嫌われてしまったの?
結局、ゆっくりと馬を進めてくれたからか、宿に着いたのは日が沈んだ後だった。外に漏れる灯りを見ただけで、ホッとする。
レオンは町の警備に先ほどの男を引き渡すとかで途中で別れたから、もうすぐここへ戻って来るはずだ。
ガイウス様に馬から降ろしてもらい、明かりの灯る宿の食堂へと彼の後ろから入っていく。
入るなり、レイモンド様と兄の厳しい視線に晒された。迷惑をかけてしまったのは自分だから覚悟はしていたが、やっぱり怖い。着せてもらったままのガイウス様の上着を両手でギュッと握り締める。
「わたし…あの…本当に、ごめんなさい。」
深く頭を下げる。軽率な行動をしてしまったから直ぐに許してもらえるとは思っていないけれど、後悔して深く反省している事は、伝えておきたい。
ガタンッ
黒く染めた髪の兄のヴォルフが、腰掛けていた木の椅子から立ち上がり、近付いてきた。
「お兄様、本当に、ごめんな…さ」
バシンッッ
最後まで言わせてもらえなかった。
義兄の振り上げた手に、頬を打たれた。
ショックだけど、不思議と頭は冴えている。
「!!!」
レイモンド様とガイウス様が息を呑む音が聞こえた。
加減してくれたのだろうが、打たれた左の頬が痛い。初めてだ。私は初めて、兄を本気で怒らせてしまった。
降ろしている両手を握り締め、痛みに耐えながらもう一度謝る。
「お兄様、ごめんなさい。私がバカだったせい…」
「お前は私の妹ではないっっ!!」
ヴォルフが怒鳴る。
ショックだった。
ショックのあまり、目を見開いて兄の姿を凝視する。
叱られているのは私なのに、目の前に立つ義兄のヴォルフの方が苦しそうだ。端整な顔が私のせいで辛そうに歪み、アイスブルーの瞳が揺らいでいる。
普段、感情を表に出す事がほとんど無い人だから、余計に驚く。私は、大事な兄を、こんなにも苦しめてしまった。
兄は激怒している。
もう私を、軽率でバカな私を、自分の妹とは思いたくない程にーー。
ヴォルフは一旦感情を落ち着かせるように黒くなった自分の髪をかき上げると、そのまま後ろを向いて食堂を出て行った。
どうしよう……。
歳が離れていた事もあって、考え得る限り兄妹喧嘩なんか一度もした事が無い。
ヴォルフはいつも、私を甘やかしてくれていたから。
まさかこのまま、私の事を嫌いになったまま、何処かへ行ったりしないわよね?
不安で、胸が痛い。
兄のヴォルフに本気で怒られた事で、私はようやく自分が犯した事の重大さに気がついた。
呆然と立ち尽くす私に声をかけてきたのは、赤い髪になったレイモンド様。
「あーあ、私が最初に怒ろうと思っていたのにね。でも私も入団以来初めて、あんなに焦るヴォルフを見たよ?見つかったと連絡があってここで待っている間も、相当落ち着かなかったようだしね。
一歩間違えれば遭難したか死んでいたかもしれないから、当然と言えば当然だけどね。
明日にはリンデルに入るから、君も髪を染めるといいよ。」
特にお咎めも無く、彼も去って行く。だからこそ、余計にこたえた。
怒ったり、罵ったりしてくれた方が余程いいのに。
「あのね、アリィちゃん。君は旅を楽しんでいたかもしれないけど、これは国の為の大事な仕事なんだ。そして君は中心人物で、この旅には欠かせない。
だから、一人で行動することもダメだし、きちんと護衛を付けなければいけない。最初に言っておかなかった俺達もいけないんだけど、これからは気をつけてね。
茶色の染料は俺の部屋にあるから、後で取りに来るといい。あと、レオンが帰ってきたら、まず俺の所に来るように言っておいて。」
「はい、ガイウス様。」
彼は私を気遣ってか、どこまでも優しい。
「あ、あとね、アリィちゃん。」
「何でしょう?」
「さっきのヴォルフの言葉は、多分君が思っている意味とは違うから…。」
「?????」
「わからなかったら、後でレオンにでも聞くといい。」
そう言うとニヤッと笑って彼も出て行った。
なぜ、レオンに?ここに居なかったのに…。
家族の中で、私はすでに嫌われていたってことかしら?
悶々と考えながら、私はレオンの帰りを待った。おかげで怖い思いをした事も、襲われそうになったことも、この時点では忘れていた。
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しばらくして……
ガタンッ
扉が開く音がする。
入ってきた背の高い男性は、弟のレオンだった。
「アリィ、まだこんな所にいたのか。
!!!どうした、その頰は!」
「あっ。」
考え事をしていたせいで、すっかり忘れていた。兄のヴォルフに叩かれた跡。
レオンが私の顎を持ち上げ、顔を近付けてまじまじと覗き込む。
「細かい傷もついてる。きちんと消毒しないといけないから、後で来て。」
こくんとうなずく。
茂みや葉っぱの切り傷だ。
優しくされたからといって、泣いてはいけない。悪いのは、私、なんだから。
レオンは労わるような痛ましいような目でもう一度私を見た後、そっと優しく抱き締めてくれた。髪を撫でながら、耳元で囁く。
「助かって良かった。何があったとしても、戻って来てくれて良かった。俺がついていかなかったせいで、怖い思いをさせてゴメン。」
目を閉じて、慌てて首を振る。涙をこらえているから、声が出せない。私はみんなに、こんなに心配をかけていたんだ…。
頰にヒヤリとしたものを感じる。その後で、目の横にぺろっと濡れた感触が。
レ、レオンが傷を舐めてる〜〜!!
ズサっと後ろに飛び退る。
「ふっ、それだけ元気なら大丈夫そうだ。俺に何か伝言、無い?」
あ、忘れてた。
「ガイウス様が戻ったら直ぐに来るようにって。」
義弟は真面目な顔でうなずいた。
「わかった。じゃ、消毒するから後で、また。」
目を見開く。消毒って、まさかこれじゃあ?
「ハッ、大丈夫だよ。今のは冗談。ちゃんと薬で消毒してあげるから、後から来いよ。」
「わかった。後、聞きたい事があったんだけど…。」
歩き出したレオンを引き留める。
「何?」彼が振り向く。
「お義兄様……ヴォルフが私の事を、
お前は私の妹ではないって言ったの。
そんなに嫌われてたなんて知らなかった。」
思い出すだけで、ショックで泣けてくる。
「あいつ!!とうとう本性出してきたか。」
「レオンは、知ってたの?」
「ゴメン。長くなるから戻ってから話す。取り敢えず、アリィは自分の部屋で待ってて。」
これ以上迷惑はかけられないので、黙って首肯する。なんだ、レオンも知っていたのね。
暗い気持ちでのろのろと自分の部屋に戻る。
憂鬱な夜になりそうだった。




