史が手を振っているのに、藤華は助手席のドアを開いて乗り込んだ。
「おかえり~」
「先輩いつも待ってますね」
藤華は後ろに自転車が載っているのを確かめて、
「よく自転車取り出せますね」
「うん、駐輪場の人とも知り合いだしね」
「まぁ、いいですけど……」
車はすぐにコンビニに着いて、憲史は自転車を下ろした後で、
「そうそう、藤華ちゃん」
「?」
「これって、藤華ちゃんのお父さんかなにか?」
「!」
鞄を手渡され、藤華の脳裏にボコられた父の姿を思い出した。
「先輩っ! 父さんをよくもっ!」
「えっ!」
カッとなって頭の血がのぼった藤華に「憲史=犯人」以外の考えが浮かばなかった。
「コロスっ!」
自転車に乗せていた竹刀を抜くと、容赦なく憲史を滅多打ちだ。
気付けば憲史はボロボロになって崩れ落ち、藤華は肩で息をしていた。
藤華は家のダイニングでうなだれていた。
その正面では父がボコボコの顔で超嬉しそうだ。
「藤華、鞄をありがとう!」
父はそう、顔がボコボコでなければきっと最高の笑みなのだろう。
でも、今のボコボコ顔ではホラー感さえただよう不気味さだ。
「いや、助けてもらった人の車に忘れちゃったんだよ」
「……」
藤華はさっきからうなだれていた。
父の顔が見れない……わけではない。
憲史をボコボコにしたのに、もうしわけなくてうなだれていたのだ。
父の鞄を見た瞬間、カッとなって憲史を叩いてしまった。
それも全力で、ボコボコに、倒れてしまうまで。
『ついついカッとなっちゃったのよね~』
そう、憲史は倒れていた、そこまで叩いた、竹刀で。
『よく考えたら先輩が親父狩りとかないよね~』
自分で思いながら、
『気付くのが遅い~』
自分で突っ込んでいた。
「藤華、この鞄を預かっていた人にお礼したいから……」
「え、いや、そんなのいらないよ」
「いやいや、親父狩りから助けてもらったし」
「お父さん、顔、ボコボコだよ」
「それでも助けてもらったんだよ」
『手遅れだよね、先輩』
藤華の頭で裸電球が光った。
『そうだ! 先輩のせいなんだ!』
ボコボコの顔で喜んでいる父。
『先輩がもうちょっと早く助けてくれたらよかったんだ!』
「ふふ、でも、コンビニの店員さんなのはわかってるから、お父さん自分でお礼に行けるよ!」
「い、いや、お店の人も忙しいからいいよ、きっと」
「いーや、お父さんの気が済まないから!」
『うわーん、私、先輩ボコボコにしちゃったよ』
藤華の見立てでは父は絶対お礼に行く。
『どうしよう』
藤華は冷や汗ダクダクで、あれこれ作戦を考えていた。
考えただけで……名案が出てくる事はなかった。
朝の学校、校門で憲史が来るのを藤華は待ち構えていた。
『昨日の事を謝ろう』
なんて思っていると、いつも通りに憲史が自転車で登校だ。
自転車を降りずに校門を通過。
「コラーッ!」
藤華はついつい、いつも通りに竹刀を振る。
もう、昨日憲史をめった打ちにしたのを忘れてだ。
「先輩、自転車降りろっていつも言ってますよね!」
「あ、ごめーん、今日も門番なんだ、いつが休みなの?」
「教えるかーっ!」
「むう、優華ちゃんに聞くからいいよ、ケチ」
「ケチとはなんだー! ケチとは!」
藤華は憲史をバシバシ叩いてから、
「あれ、先輩、なんともないんです?」
「?」
藤華が言うのに憲史は首を傾げながら、
「なんの事?」
「いや……先輩元気そうですよね」
「うん、なんの事かわかんないけど、ともかくおはよう」
憲史が言いながらも、藤華がリアクションなしなのに、
「むう、しょうがないなぁ、俺から出すよ、ほら、生徒手帳、どぞ」
「ど、どうも……」
藤華は眉をひそめたまま、憲史の生徒手帳を受け取った。
「じゃあ、後で宿題貸してね~」
憲史は手をひらひらさせながら、自転車で走り去っていった。
藤華はその「普通」な姿に首を傾げながら、回収した生徒手帳を見つめた。
職員室に行ってみると、佐々木が一人の生徒を説教している最中だった。
佐々木は藤華の姿を見るなり、説教を終わらせる方に向かい始める。
「なあ、お前、髪を染めたりパーマはいい、でも、煙草は20になってからだ」
説教を受けているのは1年生のようで、藤華の記憶にあまりない顔。
「中学の頃はこれで格好いいって思っていたかもしれんがなぁ」
ガラガラと職員室のドアが開いて、憲史が現れる。
「ちわーっす、綱取興業っす、納品に来ました~」
言いながら佐々木の所にやってきて、床にダンボールを置いた。
「納品書は後でいただきまーす」
説教の最中を察して、さっさと出て行ってしまった。
話の腰を折られた佐々木と1年生はしばし沈黙。
「なぁ、お前、不良をいきがってるが、アイツと一緒だぞ」
「!」
「今の男はなぁ、留年して4年生なんだぞ、不良なんだ、4年もいるヤツなんてあいつだけなんだ」
「!!」
「今のお前は、アイツと一緒なんだよ!」
説教が終わると、1年生はトボトボと職員室を後にした。
藤華が視線を佐々木に戻した時には、もう佐々木はアニメ雑誌にニヤニヤ。
「先生、そんな雑誌見てたらキモいですよ」
「いや、娘が今度はこっちの服が欲しいって」
「親バカ」
「かわいいからいいの」
「先生、憲史先輩の事なんですけど」
「憲史、どうした?」
「昨日、カッとなってフルボッコにしたんです」
「ふうん」
「でも、今日、ケロっとしてます、さっき見ましたよね」
佐々木は藤華をじっと見て、
「藤華ちゃん、さっきの説教聞いてたよな」
「はい……」
「藤華ちゃんじゃ、憲史は倒せないと思うよ、アイツはどんなに叩かれても大丈夫なんだ」
「どんなに叩かれたってって……」
「藤華ちゃん、いつも叩いてるじゃん竹刀で、バンバン」
「……」
「な!」
「それは、塚本先輩が叩いていいって言ってたから……であって」
佐々木は没収した煙草の銘柄を不満そうに見ながら一本くわえて、
「憲史がポヤンとしたただのダメ男だったら、いくら不良って言っても、不良連中はなんとも思わんさ」
「どういう事です?」
「あんなポヤンとした男……でも、不良連中は絶対勝てないんだよ」
「え!」
「あんなポヤンとしたのに勝てないで、つっぱっていて、同類扱いされたらイヤだろ」
「むう」
「だからうちは不良が更正するんだよ、憲史と一緒はイヤだから」
「むう……先生、ちょっと言いすぎじゃないです?」
「藤華ちゃん、憲史の顔、思い浮かべてみなよ」
「あ、ですね、一緒はイヤですね」
「藤華ちゃん……切り替え早いね」
予備校の講義まで、ちょっと時間があったから、博多駅の本屋さんでなんとなくブラブラしていた藤華は、
「あ、佐藤さん!」
佐藤の妹・桃花がアニメ雑誌を見ているのを発見した。
「こんにちは、えっと……」
「私の事は藤華でいいから」
「藤華……私と一緒の読み……」
「そうなのよね、でも、私、苗字の『奥』で呼ばれるのイヤなの」
「奥さんじゃダメなんですか?」
「奥さんはイヤなの、藤華でお願い」
「は、はい、藤華さん」
「どうしたの、こんな所で?」
「お兄ちゃんが講義で、待ってるんです」
「ふうん……でも、何時まで?」
「9時くらい」
「結構あるわよ~」
お店から見える時計はまだ5時半だ。
「ちょっとごはんも食べるから、大丈夫です」
「私も講義あるから、じゃあ、ね」
藤華は去り際、桃花の見ているページをチラッと見た。
最近佐々木のおかげに見慣れた「魔法少女」のページ。
『このアニメ、人気なのかな?』
講義は終わって、藤華は掲示板の前で渋い顔だった。
「どうしたんですか?」
「あ、佐藤くん……」
二人して見上げる掲示板。
狙っていた講義に、藤華と竜児の番号はなかった。
「この講義、外れちゃって」
「僕も申し込んでいたけど、遅かったみたいです」
「佐藤……あの、佐藤くんの事、竜児くんって言っていい?」
「え? 名前で? 佐藤ではダメです?」
「うーん、妹ちゃんを佐藤さんって言ってるから、ちょっと」
「僕は別にかまいませんけど……藤華さん」
「むう、わかってますな」
「妹からメールありましたから、奥さんって言われるの、嫌なんですよね」
「そうです」
そんな二人の背後から、
「藤華ちゃん、どうしたの?」
「憲史先輩っ!」
やって来たのは憲史で、何故か狙っていた講義の宮川先生と一緒だ。
「どうしたの?」
「憲史先輩こそ、なんでココに?」
「うん、ちょっと納品」
憲史と宮川が何か話しているのに、藤華はちょっと勝負に出た。
「ね! 先輩っ!」
「なに? 藤華ちゃん?」
「そちらは宮川先生ですよね」
言われて宮川は微笑み、憲史が首を傾げて、
「宮川さんがお得意さんなんだよ」
「あの、先生のクラスにもれちゃったから、なんとかなりませんか!」
「え、そんなのダメだよー」
宮川の即答に、憲史はひじでつついた。
「宮川さん、たのみますよー」
「えー憲史くんまで言うのー!」
「先生、ちょっと枠、持ってるでしょう」
「憲史くん、くわしいね、そうだけど」
「俺からも頼みますよー」
憲史がチラッと藤華と、そして竜児を見る。
「二人分、ねぇ、宮川先生!」
憲史がひじでつつくのに、宮川は藤華達を見ていたが、
「あ、二人とも知ってるよ、奥さんは成績優秀だし、佐藤くんはあっち(関東)の成績見てるよ」
宮川は小さく頷きながら、
「じゃ、後ろの席取れるようにしとくよ」
「やったあ!」
うれしくて、その場でピョンピョンしてしまう藤華に、憲史はそっと隣に立つと、
『藤華ちゃん、俺のおかげだからね』
『う……』
『借し「1」だかんね』
『う……』
憲史は宮川と一緒になって行ってしまう。
藤華はそんな二人を見送りながら、
『イヤな人に借りを作ってしまった』