「レジェンド」
朝食のテーブルに着いた藤華は、向かいに座った父を見て表情をこわばらせた。
「お父さん、どうしたの?」
怪我の痕にはんそうこうを貼っている父。
新聞で隠そう……としているのか、見て欲しいのか、微妙な感じだ。
「ちょっと転んでな」
『転ぶとそんなボコボコになるのかしら?』
藤華は父の怪我を見て、学校でヤンキーのケンカを思い出していた。
『お父さん、親父狩りにあったわね』
藤華がしげしげと見つめるのに、
「どうした、お父さんが好きか?」
「バカ、もう学校行く」
藤華はさっさと食事を済ませると席を立った。
最後にもう一度父を見た。
『まだパジャマなんだ……会社はどうしたんだろ?』
でもすぐに、
『あんな顔で会社に行くより、休んだ方がいいかも』
そんな事を思いながら、藤華はダイニングを後にした。
「藤華ちゃん、宿題貸して~」
「イヤ」
授業前のひととき、憲史が言ってくるのに藤華はツンとしたままだ。
「えー、この間勝ったから、俺の言いなりの筈!」
「むう……ちょっとはやる気あるんですか!」
「えー! 貸してくれる気あるの?」
「宿題って自分でやるもんですよね」
「俺、ともかくピンチなの」
「やってないだけですよね」
藤華はそれまで見向きもしないで言っていたけど、憲史が手を挙げたのにさすがに表情がこわばった。
「バンッ」と憲史の手が藤華の机を叩く。
藤華が、教室じゅうが、憲史に注目。
「宿題ゲット!」
憲史は藤華の机から奪ったノートを高々と掲げ、そしてすぐに自分の机へ。
でもすぐに憲史は涙目になると、
「何も書いてなーい!」
「宿題のノートは別にしてるんですよ」
「貸してよー!」
「イヤです」
「約束したのにー! ウソツキー!」
授業の後、藤華は集めたプリントを持って職員室へ。
「プリント持ってきました」
「お、藤華ちゃん、ありがとう」
佐々木はチラッと藤華を見ながら、
「あのさ、藤華ちゃん」
「何です、先生」
「憲史に宿題貸してやんなよ、泣いてたろう」
「先生が宿題貸せなんて言いますか……」
「だって藤華ちゃん勝負で負けてるじゃん」
「う……」
「それに、また変な噂が立っちゃうよ」
「え?」
「今頃は『先輩、女に泣かされる』だったらまだマシで、『鬼嫁、宿題を貸さず』とか」
「誰が鬼嫁ですか、誰が!」
「だってもう『憲史の女』が定着してるみたいだし」
「え! 本当ですか! イヤすぎる!」
「ともかく憲史をあんまりいじめるなよ、留年してるんだし」
「いや、宿題貸したらダメで……先生、先輩が留年した理由、聞きましたよ」
「……」
「いいんですか、憲史先輩、納得してるんですか」
「は?」
「レイプ魔って、濡れ衣もいいところ……塚本先輩から聞いてるんですよ」
「藤華ちゃん、憲史のレイプマンの噂はともかく、本当の理由、知ってるかね?」
「は?」
「ほら」
佐々木が机のノートパソコンを開いて、アイコンをクリックする。
去年のデータを表示して、
「憲史、いつも遅刻してるだろ」
「……ですね、遅刻は多いような」
「アイツ、アルバイトしてるから、しょうがないんだよ、父子家庭だし」
「父子家庭?」
「母子家庭と違って手当てとかないんだよ、補助金かな」
「そう……なんですか」
「でも、これだけ遅刻されるとな」
憲史の遅刻率はダントツだ。
でも、藤華はすぐにその数字とグラフに首を傾げた。
「ちょっと多すぎじゃないです?」
1年は365日なのに400超えている。
「あ、これ、トータルだからね、遅刻だけじゃなくて、他のも」
「他?」
「藤華ちゃん、悦っちゃんと一緒になってポンポン憲史の生徒手帳回収してなかった?」
「う……」
「回収してたろう?」
「だって、憲史先輩見てたらムカつくし、取ってもなんだか嬉しそうだし」
「そうなんだよな、憲史って警告溜まると休んでいいって勘違いしてるし」
「え? なに? それ?」
「警告溜まると停学になるだろ、それを休みと勘違いしてるんだよ」
「ダメダメですね」
「悪いヤツじゃないんだけどな~」
予備校帰りの藤華は、駅ビルから出るのに躊躇していた。
周囲に目を配るのも忘れない。
でも、最近事件が多いのに、警備や警察の人もチラチラ見えて、大丈夫な感じだった。
「藤華ちゃん!」
「!」
憲史の声に振り向くと、もう腕をつかまれていた。
「俺との約束、覚えている?」
「!」
「俺、テストに勝ったから、俺の言う事聞いてもらうよ」
「うう……」
「それに、ビルの外は危ないよ」
それはごもっとも……藤華は憲史に続いて駅ビル駐車場へ。
「綱取興業」の車に乗ろうとして、憲史が一言、
「あ、前に乗って、後ろはダメ」
「え……」
「藤華ちゃん、ここまで自転車で来てるよね」
「はい……って」
軽バンの後ろには藤華の自転車が押し込まれていた。
「わ、私の自転車!」
「藤華ちゃん、逃げちゃうから押さえさせてもらいました」
「むー、先輩やりますね」
憲史に連れられてやってきたのは一軒のコンビニだった。
「はい、降りて降りて」
「はぁ……」
憲史は車の後部座席に押し込まれていた自転車も降ろすと、
「藤華ちゃんの家とはちょっと離れてるけど、自転車で10分くらいじゃないかな?」
「はい……でも、私、こっちの方には全然来ません」
「で、ここで働いてもらいます」
「え!」
「ここで店員、やって」
「なんで?」
「藤華ちゃんがテストで俺に負けたから」
『負けてないです、同点です』
「いいからいいから、入って入って!」
「うう……」
「や・く・そ・く……したよね!」
「うう……」
憲史は藤華を上から下までなめるように見てから、
「むー、制服はちょっとマズイけど、いいか」
言いながら憲史はエプロンを手渡して、
「それ、着て、制服」
「え……コンビニの制服ですか、これ」
「うん、うちは●ーソンや●11とは違うの」
「はぁ」
藤華はともかくエプロンをして、身支度は即完了。
「おお、似合ってるにあってる! では、ここで教育係りを紹介します」
「はぁ……」
初めてのアルバイトに不安を覚えながらも、藤華は誰もいない店内、レジの前に立たされた。
「響ちゃーん、新人さんだよ、仕事教えて」
「はーい」
声と同時に出てきたのはポニーティルの……かなりカワイイ娘だ。
でも、どうみても中学生くらいな気がした。
憲史はポニテ娘を抱き寄せながら、
「山本響子教官です、彼女の指示に従って仕事を覚えてください」
「あたしの事は『響ちゃん』でいいよ~」
『も、もしかしたら小さいだけで、大学生とか!』
響子の貫禄に藤華はドキドキした。
「じゃ、響ちゃん頼んだよ、俺、伝票さばいているからね」
「はーい」
憲史は奥に引っ込み、藤華と響子だけが残された。
「えっと、名前は確か『おくとうか』だよね」
「は、はい!」
「ではでは、まずはレジの扱い方から教えまーす!」
朝の職員室。
今朝回収した生徒手帳を持って藤華は佐々木のもとへ。
「先生、おはようございます」
「おお、藤華ちゃん、今日もお疲れ……」
佐々木は生徒手帳の入った箱を受け取りながら、藤華の顔をまじまじと見つめた。
「コンビニでアルバイトって聞いてるが……」
「あ、はい、毎日憲史先輩に捕まって、コンビニでバイトです」
藤華は言ってから、急に表情をこわばらせて、
「あの、ココってバイト禁止のはずなんですけど」
「ああ、そうだね、いいよ、別に不良してるわけでないし」
「えー、いいんですか、そんないい加減で」
「隠れてバイトしてるやつなんてたくさんいるよ、藤華ちゃんなら大丈夫そうだし」
「私の風紀委員としてのケジメがですね」
「まぁ、いいじゃないか……それに……」
「?」
「なんだか楽しそうじゃないか、前より活きいきしてるぞ」
「え! そうですか!」
藤華はパッと笑顔になって、
「お母さんに話したら、最初は心配してたんです」
「うん、だろうな」
「コンビニで『お勤め』になったお惣菜持って帰ったらすごい喜んで」
「そうなんだ」
「それに、コンビニの店員さんって、ちょっとやってみたかったんですよね」
「それならよかった、成績も落ちないように仕事頑張りな」
笑顔の藤華に、佐々木はちょっと呆れたような笑みを浮かべていた。
学校・予備校・そしてアルバイト。
終わって家に帰るのは11時過ぎだった。
藤華がダイニングに入ってみると、父・辰夫が難しい顔でテーブルに着いていた。
「ただいま」
「藤華、座りなさい」
「うん、お父さん、どうしたの?」
「今、何時だと思ってる」
「11時すぎかな?」
「どこで何をしてるんだ!」
「お母さんにアルバイトしてるって言ってあるけど」
「学校、アルバイト禁止じゃなかったか!」
『そうなんだけどな~』
佐々木先生の言葉をそのまま伝えようかと思ったけど、藤華は言えずにいた。
父はこわい目で藤華を見つめたまま、
「大体こんな遅い時間まで働いて、おかしいと思わないのか!」
「……」
それは自分でも気になっていたから、憲史に言おうと思うようになっていた。
しかし今でも2時間くらいしか入っていないような感じだ。
コンビニのシフト表を見て、藤華は自分が穴埋めで入っている事に気付いていた。
『土日に夕方から入る以外は、ほんとに「ちょっと」なのよね』
「アルバイトなんて許さんっ!」
「でも、お父さん、私、シフトに入っちゃってるから」
「そんなの、辞めてしまえば誰かが入ってくれる」
藤華は憲史や響子の姿を思い浮かべながら、
「でも、そんな無責任、ちょっとね」
「無責任……むう……シフトはいつまでなんだ」
「シフト終わるまではいいんだ……ちょっと相談してみるね」
「受験生なんだから、アルバイトなんてしている場合じゃ……」
『長くなりそう……』
藤華は早く切り上げたい一心で材料を探した。
すぐにそんな藤華の頭上に裸電球点灯!
「お父さん、顔、大丈夫、怪我してるの、どうしたの?」
「もう遅い、早く寝なさいっ!」
藤華の口撃に辰夫は逃げるようにダイニングを後にした。
すると入れ替わりで母・加奈子が入ってきて、
「藤華、なかなかやるようになったわね」
「お母さん、見てたの?」
「お父さんをうまくやっつけたわね」
「お母さん、お父さんのあの怪我、なんだと思う?」
「親父狩りでしょ、まったく弱いんだから」
『私もカツアゲされそうになったって言ったらびっくりするかな?』
藤華は思いながら、
「ねぇ、お母さんはどうしてお父さんと結婚したの?」
「うん? どうして? お母さん高校卒業してすぐに結婚したのよ」
「どうしてお父さんと?」
「お父さん、ああ見えても昔はヤンキーだったのよ」
「え! そうなの!」
「お母さんは藤華と同じ日春高で、お父さんは工業高校のヤンキーさん」
「同じ学校じゃなかったんだ」
「お父さんはお母さんを襲ったのよ」
『ブッ! お父さんレイプ魔?』
「昔、日春高には『レジェンド』って暴走族がいたのよ」
「レジェンド!」
「でね、その騒動でお父さんと知り合って、お母さんが卒業と同時に猛アピールされて、お母さん折れちゃったのよ」
藤華もう話を聞いていなかった。
「レジェンド」っていう暴走族の事で頭がいっぱいだった。
学校の中休み、藤華は集めたプリントを持って職員室にいた。
「佐々木先生、プリントです」
「おお、サンキュー、藤華ちゃん」
「あれ、それなんです?」
「あ? ああ、朝の持ち物検査でね」
見れば雑誌がたくさん置いてあった。
水着グラビアの中に、アニメ雑誌が混ざっているのを佐々木は手にした。
「先生、アニメ好きなんですか?」
「うーん、鉄腕●トムはわかる」
「なんでそんな雑誌を見るんです?」
佐々木はさっきから魔法少女なページをしげしげと見つめている。
「うん、孫が見るんだよ、孫が」
「で、話をあわせるために?」
「そうそう、勉強してるの」
「没収したモノですよね」
「あ、人聞き悪いな、ちゃんと夕方返してるんだよ、問題なければ」
「はぁ……」
「ふふ……カワイイ」
「先生、キモい」
「え? かわいくない?」
「先生が言うとキモいですよ」
佐々木は藤華の言葉にしばらく渋い顔をしていたが、思い出したように携帯を出すと、
「ほら、見て、孫」
「あ、かわいい……この魔法少女のコスプレしてるんですね」
「そーなんだよ、●イザラスでせがまれて買ったんだけど、かわいくて」
「なるほど~」
藤華は思いながらも、
『アニメ雑誌見てニヤニヤしてたらキモいよね』
なんて思っていた。
「あ、で、先生」
「なんだい?」
「レジェンドってご存知ですよね」
「う……知らない」
「知ってますよね」
「昔いた暴走族の名前だよ、本当に伝説なチームだったんだ」
「昔の話ですよね?」
「そうだよ」
「復活したとか……ないですよね?」
「さぁ?」
佐々木に目が泳ぐのを藤華ははっきり見た。
でも、それ以上追求してもはぐらかされるのもわかっていた。
『どうやって聞き出そう』
そんな事を思いながら、藤華は職員室を後にした。