その頃の王子
年末は、とにかく慌ただしい。
新年を迎えるにあたり、父王の決済事項や『年内に』との嘆願書、貴族からの請願がいつもの月の倍以上になるからだ。みんなもう少し前倒しで動いてくれたら、と今年も思う。
文官だけでなく、武官も忙しさのあまり青い顔をしている。父も、宰相も護衛のヴォルフももう倒れそうだ。せめて今年最後の日くらいは、もう少し余裕を持ちたい。
書類に目を通し、招待状やイベントなどの参加の有無にサインをしていると、彼は突然現れた。
「やあ、リオン。年末は今年も大変そうだね。あ、私は最終日は宰相の家に行くから。愛しのアレキサンドラちゃんに伝言があったら聞いておくよ~?」
レイモンドの目がニヤニヤ笑っている。
一瞬ムカっとしたけれど、敢えて表情には出さない。
「ご冗談を。叔父上にも父と同じく決済事項がかなりあると聞きましたが。淑女達からのお誘いにもきちんと返事をしましたか?」
「あーあれね~。もちろん終わっちゃったよ? 今日の分が回ってくるとは思うけどね。レディーへの返事はまた今度。私が誰か一人に縛られるのは、まだ早いと思わない?」
クスクス笑いながらおどけた表情で近づいて来る。
この人はいつもこうだ。
ふざけているように見えて、仕事は手堅く頭の回転も早い。察しが良く計算高いから、付き合う令嬢達にも深入りはしない。
けれどいつも軽薄そうに振る舞うから、王弟の派閥や次期王にと望む声はほとんど存在しない。そうやっていつも王家を守ってくれている。僕は叔父上には敵わない。
「アレクには手紙を書くから、それを。ヴォルフには書類の整理とチェックをお願いしているから、早く終わらせるように努力する」
彼女の兄ヴォルフは武官だが、優秀なので文官として僕の仕事も手伝ってもらっている。
「了~解。リオン、頑張り過ぎて無理するなよ~」
ヒラヒラと手を振って、言いたいことだけ言ったレイモンドが出て行く……と思ったら、彼は振り返ってこう続けた。
「リオンはアレキサンドラちゃんをアレクって呼んでるんだ。長い名前だし、私もそう呼ぼうかな?」
「絶対にダメ!!」
これは確実に面白がってからかっている。
そうわかってはいたけれど、焦って思わず大きな声が出てしまった。
「そうそう、表情豊かな方がリオンは可愛いよ~」
やっぱり僕はこの人には敵わない。
今年最後の夜。
ギリギリまでかかった書類もようやく終わり、ホッとしている。ヴォルフにはとっくに帰ってもらったから、夕食時には間に合ったはずだ。
アレクは今頃、何をしているだろうか?
『今年も女友達を招きます。会えないのは残念ですが、忙しいからといって無理をしないでね?』
そう手紙に書いていたから、きっと楽しんでいる事だろう。気を遣っての事だと思うけれど、心配されているというのは純粋に嬉しい。去年の誕生会以降、アレクは時々また城を訪ねて来てくれるようになった。今は友人として良好な関係を築いている。そろそろ一歩進んで、親密な関係を築きたいと思っているのは僕だけだろうか?
初めて会った時――
僕を見た彼女は、目じりの下がった大きな目を見開いた。薄茶の瞳が真っ直ぐ僕を映すから、視線が逸らせず少しだけ恥ずかしかった。
だけど彼女はどこにでもいる普通の女の子。きっとこれからもそれほど関わる事は無いだろう。
そう、思っていた。
その日以来、彼女が父である宰相と共に城を訪れる回数が増え、その度に僕の後をついて回るようになっていた。始めは苦手で少しだけ邪魔だと感じていた。だけど、ちょこちょこと慣れない城を歩く必死な様子とひたむきさに、だんだん面白いと思うようになってきた。
わざと隠れた事もある。
城内の長い廊下を速足で歩き、角を曲がった所で大きな柱の影にサッと隠れる。
彼女はどうするだろう?
意地悪な気持ちで、その様子を観察していた。
小さな身体で廊下を必死に走り、僕に追いついたと思った彼女。僕が居ないのを見て取ると『あれ?』と不思議そうな顔をした。
その顔が可笑しくて柱の影で声を殺して笑った。
首を捻って考える仕草が、とても面白い。
そのうち、何かを思いついたように廊下を行きつ戻りつしながら、彼女は僕を探し始めた。
護衛の後ろ、甲冑の影、飾ってある紋章入りの旗の裏側……さすがにそんな薄い隙間には隠れられないだろう。 そう思った僕は、思わず大声で笑ってしまった。
その声で、彼女に居場所がバレてしまった。
僕を見つけた彼女は、わざと隠れた僕を咎めるどころかその顔いっぱいに嬉しそうな笑みを浮かべた。
「王子様、お会いしとうございましたわ!」
まるで本物の淑女のように話すから、また大爆笑!
彼女は本当に面白い。
けれど同時に、その笑顔を見て可愛いと思ってしまった。心臓がドキンと、跳ねた気がした。
そんな彼女は会う度に深刻そうにこう言っていた。
「私は普通だし地味だから、お友達を作るのが難しいと思うの」
そうなのか?
十分可愛いと思うけれど。
「僕が友達になるよ」
そう言ったら、小さな顔をくしゃくしゃにして泣きながら笑っていた。来るたびに僕の側にいたがるクセに、たったそれだけの言葉に感激して喜ぶ。幼いあの日の幸せそうな彼女の笑顔は、僕にとっては特別だった。今思えば僕はあの日に、彼女に恋をした。
泣きながら一生懸命笑おうとする小さな女の子。愛しくて可愛くて、胸が苦しくなってしまった。
それからも彼女はよく王城に出没して、可愛い仕草で和ませてくれた。僕は彼女を『アレク』と呼んで、特別に大切にした。
けれど去年のある時を境に、アレクがパッタリと姿を見せなくなってしまった。途端に城は寂しくなった。自分がこんなにも彼女の事を想っていただなんて……
去年の誕生会で少しだけ僕の想いを伝えた。
あまりわかってくれていない様子が残念だったけれど。
彼女の側にはレオンがいる。
それだけが僕の不安の種。
「来年はもう少し会える時間が増えるといいな」
誰にも聞こえないようにそっと呟く。
『新しい年も、君が幸せならそれでいい』
手紙の返事にそう書いた。
我ながら体裁だけは一人前だ。
でも疲れてクタクタなこんな時ぐらい、本音を漏らしても良いはずだ。誰にも聞こえていないとわかっているから。
けれど、叔父のレイモンドならこう言うだろう。
「好きな子の前ぐらい、カッコつけないとね?」
アレクは今頃、何をしているだろうか? みんなと楽しく過ごしているのだろうか?
願わくば、少しでも僕のことを考えてくれていますように。
新年もどうか、彼女と一緒に仲良く過ごせますように――




