参:御用所の数寄者
翌日、普段の二倍以上の時間をかけて町へと戻った。
この国で最も南にある綾目の街は、ほんの数十年前まで大きいとは決して言えない漁村だったものが、急速に発展し街になった。
その理由が『境界』。ここは『境界』に最も近い、こちら側の町であり、吉備は現在も発展を続けるこの街の熱気を気に入り、拠点を置いていた。
「着いたが、調子はどうだ?」
街に入った頃にはすっかり陽が暮れ、星が輝いていた。
道すがら二人の懐事情を聞いた吉備は、謝礼を貰うことを早々に諦めた。
手当てに使った手拭いや軟膏を惜しむほど金に困ってない。
何でも桃太郎は仇を探して西国から出て来たらしく、夜知流とは旅の途中で知り合ったらしい。
旅などしているのだから、金欠も止む無しである。
本人達は必ず払うと言っているので、御用所へ案内くらいはしてやるつもりだ。あとは知らん。
幸い腕に覚えがあるようだし、この街で討伐者をやっていればすぐに金は用意できるだろうからと、吉備は担保も取らなかった。
「この宿は安宿の中では比較的マシなほうだ。
山手で中心からは遠いが、井戸も近いし十分だろう」
吉備は最後のお節介にと、町外れにある宿に二人を案内した。
この辺りは荒くれ者が多く住むため治安は少々悪いが、宿代が安く主も信用できる奴なので大丈夫だろう。
「何から何までありがとう御座います」
「これ」
ではな、と告げようとした吉備の前に、夜知流が細かい細工が施された木彫りの首飾りが差し出す。
首飾りの中央には小豆くらいの、よく磨かれた乳白色の飾り石が揺れていた。
「金の担保はいらんと言っただろう?」
「違う、これは友達の証。受け取って」
首飾りをよく見て、それが何かを察した吉備は内心息を飲む。
この首飾りは人狼族が最大の感謝を表すために贈るもので、乳白色の石はかつて己を支えたモノ、成長に伴って抜け落ちた犬歯を磨いたものだ。
「わかった。ありがたく貰っておこう。
これよりお前たちは私の友だ。何かあったら言え」
もちろん突き返すことは出来るのだが、夜知流が見せた心からの誠意を無視する気には流石になれず、吉備はそれを受け取った。
「では、また会おう」
貰った首飾りを身に着けて、吉備は二人の前から立ち去った。
銀の刀は桃太郎と共に
参:御用所の数寄者
「やれやれ、相変わらず物好きね、貴女も」
「お前に言われたくはないよ、佳子」
翌朝、身なりを整えた吉備は御用所へと向かった吉備は、そこにいる友人に昨日であった新しい友人の事を語る。
その友人の、吉備への感想が先の言葉だ。
「ともあれ、お疲れ様。
吉備はいつも仕事が早くて助かるわ」
御用所とは早い話が仕事の斡旋所である。
斡旋される仕事は探し物や穴掘りといった簡単なものから、盗賊退治や商隊の護衛など命がけの危険な仕事まで様々で、短期的なものが多い。
今回、彼女が行ったオークどもの討伐もその一つである。
吉備が御用所を訪れ、名を告げると、彼女はすぐに奥の部屋へと案内された。
この御用所の主人の趣味で湯を沸かす囲炉裏が据え付けられたこの部屋は、特別な相手が訪れた時にだけ使われるものだ。
「ああ、思ったより早く終わったよ」
いつもの挨拶を返して、吉備は佳子とよばれた女が淹れた茶を飲む。
この佳子は女の身でありながら一流の討伐者として名を馳せ、その功績によって領主直轄の御用所を任されている女傑だった。
既に三十路を大きく越えているはずだが、見た目はどう見ても二十代前半で、我が友人ながら、どうにも腑に落ちない女であると吉備は心の中で締めくくった。
「何か言ったかしら?」
「いや、何も」
「ふぅん」
最も本人には気取った様子もなく気さくに話すため、とうに行き遅れた年齢にも関わらず、嫁に欲しいという男は後を絶たない。
本人にその気はないらしいが。
「まあいいわ。確かに確認したので、まずは一時金を渡すわ。
現場の確認ができ次第、残りの報酬を宿までお届けさせるから」
「わかった、三日ほどは動かない予定だからそれで良い。
だが確認は早めに頼むぞ。
盗品は量が多いし、一応隠したし結界も張ったが、完全とは言えないからな」
そう言って、吉備が回収した盗品の隠し場所と結界を解除する方法を告げると、佳子は素早くそれを手元の目録に書き留め、丁稚を呼んで手渡す。
端に朱墨で『全速!』と書かれたその書類は、即座に回覧され、担当者がオークの巣まで走ることになるだろう。
「さて。これで手続きは終わりね。吉備はこの後どうするの?」
「うん? 特に予定はないな」
「なら、もう少しいいかしら?
珍しいものが手に入ったのよ」
そういうと、佳子は吉備の返答を待たずに、棚から漆塗りの箱を取り出す。
その中には木槌と分厚い布袋、こげ茶色に焼いた豆、高価な黒砂糖が入っていた。
「これは『あっち側』でも珍しい豆なのだけど、
見つけたら我慢できなくて、つい買い付けちゃったのよ」
そういって彼女は掌大の布袋に豆を入れて木槌で潰し始める。
程なくしていい具合に砕けた豆の入った袋を花入れのような縦長の器に被せると、そこに湯を注いだ。
するど豆からは、茶とはまた違う独特の香ばしさが部屋に充満する。
「これは、凄いな。
香木のようなものか?」
吉備は頬が緩むのを感じる。
心をゾワリと湧き立たせるような、魔性の香りである。
「いいえ、れっきとした飲み物よ。まぁ飲んでみればいいわ」
佳子は袋を取り外し、中に溜まった液体を茶碗に取り分け、黒砂糖をひと匙入れて吉備の前に置いた。
それは茶とは違う、黒に近いこげ茶色をしていて、湯気とともに魔性の香りが立っている。
「なんと……これは苦いが、癖になりそうな味だ」
強い苦み喉に流すと、芳醇な香りが鼻を抜ける。
味はまず苦く、少し酸っぱいが渋味はなく、入れられた砂糖のせいか僅かに甘い。
何よりも、一口飲んでほうと息を吐いてしまうくらい香り、後味が良い。
なめらかな舌触りは茶とも、『向う側』で飲んだ香茶とも違う不思議なものだ。
「貴女のその顔、ひさびさに見たわ。気に入ってもらえて何よりね」
佳子はいたずらが成功したようなとびきりの笑顔を見せると、自分も茶碗に口をつける。
思わず吉備が名を訪ねると、彼女はこれが『珈琲』という飲み物で、『あちら側』でも貴人しか飲めないような高級品であると説明してくれた。
そんな高価な物がなぜ此処にあるのか?
話は簡単だ。珈琲も、この部屋も、全ては彼女の趣味の産物。
佳子は俸給のほとんどを己の心惹かれるものに注ぎ込むような、根っからの『数寄者』だった。
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初めて飲む珈琲を堪能し、出された菓子を食べて、吉備はゆっくりと寛いでいた。
本当ならばこのまま礼を述べて帰ってしまいたい所だが、それを許す相手ではないなぁ、と吉備は佳子を見る。
彼女は特に何かを話すでもなく書を読んでいたが、吉備の視線に気づいて顔を上げた。
「それで、一体用件は何だ。どうせ厄介事だろう?」
「ふふ、吉備は話が早くて助かるわ。
もちろん仕事の話よ。ちょっと危険なのが現れてね」
身体を起こした吉備が問うと、佳子は目つきを鋭くし、ゆっくりと口を開く。
その目は、蛇が獲物を狙う目にそっくりである。
「先日、南東にある『境界』からすぐの山林で、オーガー(異界鬼)が目撃されたわ」
「オーガーだと?
何が『ちょっと』だ。厄介極まりない相手だろう」
オーガー(異界鬼)は、その名からも判る通り、『境界』の向こう側から来た禍である。
人型で全身を毛に覆われ、体格はオークよりもさらに大きい。
無論膂力も同じく人間とは比べ物にならないが、最大の特徴は眉間に生えた短い角とその性質。
オーガーは、人間を特に好んで補食する人喰種なのだ。
「私のような者もいる上に、人間は種としてもそれなりに強靭だからな。
好んで補食する奴は少ない。
だがオーガーは生まれながらに人間より遥かに強く、狡猾だ。厄介極まりない」
吉備はそう吐き捨てる。
ならば、この話を断るかと言えば、答えは否だ。
オーガーは面倒くさいが、倒せない相手ではない。
にも関わらず断れば、佳子からの評価が下がるだけで得るものは何もない。
「分かった、引き受けよう。
明日出発するから、それまでにオーガーが出現した場所を纏めた地図を宿まで寄越してくれ」
諦観を含むため息を吐いて、吉備は佳子からの依頼を承諾した。
帰ってきて休む暇なく出立だと思いながら。
「ありがとう。
やっぱり持つべきは出来る友達ね」
心底重たいため息が、吉備の口から漏れた。