「不良な彼」
藤華が学食で固まっていると、優華がニコニコ顔でやって来た。
「藤華先輩、どうしたんですか?」
「え……あ、ああ、優華……」
「なんだかすごい疲れた顔してますよ」
「私、副級長なの」
「内申稼げてよくないですか」
「級長は憲史先輩なの」
「いいんじゃないですか、あの人、なんでもやってくれそう」
「人、よさそうだもんね」
「目、細いし~」
乾いた笑い……藤華は優華の腕を捕まえて、
「ちょっと、憲史先輩がレイプマンって本当?」
「らしいですよ、噂ですけど」
「どうしても、そんな風には見えないの!」
「先輩、憲史先輩に惚れました?」
「なんでそうなるのっ!」
「だって、レイプマンに見えないんでしょ?」
「じゃ、優華は『あの男』がレイプ魔に見えると?」
「う……」
二人の脳裏で憲史の笑顔が浮かんでいた。
「いや、あの人がレイプ魔とか、話どんだけ盛ってんだか」
「でしょ」
だが、藤華の表情がすぐに晴れるのに、
「先輩、どうしたんですか?」
「憲史先輩の事、よく知ってる人がいる!」
「え? 誰です?」
「佐々木先生よ、一番よく知ってる筈だし」
「そりゃ、先生ですからね」
休み時間の職員室。
「おい、今、喫煙タイムなんだけどな」
不機嫌そうな顔をする佐々木に、藤華は煙草を無雑作に奪うと灰皿に押し付けた。
「おい、コラ、煙草高いんだぞ!」
「先生、憲史先輩は何なんですかっ!」
「は?」
「憲史先輩ですよ、どうしているんです!」
「そりゃ、留年したから……いやいや、4年コースの4年生だから」
「そんなボケはいいんですよ、留年の理由を聞いてるんです!」
「いや、4年コースの4年生だから」
「説明しろって、副級長が聞いてるんですよっ!」
「こ、コワいなぁ~」
藤華の後ろにいた優華も楽しそうな顔で、
「佐々木先生、私も知りたい!」
「……」
「憲史先輩がレイプって本当なんですか?」
職員室の空気か凍った。
先生たち全員が動きを止め、言った優華に視線が集る。
佐々木は顔をそむけ、
「憲史にも、いろいろあるんだよ、そっとしとけ」
それ以上は答えてもらえなかった。
優華とも別れて、藤華は一人考え込んでいた。
新学期初日はホームルームで終わり……クラブで残っている生徒くらいしかいなかった。
ランニングの掛け声を遠くに聞きながら、藤華は憲史の顔を思い浮かべていた。
『どう考えても、レイプって感じじゃないのよね……』
でも、さっきの佐々木の、そして職員室の空気の凍りつきようはなかった。
『どうしても……知りたい!』
思った時だった。
『憲史先輩だよね……一つ上……』
憲史は留年したけど、他の先輩達は当然のように卒業している。
『憲史先輩と塚本先輩は同級生で小学校から一緒だったよね、親しいみたいだったし!』
スマホを取り出して、塚本先輩の電話番号を呼び出した。
『塚本先輩、西和大学だったんだ』
藤華はタヌキと呼ばれる「フェンスの破れた所」を通って西和大学へ。
日春高校のお隣の西和大学は、この辺ではいまひとつパッとしない大学だ。
大抵はすべり止めで、本命に落ちたらしょうがなく行く……みたいなイメージが強かった。
西和大学の学食で待ち合わせ……すぐに塚本は現れた。
「藤華ちゃん、おひさー!」
「先輩、どうも」
「で、何、面倒くさいヤツでも現れたの?」
「先輩、憲史先輩と友達ですよね」
「うん、小学校から一緒だったけど?」
「憲史先輩が留年の理由、知ってます?」
「!」
塚本の表情がこわばるのを藤華は見逃さなかった。
「先輩、知ってるんですね?」
「う、うん……」
「レイプマンって本当ですかっ!」
「!!」
「ちょっ! 今の先輩の顔っ! 噂は本当なんですかっっ!」
塚本の顔は真っ青だった。
「憲史がレイプマン! そんな事に!」
「ほ、本当なんですか!」
「え、えっと、レイプされたのは私!」
「え?」
「だから、レイプされたのは私!」
「は?」
って、二人はテンション上がって周囲が見えず、学食にかかわらず「ついつい」声が大きくなっていた。
周囲の視線に気付いて二人は小さく咳き払いしてから小声モードへ。
『先輩、話が見えません』
『そ、そうね、レイプされたのは私……ってのは「設定」の話』
『設定?』
『私、西和には推薦で早々と合格決めてたのよ』
塚本が言うのに、藤華はちょっと思い出しながら、
「そう言えば先輩、あんまり受験受験してませんでしたね」
「西和は家から通えるし、面白い先生いるからね」
「そうなんですか」
「で、去年のクリスマスなんだけど……」
「はぁ」
「わたし、ジュースと酎ハイ間違って飲んじゃったのよ!」
「で?」
「でね、一緒にいた坂本っちゃんといつの間にかやっちゃって」
「はぁ!」
塚本はニコニコ顔でおなかを撫でながら、
「おめでたなのよ、わかる?」
「えーっ!」
「推薦とってて妊婦なんてどーよって話」
「そ、そりゃそーでしょ、取り消しとかなりそうな……」
「大学は生徒を逃がしたくない……日春高校はとりあえず面子とか?」
藤華の表情が険しくなった。
「それで憲史先輩がレイプした事になってる?」
「ピンポーン!」
『うわぁ~とんでもないっ!』
今日から授業だ。
教室の雰囲気は、実は予想してた以上にまとも、真面目だった。
授業中、教室では鉛筆を走らせる微かな音しかしない。
なのに、隣の席の憲史はうつらうつらと舟を漕いでいるのだ。
『ちょっとでも可愛そう……なんで思って損した』
窓の外も暗くなって、藤華は予備校の掲示板を前に拳を固めていた。
『絶対宮川先生の講義、入ってやるっ!』
宮川はこの予備校の人気講師、授業もわかりやすくて、藤華がこの予備校を選んだ一番の理由だった。
去年の夏の講義はなんとか入り込めたものの、それからは抽選にもれてばかりだ。
申し込みを済ませ、予備校を後にして電車に乗った時には10時になろうとしていた。
電車の窓を流れていく街灯やマンションの明かりを眺めながら、どうしてか憲史の顔が思い浮かぶ。
『先輩は知ってるのかな?』
あの様子では「レイプ魔」扱いされている事さえ知らなさそうだ。
『多分、先生は留年の本当の理由なんて言ってないよね~』
流れる明かりがゆっくりになる。
見慣れた家や店が見えるのに、藤華は席を立った。
雑所駅を降りたところで、周囲の雰囲気が悪い事に気がついた。
『駅から出ない方が……』
藤華が思った瞬間、服の背中を掴まれ、引っ張られる。
声を上げよう……思った時には口を押さえられていた。
口にかぶせられた手に煙草の臭いを感じながら、暗い細い路地に引き込まれていく。
『まずいな……』
この雰囲気は、風紀委員をやっててたまに経験していた。
ただ、風紀委員でこの空気になっても、得物があるからへっちゃらだ。
でも、今は予備校の帰りで、そんな身を守るモノなんてなかった。
って、動きが止まると、襟首をつかまれ壁に押し付けられる。
よく見かけるタイプのヤンキーさんだ。
「か、金を出しやが……」
最初に噛む辺り、弱気だって感じたんだけど……言葉が途中で止まってしまった。
「?」
相手が崩れ落ちる……ヤンキーさんの背後には新たなヤンキーさんがいた。
その新たなヤンキーさんが、
「危なかったですね」
「今も危ないと思うんだけど」
藤華が身構え、睨んで言うのに、
「助けてそれはないでしょう?」
「えー、こんな場所にいるの、やっぱり危ない人でしょ?」
藤華の言葉にヤンキーさんはジェスチャーで彼の背後を示しながら、
「僕も連中に連れ込まれたの」
見ればヤンキーさん5~6人が転がっていた。
「助けてくれてありがとう」
「早く出た方がいい」
「なんで?」
「連中倒したんで、新手が来るから」
って、言ってるそばから背後に足音。
入ってきた通路には、もう得物を手にしたヤンキーさん達が待ち構えていた。
「クソっ! もう来やがった!」
見れば5~6人なんてものじゃない、「わんさか」いる感じだ。
藤華は倒れている連中の持ってた角材を手にして、
「ねぇ、あなたは何やらかしたの?」
藤華が角材を軽く振るのを見ながら助けてくれたヤンキーさんは、
「こっちに来たばっかりで……いきなりね」
「ふうん、引っ越して来たの?」
「うん……いろいろあって……ね」
「新入りだから、やられちゃったと」
藤華は角材の重さを確かめると、ちらっと待ち構えている連中を見る。
そんな仕草に助けたヤンキーさんは、
「あんまり……こわがってないですね?」
「うん、引っ越して来たならわからないかもしれないけど、日春高校だから」
「あ、僕が転校する先です」
「!」
藤華は佐々木が見せてくれた「履歴書」の写真を思い出した。
薄暗い路地のせいで顔がイマイチはっきり見えなくてわからなかったが彼が転校生だ。
「私、風紀委員やってる『奥藤華』よろしくね」
「僕は佐藤……佐藤竜児」
「先生から転校生の事は聞いてるけど……登校する時そんな感じだったら生徒手帳取り上げるからね」
「わかりました……奥さん」
藤華はそれを聞いて表情をしかめると、
「私、『奥さん』って呼ばれるの、イヤなの、『藤華さん』でお願い」
「は、はい、藤華さん」
「で、佐藤さん……連中を突破できそう?」
藤華は言いながら、すでに倒された連中に目をやった。
しかし佐藤は首を横に振る。
「数が違いすぎる」
「むう……」
連中がゆっくりと間合いを詰めて来る。
後ずさりする藤華と佐藤、しかしすぐに逃げ場はなくなった。
そんな二人の背後で、ドアノブの回る金属音。
「!!」
ゆっくりと開かれる鉄のドアから顔を出す人影。
藤華は角材を構え、佐藤は拳を固めた。
「あ、藤華ちゃん!」
「け、憲史先輩っ!」
しばし見詰め合う藤華と憲史。
と、憲史はチラと佐藤を見てから、
「俺、お邪魔?」
「うん! 退いてください!」
藤華は憲史を押し退け、佐藤の手を取って建物の中へ、
すぐにドアを閉め、鍵を掛けた。
「初めまして、俺は居村憲史、よろしく~」
作業着の憲史は頭を掻きながらニコニコ顔で言う。
「居村憲史さん……僕は佐藤竜児、先程は危ないところをありがとうございます」
ペコリと頭を下げる佐藤に憲史は握手を求めながら、
「丁寧な人でよかった~」
「丁寧な人?」
佐藤が首を傾げるのに、憲史は二人に付いて来るように合図しながら、
「いや、俺、こわいヤンキーだったら嫌だな~ってね」
「はぁ」
「綱取興業」と書かれた軽ワゴンのドアを開けながら憲史は、
「乗って乗って、家まで送ってくよ、この辺、最近危ないから、ね」
憲史は藤華と佐藤を後ろの席に押し込むと、自分は運転席に着いて、
「新聞にも出てるだろ、最近親父狩りとか、カツアゲとかでさ」
やさしい発進を決める軽ワゴン。
すぐに藤華の表情が曇った。
「先輩っ!」
「なに?」
「なんで車、運転してるんです!」
「だから、家まで送ってくって……」
「いやいや、なんで車、運転できるんですっっ!」
「だって免許持ってるし……」
「え?」
「3年の終わり頃に、大抵みんな免許取っちゃうよ、暇だし」
「そうだ、先輩留年したんだ」
藤華は運転している憲史の背中を見て「レイプ魔」なんて思っていた。
「藤華ちゃんひどい、俺、留年じゃなくて、4年生だから」