俺を家に帰してください
まだ手はある。あるはずだ。
死んでしまえば人はそこまでだ。歴史に残る聖人にでもならない限り蘇生の奇跡は起こらない。
遺体は焼かれて骨になって墓に入る。そうなったらおしまいだ。
でも俺は、そうじゃない。
俺の遺体は新宿に転がってるわけじゃない。
すぐに葬式なんて話には絶対にならない、警察に失踪届けを出すとか捜索願いを出すとかしても死亡と認定されるまで確か7年あったはずだ。
神隠しは日本に古来から存在する由緒正しい行方不明の総称だ。
行方不明なら帰ってこれる。
実際にそんな事例はいくつもある。
数日か、数か月か、あるいは何年か何十年か。
それでも帰ってきた例はいくらでもあるのだ。
ただそれだけ、細い糸のような希望に縋りながら俺は言った。
「生きたまま飛ばされてきたなら、もう一度生きたまま飛んで帰ることも可能なんじゃないですかね?」
きっとできないだろう。そんな簡単にできるなら【帰る手段は存在しない】なんて言わないはずだ。
考えろ、時間を稼げ、会話を終わらせるな。
何か手段はあるはずだ。身体があるなら帰るだけで良い。死んでいないんだからそれくらいなんとかできる。
折れそうになる心を振り絞るように言葉を続ける。
「それに・・・えーっと、異世界グランディスタ、でしたか?そちらはグランディスタの神なんですか?神なら人間を一人もとの世界に戻すことくらい簡単なことですよね?なにしろ神ですし・・・神、ですよね?」
少しだけ話をずらして言葉を続ける。
帰れないとか不可能とかできないとかそんな言葉は聞きたくない。必要なのは情報だ。
『そうだな、我はドドラガリ。グランディスタの主神であり、太陽を司る神、ドドラガリだ』
主神、神は複数存在するって事だな。八百万とは言わないまでもギリシャ神話くらいの数はいそうだ。
「あー・・・ドドラガリ、僕はフツーの人間です。どんな目的があるのか知りませんが、なんで、僕なんですかね?他にもっと適性のある人がいるんじゃないですかね?」
『君が来たのは偶然だ』
クラっとして、右腕が消し飛んだような不思議な感触があった。
この神様は頭がおかしいらしい。
怒るよりも早く心が萎えた。
偶然、偶然だって。宝くじに当たったようなもんか。
とたんに馬鹿馬鹿しくなった。なんだそりゃ、偶然に殺されるのか、やってられん。
『グランディスタのマナ溜まりが限界に近づいている。君はマナ溜まりを攪拌するために呼ばれたのだ』
地面を踏んでいるのかどうかよくわからなかった足の感覚が急速になくなった。
腰だけで浮いているようで気持ちが悪くなる。
依頼でしたら事務所を通してください、ギャラは7割が俺で・・・・・・あれ?事務所の取り分って何パーセントだっけ?とにかくスケジュールが重なってたら引き受けられない仕事もありますからその時はご勘弁を。
ぼやけた頭で皮肉の一つも言ってやりたいのを抑える。
『君と言う存在はここで消えてなくなる。君の魂は純粋な地球のマナとなり、グランディスタのマナとが溶け合う事で新たなマナが生まれ、マナ溜まりを消していく力になる。その代わりに君の願いをひとつ叶える事が地球の神との約定だ。願いがあるならjhddrvhbdtjm』
聞き取れない。ドドラガリの声が少しだけ暗くなる。
聞き返そうとするが声がでない。もともと感覚の無かった口が完全に消えてしまったみたいだ。
身体が、心が、白い世界になじんで溶けていく。
『jmck;jd;jf;skhgkbjdjdl』
エコーがかかったような落ち着く声音。
ゆりかごでまどろむような安心感が俺を包む。
ああ、もう、これはこれで仕方がないのかもしれない。
なにしろ偶然だ。神様が決めた偶然だって言うなら仕方がないよな。
このまま目をつぶれば楽になれるだろう。
全部忘れて。全部終わって。新しく始まるんだろう。
それは幸せなことだ、生まれたばかりの赤ん坊が幸せであるように、ここで終わる俺も幸せになるのかもしれない。
生まれたばかりの赤ん坊のように。
生まれたばかりの、娘の寝顔を思い出す。
生まれたばかりの、幸せそうな、娘の寝顔。
しあわせそうなむすめのねがお。
しあわせそうな、むすめの、ねがお。
しあわせそうな
娘の、寝顔!!!!!!!!!!!!!!
吠えた。
それは絶叫だ。
声帯が切れても良い、本気の本息の大絶叫。
全部忘れる?冗談じゃない。
全部終わる?冗談じゃない。
新しく始まる?冗談じゃない!
俺は帰るんだ。妻と娘がいる家に。
そのためならどんなことでもやってやる。魔王を退治して世界の一つや二つ救ってやっても良い。
絶対に帰るんだ、これだけは譲らない!!
俺の妻と娘が待ってんだよ、殺されたって終わってたまるか。新しくなんざはじまらねえ!!
溶けて混ざっていた魂がはっきりと形を取り戻す。
ほころびていた身体が繋がれ結ばれ元に戻る。
「冗談じゃねえぞくそったれ野郎!!!!!!!!!!」
遠慮なく叫ぶ。白い世界で完全に自分を取り戻した俺が叫ぶ。
「こちとら願いなんざ一つしかねえんだよ!!俺を返してくれ!!!」
怒鳴りつけて拳を握る。握れる拳が確かにそこにある。
声が届く。口が動く。白い世界の果ては見えないが、両足は平行に地面を捉えてしっかりと立った。
視線の先にはドドラガリが見える。ねじくれた杖を持ち、その白髪は地面につくほど長い。
老人、いや老神か。
『驚いた稀人だ・・・世界を超えて己を保つか・・・!それにその目。我を見ているな?』
「見えてるよ。それにここがどこだかも理解した」
一度は白い世界に溶けて消えそうになったからだろう、ここが地球でもグランディスタでもない狭間の世界である事が魂で理解できた。日本で言うなら三途の川みたいなもんだ。
三途の川を渡らずに帰ってきた、死にかけた人の土産話なら腐るほどある。
ここからなら俺は帰れる!!
『こんな稀人は初めてみる。見事な魂、見事な自我だ、これほどとは・・・』
『意地か、執着か。なんにしても我が強く欲深いものだろう?これは間違いなく良いマナになる、そちらの望みに足る人間だ』
ドドラガリの言葉に重なるようにもう一つの声が響いた。
ドドラガリを見る俺の真後ろから聞こえた声に振り向いてみたは良いが、どうにも相手の顔がぼやけてよく見えない。
そこにいる、そこにあることだけはわかる。
見えているのに認識できないのか、そもそもはっきりと知覚できないのか。
知覚しようとすればするほど感覚がおかしくなる。距離すらあいまいになったところで俺は考える事をやめた。
ただ願いだけを口にする。
「神様、俺を家に帰してください」
この相手が何者なのかはわかる。いまはそれだけでいいし、それで十分だ。
次でオープニング終了です