王子様の憂鬱
窓からやわらかな光が射す午後の執務室。
書きかけの書類から顔を上げた僕は、なるべくさりげなく聞こえるように側にいた銀髪の青年に声をかけた。
「そういえば確かもうすぐアレクの誕生日だったよね? 何か贈り物をしたいのだが、彼女の喜びそうなものは何だろう?」
毎日勉強や公務で忙しいとはいえ、息抜きは必要だ。
街へ視察に行くついでに幼なじみであるアレキサンドラのプレゼントを選びに行く、というアイデアは自分でも悪くないように思えた。
それに半年ほど前にナゾの決別宣言をされて以降、彼女にまったく会っていない。以前はこれでもか、というくらい城に通っていたのに。近頃はさっぱり彼女の姿を見かけなくなってしまった。
小さな頃から側にいるのが当たり前の、大切な僕の幼なじみ。
栗色の髪と少しだけ垂れた大きな目。
薄茶の瞳は光の加減で色が変わる。
金髪や薄い色の多いこの国の貴族の中では、非常に珍しい髪の色だ。
声や仕草も可愛くて、小さな頃から「リオネル様」と言いながら僕の後ろをついて回っていた。その様子がとても愛らしかったから、わざと隠れた事もある。必死に僕を探していたから、結局こらえ切れずにすぐに見つかるよう飛び出してしまった。僕の姿を認めた時の彼女の嬉しそうな表情は、未だに忘れられない。
アレキサンドラっていう名前はみんなが知っていて彼女の家族は「アリィ」と呼ぶから、僕は僕だけの呼び方が欲しかった。かと言ってサンドラとかアレックスなんていうのは堅すぎて彼女には似合わない。だから小さな頃から僕だけが、彼女の事を「アレク」と勝手に呼んでいる。自己満足と言われようと仕方が無い。それだけ彼女は僕にとって特別な存在だから。
あの日もせっかくアレクの好きなお茶とお菓子を用意して待っていたのに。勉強そっちのけで窓から何度も到着する馬車を眺めていたのに……
突然「お別れ」と言われて会えなくなるとは思わなかった。彼女の笑顔が見られない日々がこんなに続くなんて。いったい僕の何がいけなかったんだろう? 気が付かないうちに、僕は彼女に嫌われるような事を何かしてしまったのだろうか?
「他のご令嬢達に申し訳が……」
アレクはそう言っていたけれど。
先日の子供達だけのお茶会の席で、遅れて来た僕にきちんと立って挨拶をしたのは彼女だけ。他の令嬢達は自分達の話に夢中で、僕に気づきもしなかった。その子達を注意した事、アレクの方がまだ気にしているのかな?
大体、アレクは昔から自己評価が低すぎる。
「普通の顔、地味な顔だと鏡に向かって毎日ため息を吐いています」
そう言ったのは宰相である彼女の父、グリエール公爵。
だけど、子供のくせにゴテゴテと着飾ったり厚い化粧をするよりは、アレクの方がよほど自然で好感が持てる。それに彼女は気付いていないけれど、くるくるとよく変わる表情と花が開いたような屈託のない笑顔は、どんな子達より綺麗だ。どうかみんながアレクの魅力に気づいてしまいませんように――。そう願う僕の心を彼女は知らない。
いくら考えてもわからなかった。
どうして彼女が「お別れ」なんて言い出したのか。
「……これからは私を気にせず心安らかにお過ごし下さいね」
そう言われたあの日から、余計に気になってアレクの事ばかり考えてしまう。だから『仲直り』というよりも、会えなくても僕が彼女の事を思っているとわかるような品物が欲しい。見ただけで彼女が僕からだとわかるような、そんなプレゼントが。王都には色んな店があるから、彼女の気に入るような贈り物をきっと見つけることができると思う。
物思いにふけっていると17歳の彼女の兄、ヴォルフが口を開いた。彼は近衛騎士ではあるけれど、頭が良く処理能力にも優れているので、仕事が溜まった時にはこうして騎士団から借り受けている。
「最近ハマっているのはペットの『ラビット』ですね。いつも庭で構い過ぎて逃げられています。あとは『レオン』。こちらも構い過ぎて逃げられているようですが……」
「レオン……?」
聞き慣れない言葉を耳にして、戸惑った。
「申し上げませんでしたか? 最近我が家に迎えた義弟です。まだ9歳ですが、可愛いですよ。アリィと違ってしっかり者なのでリオネル様とは気が合うかもしれませんね」
『氷の貴公子』と呼ばれる彼は、そう言ってやわらかく笑んだ。
聞いていない。誰だ、それは?
「迎えた」ということは公爵家が他所から引き取ったのだろうか? 国王である父には報告しているだろうが、僕は何も聞いていない。子どもとはいえ血の繋がらない男性が、毎日アレクの隣にいるだと?
僕が動揺していることがわかったのか、ヴォルフは苦笑しながらこう言った。
「よろしければ、挨拶に来させましょうか?」
「いや、アレクの誕生日も近い事だし時間が空き次第こちらからお邪魔しよう。父には後で許可を取っておく」
義弟だけ来ても意味がない。
アレクと一緒にいる普段の様子を確認しなければ!
急に焦ってカッコ悪いのは自分でもわかっている。
でも、これだけは譲れない。
彼女と一番仲が良いのは、同い年の自分だと思っていたから。
「実家には伝えておきます。久々に我が家においでいただけると知ったら、両親も喜びます」
父親に似て有能だと評判の彼は、突然の僕の申し出にも優雅に対処し頷いた。彼女の誕生日は白二の月(12月)で今は白一の月(11月)。こうしてはいられない。一日でも早くプレゼントを選んで彼女の家を訪ねなければ!
僕は早めの休暇を勝ち取るために、猛スピードで目の前の書類に取り組んだ。