君のいない世界は
その報告は昼近くにレオンにもたらされた。
早馬を跳ばしてきた公爵家の使いが言う。
「アレキサンドラ様がお目覚めになりました! 元気でいらっしゃいます!」
耳にした事実が信じられない。
怖くて、でもどこかで期待し待ち望んでいた報せ。
寮の近くの武器庫で武器や甲冑を磨いていた時に、正騎士の一人に呼び止められた。彼が連れていたのが公爵家の使者。用件を聞くなり、慌てて騎士団長に面会を求める。
「見習いの分際ですみません。半日だけ、外出の許可を下さい! 身内が回復したというので、会っておきたくて」
今の俺は近衛騎士団の見習い。
訓練と並行して従者の仕事をしている。
騎士団長は赤い髪のガイウス様。
気さくで人望もある彼に、突然の外出を願い出る。
部屋で待ち構えていたガイウス様は、当然、という風に頷いて下さった。兄ヴォルフの同期で親友だからか、アリィが目覚めたという事実をとっくにご存知だったのだろう。彼は我が家にも何度か来たことがあり、5年前のアリィの誕生会以来の知り合いだ。
「せっかくだから、実家でゆっくりするといい」
外出許可を休暇の許可に変更して下さった。
右手を胸に当てて騎士の礼を取り、尊敬と感謝の念を表す。
せっかくだからお言葉に甘えてゆっくりしてこよう。
昔のように少しでも長く、彼女の側にいたいから。
一旦寮へ戻り着替えをする。
荷物をまとめる時間がもったいない。
必要最小限にとどめ、馬に飛び乗る。
王城の正面に出ると、兄のヴォルフが待っていてくれた。
「私も先ほど連絡を受けたところだ。一緒に帰ろう」
兄と共に馬を全力で駆けさせ、久しぶりの我が家へ向かう。アリィが、大切な人が目覚めたという我が家へ!
彼女の無事を確認するまで、まだ安心はできない。けれど、嫌が応にも期待は高まる。逸る心と昂ぶる感情を抑え、冷静になろうと努力する。騎士はいつでも、己を律しなければならないから。
「ようやく目覚めた」という報告が、事実であって欲しい。祈るような気持ちで、公爵邸へ向かっている。近いはずの道のりが、やけに遠く感じられる。
願い事はただ一つ。
貴女が生きてこの世に在ること。
魂が抜けた状態では、生きているとは言えない。
『今日も息をしているだろうか、明日はまだ大丈夫だろうか』
そう考えながら過ごす毎日は、不安でいっぱいだった。側にいながら何もできない自分が、心底嫌だった。
4年前、まだ元気だった頃のアリィの最後の言葉。それは、事件の起こった例の怪しい店の中で言われた。
「ちょっとだけ着てくるから、寂しがらずに待っててね」
アリィは綺麗なドレスを持って、店員に連れられアイリスと一緒に店の奥へ消えていった。いたずらっぽい笑顔だけを俺に残して。
『ちょっとって何だよ、長過ぎだろ。寂しくないわけないだろ、ずっと寂しかったよ!!』
心の中で叫ぶ。
冗談で言われた言葉が本当になるとは思わなかった。
あの時きちんと答えていれば、今こんなに後悔はしていなかったのだろうか?
チラッと横に目をやる。
隣で馬を駆る兄のヴォルフ。
緊張しているのかそれとも可愛がっている妹の事が心配なのか、彼もまた俺と同じように顔を強張らせている。4年ぶりに起きた妹との対面ともなると、『氷の貴公子』も冷静ではいられないようだ。想いを既にアリィへ馳せているのだろう。
アリィ、君は本当に目覚めたのか?
以前のように明るく、俺達に笑いかけてくれる?
「レオン、大好き~~!」と、言ってくれるのかな。
話したい事がいっぱいあるんだ。
俺が騎士団にいると知ったら、アリィは何て言うだろう? 君を守るために強くなりたいと願っていると知ったら、何を思うだろう?
以前より背は伸びたし、声も低くなった。
15歳になったし、鍛えて筋肉もついてきた。
もう、可愛い弟だなんて言わせない。
大人になったと少しは認めてくれるだろうか?
それともまだ、子供扱いするのかな?
目覚めたばかりの君に、何て声をかけよう。
俺を「レオン」と嬉しそうに呼ぶ君に。
君のいない世界は、まるで底無しの暗闇のよう。
頑張ろうと自分に課せば課す程、出口の見えない袋小路に迷い込んだようだった。
君のいない世界は、色のない景色のよう。
何を見てもどこにいても、感動することができなかった。
君のいない世界は、時を止めた時間のよう。
心が麻痺してしまって、笑い方すら忘れてしまった。
この苦痛が永遠に続くかもしれないと、恐れていた。
君のいない世界……君の微笑みの欠けた世界は、今日でもう終わるのだろうか?
出来る事ならいつだって、明るい君の近くにいたい。少なくともアリィが元気でいるのなら、それだけで俺の毎日は幸福で満たされる――
到着した公爵家、滅多に帰らない我が家が今日は少し明るく見える。庭の芝も青さを増し、咲く花も色鮮やかに美しく感じられる。手綱を厩番に渡すのさえももどかしく、すぐに屋敷の中へ駆け込みたい気分でいっぱいだ。出迎えてくれた使用人の様子から、否が応にも期待は高まる。
アリィ――
俺とヴォルフは、君のいる部屋の扉を勢いよく開けた。




