「初めてのアルバイト」
授業前のひととき、藤華の前に小さくなって現れた憲史がいた。
「あの~藤華ちゃん……」
「あ、憲史先輩、どうしたんです?」
「藤華ちゃん……宿題貸して」
「は?」
「宿題……貸して」
哀願する憲史に、プイと顔を背ける藤華。
「イヤ!」
「えー! なんでー!」
「宿題くらい、自分でやってください!」
「貸してよー ケチー」
『そこまで言うか』
「昨日、助けてあげたのに」
「……」
「家まで送ってあげたのに」
「絶対イヤ」
「そ、そんな、人が困ってるのに!」
オロオロしてみせる憲史に、藤華は周囲をチラ見する。
クラスメイト達は一斉に藤華・憲史に注目していた。
なんとなく「貸してあげればいいのに」みたいな声が藤華の耳に入ってくる。
「俺、すごい困ってるのに!」
「私もすごい迷惑してるんだけど」
「早く貸してくれたらいいんだと思う」
「イヤ」
「う……」
そして……憲史は授業が終わるとすぐ藤華に噛み付いた。
「先生に怒られたじゃん!」
「宿題忘れる方が悪いんです~」
「貸してくれたら、俺、叩かれずに済んだのにっ!」
「宿題は自分でやるものです~」
「俺、先輩だぞ!」
「留年だけど~」
「う……」
憲史の手が藤華の机を叩き、大きな音がした。
教室じゅうの視線が憲史に集る。
「藤華ちゃん、勝負だっ!」
「は?」
「今度の小テストで同点以上だったら俺の勝ち!」
「同点以上……憲史先輩負けたらどうするんです?」
「俺、負けないもん」
『子供か』
藤華はため息一つ、ついてから、
「ともかく私が点数上だったら勝ちで、どうするんです?」
「もしも俺が負けたら……何でも言う事聞いてやるっ!」
「先輩が同点以上だったら……同点?」
「だって満点満点かもしれないじゃん」
『満点取れる気でいるんだ……』
「俺が同点以上だったら俺の勝ちで藤華ちゃんは俺の言う事を何でも聞く!」
「むう……」
「何でも聞く」の辺りでクラスがざわついた。
藤華の耳にまた「何でもってナニ」みたいな声が聞こえてくる。
そして「名前で呼び合って」みたいな声も聞こえた。
「憲史先輩っ!」
「なに? 藤華ちゃん?」
「私の事、藤華ちゃんって呼ぶの止めてもらえませんか」
「え? なんで?」
「ししし下の名前で呼び合ってたらみんなに変に思われるでしょ!」
「じゃあ、奥さん」
クラスがまたざわついた。
「奥さんだって」みたいな声がひそひそと、
「憲史先輩、私、奥さんって呼ばれるの、イヤなんですけど」
「じゃあ、どう呼べばいいの?」
「……藤華でいいです……藤華ちゃんじゃなくて藤華さんで」
「じゃあ、藤華さん」
またクラスじゅうでヒソヒソ声。
「さん付けさせてる」みたいな。
藤華はがっくりして、
「藤華ちゃんでいいです……憲史先輩」
職員室、藤華は周囲を見回し、佐々木しかいないのを確かめて、
「佐々木先生、憲史先輩の留年の理由、聞きました」
「!」
「塚本先輩、西和大学なんでしょ」
「悦っちゃんに会ったのか」
「悦っちゃん」……塚本悦子で「悦っちゃん」だ。
「いいんですか、憲史先輩、ちょっとかわいそうですよ」
「だったら宿題貸してやったらいいじゃないか」
「宿題貸すなんて先生が言っちゃっていいんですか?」
「みんな貸し借りしてるよな」
藤華はムスっとした顔で佐々木の肩をゆすった。
それに佐々木はチラっと藤華に目をやって、
「とんでもない約束したみたいだな」
「?」
「次の小テストで勝負なんだろう?」
「はい……負けませんよ」
「その自信、どこから?」
「憲史先輩の去年の成績はなんとなく知ってるんです」
「まぁ、普通に考えると、憲史に負けたりしないよな」
「先輩の成績はいいとこ中くらいですから」
「でも『4年生』だからな」
「留年ですよね、4年なんて」
「はーい、これで終わります」
先生の一言で授業の静かさが喧騒に変わる。
クラスメイト達は教室の前や廊下側に集って、窓際後ろに座っている「藤華」「憲史」を見つめていた。
囁き合う声を聞いてか聞かでか、藤華はうつむき、肩を震わせている。
憲史はというと、いつもと変わらない風でノートを片付けていた。
そして、憲史は立ち上がると返ってきたテストをヒラヒラさせて、
「藤華ちゃん、約束だからね、宿題貸してよ」
「ぬぐぐぐ……」
「俺の勝ちだかんね」
憲史の得点は「100」。
藤華の机にも「100」点の答案用紙があった。
「同点じゃないっ!」
「同点の時は俺の勝ち!」
「認めないわっ!」
憲史はピクリともしなかったが、クラスメイト達はざわついている。
みんな口々に「約束したのに」なんて感じだ。
「インチキよっ!」
「あの先生、小テストいつも一緒なの、俺、4年で情報収集済みなの」
「むーっ!」
「俺が勝ったんだから、俺の言う事聞いてもらうからね」
「え! 宿題だけじゃないの!」
「一つなんて言ってないよ、もう、藤華ちゃん俺の奴隷だからね」
「!!」
クラスメイト達のヒソヒソがやたらとはっきり藤華に聞こえた。
「奴隷だって」「肉奴隷だって」「今月号の漫画みたい」なんて感じ。
『本当にレイプされるかも!』
藤華は早く学校が終わらないかと思った。
藤華が休み時間に学食でパックのイチゴミルクを飲んでいると、
「藤華先輩、今、いいですか?」
「優華ちゃん、どうしたの?」
「噂、聞いてますよ、憲史先輩の肉奴隷」
「ぶっ! その話はヤメテ」
「いいですけど……先輩、転校生の話、聞いてます?」
「うん、佐々木先生から聞いてるよ」
言いながら藤華は佐藤竜児を思い出していた。
「それがどうしたの?」
「高校で転校なんて、どう思います?」
「そうね……」
藤華は先日の事を思い出し、どう言っていいものか考えながら、
「佐々木先生からヤンキーさんだって事は聞いてる」
「ですか」
「それもスゴ腕の」
「藤華先輩は知ってるんですね」
「うん、5~6人相手に勝ってたみたいだし」
「先輩……昨日の雑所のケンカ、知ってるんです?」
「う……まぁ、ちょっと……」
「新聞にも出てるから、ネットだともっと出るからですね」
「なんでそんな話を?」
藤華が聞くのに、優華は伏せ目がちになりながら、
「転校生の名前は佐藤竜児、関東から九州に転校、その理由は……」
「その理由は?」
「名前を挙げるためですよ」
「はぁ?」
「佐藤はここ、九州に名前を挙げるために、転校して来たんですよ」
「なに? どゆこと?」
「先輩は、日春高校の『レジェンド』知らないんですね」
「レジェンドは伝説」
「レジェンドって暴走族があったんですよ、その暴走族の事」
「今はないわよ、いつの話?」
「はぁ、もう、先輩は……それでも風紀委員ですか?」
「だって知らないし」
「昔、5つの暴走族と警察をまとめてやっつけたのが『レジェンド』」
「警察もやっつけちゃったの? おおごとよね?」
「でも、その件以来、警察もレジェンドに手出ししなくなったらしく……」
「でもねー、それって昔の話でしょ? 今とどう関係あるの?」
「レジェンド……復活してるんですよ」
「え!」
「あの憲史先輩がそうなんですよ」
「ウソだー、絶対ないわー、優華ちゃんならともかく」
目の前の優華の方が、目の細い憲史先輩なんかよりずっとヤンキーっぽくて強そうだ。
あの4年の憲史先輩は、強がってばかりで「なさけない感」いっぱい。
藤華は目を細めて、
「あの目の細い留年生……どっちかと言うとお人好し……」
「先輩、気をつけてくださいっ!」
「え? なに?」
「先輩、あの憲史先輩の女なんですから、狙われますから!」
「い、いや、私、憲史先輩の女じゃないから」
「だって肉奴隷」
「怒るわよ!」
予備校も終わって、藤華が校舎を出た時だった。
「あの……」
「あ、佐藤くん、一緒の講義だったんだ」
藤華はふと、昼の優華とのやり取りを思い出していた。
ちょっと考えてから、
「佐藤くんは、どうして九州に? 両親のお仕事?」
「言ってませんでしたっけ……妹がいじめにあって……」
「そんな理由で……」
「あ、ちょうど妹です」
佐藤が手を振ると、女の子が駆け寄ってきた。
ショートで眼鏡の大人しそうな娘だ。
佐藤の腕にしがみついて、藤華の方をじっと見ている。
「妹の『とうか』です」
「え!『とうか』! 私と一緒!」
佐藤は困った顔で、
「ええ……だから僕は『奥さん』の方がいいんですけど……」
「え、えっと、妹さんの名前は漢字で?」
「桃の花で『とうか』です」
「そ、そう、私は藤の華で『とうか』だから、桃と藤で違うわね」
藤華は桃花を見て、
『あー、なんだかカワイイけど、いじめられるキャラかな~』
なんて思いながら手を差し出した。
「はじめまして、私は奥藤華、日春高校に通ってます」
そんな藤華の手に桃花も手を合わせると、
「は、はじめまして……私もお兄ちゃんと一緒に日春高校に通います」
「え! 高校生なの!」
「……」
途端に桃花の目が涙ぐむのに藤華はあわててフォロー。
「ご、ごめん、背ちっちゃくて、かわいかったからつい!」
「うう……中学生に見えたんですね」
「うん、ごめん」
藤華がすまなさそうに頭を下げるのに、桃花の表情がポカンとした。
表情の変化に藤華が、
「ど、どうかした?」
「い、いや、その」
「?」
「しっかりしてる感じなのに、すぐ謝っちゃうんだ~って」
微笑む桃花。
その笑顔に藤華はドキっとした。
『この娘、すごいかわいい』
藤華が桃花にそんな事を思って「ほっこり」していると、
「あの、藤華さんは日春高校ですよね」
「そうよ」
「日春高校に『レジェンド』って暴走族がいますよね」
「レジェンド」を聞いて藤華は一瞬目を曇らせたが、
「知らないわ、今、そんなグループはないと思うよ」
ウソはついていない……今はそんなグループや暴走族はいない。
じっと見つめてくる佐藤の視線に、藤華も目を逸らさなかった。
「そう……ですか」
落胆する佐藤が視線を外すのに、藤華もようやく視線を泳がせた。
『佐藤くんも……何か目的がありそうね』
憲史は車の中で、藤華が来るのを待っていた。
学校のテストで勝利して宿題のみならず、藤華を利用しようと考えていたのだ。
しかし憲史の思惑通りにならなかったのは藤華が捕まらない事だった。
学校で声を掛けようとしても、はぐらかされたり逃げられたり。
そこで、予備校帰りを狙って駅前で張っているのだ。
「……」
駅ビル前の駐車場、憲史は運転席でラジオを聞きながら待っていると……
「奥辰夫」が駅ビルから出てきて……
あっという間に囲まれて……
路地に連れて行かれるのが見えた。
憲史はすぐに車を降りると、路地に駆け込んだ。
「あ、遅かったかな?」
辰夫はボコられて、地面に崩れ落ちていた。
ヤンキーさん達は憲史を睨んで、
「なんだゴラァ!」
「いや、うちのお得意さんなんで」
そう、知らない人だったら助けに来なかった。
憲史はコンビニのレジで、辰夫をちょくちょく見かけていたのだ。
「てめぇ、ブッ殺すぞぉっ!」
定番な台詞と同時に拳にさらされる憲史。
しかしそんなパンチに耐えて、辰夫を抱きかかえると、憲史は一目散に逃げ出すのだった。
「大丈夫ですか?」
「ななな殴られた!」
「この辺、新聞でも親父狩りやってるって」
「わ、私も見たが、まさかやられるとは!」
「知ってたらちょっとは用心してください」
憲史は車を出すと、とりあえず国道の車の流れに乗った。
「き、君は何で私を助けて……」
「俺の顔、ご存知ですよね?」
「!」
辰夫は憲史の顔をじっと見つめ、パッと表情が明るくなった。
「コンビニの店員さんだ、目の細い人」
「ですよ……目の細いは余計ですよ」
「すまんスマン、助けてくれてありがとう」
憲史は辰夫がいつも買い物をしてくれるコンビニまで連れて来ると、
「一つ手前の駅で降りるといいですよ、バスに乗ればいいわけだし」
「うん、そうだね」
辰夫がショボンとした顔で言うのに、
「どうかしたんですか?」
「いや、うん、別に何でもないよ、今日はありがとう」
辰夫はそう言って、手をひらひらさせながら車を降り、住宅街の方へと姿を消した。
その後ろ姿が小さく見えたのに、憲史はとても心配になっていた。
「あ……」
辰夫が座っていた座席に鞄が忘れられていた。
『ま、買い物に来た時にでも渡せばいいか』
憲史は鞄を手にすると、中を確かめた。
「奥辰夫さんか……奥?」
憲史は首を傾げた。