漆黒の魔術師/魔術師との遭遇(1)
冶金施設が吐き出す煤に覆われた暗い空の中に、ポツリと浮かぶ黒い点があった。
よくよく見るとそれが漆黒のドレスを身にまとった女性であることが見て取れるのだが、誰も空の上のことなど気にしておらず、それぞれの仕事をこなしている。
もし、誰かが仕事の手を休めて空を眺めたら、空に浮かぶ女性を見つけて大騒ぎになっただろうが、そんな兆候はわずかもない。
ここ、コークスダウンは僻地にありながらも鉱物資源の採掘を行うことでなんとか存続してきた鍛冶屋の町だ。
山の至るところが露天掘りによって削られ岩肌を晒しており、それに隣り合うようにして立てられた建物から黒煙が立ち上る。
その上空を、黒いドレスの女性は優雅に、滑るように移動していた。
眼下に広がる煤けた町を眺めながら、何かを探しているようなそぶりで。
やがて、女性の目がある男性にとまった。
盛大なアフロヘアーをわさわさと揺らして歩く、筋肉質の大男だった。
「見ぃつけた」
女性の口元がにやり、と歪む。
その次の瞬間には、その女性の姿はそこから掻き消えていた。
まるで、はじめからそこには何も無かったかのように。
後にはただ、不気味な黒い空だけが残された。
直後、ついにその重さに耐えかねたように、黒い雲は大量の雨を吐き出し始めた。
◇
人知れずそんなことがあった三日後、アンジェリカたち一行はコークスダウンに到着した。この町を越えれば、目指す首都シルヴァーンまではあとわずかだ。
「船が出ないってどういうこと?」
川べりの船着場でアンジェリカが渡し守に食って掛かっている。ここ、コークスダウンから首都シルヴァーンへと向かうには船で川を下ることになる。
そのつもりでこの町に寄った一行だったが、いざ町についてみると三日前から降り続く雨で川が増水し、船が出せないというのだ。アンジェリカがどれだけ睨みつけても、渡し守は平謝りするばかりだった。
「仕方ないさ。雨が上がるまでしばらく待とう」
「しばらく、っていつまで?」
「俺に言われてもな」
ちらり、と見上げた空は大量の雨を吐き出し続けていて、止む気配は全くない。天気ばかりはアンジェリカもどうにもできないのか、先に進めない苛立ちをストレートにウィルにぶつけている。
「とりあえず、酒でも飲んで時間を潰そうじゃないか」
「まぁ、いつまでもこんなところで突っ立ってるわけにもいかないよな。宿を探そう」
「そうだね」
シャオ爺さんの提案を二人は完全に黙殺して、雨を凌ぐために宿を探すことにした。町にいるときぐらいは宿でゆっくりしたかった。
ところが。
「部屋がないってどういうこと?」
もう三件目だった。
「申し訳ありませんお客様。なに分この雨では船が出せませんので…」
この町鉱山都市だが、は首都シルヴァーンと国の東部を隔てる巨大な川のほとりにある交通の要所でもある。 長雨で増水した川を渡れないために、アンジェリカたちと同様に足止めされている人も多い。さほど大きくもないこの町の宿屋はすでにどこも満室だった。
「しかし参ったな、もうこの町に他の宿屋は…」
「ありません」
宿の主人が申し訳なさそうに頭を垂れた。これ以上ここにいても仕方ない。
「しかたない、せっかく町にいるのに残念だが、馬車で夜を明かすしかないな」
「ワシは別に酒場で一晩でも」
「それは遠慮しとく」
うなだれながら宿屋を出たところで、アンジェリカが何かを見つけた。
それは、山の中腹にある一際大きな屋敷だった。
「あの家とか、泊めてもらえないかな?あんなに広い家なんだから、私たち三人と馬二頭ぐらいなんとかなるんじゃない?ってかなるはず!」
「なるほど、一理あるな」
見たところ、アンジェリカの指した屋敷がこのあたりではもっとも立派だ。民家に頼み込んで泊めてもらうのであれば、大きな屋敷のほうがやりやすい。生活に余裕があるだろうから。
一向は屋敷を目指して雨の山中を進んでいく。
雨が続いているだけあって、道はぬかるみを通り越して川のようになっており、ほんの少し進むだけでも大変だった。
「こんなことなら町の家にすればよかった」
アンジェリカが何度目かの弱音を吐いた後、遂に、ようやく屋敷の前にたどり着くことができた。近くで見上げるその屋敷は遠くから見た印象以上に古びていたが、しっかりと手入れされており、古さからくる良さが際立っている。
「おお、かなりいい感じの館だね。こんなところに泊まったら殺人事件とか起きちゃいそうだよ」
「これから泊めてもらおうってのに失礼なことを言うもんじゃないよ」
アンジェリカを嗜めながら、ウィルがドアをノックしながら声を掛ける。
ややあって、ぎぃ、と扉が静かに開いていった。
「―ひっ」
小さく開いた隙間から、男が様子を伺っていた。
背の高い、痩せこけた男だった。
頭髪はなく、空ろに開かれた瞼の下には巨大なクマができて、まるで眼窩にぽっかりと穴が開いているかのようだ。
男の放つこの世のものとは思えない雰囲気に当てられて、アンジェリカは一瞬息が止まってしまう。
「―もしや宿をお探しなのでは?こんなところまで、さぞ大変だったことでしょう。どうぞ、お入りください」
その風貌に相反して、非常に柔らかな物腰で、家の男は言う。
男に勧められるまま屋敷に入った一行は、そのまま図々しくも食事の提供まで受けた。
家主の男はこの屋敷に一人で住んでいて、自ら甲斐甲斐しく三人の世話を焼いた。
これは何かあるな、ウィルはそう直感していた。
シャオ爺さんに目配せすると、アイコンタクトで同意が返ってくる。
アンジェリカにもやってみたが、かわいらしいウィンクが返ってくるだけだった。
「酒はあるかの?」
「ええ、ありますとも」
シャオが要求すると、すばやく三人のテーブルに酒が用意された。爺さんは躊躇いもせずに、一瞬でそれをあけると、次を要求している。
「おいジジイどういうことだ」
「なに、いい人そうだからもっと甘えてしまえっという意味の目配せじゃーなかったんかい?」
シャオ爺さんの返事には呆れるしかないが、こうなったら自分だけはしっかりしていよう、そう決意して神経を尖らせた。
「おいアンタ、親切にしてくれるのは嬉しいんだが、いくらなんでもここまでされたら何か裏があるんじゃないかと疑いたくなるんだが―」
「ようこそお聞きくださいました」
被せられた。
ウィルが質問を言い切らないうちに、家主の男は身を乗り出してウィルに声を掛ける。この細い体のどこから出ているのか、と疑いたくなるほどの大きな声だった。家主はそのままそっとウィルの手を取ると、祈るように先を続ける。
ぞわっ、とウィルの背筋に冷たい汗が流れたのは、緊張のためだろうか。
「実は先日、私の大事な宝を奪われてしまったのです。そう、ウロボロスを名乗る男に。それ以来食事ものどを通らず睡眠もろくに取れない有様でして…旅のお方、どうか、私に力を貸してください。その男もまだこの雨で足止めされております。今ならまだ、取り返せるかもしれないのです」
「なぜ俺たちに頼む?そういうのは町の自警団あたりの仕事だろう?」
男は、ため息を漏らしてウィルの質問に答えた。
「いえ、町の連中は相手がウロボロスだというだけで腰が引けてしまって、誰も手を貸してくれないのです。大それたお願いだとは存じておりますが、どうか、私に手をお貸しください。もちろん、それ相応のお礼も致します」
男は体を折って、ついにはその場に突っ伏して、祈るようにして言った。その姿に心打たれたわけではないが、ウィルには思うところがあった。
それは、相手がウロボロスだということだ。
ウロボロス。この世界で最強、最悪の集団。
いくつもの魔石を抱え、勢力を拡大し続けている。そんな連中が奪った宝とは、もしかすると。
「ねぇ、その盗まれた宝物っていうのは、もしかしてダークローダーなのかな?」
アンジェリカが問う。ウィルからウロボロスについて聞いていたアンジェリカは、ウィルと同じ結論に達したようだ。
「さようでございます」
男はさらに頭を低くして、床にこすり付けるようにしながら言った。
「どうする?これからウロボロスにケンカを吹っかけようってんだから、ここらで一つ予行演習ってわけじゃないが、やってみるのも悪くはないと思うんだが」
「そうじゃのう。じゃが、まだたった三人の勢力じゃ。ここで事を荒立ててあちら側にわざわざワシ等の存在を知らせてやることもないとも言える」
「アンジェリカ、お前がリーダーだ。お前が決めろ」
ウィルはそう問いながらも、アンジェリカの答えを大よそ予測できていた。そして、その予測どおりに―
「ブッコロ!」
やる気満々だった。
そして、ウィルたちは主の願いも叶わないであろうことも確信していた。
視界に入った魔石はすべて破壊、それがアンジェリカの基本指針なのだから。
かくして、一行は館の主、茶月の依頼を受けて、この町にまだ居るはずの簒奪者を探し出すことになった。
夜中に茶月がウィルの寝床に「こんな事しかできませんが…」などと頬を赤らめて忍び込んできたときにはこの世の終わりかと思ったが、なんとか撃退して無事朝を迎えることができた。
「アンジェリカ、無事だったか?」
「何のこと?特になにも無かったけど?」
昨夜の最悪の出来事を話すと、一言「惚れられちゃったんじゃないの?」とさらに気分の悪くなるような答えが返ってきてしまったので必死でそれを考えないように頭の隅へ追いやる。
そうこうしているうちに、館のロビーに茶月を含めた全員が揃った。
「では、参りましょう。私のダークローダーを奪った賊は、町外れの宿に滞在しているはずです」




