聖域の囚人/ルシフェル(3)
自分の出番はここまで。これ以上は無粋になるだけだ。欲しい情報は手に入ったし今のうちに逃げよう。次に何かあったら、多分死ぬだろう。
そう考えていたとき。
「ダメだよ、そんなの!」
アンジェリカの叫ぶ声が聞こえた。
「なぜだ?この力があれば、何だってできる。こんな世界なんかぶっ潰して、新しい世界の王に、いや、神になることができるんだぞ?」
「違う!そうだとしても、私はそんなこと望んでいない。アッシュがいれば、それだけで―」
「それだけじゃダメなんだ。俺が神にならなければ―」
「そんなの関係ないよ。私がずっと一緒にいるって決めたんだから―」
「―そうか」
痴話喧嘩にしては物騒な言い争いを続けたかと思えば、アッシュは不意に黙りこくった。その貌に浮かんでいるのは、絶望だろうか。
「そうだった、全て、思い出した。アンジェリカ、お前は、死んだはずだ。十年前のあの日、俺が、この手で、殺してしまった。お前は誰だ!なぜアンジェリカの姿をしている!!アンジェリカの声で語る!!?その声で、姿で俺の前に立つんじゃない!!」
「私はアンジェリカ。偽者じゃないよ。あの後父さんに助けてもらったの。だから、生きてる」
アンジェリカが自分の胸元をはだけて見せた。
そこには、アッシュと同じような石が埋め込まれていた。
それを目にしたアッシュは正気を保てないほどの怒りを感じた。
「―まさかあの野郎、お前に…実の娘にまでそんな呪われた石を使ったのか!?」
「呪われた、石?」
「あ、ああ。呪いの石だ。その石は―」
いまだ鳴り響く警報の音もあって、距離が離れているために小声で話す二人の会話を、スネイクは殆ど聞き取ることができなかった。
断片的にもれ聞こえてくる単語から判断すると、ルシフェルがどのようにして創られたのかをアンジェリカに言い聞かせているようだった。
「―嘘!」
「嘘じゃない。俺がお前に嘘をつく理由がない」
アッシュの話を聞きながら、アンジェリカは顔面を蒼白にして何度も聞きなおしている。
しかしアッシュの答えは変わらなかった。
その時。
スネイクが立っているのと丁度反対側にあったもうひとつの扉から、軍服の男が今度は1ダースほどなだれ込んでくる。
それを誰もが認識する前に、軍人達はすばやく銃を構え引き金を引いていた。轟音とともに放たれた銃弾はジャンクの山を蹴散らし、アッシュの右肩を抉った。
即座に反撃に転じようとしたアッシュの隣で雨のように降り注ぐ銃弾の一発がついでのようにアンジェリカの眉間を打ち抜いていった。大きく後にのけぞって倒れこんだまま、ピクリとも動かなくなる。
「アンジェリカ!!」
アッシュとスネイクは同時に叫んでいた。銃弾の雨はまだ止んでいない。スネイクはジャンクの陰から一歩も動けずにいたが、悠然と立ち上がったアッシュが銃弾の雨を物ともせずに軍人達にゆっくりと近づいていく。
「殺す!皆殺しだ!」
呪いの言葉を吐きながら近づいてくるアッシュに対して、しかし軍人達も負けていない。すばやく展開して何人もで一斉射撃を続ける。
アッシュが腕を振り上げた。
それで三人が炎に包まれる。燃え尽きた軍人の後ろからも、さらに三人現れた。
そいつらは他の軍人達と違う制服を着ていた。あれは、魔導機関士の制服だ。
「悲しみの雨、"みんな死んでしまった"!」
魔導機関士が唱えたのは、魔導機関の発動に必要なキーワードだ。機関に適合したキーワードをトリガーにして、使用者の意識が現実に影響を与える。機関が実現する効果を使用者がよりイメージしやすいキーワードでなければならない。みんな死んでしまった、という言葉は、仲間を失った兵士の悲しみを端的に表すのに。
機関士が手にしていたのは銀の十字架だったが、その十字架を中心にして巨大な水流が突如として現れた。水流はまるで生きているかのように一直線にアッシュに向かっていき、水流は物理法則を無視してアッシュに絡みつき、彼を溺れさせようとしている。
「凍結、"見渡す限りの大雪原"!」
続けざまにもう一人の男が唱えたキーワードによって、アッシュを捕らえていた水流が一瞬にして凍結した。分厚い氷の中に閉じ込められたアッシュは全く身動きすることができない。
「やれやれ、まさかこの緊急時マニュアルを実践する日が来るとは思わなかったが―」
最後の一人がグロテスクな装飾を施された銃を構え、キーワードを呟く。
「貴様の精神を破壊する。インサニティ、"血濡れの魔物は死体の山の中で生き血を啜る"!」
氷の塊に向かって引き金を引いた。にもかかわらず、銃口からは何も出ていない。
「インサニティ、"最後に残った一人はナイフで自分の首を切り裂いた"」
軍人は顔色ひとつ変えることなく、もう一度引き金を引く。その瞬間、アッシュは氷の枷を粉々に吹き飛ばして、目の前で銃を構えて立つ男を睨みつけた。
その表情は怒りでも悲しみでもなく、狂気。
「インサニティ、"信じられるものは何一つとして存在しない"」
もう一度、男は引き金を引いた。
銃には何の変化もないが、アッシュの変化は強烈だった。
白目をむき、泡を吹き、苦悶の表情でのた打ち回る。そしてそれすらもすぐに収まり、全く動かなくなる。
「よし、目標の沈黙を確認。ボサボサしている暇はないぞ!急いで拘束具を付けろ!!」
男の声に従ってまだ若い兵士が後方から巨大な首輪のような鉄の塊を引きずってきた。四苦八苦して拘束具をアッシュに取り付けようとしている。
「さて、どういうことか説明してもらおうか?」
男がグロテスクな装飾銃を構えたままスネイクに近づいてくる。さて、どうやって誤魔化そうかと脳ミソをフル回転させたが、結局妙案など浮かばなかった。
スネイクが死を覚悟したその時。
「う、うわああ!」
兵士の悲鳴が上がった。振り返ると、先ほど首輪をかけようとしていた兵士が倒れていた。やったのは、アッシュだった。
「バカな!動けるはずがな―」
魔銃の男の疑問は、最後まで口にすることを許されなかった。
アッシュの腕の一振りによって、一瞬で火の玉になってしまったのだ。
「ギャオオオオオオオ!!」
しばし黙ってその炎を見つめていたアッシュが、吼えた。
一生分の恨みや悲しみを一瞬に込めたよな叫びだった。
もはや人間には見えない。獣の姿だった。
その叫びと同時に、アッシュを中心として突風が巻き起こる。それに巻き上げられたジャンクが室内を飛び回り、不運にもそれに轢かれた兵士はうめき声を上げて倒れていった。
突風はすぐに止んだが、兵士達の悲鳴は収まらなかった。獣のような雄叫びを上げながら次々に兵士に飛び掛り、その腕を、足を、力任せに引きちぎっているのだ。
もちろん兵士達も銃で応戦しているが、全く通じていなかった。
「―スネイクさん」
不意に名を呼ばれて振り返る。
そこには、目の前で眉間を打ち抜かれたはずのアンジェリカが立っていた。
「な、なぜ―」
疑問を口にしたスネイクではあったが、その理由は見当がついていた。
アンジェリカがアッシュに話していたあの言葉。アンジェリカは、アッシュと同じ魔導機関をその身に宿している。そのポテンシャルは銃弾で頭を吹き飛ばされても死なず、あそこで鬼神のごとき戦闘を繰り広げるアッシュと同じなのだ。
「話はあと。スネイクさんは、これを持って逃げて」
そう言ってアンジェリカは、バックパックから取り出した何かを投げて寄こした。
慌てて手を伸ばしてそれを受け取ると、それは手のひらに収まるサイズの水晶玉だった。
「それは、聖域の力を持った魔導機関。それさえ使っていれば、ある程度は安全だから。アッシュにどれだけ有効かはわからないけど、スネイクさんはそれを持って逃げて」
「いや、君はどうするつもりだい?それに、僕は魔導機関を扱えないんだ。こんなものを持っていても仕方ないよ」
「大丈夫。それなら使える。父さんは、そのための研究をしていたから」
言われて、手の中の物を見た。見た目は普通の水晶玉だ。そもそも魔導機関の形状は千差万別で、見た目で判断できることなど何もないのだが。
誰にでも扱うことのできる魔導機関の開発―それは、全ての研究者の至上命題のひとつだった。多くの研究者はその為に僅かでも適合率を向上させる研究を行っていたが、今だその境地に至ってはいない。
あのデタラメな出力の魔導機関、ルシフェルを生み出したメディオ博士は、人知れずそれすらも解決していたというのか。こうなると絶対に生き残って、もっと情報を集めなければスネイクの気が済まない。
それは兎も角として、残った質問の答えを、まずは確かめなければならなかった。
悪い予感しか浮かばないが。あえて避けられたその質問を、再び口にする。
「君はどうするつもりだい?」
「私は、アッシュを止める」
「どうやって?彼はどうやら完全に正気を失っているよ。止められるとは思えない」
「ルシフェルを破壊する。今の状態は、前のときと同じなの。ルシフェルが『完全』になっている分状況は悪いかも。今止められなければ、今度は町ひとつで済むかどうかわからない。今あれを破壊できるとしたら、あれと同じものを持った、私だけだから」
アンジェリカの答え、それは確かにスネイクも考えたことだ。
ただし、こんなぶっつけ本番ではなくて、一旦逃げて態勢を整えてから、と考えていた。
「しかし―」
「行って!!ここは私が食い止めるから!」
その時、完全に表情を失ったアッシュが、二人を認識すると同時に大きく口を開けた。その口から、暗闇としか表現しようのないものの塊が大量に、凄まじい速度で射出される。距離があるためにいくつかは壁や床に当たって霧散したが、その跡では金属までもがグズグズに腐敗していた。
「くっ!!」
アンジェリカが手を前に差し出すと、アンジェリカの持つ魔導機関の効果によって二人を隠すように巨大な半透明の盾のホログラフが浮かびあがった。その盾に弾かれた暗闇の弾丸は、全て地面に落ち、蒸発するように消えていく。
「殺ス!壊ス!ブッ潰ス!」
アッシュは三つの言葉を繰り返しながら、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
軍人達はすでに全滅していた。霧散した暗闇が徐々に視界を塞いでいくが、今のところ全てアンジェリカの出した盾に阻まれているようだ。
「殺ス!!」
びたん!と遂にアッシュの手がアンジェリカの元へ届いた。盾を何度も叩いているが、見た目以上に頑丈な盾を崩すことはできなかった。代わりに叩きつけた衝撃でアッシュの腕が千切れて飛んでいくほどだ。もっとも、その腕もすぐに再生してしまうのだが。
攻撃が通じないと気づいたアッシュは、まるで祈るような姿をとった。組まれた手のその奥にあるルシフェルが、これまでにないほどに光を放っている。
何かする気だ。スネイクは反射的にアンジェリカの腕を引っ張っていた。
――創世反応
地面の底から湧き出るような低い声と同時に、アッシュは腕を突き出した。
その腕から、より正確にはその奥にあるルシフェルから発せられた光は、今まで鉄壁を誇っていたアンジェリカの盾を容易く侵食し、貫いてしまう。
光はそのまま二人が立っていた場所を通過し、壁と天井の大部分を消失させた後、収まった。
熱で溶けたのでも爆風で吹き飛んだのでもなく、ただそこにあるものがなくなった、そんな傷跡が残された。あのままあそこに立っていたら、二人は跡形もなく消し飛んでいたかもしれない。
傷跡を眺めながら、カラカラの喉を少しでも潤すために、唾を飲む。殆ど意味はなかった。
なお最悪なことに、今の一撃で電気系統が破壊されたらしい。地下深くにあるこの部屋は電気を遮断されれば当然完全な暗闇になる。
「そんな、絶対不可侵の盾が、こんなに簡単に?」
自分の姿すら確認できない暗闇の中、繋いだままになっているアンジェリカの腕を無理やり引っ張って、当てずっぽうで走り出す。
ポーチからペンライトを手探りで取り出しながら、できるだけここから離れようとした。幸いアッシュの位置だけはその胸元で輝くルシフェルの光で把握できた。
その唯一の光がはためく。
またアレだ。スネイクは直感で理解して、アンジェリカを思い切り突き飛ばす。
――創世反応!
声がした直後、室内が閃光に包まれる。光はすぐに収まったのでほとんど何も見えはしないが、おそらく先ほどと同じように、巨大な傷跡を穿っただろう。
「このままじゃ逃げるったってどうしようもないな」
「大丈夫。スネイクさんをここに連れてきたのは私だから、私が何とかする。出口の場所はわかる?」
「それぐらいなら、まぁなんとか…」
「じゃあ、行って。ここは私が食い止めるから」
女の子にそんな役目を押し付けて行けるものか。格好良くそう言ってみたいところではあったが、いかんせん今の状況は手に余りすぎる。
逡巡の後、結局スネイクはアンジェリカの手を離した。
「―死ぬなよ」
「そっちもね」
走り出した次の瞬間、アッシュがアンジェリカを地面に引き倒す。
その口が大きく開かれ、口の中にあの光が見えた。
そして、それと同じような光がアンジェリカの胸からも大量に放射されている。
創世―…
二つの声が重なった。
スネイクの視界は真っ白に埋め尽くされた。
全てが真っ白になった。
何も見えない。
自分が立っているのかどうかすらもあやふやだ。
そんな中、スネイクの視界はやがて二つの影を捕らえた。
アッシュが気を失ったアンジェリカを抱きかかえていた。
その貌には先ほどまでのような狂気はない。穏やかな顔で、アンジェリカの頬を撫でていた。
「迷惑をかけた」
アッシュは唐突に言った。
「この石は呪われている。この石が、世界の全てを滅ぼしても治まらないほどの破壊衝動を起こすんだ。今回はなんとかアンに助けられたけど、その代償はあまりにも大きかったな…」
「代償?」
アッシュが視線を下にやる。その視線を追って下を見たスネイクは自分の目を疑った。
眼下に広がるのは、地球。宇宙船が飛ぶような高さに生身ひとつで浮いている。
「創世反応はルシフェルの根幹になっている力、あらゆるものを機関の動力に変換する。その力によって今、世界は光に浸食されている」
その言葉の意味を説明するように、足元の地球では自分達がいた実験場があった辺りを中心にして光の環がゆっくりと広がっていた。
実際のスケールを考えると、恐ろしいスピードで光が広がっている。
光の中心、ドーナツの輪の部分には、何もなかった。
「…あれは制御しなければ際限なく広がる呪いの光。やがて全ては無に還る。俺の力もそろそろ限界だ。せめてもの償いに、俺の残った全てを賭けて、あれを止めてみるよ」
アッシュ自身の体も、光に浸食されるようにじわじわと失われていく。自分とアンジェリカが無事な理由はわからないが、アッシュに「制御」されているのだろうか?
「グッドラック」
呟いた瞬間、アッシュの体が完全に消滅した。
同時に、重力を感じるようになった。目を閉じたままのアンジェリカと二人、どこまでも落ちていく。
目の前に見慣れない物体があることに気がついた。それは虹色に輝く水晶の塊だった。
単純な立体がいくつも組み合わさっただけのものだが、なんとなく、天使を象ったような印象を受ける。
スネイクは直感的に理解した。これが、ルシフェルの本体なのだ。
スネイクが見ている前で、ルシフェルに亀裂が入っていく。
ぱりん。
ガラス玉を砕いたような軽い音。
いや、風切り音で殆ど何も聞こえないような状態だから、気のせいかも知れない。
ルシフェルはその小さな音をきっかけにして、砕け散った。その欠片は四方八方に飛び散り、そのうちのふたつが運悪くスネイクの頭部と、心臓に突き刺さった。
そこから先のことは覚えていない。
とにかくその日、この世界から大陸が一つ、消滅した。




