悩める王太子殿下の婚約事情
『婚約破棄を申し出られました』の王太子視点。色々残念ですみません。
私の名前はクリストファー・レッドフェルド。フェルド王国の王太子だ。
農業国家であるこの国は食料自給率200%を超えていて、豊かであるが、どこか牧歌的でのんびりとした空気感が特徴といえば特徴の、ごく普通の王国だ。
南の方に野心満々な国がある為油断は出来ないが、険しい山々に囲まれているので攻められ難く、よっぽどの技術革新が起こらない限りは安泰であろうと思われる。
そんな国の長男として生まれ、仲の良い両親と弟1人、妹3人という弟妹にも恵まれ、王太子として順風満帆な人生を歩んできている私だが、一つ困った事がある。
それは、婚約者のアデライン・ローズウッド公爵令嬢の事だ。
彼女は柔らかい印象の亜麻色の髪を持ち、健康的な色白の肌に薔薇色の頬が可愛らしく、少し膨らんだその頬をつついてしまいたくなる、小リスの様な少女だが、困った性癖があるのだ。
幼い頃に外遊先で知った東方の国の格闘術に興味を持ち、それが『柔よく剛を制す』という、女性の護身としても優れている武術であると知れれば、教師を呼び寄せて自ら習い、あっという間にマスターし、今では教える立場へ反転し師範と呼ばれる様にまでなった。
先日も婚約者としての公務の一環で孤児院に訪れた際、『健康な精神は健康な肉体に宿るのです!』と男女構わず格闘術で交流を持ち、シスターまでもが参加していた。今ではいたずら盛りの子供達をちぎっては投げちぎっては投げしているそうだ。子供達もすっかり逞しくなったとか。
王太子の婚約者がそんなものだから、国民たちの間でも最近格闘術が流行っているらしい。
それは、まだいい。
問題は、アデライン、アディに、私が触れられないことだ。
幼い頃に婚約を交わしてから、可愛らしいアディと仲良くなりたくて、度々交流を持とうと奮闘してきた。
だが、ことごとく失敗に終わってきたのだ。
二人でお茶をして、仲良く話す事は出来る。
私に対して顔を赤らめて一生懸命に話しているアディを見ているだけで癒されるし、彼女の話の内容は格闘術についてがほとんどなので基本スルーしているが、たまに政治的な話しも交わしている。
婚約者同士なのだからと甘い系の話しを持ち出すととたんにギクシャクしだして、非常に可愛らしい。
その可愛らしさに、触れたくなって手を伸ばすと、やられるのだ。
一番最初は、婚約直後の交流の時に、王宮の庭を案内しようと、手をつなごうとした時だった。
「アディ、庭へ行こう!案内してあげる。」
そう言って手を掴もうとしたとたん、世界が反転した。
私はいつの間にか床に寝てアディを見上げていたのだ。
「え……?」
「きゃぁ!クリストファーさま、申し訳ありませぇぇぇん!!!」
そう叫んだアディがガバッと頭を床にゴンという鈍い音がするほどに下げたかと思うと、逃げて行ってしまった。
「はっはっは、アデライン嬢は照れ屋さんなんだね。」
「ほっほっほ、そうですわね。なんて可愛らしいこと。」
「は、恐縮です。王太子殿下、娘が申し訳ありません。」
何が起こったのか分からなかったが、父王陛下と母とローズウッド公爵が話す声で我にかえった。
「え、今の、何?」
「娘が最近嵌まっている東洋の武術でございます。娘は母親を早くに亡くしまして、困難に負けないよう、逞しく育てようと思っていたのですが……。」
「逞しく育ち過ぎじゃない?」
「母親がいませんので、少々行き過ぎてしまった様ですね……。」
止める者がいない上に、アディには武術の才能があったらしく、師匠と呼ばれる教師が加減というものを忘れ仕込めるだけ仕込んでいるらしい。現在進行形で。
それからの日々はお察しの通りである。
一番最初にそんな事があった所為か、お妃教育を受ける為に城に来るアディに私が側に寄ろうとすると、逃げる逃げる。だんだん追い詰めるのが楽しくなって行ったのも悪かったのかもしれない。
公爵に師匠を紹介してもらい、こっそり格闘技を習得しようとしてみたのだが、その才能は私にはあまり無かった様で、王太子の公務の間の片手間では中々上達はしなかった。
諦めかけていた私に、ある日師匠が『柔よく剛を制す、だが、剛よく柔を断つという言葉もあります。』と、言い出した。矛盾してないか、とも思ったが、つまりは、柔には柔の、剛には剛の良い面があるという事だという。
アディには天性の才能があり、その素早さから繰り出される技はキレキレで立ち技で勝つ事は難しい。
では、どうすれば良いのか。
アディはどう頑張っても女性の身体で、私の持つ膂力にはかなわない。
寝技に持ち込めば勝機があるかもしれない、と。
強すぎても、公爵令嬢。寝技の指導は、口頭や図解でしかしていなく、女性対女性での経験はあるものの、男性対女性での訓練は行えず、そこがネックであるのだ、と師匠が呟いていた。師匠はアディに何を目指させているのか。
それからは、寝技へ持ち込む為の技と寝技の習得に絞り、私は勝機を待った。
そして……。
「アデライン・ローズウッド公爵令嬢、貴女との婚約は破棄させてもらう。」
私は、満を持してそう告げた。油断を招く為にとはいえ、こんな事を告げるのは心が傷む。
だが、散々投げられ続けた私だ。これくらい良いじゃないか。
さっきまで楽しそうにしていた表情が一転、真っ青になったアディに、早まっただろうか、いやダメだ。このままでは結婚式も触れる事なく、その後のお楽しみも何という事でしょう、となりかねない。心を鬼にするのだ。
大丈夫、アディは私を愛している。そう、呪文の様に心の中で繰り返す。
「な、何故、と、お聞きしてもよろしいのでしょうか……。」
そう、返してきたアディに、思わず口がにやけそうになったのを頑張って引き締めた。
なるべく冷たく聞こえる様に、用意していた言葉を告げて行く。
いや、別に根に持ってないけどね。別にね。
でも、舞踏会でさえ、手を握れないのはどうかと思う。
手を差し出して、それに応えようとアディも手を伸ばし、それが触れる寸前に、手を引くので捕まえようとさらに伸ばすのだが、その繰り返しの内に、シュババッと音が聞こえそうに高速で手を狙いつつ、音楽に合わせて足元だけ優雅に踊るのはもう、辞めたい。
それ以上に、私以外には普通に触れられるのが辛い。
他の貴族の男性(既婚者)とは普通に手を取り合って踊れるのだ。
私は、その度に、激しく嫉妬してしまう気持ちを笑顔で押さえつけていた。
多少、ダンスの相手に冷たい対応になってしまっても致し方ないと思う。徴税率ちょっと上げるぐらいいいよね。
その内アディをダンスへ誘う男が激減したのは僥倖であるといえる。
「婚約者とのふれあいも出来ない私にはもう、貴女との距離を縮める為にどうすれば良いのか思いつかない。」
何とか、言い切った。
本当にもう、思いつかないよ。どうしたら触れるのか。
触りたい。あの可愛いほっぺをぷにぷにしたい。
「ここまで嫌われているのであれば、婚約破棄も致し方ないと」
「で、殿下がいけないのです。」
「どこら辺が?」
つい、本気で返してしまった。あまり冷たくしすぎると、泣き出してしまうかもしれない。そうすると続ける事が困難になる。内心焦る。
だが、アディは少し怯んだものの、このままではいけないと思ったらしく、持ち直してくれた。流石私の未来の妻だ。
「ちょ、直前まで、気配を感じさせないのですもの。殿下のお側で高鳴る鼓動を何とか抑えている私にいきなりあの様な行為をされてしまったら、つい反射で身体が動いてしまうのです。」
「気配を感じさせると貴女を捕まえる事も出来ないのに?どうすれば私は貴女に触れられると言うのだ。」
「そ、それは、一言言葉をかけてくだされば……。」
え……?
「……一言、声を掛ければ良いと?」
「は、はい……。」
「アディ」
「はい。」
「手に触れても?」
「はい。」
差し出された手に、おずおずと触れてみる。え、なに?こんな簡単に?一言声って掛けたこと無かったっけ?
なんという事か。
苦い笑いがこみ上げてくる。
「アディ、肩を抱いても?」
「はい。」
アディの肩を抱き寄せる。投げ飛ばされない。
小さな肩に触れられた事に感動を覚える。ヤバい。泣きそう。
こうなると、やはり触れずには終われないだろう。
「アディ、頰にふれても?」
「はい。」
私の手が触れやすい様に、顔を少し上げてくれるアディにキュンとした。
ふわぁぁぁ、すべすべほっぺだぁぁぁ。
夢にまで見た、アディのほっぺ。つんつんしたかった薔薇色のほっぺ。
可愛い、ヤバい。キスしたい。
そう、考えながらアディを見つめていると、アディが、いいよ、とでも言うかの様に目を閉じる。
許可出た!!?
師匠、やったよ。寝技極めたと免許皆伝貰ったけど、使わずにやれたよ!!
そのぷるんとした唇に自分のそれを合わせようとした途端。
いつもの様に、世界が反転した。
もはや条件反射で受身が取れる。
「やっぱり、婚約破棄しよう。」
やっぱり、寝技に持ち込むしかないな!と、脳内の師匠が親指を立てた。
「あぁっ、殿下ぁ、申し訳ありませぇえん!!!」
技を繰り出した後のお決まりのセリフを言ってアディが土下座をする瞬間を狙って技を仕掛ける。
完全に油断していたアディに縦四方固めを掛けた。
「ふ、これで逃げられまい。」
上手くいった!やった、師匠ありがとう!感動をありがとう!!
アディに口づけが出来た!!!
ありがとう!ありがとう!この世の全てに感謝を捧げたい!!!
しかし柔らかな唇を堪能していた所為かそれとも長年の望みが叶って、気が緩んでしまったのか、あっという間に技を外され、投げ飛ばされてしまった。いつもの習慣で、受身で転がる。
「は、は、初めてだったのにぃぃ〜!!!」
そして、アディが泣き叫びながら逃げて行った。
しかし、私の心は晴れやかだ。
爽やかな笑顔で颯爽とバラ園から出て行く。遠まきに何人かの生徒が目を見張ってこちらを見ている。
私は、彼らに向かってにこやかに親指を立てた。
やっと、一本とれたよ、と。
王太子殿下の新たなる悩み事
殿下「結婚式後のお楽しみはどうなるんだろう。やっぱりいちいち声かけをしないといけないのだろうか……それはそれで楽しいかもしれない……。」
侍従「殿下、仕事してください。」
師匠
アデライン公爵令嬢の為に招聘された格闘技の師匠。アデラインに教える事が無くなった後も、この国の子供達に教えている。王太子にこっそり寝技を教えている。その訳は、アデラインのさらなる向上を狙っての事であったりして。