2話
「おーい、ハナ」
ある日のことだ。
まだ朝が来ていない時間に、擦れた声がした。その声に、お母さんの耳がぴくっと動いて、嬉しそうに寝床から出ていった。
その後を追って、兄弟たちもとことこと歩いていく。
まだ、うまく走ることができないので、みんな揃っておぼつかない足取りだった。ぼくはというと、みんなが出ていった後で、ゆっくりと後を追いかける。お母さんの周りで楽しそうにしている兄弟を見て、あのなかに自分がいてもいいのかな、という気持ちになるんだ。綺麗な茶色の毛並みのなか、ぼくの黒い毛はどんなに汚く見えるだろう。そう思うと、どうしても足が進まなかった。
「おー、ハナ。朝ごはんだぞ」
お母さんの前にいたのは、二本の足で立つ動物だった。ぼくたちよりも大きく、優しそうな顔をしていた。あとでお母さんに聞いたら、あれは飼い主さんだと教えてくれた。どうやら人間という動物らしい。
「おー、おー。チビたちもたくさん食べろよ」
飼い主さんは曲がった腰を叩きながら、柔らかい表情でぼくたちを見る。そして、お母さんとは別のお皿に、たくさんのご飯を用意してくれた。そのお皿を見て、兄弟たちは急いで駆け寄っていく。小さな尻尾を忙しそうに振りながら、一口でも多く食べようと頭を突っ込んでいく。
その様子を見ても、ぼくは前に出ることができなかった。
ぼくがご飯の争奪戦に参加しても、みんなは怒らないだろう。むしろ、お前もどんどん食えよ、といいながら場所を空けてくれるかもしれない。
それでも、ぼくはご飯を食べる気はしなかった。
こんな自分と一緒にいてくれるだけでも嬉しいのに、お腹いっぱいまで食べるなんて許されない気がした。ぼくは彼らが食べ終わるのを、そっと遠くから見ることしかできない。
「はぁ。お前さんは、いつも食べないんだなぁ」
飼い主さんの声がして、ぼくの体が宙に浮いた。どうやら持ち上げられているらしい。ぼくは足が地面についていないことが不安になって、飼い主さんの手のなかでじたばたともがく。
「家族にイジメられているのかのぉ。困ったものだ」
細く皺だらけの手で、ぼくを優しく抱きかかえる。困ったことに、飼い主さんはたいへんな勘違いをしていた。ぼくはイジメられてなんかない。ただ、お母さんや兄弟たちが生きるのを邪魔したくないだけなのに。
……くぅん。
抗議の意味を込めて、飼い主さんに鳴いてみる。だけど、飼い主さんにはぼくの声が通じないのか、困ったのぉ、困ったのぉ、と呟くだけだった。