行かないで!
「あれれれれ?」
なぜか外に出てしまった。
ここから離れにでも移動するのかしら?
でもここはどう見ても店の裏の路地で、離れがあるとは思えない。
問いかけるように店員さんを見ると、彼女は他の人が出て来る前に中からカギをかけ、私達二人を閉め出してしまった。
「お帰り下さいってことかしら?」
私は肩を竦めてアイリス様の方へ振り向いた。
そのアイリス様の表情がおかしい。
口の端を上げて笑っているのに、眼は笑っていない。
「アイリス様、どうなさったの? ビックリなさって具合が悪くなったの?」
手を伸ばして近づこうとすると、サッと後ろに飛び退かれてしまった。
「やめて、触らないで!」
きつい口調で彼女が言った。
私は驚き、伸ばした手を引っ込めた。
彼女のあまりの豹変振りに、私は一瞬頭が真っ白になってしまった。
どうしたの? 何が起こったの?
アイリス様が興奮したような声で私に怒鳴った。
「私は貴女が大嫌い。家柄も権力も、優しい家族も、お金も、何でも持っている貴女が大嫌い!」
はっきりと拒絶されている事はわかった。
でも突然、どうして?
それに、彼女が今までそんなことを考えていたなんて全く気が付かなかった。いつも優しく笑っていたのに……
あの表情は、ずっと仲良くしてくれたのは、嘘だったと言うの?
「どーしたの? アイリス様。何か悪い物でも食べ……」
「てない! 貴女はいつもそう。冗談めかして笑っていて。他の人を褒めておきながら、注目されるのが当然のように振舞っている」
「え? 私がいつそのような事を?」
「いつもじゃない! 可愛いクセに地味だなんて言いまくって同情を引いて。でも結局美味しい所は全部一人で持っていくのよね? そうやって、王子も王弟も騎士様も全部騙して自分の味方につけて。何が地味よ! バカにしないで!」
褒められているような気がしたのは気のせいだろうか?
美少女のアイリス様に可愛いと言われるのは悪い気がしない。だけど、どんどんヒートアップしていく彼女の後ろに、なぜか黒い陰のようなものが見える。
「アイリス様、危ない!」
どんどん大きくなる黒い陰。
その闇に呑み込まれそうになった瞬間――
私はドンっと彼女を突き飛ばした!
壁側によろけるアイリス様。
「ああ良かった、助かった」
けれどその闇は、今度は私を呑み込もうとしている。
『君の記憶を見せてもらったよ。随分苦労してきたんだね? 前世でも今世でも、友達だと思っていたモノに嫌われて疎まれて。姿形が変わっても、結局君は変わらない。努力は決して報われない。でももう大丈夫。苦しまなくて良い世界においで』
甘く優しく闇が囁く。
あ。これってダメなヤツだ。
前世でイジメにあって自分の事を嫌いになってた時の気分と一緒。カッター見つめてボーっとしたり、死んだら楽かもって考えちゃったりしてたもんな~。
気づけば黒い闇に半分以上身体が呑み込まれている。
焦って後ろに下がろうとするけれど……
う、動けない!
闇の中では声すら出せない。
私、また死ぬのかな? そんな思いがチラッと頭をよぎった。
そして私は、闇に呑み込まれた。
最後の記憶は足に縋り付いて必死に叫ぶ、誰かの悲痛な声だった。
*****
「アリィが遅過ぎる……」
店内で待っていた俺、レオンはようやく異常に気が付いた。
もともと鏡を見てへらへら笑うのが好きな変わり者ではあったが、これはいくらアリィでも時間がかかり過ぎだろう。軽く着るだけだと言っていたから、そんなに遅くはならないはずだ。
店内でウサギがモチーフの髪飾りが目に入り、気になってしまった。
アリィにプレゼントしたら似合うだろうか?
こちらの小物入れの方が喜ぶかな?
柄にもなく見入ってしまった。
あれから結構な時間が経っている。
アイリス嬢もまだ戻って来ていない。
護衛達も何だかソワソワしている。
何かがおかしい。
いつもなら決してプライドが許さないけれど、不安で堪らないこの状況を打開するためには仕方がないか。子どもだから許されるハズ!
「お姉ちゃ~~ん」
青い瞳に涙を滲ませ、できるだけ可愛く幼く見えるように奥の部屋へ走っていく。もちろん店員に止められたが、振り切って全速力で駆け抜ける。後ろが何やら騒がしい。店員と護衛が揉めているのだろうが、そんな事は関係ない。
バタンッ
ドアを開けて飛び込んだ部屋にアリィはいない。
長椅子の肘掛け部分にラベンダー色のドレスがかかり、その横に黄色いドレスを持った侍女のエルゼがグッタリ倒れていた。
「何があった!」
大声を出して揺さぶるが、彼女は起きない。
最高にイヤな予感がする。
無駄に豪華な室内を、焦ってキョロキョロ見回す。
すると、向こう側に目立たない扉を見つけた。
店員に追いつかれる前にと、バンッと勢いよく扉を開けた。
そこは、店の裏の路地。
昼だというのにものすごく暗い。
アイリスが立ち尽くして何かを凝視していた。
暗いのは、大きな陰のせい?
陰の中に何かが見える。
「邪魔だ、どけ!」
俺はアイリスを突き飛ばした。
その先に見たものは、真っ黒な闇に呑み込まれようとしているアリィの姿だった。
「アリィ、行くな、戻れ!!」
俺はとっさに駆け出すと、歯を食いしばって必死にアリィの足元に縋り付いた。
子どもの力では引きずられてしまう!
「頼む、誰か……」
歯を食いしばりながら声を絞り出す。
はるか後方で、怒鳴り声とガチャガチャ鎧のような音が聞こえた。
「誰でもいい! 頼むから、誰か助けてくれ!」
俺の小さな身体ではどんどん引きずられてしまう。
アリィの身体はもうほとんど呑み込まれて、闇に隠れてしまった。彼女の足を必死に掴んでいる俺の腕も、半分以上が見えなくなった。自分が陰に呑み込まれる恐怖より、彼女を失う方が怖い!
「お願いだ、アリィ。行かないで!」
渾身の力でアリィを引っ張りながら、俺は絶叫した。