生命の杯/メルティ
なぜ、こういう事になったのか、ウィルは今ひとつ状況が飲み込めずにただ呆然とそれを見ていた。
朝早く、まだ人もあまり多くない広場の噴水を背に、二人が抱き合って、唇を重ねている。
一人は、わけあって一緒に旅をする事になった少女アンジェリカ。
もう一人は、大人の魅力を振りまく、昨日知り合ったばかりの美女。
なぜ、こういう事になったのか。
それを整理するために、ウィルは事の経緯を順に思い出していった。
ウィルとアンジェリカの二人は、全世界に散らばる魔石をすべて回収、破壊する旅を始めたばかりだ。ウィルとしては、そんな大それたことが出来ると本気で思ってはいないのだが、この少女の持っているものを考えると、もしかするとそれも不可能ではないかもしれない、とも思う。
ともかく、少女は本気で全ての魔石を破壊しようという意気込みで、ウィルの持つ魔石すらも破壊しようとしていた。そのため、成り行きで、あるいは交換条件として、一緒にこの旅を手伝うことになったのだ。
まずは準備が必要と、焼き討ちにあったアンジェリカの村から最初に二人が出会った町まで、山を二つ越えて戻ってきた。行きは大量の荷物を抱えていたために何日もかかったが、帰りはたったの一日半だった。
「しんどいーーつかれたーーなんか飲みたいーー」
町へと入る門をくぐった瞬間に、アンジェリカがそんなことを言い始めた。
「アホか。これから世界中旅しようってときに、たった一日歩いただけで甘ったれたことを言うな」
「そうは言ってもさー、しんどいものはしんどいんだよー。ウィルーあれ買ってー」
アンジェリカが指差しているのは道端の露天に並んでいる赤い果物だ。
「だめだ。本気で世界中を回るんだったら必要なものがいくらでもある。まずはそれを全部揃えてからだ。最初は、馬とかだな」
「う、うーー…」
アンジェリカがしぶしぶ引き下がり、何度も後ろを振り返りながらウィルの後を追って歩き始めた、その時。
「ちょっとそこのお二人さん」
女性が一人立っていた。
歳はたぶんウィルと同じぐらいで、肩よりちょっと長いぐらいのウェーブのかかった髪を揺らす、ものすごい美人だった。
思わずウィルが見惚れていると、すっとアンジェリカが間に入って一言。
「何か御用でしょうか?」
そう事務的な声で尋ねる。
「そんなに警戒しないでちょうだいな。悪いけど、ちょっと話が聞こえちゃったの。あなたたちこれから旅の支度をするんでしょう?私もいろいろ欲しいものがあるんだけど、この町って初めてだからお店とかぜんぜんわからなくて。一緒に連れて行って欲しいなーなんて思ってるんだけど、ダメかな?」
「ダメダメ、ダメだよそんなの!」
なぜ自分でもこんなにムキになっているのかよくわからなかったが、とにかくアンジェリカは猛反対だった。この女が自分のことを無視して、ウィルにばっかり話しかけているのが気に食わない、とちょっとだけ思った。
「なぜ俺たちなんです?」
訝しがるウィルに対して、女性はかわらず笑みを浮かべている。
「たまたまよ。私と似たような目的っぽいし、なんとなくこの町に詳しそうだなーって気がしただけ。目的地にまっすぐ向かってます!って感じがね」
確かに、ウィルがこの町を拠点にして活動するようになっておよそ一月が経っている。
そんなに小さな町でもないので隅々まで熟知しているわけではないが、日ごろ必要になるものがどこにあるのか、というのは大体把握している。
「まぁ、俺は別にかまわないけど…」
「私は嫌だよ!」
問題はアンジェリカだった。
女性は、ちょっとの間考えて、指を全部広げてアンジェリカの前に突き出した。
「ポムの実五個でどう?」
「おっけー。任せてよ。しっかりちゃっかりばっちり案内するよー!」
「…あっさり買収されやがって」
ちなみに、ポムの実というのはさっきアンジェリカが欲しい欲しいと喚いていた赤い果物だ。今の時期が旬で、水気をたっぷり含んでいてとてもおいしい。
「交渉成立ね。私はメルティ。仕事をしながら十人ぐらいでいろんな場所を転々としながら暮らしてるんだけど、先に着いてるはずのほかのメンバーがなぜか何処にもいなくて困ってたの。私は今朝着いたばっかりだし…誰とも連絡取れないし。あなた達は?もしかして新婚さんとか?」
「私はアンジェリカ。この人とはちょっと前に会ったばっかり。新婚さんとか、そんなんじゃ、全然ないよ」
顔を赤くして、あわてて否定している。一方のウィルは落ち着いたもので。
「ウィルだ。わけあってこれから二人で旅を始めるところなんだ。ところで、何が欲しいんだ?俺たちについてくるだけじゃ買えないものもあるかも知れないが…」
こちらは、あくまで事務的だった。
「そうね、保存の効く食料とかお酒とかと、あと調理道具とかの日用品かしら。あとはまぁ、途中でいいのがあれば適当に。そんな感じで」
「そうか。ならとりあえず俺たちの用事を済ませながらでよさそうだな。すまないが、最初は馬を買わなきゃならないから、ちょっと遠回りになるかもしれないが」
「別に気にしないわ」
「そうか、なら行こう」
そうして最初に向かった先は、馬や馬車を扱っている店だ。ウィルがそこで馬を選んでいる間、女性陣二人は外のベンチで道すがら(メルティが)買ったポムの実やらお菓子やらを広げて楽しそうに話していた。
もうすっかり打ち解けたようだ。アンジェリカを手なずけるには食べ物で釣ればいいらしい。ウィルはひとつ学んだ。
「待たせたな。次にいこうか」
「チェンジ」
アンジェリカが、ウィルのつれてきた馬を見た瞬間に言い放った。
予想だにしない一言に、ウィルの手から手綱が落ちる。
「ちょ、何が気に入らないんだ!?」
「えー…だってんなんか太ってるし…思ってたのと違うというか…なんというか…」
「ならどんな馬ならよかったんだよ…」
「もっとこうシュッっとしててさ、あーそうだ、白いのがいいな。鬣とかふぁっさ~ってなってて、真っ赤なマントの騎士が乗るような」
確かに、それはウィルの選んだ馬とは正反対の特徴だった。
「でもアンジェリカ、そういう馬は確かに見た目がいいから高価だけど、力はないし旅には不向きだからこっちのずんぐりむっくりのほうが役に立つわよ?」
「ず、ずんぐりむっくり…って」
ウィルは自分が選んできた馬を見た。
そいつは今悲しそうな顔でしょぼーんと首を垂れてはいるが、骨格からしっかりしたいい馬だ。
ちなみに、アンジェリカの言うような馬とは種類から違う。
「…わかった。これでいいよ。よく見ればかわいい顔してるし、毛並みもいいね」
よろしく、と馬の首を撫でながら挨拶を交わす。ふと、思い出したようにアンジェリカが聞いた。
「この子、男の子?」
「ああ、オスだ」
「じゃあ、佐藤で」
「は?」
意味がわからない。それがこの牡馬につけられた名前だと気づくのには少し時間が必要だった。
「よろしくね、佐藤」
ブヒヒヒ、と馬が嬉しそうな声で鳴いている。どうやら気に入ったようだ。
ウィルは釈然としないが、本人が気に入ったんならそれでいい。
「サトウって…聞いたことない名前ね。なにか意味があるの?」
「いや、特にないよ」
「そ、そうなの」
メルティが困った顔でウィルに向く。ウィルも似たような顔をしていたので、二人で苦笑した。
「で、荷台は?」
「アレだ」
指差した先にあるのは、棒を渡した戸板に車輪が二個くっついただけのシンプルなものだ。
丁度いい大きさで一番安いものを選んだ。
「チェンジで」
「一応理由を聞いておこうか」
「あれじゃ寝てたら落ちちゃうじゃないか!」
「ふむ、手押し車に満載の荷物の上でグースカ寝ていたやつの言うセリフとは思えないが…悪いが金がなくてアレ以上のものは買えないぞ」
「甲斐性なし!」
「飢え死にしたいらしいな」
「…あれでいいです」
ウィルの説得にあっさりアンジェリカは折れて、どうやって寝れば落ちないのかを考えているのか、一人でブツブツああでもないこうでもないと呟きはじめる。
さて、次に一行が向かったのは、防具屋だった。
ウィルはそこで金属の繊維を織り込んだ頑丈な服を何着か、新品では高くて買えないので中古で見繕って購入した。連れの二人はそれを面白くなさそうに見ているだけだった。
「防具屋じゃなくて、服屋に行きたいです、隊長」
アンジェリカはそばに掛けてあった服を手にとって広げてみてから、顔をしかめて元に戻す。
「これからどんなことがあるかわからないんだから、頑丈なほうがいいぞ」
ウィルはアンジェリカの言葉には耳を貸さずに、必要なものを集めている。
「あ、私も服屋さんには興味があるわ。ちょっと案内してもらえないかな?」
「ほらほら、メルティさんもこう言っていることだし!」
メルティの助け舟に高速で乗り込むアンジェリカ。
「え、ああ、うーん…ここでもそこそこいい服あると思うけどなぁ…これとかどうだ?」
それを見せたときの二人の表情をウィルは一生忘れないと思う。
「…なんか、うん、ごめん。じゃあ、服屋だな、うん、服屋に行こう。いい店を何件か知ってるんだ」
その後何軒かウィルが知っている服屋を回ったが、女性陣はずっと微妙な表情だった。
「なんというか…たしかにモノはいいんですけど…実用性を重視しすぎているというかなんと言うか…」
「そうだね。まぁなんとなくそんな気はしてたけど」
最後の服屋は、アンジェリカのお勧めの店だった。買い出しの最中に見つけて気になっていたらしい。すっかり自信を失ったウィルはいいなりだった。
服屋に行きたいと言い始めたのは彼女なんだから、はじめからこうしておけば無駄に傷つくことはなかったのに。今更ながら、深く後悔した。
「あ、これなんかいいんじゃない?」
「えー、でもちょっと高いよ?それよりこっちはどう?メルティに似合うと思うんだけど」
なんてことを言いながら、もうかれこれ一時間ぐらいはこの店にいる。
ウィルもはじめは一緒に服を見ていたが、すぐに飽きてしまって今は店の裏に置かせてもらった馬車の荷台で寝転がって地図を眺めながら旅の進め方について考えていた。佐藤はその辺の草を食んでいる。いい天気だった。
さらにどれ位の時間がたっただろうか。
ウィルは声をかけられてぱっと目を開けた。
いつの間にか眠っていたらしい。
目の前には大きな袋を抱えたアンジェリカとメルティが立っていた。
「や、お待たせ」
「おう…なんだ、えらく大量に買ったんだな?」
「でもそんなに高くはないんだよ。これなんかほら、ウィルが買った服一枚のお金で十枚は買えちゃうし。かわいいでしょ?」
そういって袋から出してきたのは、淡い色彩の薄手のワンピースだった。アンジェリカが今着ているものとよく似ている。というよりも、色がちょっと違うぐらいにしか思えなかった。
「…うん、かわいい、と、思う」
正直なところ、なにもそんな防御力の低そうな服を選ばなくてもいいのに、ぐらいにしか思っていないが、いくらなんでもそれをうっかり口に出すほどウィルはバカではなかった。
「あとは…日用品と食料と…そのぐらいか?」
買い込んだ荷物を荷台の上で整理しながら、買わなければならないものを思い出していく。
「そうですね」
最初に食料を、次に調理道具類を、そして寝具、日用品などを店を巡って買い揃えていく。買ったものは順次荷台に積み込んでいった。
こうしていると、最初にアンジェリカに会ったときのことを思い出す。メルティが買ったもは自宅に届けてもらうようだ。会計の後、店で毎回配達の依頼をしていた。
「家はリーダーが用意してくれていたんです。そこで集合する予定だったんですけど、なぜかまだ誰も来てなくて…」
「無事に全員会えるといいですね」
「ええ、会えないと困ります。もう、必要なものは人数分用意しちゃったんだから」
そう言って、小さく微笑んだ。
「今日は、本当にありがとうございました。すごく助かりました」
すべての買い物を終えてメルティを家の前まで送り届けたときには、すっかり日は落ちていた。
「あら、手紙が来てるわ」
「仲間からの連絡じゃないですか?」
「だったらいいわね」
ドアの下に挟まった手紙をスッと抜いて、ドアを開ける。髪を揺らしながら戸口をくぐり、顔だけ出して。
「じゃあ、おやすみなさい。また会えることを祈っているわ」
「おやすみーー」
「おやすみ」
簡単な挨拶だけをして、メルティは家の中に消えていった。
「さて、私たちも今日の寝床を確保しましょう!」
「そうだな。これからのことを話しておきたしい」
「えーー、やだよめんどくさい。明日にしよう、明日に」
「そういうわけにはいかん。こういうのは最初が肝心なんだ。今のうちにしっかりと…って待てよ!」
勝手にスタスタ歩いていくアンジェリカを追って、ウィルが走っていく。
それを二階の窓からこっそり眺めていたメルティが、ふと思い出したように手紙の封を切る。
それを読んですぐに、彼女の顔色が変わった。
はらり、と彼女の手から手紙が落ちる。二枚つづりのその手紙はゆっくりとテーブルの上に落ちた。そのうちの一枚が表を向いている。そこに書かれているのは、アンジェリカとウィルの絵だった。
その絵を呆然と眺めながら。
「どう、して…」
小さく呻く様に呟いて、メルティはその場にくずおれた。