学園一の人気者、春日井さん
「佐倉といいます。皆さんどうかよろしくお願いいたします」
都会から引っ越してきた私の転校初日は、恋愛小説や漫画の冒頭みたいな、ロマンチックな要素は一つもなかった。
昔離れ離れになった幼馴染と再会したとか、今朝十字路でぶつかった運命の王子様に会うとか、そういうのだ。
普通の私を迎え入れてくれたのは、普通のクラスメートが構成する普通の集団だったというわけである。
始業時間に行われるショートホームルームの間に、これから学友になる人たちに手短な自己紹介をすませ、私の席となった教室の角っこで1限目を終えた。
「佐倉さんって髪綺麗だね」
そう告げてくれたのは、先程友人になったばかりの九十九里さんだった。
「ありがとう、えーと、九十九里さん?」
「もーさっき言ったじゃん、岬でいいよ。私達友達でしょ?」
くじゅうく…岬はふたつ前の席で、休み時間になったら、そそくさと私の席まできて友達宣言を繰り出した。
ウェーブのかかったボブカットの、明るい髪色に似合う人懐っこい性格のようで、先程の発言も嫌味の全くないものだった。
「やっぱ都会だと、良いシャンプーとかすぐ手に入るの?」
「これ○○マートのだよ」
「嘘ダー!うちの近くのケチな店舗じゃー絶対置いてないよ!私もこんな髪だったらなー」
「そんなことないって、私よりも岬の方が綺麗だよ」
「お世辞でも嬉しいよ!実はパーマかけてるのボサボサの髪質誤魔化したいからなんだよね、ハハ」
彼女は大げさに頭をかいて、恥ずかしそうに笑う。彼女からしてみれば、これは大げさなリアクションでもなんでもないのかもしれないが。
「でも、ほんと、綺麗。春日井さんの髪みたい……」
独り言のように、彼女はそう付け足した。
「春日井さん?」
私のオウム返しに、岬は一瞬キョトンとしたかと思うとすぐアチャーという感じの顔に変化した。
どうしてそんな表情をしたの?と私が疑問を口にする前に、すぐに理由はわかることになる。
「今、春日井さんの話してた?」
「転校生は春日井さんの知り合いか何かなのかい?」
ざわざわと、自分の席で会話をしてたクラスメートたちが一斉に私と岬を囲み始めて、異口同音にそんなことを訪ねて来た。
男女問わず、クラスの三分の一くらいが私の席に群がって、まるで私が人気者の転校生にでもなったかのような錯覚さえ覚える。
……正直、こんな反応をショートホームルーム中にしてほしかった。
「ごめんね佐倉さん」
「いいっていいって」
岬は私の肩に手を置き、申し訳なさそうに謝る。
「春日井さんの話題になると、みんなすぐこうなるの。なにせ学校で一番の人気者なんだから」
「春日井さんってどんな子なの?」
続けて、そう私が尋ねたのが失敗だった。
私が質問を告げるや否や、皆我先にと春日井さんの性格やエピソードを話し始めたのだ。
春日井さんの話題は休み時間が終わった後も続き、ゴリ蔵(岬に教えてもらった)というあだ名の数学教師が教室に入ってきた直後まで続いた。
皆の話を統合すると、春日井さんは色白の西洋人みたいな肌と、ギリシャ彫刻のように整った顔立ち、長々としたまつげ、日本人形のようなカラスの濡れ羽色の艶とした長髪。近づくと、薫香が香ってくる女性らしい。噂ではモデルの仕事を何度かスカウトされて断ったとか断ってないとか。テストは常にトップで、学年の成績順にいつも名を連ねているという。
また彼女を一言で形容すると少女漫画とかにいる「お姉様」みたいな人らしく、岬によると、『よろしくてよ』っと言ってそうだと語っていた。
世の中は全く不公平である、と思った。
…でも、結果的に春日井さんの話をしたのはよかったと思う。おかげで皆との距離は転校して数分で縮まった。岬を筆頭に何人かのクラスメートとはすでに連絡先を交換する間柄になっていた。
◇
放課後になるとクラスメート達は友達同士で一緒に帰ったり、部活に行ったり、皆一様に行動し始めた。
そして私は、なぜか岬と春日井さんの元に向かうことになっていた。
それもこれも一限目を終えたさきほどの休み時間のやりとりが原因だったのである。あの後、昼休み中も春日井さんの話が続き、うっかり岬に春日井さんと会ってみたいかもと言ってしまったのだ。
岬はすぐ賛成して、春日井さん探しに付き合ってくれることになった。
正直、春日井さんのことはちょっぴりしか興味なかったが、岬との話題作りにでもなればと軽い気持ちで私もうなづいた。
それに私は部活にまだ所属してないし、引っ越しを終えて空っぽの家にいても暇だったのも確かだし、学校の中をちょっと探検したい気にもなっていた。
「ここが春日井さんの教室なの?」
「そうなのです」
私たちは廊下を渡り、2年A組の表札を掲げる春日井さんの教室前にたどり着く。というか、隣のクラスだった。春日井さん探索はすぐに打ち切られた。
「さーて、教室まで来たはいいけど、どうしようか岬。いきなり別の教室に入るのも…」
「すいませーん。春日井さんいますかー?」
私が教室前で岬に話しかけ終わる前に、彼女はすんなりA組の中に入っていった。
…フットワーク軽すぎでは?
「ちょ、ちょっと」
岬は教室のドア越しにへばりつき、手を振ってニコニコとしている。
すると、一番席の近い不良っぽそうな人がのそっと、私たちの前に立ちふさがったのである。
顔はいかつく、身長が私たちの頭二つ分くらいありそうで、私があわあわしたのは言うまでもない。
「…なんだよ」
「春日井さんいませんか?」
岬は不良の人もなんのそのという感じで、にこりとそうたずねた
…岬、根性ありすぎ。
「知らねーよ。そこに立たれたら邪魔だろう、どけよ」
「春日井さんはいいから、もう帰ろうよ岬」
私は内心春日井さんなんてどうでもいいから一刻も早くこの場を離れたかった。岬が心配だったし、転校初日に不良の人に因縁なんてつけられたくなかった。
「はー、柏、お前なー。よそのクラスの女子脅かすのやめろよ」
岬の手を引こうとしたら、不良の人の後ろ影からモデルでもしてそうなイケメンがひょっこり頭を出す。
そして先程の柏と呼ばれた不良の人は、イケメンの方を振り返って不服そうな顔をしている。
「ごめんね、二人とも。こいつ最近春日井さんに振られたんで、いろんな人に八つ当たりしてんのよ」
「ば、馬鹿うるせえよ。また言いふらすのやめろ」
柏君は顔を赤くすると、慌てて訂正する。
その様子を見ていたこのクラスの人たちもくすくす笑いだした。
「お前らも笑うんじゃねえよ、チッ」
恥ずかしそうに上ずった声で舌打ちした柏君は、同級生たちに小さな批難をする。
これが彼らの日常らしかった…なんだかクラス仲はいいみたい。喧嘩でも始まるものかと思っていたから、内心ホッとしたよ。
「わりーわりー。ま、そんな感じでさ、許してやってね。こいつ見た目の割には全然悪いやつじゃないんだ。あ、俺、勝浦っていうの。君、今日きた転校生さんでしょ?」
矢継ぎ早に、さっきのイケメン勝浦君は、私に有無を言わさず右手を差し出し握手を求めてきた。
私が左手で握手すると、彼はブンブン振り回しだす。
「は、はい」
「やっぱそうなんだね!これも運命の出会いかもしれない。俺、今彼女いないので、もしよかったらこれを機会にお近づきに…」
「えぇーと」
なんて答えればいいんだろう。
…こんなこと男子に初めて言われたものだから、ちょっとドキドキしている私がいる。
「気をつけろよ、こいつは学年あがった初日に春日井に告って振られたくせに…次の日にはもう別の女子に告白してるような男だからな。俺なんかよりもよっぽどたちが悪いぜ」
「え」
私が声をあげて勝浦君の顔を見ると、彼は目をそらし冷や汗をかき始めた。
人間ってこんなに早く汗をかけるんだね。
「そ、それでも俺の心の本命は春日井さんだからね、まだ諦めてないからね」
それはそれで、なおのこと酷いと思う。
「私も告白されたよー。すぐ断ったけどね」
「うわ」
私はすぐさま勝浦君の手を引っぺがし、岬を庇うような位置に陣取った。勝浦君はどうやら最低な部類の人らしい。先程のドキドキを返してほしいくらいだ。
「あ、おい、俺すげー誤解されてるみたいだけど!!」
「誤解でもなんでもねーだろ」
「あんたたち、いい加減にしなさいよ。二人が困ってるでしょ!」
突然の女性の声だった。
遠くグループで話をしていたその声の主は、つかつかと机を退けて柏君と勝浦君の間に割って来る。
『ゲ、委員長』
柏君と勝浦君の声が重なり、委員長と評する人物を嫌な顔でみる。
委員長と呼ばれた彼女は、確かに委員長というあだ名が素晴らしく似合う、可愛らしい見た目だった。丸眼鏡で、みつ編みで、頭が良さそうで、ちょっときつそうな目つきの、漫画とかに出てきそうな委員長キャラだったから。
「ごめんね、二人とも。実は今日は春日井さんは来てないのよ」
「あ、そうだったんだ」
「えーごめんね、佐倉さん…つき合わせちゃって」
「いいよ、いいよ、春日井さんにはまた明日会えばいいしさ」
岬は謝罪してくれたけど、私は春日井さんよりも、皆と知り合えたほうが嬉しかった。
転校初日にこんなにいろんな人と接することが出来てラッキーだったし、楽しかった。それに実は転校先で虐められたりしないかと内心ヒヤヒヤしていたのだ。
でもこの調子ならその心配はなさそうで安心した。
「…そのなんだ。二人ともまた遊びにこいよ。春日井なら明日にでも出てくるだろう」
意外にも、そういってくれたのは柏くんだった。彼は自分のうなじを触りながら照れくさそうにしている。
「…柏、お前デレるのはやすぎでしょ」
「んだと、てめぇ!」
勝浦君の挑発に柏君は怒った様子で、そのまま二人は追いかけっこを始めて教室を出て行った。なんか二人はトムとジェリーみたいだ。
「逃げんじゃねえ!」
「逃げるに決まってんでしょ!」
恒例行事みたいで、さっきまでクラスにいた人たちも、二人を追いかけて教室を出て行った。見物にでも行ったのかもしれない。
…でも一言言わせてほしい。
ごめんね、柏君。実は私もさっき勝浦君と同じこと思ったよ。
「柏くん、じゃないけど。またこっちのクラスに遊びにきてね。明日には春日井さんも教室に出てると思うから」
委員長さんも岬同様、申し訳なさそうにしている。
彼女が全然気にする必要ないのに。
結構責任感が強い人なのかも。
「そんなかしこまらなくていいよ。また明日、放課後にでも遊びに来るから。それじゃあ委員長」
「じゃあねー委員長」
私と岬は、委員長に手を振ってA組を後にした。
◇
下駄箱までたどり着いた私達は、上履きを登下校用の革靴に履き替えながら今日の反省会をしていた。やはり、何事も思いつきの見切り発車はよくないという結論に至った。
明日は朝一に春日井さんが出席しているか確認することになった。
「でも結局。春日井さんとは会えずじまいかー」
「しょうがないよ。また明日会えばいいし。でもどんな人か、見てみたかったな」
あ、でも待てよと、私の脳内にはあるひらめきが浮かんだ。
「そういえば……写真とかないの?」
「あ、そっか」
岬は可愛らしく目を点にして、口を小鳥のくちばしみたいにしてパクパクしている。
…なんとなく、今日だけで岬の性格がだいぶつかめた気がする。私もさっき気付いたばかりで、人のことなんか言えないけど。
岬は、スマフォをサクサクと弄って、アルバムに入っている春日井さんの写真を検索し始めた。すぐに「あ、これがいい」と呟く。よさげな写真を発見したようだ。
「これねー奈良の修学旅行の時の写真なんだ。A組と合同クラスだったから、春日井さんと二人のところを、一緒の班の人に撮って貰ったんだよ。私達可愛く撮れてるでしょー」
岬がストラップのたくさんついたスマホを近づけ、私に写真を見せて来る。
その写真には、金閣寺を背にした岬だけが映っていた。