壱:討伐者、吉備
「正気か? 小娘。
ボンクラどもならともかく、この俺と本気で殺り合おうってか?」
「それはやってみないと解らないさ。かかって来いよ、豚面」
破壊され尽した村の中で、柄まで金属で出来た奇妙な刀を持つ女が、豚の化け物と向かい合っていた。
片方は、でっぷりと太った体躯に豚の顔をもつオーク。
醜悪で悪臭を放つ身の丈は見上げるほどに大きい。
対して女の背丈は、成人男性と同じくらい。
女としては長身の部類に入るが、体つきも普通でオークとの体重差など考えるのもばかばかしい。
しかも身に纏うのは血まみれの小袖のみで、重厚な鎧を着るオークとは装備の面でも対照的だった。
美醜はともかく、見た目から判断できる戦闘能力はオークの圧勝だろう。
しかし女はオークの放つ暴力の気配に臆することなく刀を構え、鼻の辺りで切り揃えられた鉄色の髪の奥から、ぎらついた視線をオークに向ける。
彼女の唇は、わずかに三日月を描いた。
「言ったな小娘。
その身を犯しぬいたあとで、頭から喰らってやる!!」
銀の刀は桃太郎と共に
壱:討伐者、吉備
彼女の仕草から嘲りを察し、オークは全身の怒りを両腕に集中させて戦槌を振りかぶる。
人間一人分くらいはありそうな大きさの鉄塊を前に、人間など木端に等しい。
「ヌアァァァーー!!」
振り下ろされた鉄槌の先が地面を砕く。
さらに反動で戦槌が跳ね上がり、下方から女の下腹を狙う。
だが女は上下の連携を苦も無く躱しオークの右手側に滑り込むと、挨拶代りに膝を踏みつけ、姿勢を崩したオークの右の脇の下に刀の柄を叩きつける。
「グッ、」
分厚い脂肪に覆われた身体でも、さすがにそこには脂肪が少なく、衝撃は肺まで達し息が詰まる。
だがそれがどうしたとオークは腕を振り抜くが、またも戦槌の先は地面を砕くに止まり、女は既にオークの間合いの外にいる。
「どうした、地面を耕してばかりだか。そのでかい獲物は鍬か何かか?」
間合いの外で刀をぶらぶらさせながら嘲る女に、オークは益々感情を高ぶらせ、攻撃はすさまじさを増す。
「ウオォォォ、死ィねえェェェェーーー!」
ゴウ、と風が啼き、薙ぎ払われた戦鎚に当たった木がくの字に折れる。
しかしやはり女には当たらず、横薙ぎを潜って躱した彼女の切っ先が膝を叩き、分厚い膝当てのお蔭で斬られはしないものの痺れが奔る。
「こいつ!」
膝の痺れを無視してオークは女を蹴り上げるがやはり空振り、それどころか素早く体制を戻した女に足を取られて危うく転倒しそうになった。
命を取り合う場で転ぶことは死ぬことと同じ。オークは必死に姿勢を戻し後退する。
それを女が見逃すはずもなく、滑るように懐に入った女の左手がオークの脇腹に押し当てられる。
『我が素は踊り狂い、熱を孕み炎を生む―――『灼花』!!」
「ガアァァァーー!?」
脇腹が爆発した。比喩でもなんでもない。
身もふたもなくとにかく逃れようと後退し、大きく距離を取ったところでオークが脇腹を見ると、身に着けていた鎧の一部が吹っ飛び、肌が黒く炭化している。
一方の女の左手からはいまだ白熱し煙が上がっている。
あの手にどれほどの熱量が生まれたかなど考えたくもない。
何より、
「キ、キサマ正気か?
炎を飛ばさず直接打ち込むなど、下手をすればキサマの手も一緒に吹っ飛ぶぞ!?」
「ハッ、禍が相手の心配してんじゃないよ」
女は軽く手を振り刀を握りなおすと、刀の切っ先をオークに向けた。
「さて、そろそろ終わらせようか、豚野郎」
女が嗤う。
その顔が、萎えかかっていたオークのプライドと闘争心に火をつけた。
「ヌゥ、、オオオオォォォーーーーー!!
雷のような声が地面を揺らす。
ふざけるな、俺はそこらの凡夫とは違う。オークエリートと呼ばれる誇り高き存在だ。選ばれた存在だ!
矮小な人間ごときが、俺を嗤っていいはずがない。俺より強くていいはずがない。
待っていろ、今すぐ! 今すぐ! 今すぐ! キサマを肉塊に変えてやる! その身体を全て、隅々まで、喰らってやる!!!
地面を蹴り砕きながら、猪をはるかに超える速度と質量で女に迫る。
分厚い脂肪と、人間などには装備できない肉厚な鎧。鎧には人間から奪ったものを己の手でつなぎ合わせ、工夫も凝らしている。
鉄壁の防御があるからこその、全力の、必殺の一撃。
魔術? 知ったことか。
どれだけの熱で俺を焼こうとも、どれだけ小細工をしようとも、決して止まらぬ!
戦鎚を肩に担ぎ、突進し、叩き付ける。
一撃に全てをかける覚悟が比類なき集中力を与え、膝を軽く曲げて構える女が、オークの接近に対して重心を右足側に動かすのを捉えた。
「ガアァァァアアアーーーー!!!!」
瞬間、オークは女を追って方向をわずかに変化させた。
右足が地面にめり込む程の踏み込みと共に、全速力、全膂力、全体重を乗せた袈裟打ちが空気を切り裂く。
正に渾身の一撃は残像が残るほどの速度で女に迫り、
「グ、ガ、、」
やはり、空振った。
あの瞬間、女は重心を右に振ることで勢いをつけ、バネの様に身体を返した。
同時に左足を滑らせて膝が地面に付くほど身を低くし、刹那を捉えてオークの一撃をすり抜ける。
風圧で背中の皮が小袖諸共に裂けるほどの紙一重。
狙ってそれを成した女は左掌を刀の柄頭に当て、鎧が砕け黒く炭化したオークの脇腹に、刀を突きさした。
「グヒ、ヒィ……」
「間抜けめ、隙が大きすぎる」
わけがわからない、とオークは目を白黒させる。
今までで一番の速度だった。生涯最高の一打だった。
なのになぜ、女の刀は自分を貫いているのか?
「ヒィィィーーーーーーーーーー!!」
「煩い、豚が喚くな」
素早く刀を引き抜いた女は、立ち上がり様にオークの喉を裂く。
周囲に響いていた悲鳴はたちまちただ空気が抜ける音に代わり、腹の傷からはドス黒い血があふれる。
激痛と呼吸困難でオークの体が地面へと崩れ落ち、その刹那、オークの目が銀髪の奥にある女の目を見た。
「な、なんだ、その、目は……」
それは一瞬の後にこげ茶色をした円形に戻ったが、オークは確かに見た。
茶色の瞳孔に浮かぶ、雪の結晶のような銀の――――――
「バケ、モノめ……」
その一言を最後にオークは地面に伏し、物言わぬ肉の塊に変わった。
「豚の禍に言われちゃあ世話無いね。
私の銘は吉備だ。冥途の土産に、覚えておきな」
女は刀の血振りを済ませると、身に着けていた小袖を脱ぎ、刀の血をきれいに拭ってそのまま投げ捨てた。
小袖はこのために街の古着屋で買った安物だ。躊躇いなどない。
血が染みるという理由で濡袴(下着)も身に着けていなかった彼女は、刀を仕舞うと足元に転がる複数のオークの死体を避けながら気に吊るしていた自身の荷物を手に川へと向かった。
近隣の住民を苦しめた禍の一団。
オーク・エリート率いる山賊たちがひとりの女によって壊滅した。