二つの月
兄弟揃って明日からいなくなると聞いたせいで、何だか少し眠れない。無理をしてはいけないけれど、どうせ眠れないなら……。私は机に向かってアイリス様への手紙を書くことにした。
黒い陰に囚われて眠ったままの年月は、私の意識では数日。けれど実際は、結構長い時間が経っている。その間に起こったことも人から聞いただけだから、手紙に何を書けば良いのか本当に迷ってしまう。
アイリス様と私が巻き込まれたお店――事件に関わっていた店は、その後取り壊されたと聞いている。すぐに会いに行きたくても、彼女のいるエメンタール侯爵領はここから遠い。どんな所かも良くわかっていないので、もっと勉強しておけば良かった。
ありきたりな文面しか思いつかない。
アイリス様、お元気ですか?
私は元気です。
今、何をされていますか?
私は……
【黒い陰】の事件さえなければ、アイリス様は昨日もお見舞いに来て下さったのだろうか? みんなと同じように冗談を言って、笑い合えたのだろうか? 一緒にいて楽しかったはずの時間まで、たった1回の不幸な出来事のせいで否定されてしまうのは悲しい。 けれど、今の彼女がどんな考えでどんな暮らしをしているのか、全くわからない。だからこそ、適当な事を書いてはいけないんだと思う。
考え過ぎて途中で書くことを思い付かなくなったので、諦めてペンを置く。う~んと伸びをして、気分転換に外の空気を吸いに行こうと思い立つ。
バルコニーに続く扉をそっと開け、外に出た。すっかり夜も更けて、空には2つの月が光っている。何かある度に、私はこの夜空を見上げて、異世界にいる自分の存在を確認してきた。日本とはまったく違う、けれど愛すべきこの世界――
この前ここで、ゆっくり月を見たのはいつだっけ? 手すりにもたれて夜空を見上げ、感慨にふける。
カタン
隣の部屋の扉が開く音。
そうそう、前もこんな感じ。
バルコニーに出てきた人物も以前と同じ。
既視感を感じて隣を見ると、そこにはあの頃とは違う、大きな弟。
けれど今、私が彼を通して見ているのは、あの頃の天使のような小さな弟。まだ幼いのに必死に背伸びをして、大人ぶっていた可愛いレオン。あの頃の私は小さな彼に「お姉ちゃん」と呼ばれたくって、必死だったっけ。毎朝レオンに抱きついて、「大好き~~」というのが楽しみだったっけ。
この世界に戻って来たのは嬉しいけれど、代わりに私は何を失くしたのだろう?
一緒にいられたはずの時間。
笑って過ごしたはずの記憶。
小さなあなたの成長を、本当は一番近くで見守りたかった。
もし私に何事もなければ、あなたは今でも学者になろうとしていたのかしら? 同じ家庭教師の下で切磋琢磨しながら、私と二人で勉強に励んでいたのかしら? 問題を先に解いて得意げな表情をしていたあなた。ぎゅーっとハグする度に、もがいて横を向いていたあなたが懐かしい。
あの頃の私は、可愛らしい声で「お姉さん」と呼ばれるのを夢見ていた。ふざけて笑い合う日々が楽しくて、一緒にいるだけで幸せだった。弟ともっといろんな話をしたかった。お料理だけでなく、二人で挑戦したいことはまだまだいっぱいあったのに……
大きなレオンが、自分の部屋のバルコニーから私を見つめる。明日騎士団の寮に戻るから、彼も眠れなかったのかしら?
綺麗な金色の髪が、青白い月の光のせいで今は少し白っぽく見える。青い瞳は何も語らず、こちらを見る真剣な表情も、何だか知らない人みたい。すっきり整った顔は成長したせいで、4年前とは大きく異なってしまった。背の高い弟を、もう『天使』とは呼べない。
小さな弟はもういない。
ここにいるのは、大きなレオン。
私の知らない時を過ごして、大人に近づきつつある綺麗な弟。
二つの月があまりにキレイだから、今夜は柄にもなく感傷的な気分になる。失ってしまった時の重さを知り、涙をこぼす。そんな私を見て、彼は慌てて駆けよって来た。
「どうした、アリィ。突然泣き出すなんて」
「う……ごめん、目にゴミが」
「嘘だろ。まあいいや、よく見せて?」
レオンはそう言うと、私の両頬に手を添えて上を向かせた。弟の端麗な顔が目の前に近付く。長く伸びたサラサラの髪が顔にかかってくすぐったい。心配そうな青い瞳になぜか胸の鼓動が跳ねて、どうしていいのかわからなくなる。
「だ、大丈夫だから! もう取れたみたい」
慌てて離れようとするけれど、顔を包む両手が離れてくれない。弟はそのまま、長い人差し指で私の涙をすくった。
かと思えば、その指を自分の口元に持って行き、ペロッと舐めた。
ど、どどどーした?
弟よ、そんなん舐めても美味しくないから。
っていうより、ちょーっと色気があり過ぎじゃない? まだ15歳だよね。なんだかちょっと……いえ、かなり負けているような気がして、悔しいんだけど。
しばらく見つめ合っていた。
以前の面影を探して。
「で? アリィ、少しは落ち着いた?」
レオンがクスクス笑う。
青い瞳が楽しそうに煌めいている。
やっぱり私の言い訳、まったく信じていないよね?
今だけ同い年の義弟が、今夜は何だか大人に見える。ま、まあこの前も慰めてもらって、頼りになったんだけど。
このままではいけない。
姉の威厳を示さないと!
「ええ、ありがとう。外は何だか埃っぽいから……」
「そうかな? 空気も澄んで気持ちのいい夜だよ?」
く……『目にゴミ説』を押し通そうとしているのに。
「それなら、俺の部屋で朝まで語り合う? もちろん、アリィの部屋でもいいけど」
いや、さすがに姉弟とはいえこの年ではもう無理だから。昔とは違い、朝、ベッドに潜り込んで可愛いレオンを起こすことももうできない。そう考えると、止まったはずの涙が新たに浮かんできた。
楽しかった日々は、もう二度と戻らないんだ――
「え? いや、アリィ、冗談だから。ゴメン、ちゃんとわかってる。だから泣かないで」
はらはら涙を流す私とおろおろする弟を、二つの月が笑って見下ろしていた。




