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愚者の壱撃 〜才能ゼロの無能が、たった一つの素振りを一万時間繰り返した結果〜

作者: 紅茶
掲載日:2026/04/23

 装甲剣術競技『アーマード・フェンシング』。


 特殊な強化装甲を身に纏い、質量と速度を伴った剣戟をぶつけ合うこのフルコンタクト競技において、「才能」という言葉は残酷なまでに可視化される。


 動体視力、反射神経、空間把握能力、そして一瞬の交錯の中で最適解を導き出す思考の回転速度。


 そのどれか一つでも欠けていれば、一流の舞台には立てない。


 そして、リクには、そのすべてが致命的なまでに欠けていた。


「そこっ! 右を塞いで、左下段への連携だ!」


 道場にコーチの声が響く。リクは必死に木剣を振るうが、思考と肉体が全く噛み合わない。


(右を塞ぐ……そして、下段……!)


 頭では理解している。しかし、二つの動作を滑らかに繋げようとした瞬間、リクの身体は錆びついた機械のように軋み、ピタリと硬直してしまった。


「――隙だらけだぜ」


 ガァンッ! と鈍い金属音が鳴り響く。


 対戦相手の同期生の刃が、リクの無防備な胸部装甲を強かに叩き据えていた。体勢を崩したリクは、無様に道場の床に転がる。


「……またか。お前、本当に不器用だな」


 コーチが額を押さえて深々と溜息をついた。


「連携の基礎だぞ。他の連中はとっくに実戦形式に移ってる。いつまでそこで足踏みしてるつもりだ」


「……すみません。もう一度、お願いします」


「いや、今日はここまでだ。お前も頭を冷やせ」


 見放されたような冷たい声。コーチの目は既にリクへ期待を向けてはいなかった。


 息を荒げながら立ち上がるリクを、同期生たちが遠巻きに見てニヤニヤと笑っている。


「才能ないって辛いよなぁ。あれだけ練習してんのに、基礎すらできねぇの」


「真面目なのはいいことだけどさ、センスが絶望的だよな、あいつ」


 嘲笑が耳に届いても、リクに言い返す言葉はなかった。


 彼らが言う通りなのだ。リクは誰よりも早く道場に来て、誰よりも遅くまで残っている。それでも「相手の動きを見る」「自分の体勢を整える」「次の技を放つ」という、他人が無意識にできる複数のプロセスが、リクの脳内ではどうしても処理しきれない。


 才能がない。


 その冷徹な事実が、リクの両足に泥のようにへばりついていた。



 ***



 その年の地区予選。リクの夏はわずか十五秒で終わった。


 一回戦。対戦相手のフェイントにあっさりと引っかかり、体勢を崩したところを打ち下ろされて一本。何もできず、何も残らない、ただの「記録上の敗者」としての数分間。


 悔しさすら湧かないほどの、一方的な蹂躙だった。


 装甲を脱ぎ、控室の隅でうなだれていると、会場を震わせるような大歓声が響き渡った。


 リクは立ち上がり、観客席の通路へと向かった。コートの中央で、準決勝が行われている。

 そこにいたのは、同年代の絶対王者・ジンだった。


 ジンの動きは、まるで精巧な芸術品のようだった。


 相手の猛攻を紙一重で躱し、流れるような足捌きで死角へ回り込む。その剣閃には一切の無駄がなく、防御、回避、攻撃のすべてが一つの美しい連なりとなっている。


 ガァンッ!!


 鋭く重い一撃が相手の面を正確に打ち抜き、審判の旗が瞬時に上がった。


「すげぇ……」

「また五秒かよ……」


 観客たちがざわめく中、ジンは表情一つ変えることなく、深く一礼をしてコートを去っていく。


 彼は百年に一人の天才と呼ばれている。だが、リクは知っていた。ジンがその才能に胡座をかくことなく、誰よりもストイックに過酷な鍛錬を積んでいるという事実を。


「……才能があって、その上、誰よりも努力してる人間」


 あの美しい動き。完璧な攻防の切り替え。自分がどれだけ血反吐を吐いて練習したところで、あの領域には絶対に辿り着けない。普通に頑張っているだけでは、一生、あの怪物の背中すら見えない。


 別に、目標はそこではないが、あいつを超えたら、強くなったといえるのだろうか。


「――だったら、勝つためには、あいつの百倍、千倍、練習するしかない」


 絶望はなかった。リクの瞳の奥で燻っていた火種は、消えるどころか、より異常な熱を帯びて燃え上がり始めていた。



 ***



 翌日から、リクの練習量は正気の沙汰ではなくなった。


 道場が開く何時間も前から一人で走り込みを行い、夜は消灯時間を過ぎても暗がりで木剣を振り続けた。


 勝つために、もっと、もっと練習をしなければ。様々なステップ、防御からのカウンター、多彩な連撃。教本にあるすべての技術を身につけようと、泥臭く足掻いた。


 だが、現実は残酷だった。


 やればやるほど、リクの不器用さが浮き彫りになった。


 防御を意識すれば足が止まり、足を動かせば剣の軌道がブレる。無理に複数の技を組み合わせようとして、自分からバランスを崩して転倒する始末だった。


「お前、まだそんなことやってんのか」


 一ヶ月が過ぎた頃。道場の隅で一人、足の運びと剣の振りが合わずに何度も転んでいるリクを見て、同期生が呆れたように鼻で笑った。


「毎日毎日、おんなじトコでつまずいて。アホくさ。俺ら、もう次のパターンの練習入ってるぜ?」


「……」


 リクは無言で立ち上がり、もう一度木剣を構える。


 コーチすらも、もはやリクに声をかけることはなくなっていた。諦められたのだと、自分でも分かっていた。


 それでも、振るしかなかった。


 さらに数ヶ月が過ぎた、ある日の深夜。


 誰もいない静まり返った道場で、リクは一人、荒い息を吐きながら立ち尽くしていた。


 床には無数の汗の染みができている。だが、身体はボロボロになっても、思い描く「連携」は一つも形になっていなかった。


「……だめだ。どうしても、繋がらない」


 才能がない。器用にアレもコレもと抱え込めるようなキャパシティが、自分には存在しない。


 だったら、どうするか。


 全部を完璧にしようとするから、全部が中途半端になる。


「……一つだ。一つだけでいい」


 リクはゆっくりと両足を開き、木剣をスッと『右上段』に構えた。


 防御も、回避も、足捌きも、一旦すべて頭から追い出す。


 ただ、この構えから、最短距離で、最大の威力を叩きつける『振り下ろし』。色々と試した中で、一番マシに振れたのがこれだった。


 シュッ!


 鋭い風切り音が鳴る。 


 これなら、考えずにできる。複雑な連携を捨てるのではない。器用な真似ができない自分には、結果的にこの一つの動作に縋りつくことしかできないのだ。


「……あんた、またやってるわけ? 本当に、バカじゃないの?」


 ふと、道場の入り口から、呆れたような、それでいて棘のある声が飛んできた。


 振り返ると、腕を組んで壁にもたれかかる幼馴染のシズクの姿があった。


 彼女は、この道場のオーナーの娘だ。かつては女子部門で全国にその名を轟かせたほどの天才肌だが、「これ以上やってもつまらないから」という理由で、あっさりと公式戦から身を引いている。


 今は練習にも参加せず、気まぐれに顔を出してはマネージャーのような真似事をしているだけだが、その眼力と実力は現役の選手たちすら凌ぐ。


「シズク……。まだ起きてたのか」


「あんたが夜な夜な不気味な音を立ててるから、様子を見に来てあげたのよ」


 シズクはツンとした態度で歩み寄り、手に持っていた冷えたスポーツドリンクとタオルを、リクの胸にドンッと押し付けた。


「ほら、さっさと汗拭きなさいよ。……で、何なのその素振り。見ててイライラするんだけど。防御は? 次の展開への備えは? ただ大振りしてるだけじゃない。私なら、あんたが振り下ろすモーションに入った瞬間に三発は入れられるわよ」


「……うん。俺でもそう思う」


 リクはタオルで顔を拭いながら、力なく笑った。


「複数の動きを合わせようとすると、頭が真っ白になっちゃうんだよ。だから……せめてこの『振り下ろし』だけは、誰にも負けないくらい、完璧に速く振れるようになりたくて」


「呆れた。不器用にもほどがあるわね」


 シズクは大きな溜息をついた。


 実力者である彼女から見れば、リクのやっていることは戦術の放棄であり、ただのまとになるだけの自殺行為だ。


 だが、シズクはそれ以上強くは否定しなかった。才能がないと分かっていても、誰に笑われても、泥臭く一つの動作に縋り付く彼の異常なまでの熱量を、間近でずっと見てきたからだ。


「単純な興味で聞くんだけどさ、なんでそんな頑張ってんの? 別に、こんなのそんな真剣にやることでもないでしょ? プロになりたいわけでもないんだし」


「……まぁ、覚えてねぇよな」


「?……まあ、勝手にすれば。でも、明日の朝練の鍵開け、あんたの当番なんだからね。倒れるまでやって寝坊でもしたら、承知しないから」


「ああ、サンキュ。シズク」


 背中を向けて歩き出すシズクを見送り、リクは再び木剣を握り直す。


 不器用な無能が、無様に足掻いた末に行き着いた、たった一つの動作。


 来る日も来る日も、嘲笑されようが見捨てられようが、実力者である幼馴染に呆れられようが、リクはその「右上段からの振り下ろし」という狂気のループに囚われていくのだった。




 それから二年。


 リクの高校生活最後の年となる、全国大会へ繋がる地方予選が開幕した。


 会場の隅の第4コート。一回戦の開始を待つ対戦相手のシバタは、目の前に立つリクの姿を見て、苛立ちに舌打ちしそうになるのを堪えていた。


(なんだあの構え。人を舐めてんのか)


 柴田(シバタ)は県内でも中堅クラスの実力を持つ選手だ。対するリクの構えは、剣を右上段に真っ直ぐ構えただけの、教本の一ページ目にあるような基本中の基本。そこには実戦的な揺らぎも、次の動作への備えも一切ない。


 おまけに、重心はベタ足で完全に固定されている。動く気がない、いや、動けないのだと一目で分かった。


(余裕だな。一瞬で終わらせてやる)


 審判の「始め!」という声と共に、シバタは滑るようなステップで前進した。


 まずは軽いフェイント。右肩をわずかに下げ、下段への攻撃を匂わせる。並の選手なら、ここで反射的に視線が下がり、防御の姿勢を取るはずだ。


 しかし、リクはピクリとも動かない。


(引っかからない? いや……ただ反応できてねぇだけか!)


 シバタは確信した。相手は自分がこれまで磨いてきたフェイントに、全くついてこれていない。ただの案山子だ。


 ならば、そのまま叩き斬るだけだ。シバタは一気にトップスピードに乗り、リクの懐、すなわち「必殺の間合い」へと踏み込んだ。


 ――その瞬間だった。


 シバタの視界から、リクの姿がブレた。

 いや、違う。リク自身は一歩も動いていない。ブレたのは、右上段に構えられていたはずの「木剣」だ。


 ゴッァアアアンッ!!!


 会場の喧騒を切り裂く、爆発のような激音。


 シバタは何が起きたのか全く理解できなかった。自分が技を放つよりも早く、自らの胸部装甲が凄まじい衝撃で弾け飛び、身体が宙に浮いていた。


 呼吸が詰まり、背中から道場に叩きつけられる。


「勝負ありっ! 一本!」


 審判の旗が上がり、会場中が静まり返る。


 シバタは床に倒れ、荒い息を吐きながらリクを見上げた。


(は……? なんだ今の? いつ、振った……!?)


 フェイントは完璧だったはずだ。タイミングも、速度も、自分のベストだった。それなのに、間合いに入った瞬間、理不尽な質量の塊が降ってきた。


 信じられない思いで、シバタは自分を見下ろしているはずのリクの顔を見た。


 そして、戦慄と共に一つの事実を悟り、奥歯を強く噛み締めた。


(あいつ……俺を、全く見ていねぇ……!)


 リクの焦点は、床に倒れるシバタではなく、ただひたすらに前方の「空間」へと固定されていたのだ。



 ***



「……うそ、でしょ」


 観客席の最前列。腕を組んで試合を眺めていたシズクは、目を見開いたまま絶句していた。


 元・全国クラスの実力を持つ彼女の目には、今の攻防のすべてが見えていた。


 シバタのフェイントは、決して悪くなかった。リクのような不器用な選手であれば、間違いなく態勢を崩されていただろう。


 だが、リクの木剣は、シバタがフェイントを終え、本当の攻撃のために踏み込んだ『その0.1秒』にのみ、完璧に合わさって振り下ろされていた。


(相手のフェイントを見切って、本命の踏み込みだけにカウンターを合わせた? ……違う!)


 シズクは背筋に冷たい汗が伝うのを感じた。


 彼女は、この二年間、夜な夜な道場で狂ったように同じ素振りを繰り返すリクを見てきた。彼にそんな高度な読み合いや、反応速度があるはずがない。


(アイツ……相手を、一切見てない……!)


 シズクはようやく、その異常性に気がついた。


 リクの視線は、シバタの目も、剣も、肩の動きも追っていなかった。ただ漫然と、自分の前方数十センチの「空間」だけを見つめていたのだ。


 人間は、相手の動きを見ると、脳内で「フェイントか?」「どこを狙ってくる?」という『思考』が発生する。そしてその思考は、必ず肉体の反応をコンマ数秒遅らせる。


 だが、今のリクにはその『思考』が完全に欠落していた。


 彼は相手の動きを見ることを放棄した。駆け引きを捨てた。


 彼が極めたのは、ただ一つ。


『自分の設定した間合い(空間)に、相手が侵入した瞬間、無意識下で最も叩き込んできた素振りを放つ』という、機械的な条件反射。


 思考を挟まない脊髄反射の領域。だからこそ、フェイントという「心理戦」が一切通じない。相手がどれだけ高度な技術を見せつけようと、間合いに入った瞬間に問答無用で「100点の素振り」が自動迎撃オートエイムとして飛んでくるのだ。


「……バカじゃないの。そんなの、人間のやる闘い方じゃないわ」


 シズクの口から、震えるような呟きが漏れた。


 相手を見ない。防御もしない。ただ一撃のタイミングに全神経を置換する。それはもはや剣術ではなく、ただの機械だ。


 だが、才能のない無能が、一万時間という狂気の反復の果てに辿り着いたその『狂気』は、中堅クラスの選手を圧倒するほどの理不尽な暴力を生み出していた。



 ***



 その後も、リクの異常な快進撃は続いた。

 二回戦、三回戦。相手のレベルが上がり、より巧妙なステップやタイミングずらしを仕掛けてきても、結果は同じだった。


「クソッ! なんだあいつ、人を舐めやがって!」


「俺の技をなんだと思ってるんだ……! フェイントに一切反応しねぇ、完全に無視してきやがる!」


 敗退した選手たちは、皆一様に顔を真っ赤にして控室に戻ってきた。


 彼らの口から出るのは、恐怖よりも圧倒的な「苛立ち」だった。


 自分が必死に練習してきた戦術や駆け引きを、相手は「見る」ことすらしない。ただ間合いに入った瞬間に、死神の鎌のように無慈悲な一撃が振り下ろされる。それは競技者として、最悪の屈辱だった。


 地方大会の準々決勝を突破した日。


 道場に戻り、いつものように一人で素振りを始めようとするリクの背中に、シズクが声をかけた。


「……ちょっと、リク」


 シズクの声は、いつもの呆れたようなトーンではなかった。どこか探るような、底知れぬものを見るような響きがあった。


「あんた、今日の試合……相手の動き、全然見てなかったでしょ」


 リクは木剣を構えたまま、振り返った。その瞳には、かつての卑屈さは欠片も残っていない。


「ん? ああ……見てないよ。見たら、頭がこんがらがって、手が止まっちまうからな」


「……」


「だから、ただ待ってたんだ。相手が俺の素振りの範囲に入ってくるのを。入ってきたら、いつも通り振る。それだけだ」


 悪びれる様子もなく、平然とそう言い放つリク。


 シズクは小さく息を吐き、額を押さえた。


「……あんた、分かってるの? あんな戦い方、相手の武器が先に届いたら、あんたは一撃で骨折じゃ済まないわよ。完全に運任せの相打ち覚悟じゃない」


「運任せじゃない」


 リクは静かに、しかし絶対の揺るぎない自信を持って答えた。


「俺の『振り下ろし』は、この二年間で誰よりも速くなった。相手がどんな技を出そうと、間合いに入った瞬間なら、絶対に俺の剣が先に届く。……シズクだって、毎日見ててくれただろ?」


 その言葉に、シズクは息を呑んだ。


 確かに、毎日見ていた。最初は不恰好で隙だらけだった素振りが、何万回、何十万回と繰り返されるうちに、無駄な肉が削ぎ落とされ、洗練され、やがて視認すら困難な神速の領域へと到達していく過程を。


「……勝手にしなさいよ。バカは死ななきゃ治らないって言うしね」


 シズクはふいとそっぽを向き、いつものようにドリンクのボトルをドンッと台に置いた。


「でも、次は準決勝よ。今までの有象無象とはわけが違う。あんたのその『バカの一つ覚え』も、そろそろ本格的に対策されるわ。……次も無傷で済むなんて、思わないことね」


「なぁ、今の俺なら、シズクに勝てるか?」


「はぁ? 相手になる訳ないじゃん」


 そう言い捨て、シズクは道場を後にした。


 リクは再び正面に向き直り、木剣を右上段に構えた。


 そして、一切の迷いのない、恐ろしいほどに美しい軌道で――いつもの素振りを放った。


 シュパンッ!!


 空気を弾き割るような鋭い音が、深夜の道場に響き渡る。


 その様子を見つめながら、シズクは無意識のうちに自分の腕を強く抱きしめていた。


 勝てるかどうか?


「あんな馬鹿みたいに練習してるやつに、勝てるわけないでしょ」





 地方大会、準決勝。


 対戦相手の神谷カミヤは、県内でも屈指の戦術家として知られるシード選手だった。


 彼は試合開始前、リクの構えを見て薄く笑った。


(なるほど。確かに不気味な剣筋だが……タネが分かれば、どうということはない)


 これまでの対戦相手たちは、自分の技術に自信があるあまり、リクの懐に飛び込んで自滅していった。だが、カミヤは違った。


 彼は徹底した遠距離職レンジドクラス)だった。


「始め!」


 審判の声が響いた直後、カミヤはリクの間合いの『数センチ外側』を円を描くように回り始めた。


 そして、自分の踏み込みとリーチの限界ギリギリから、鋭い突きを放つ。


 ガツッ!


 リクの肩口の装甲に、軽い打撃がヒットする。


 リクはピクリとも反応しない。いや、彼の設定した「間合い」に侵入していないため、自動迎撃システムが起動しないのだ。


(やはりな。こいつの攻撃は、一定の距離に入らなければ絶対に発動しない)


 カミヤは確信し、冷酷な作業に移った。


 ヒット&アウェイ。リクの絶対領域を決して侵さず、外側からチクチクと有効打を重ねてポイントを稼ぐ。


 ガツン、ゴッ、と鈍い音が響き、リクの装甲にダメージが蓄積していく。防戦一方、というより、完全にただのサンドバッグだった。


 時折、カミヤの足が間合いの境界線を踏み越えそうになると、リクの『振り下ろし』が爆発的な速度で放たれる。しかし、最初からそれを警戒しているカミヤは、バックステップで容易に回避した。


「……終わったな。さすがにシード選手には通用しねぇよ」


「あんなバカげた戦い方、対策されたら的になるだけだ」


 観客席からは、そんな声が漏れ始めていた。


 誰の目にも、リクが一方的に嬲られているようにしか見えなかった。



 ***



 だが、観客席の最前列にいるシズクだけは、全く別の感情を抱いて試合を見つめていた。


(……カミヤ先輩は、私と同じタイプの選手)


 技や技術で、試合を組み立て、自分の土俵に持ち込むタイプ。

 カミヤの戦術は理論上は完璧だ。だが、彼は致命的な計算違いをしている。


 装甲剣術は、重い装甲を着込み、全力で動き回る非常に過酷な競技だ。


 常に相手の死角に回り込み、間合いを測り、フェイントをかけ、フルスイングを警戒してバックステップを踏み続ける。その精神的・肉体的な消耗は計り知れない。


 試合開始から十分が経過していた。


 カミヤの息は既に大きく乱れ、ステップを踏む足取りが目に見えて重くなっていた。


 装甲の下は汗だくで、木剣を握る手は疲労で痙攣し始めている。


(クソッ……なんだ、こいつは……!?)


 カミヤは荒い呼吸を繰り返しながら、目の前の光景に戦慄を覚えていた。


 リクは、既に何十発と打撃を受けている。さらには、カミヤを牽制するために、あの全力の『振り下ろし(フルスイング)』を何度も何度も空振りさせられている。


 普通なら、とっくに腕が上がらなくなっているはずだ。


 それなのに。


 リクの呼吸は、試合開始直後から『全く』乱れていなかった。


「……ふう」


 リクは小さく息を吐き、再び木剣を右上段にスッと構え直した。その構えには、一ミリのブレも、疲労の色も滲んでいない。


(ふざけるな……! なんで、こいつはこれだけ動かされて、一息も乱れていないんだ!?)


 カミヤの中で、苛立ちが明確な恐怖へと変わっていく。


 カミヤは知らないのだ。


 目の前に立つ無能が、この二年間、どんな夜を過ごしてきたかを。


 他の選手が「実戦形式」や「戦術指導」という、頭を使い、適度に休む時間を与えられる練習をしている間。


 リクは毎日、毎日、何時間もぶっ通しで走り込み、ただひたすらに同じ素振りを繰り返してきた。重い木剣を振り上げ、全力で振り下ろす。その動作だけを、一万時間以上。


 彼の筋肉、肺活量、そして神経のすべては、ただ『この一つの動作』を永遠に繰り返すためだけに最適化された、異常な燃費と耐久力を誇るバケモノへと変貌していたのだ。


 たかだか十数分の試合。数え切れる程度の空振り。


 そんなものは、リクの日常の「準備運動」にすら満たない。


「どうした? もう来ないのか?」


 面当ての奥から、リクの静かで、揺るぎない声が響いた。


 焦りや強がりではない。ただ純粋に、彼にとってはこの泥試合すら『いつもの反復練習の一部』でしかないのだ。


「舐、めるなァァッ!」


 苛立ちと疲労で限界に達したカミヤが、理性を飛ばして強引に踏み込んできた。


 ステップも、間合いの計算も、すべてが疲労によってズレていた。


 ――カミヤの右足が、リクの『絶対領域』を数センチ、踏み越えた。


「――っ」


 カミヤが自分のミスに気づいた瞬間には、もう遅かった。


 シュパンッ!!!


 これまでと寸分違わぬ、完璧な速度と質量を持った右上段からの振り下ろし。


 疲労の限界を迎えていたカミヤに、それを回避する力は残っていなかった。


 強烈な衝撃がカミヤの肩口から胸部装甲を打ち据え、彼の身体は道場の床へと無惨に叩きつけられた。


「……一本! 勝負あり!!」


 静まり返った会場に、審判の声が木霊する。


 床に沈んだカミヤは、薄れゆく意識の中で、ピタリと動きを止めたリクを見上げた。


(化け、物……)


 どんなに対策を練ろうと、どんなに技術で上回ろうと、基礎となる「体力スタミナ」の次元が違いすぎる。ただ一つの動作に人生の時間をすべてベットした人間の、削り切れない物理量の前に、カミヤは完全に心が折れていた。


「……あーあ。言わんこっちゃない」


 観客席で、シズクが呆れたように溜息をついた。


「才能がないなら、バカみたいに数をこなすしかない。……でも、そのバカみたいな反復を文字通り『極限』までやっちまったら、それはもう、才能よりも厄介な狂気なのよ」


 シズクは立ち上がり、大きく伸びをした。

 リクが全国大会への切符を手にした瞬間だった。





 全国大会、初日。


 各都道府県の猛者たちが集う巨大なアリーナの控室前で、リクは一人、壁にもたれて目を閉じていた。


 周囲の喧騒は耳に入らない。彼が考えているのは対戦相手の対策でも、会場の雰囲気に飲まれないためのメンタルコントロールでもない。ただ今日も何百回と繰り返してきた「右上段からの振り下ろし」の軌道を、脳内でなぞっているだけだった。


リクくん、だね」


 ふと、穏やかな声がかけられた。


 目を開けると、リクと同じ装甲を着た、線の細い優男が立っていた。感情の読めない、底知れぬ静かな目をしている。


「……誰だ、アンタ」


相馬ソウマだ。今日の第一試合、君の対戦相手だよ」


 ソウマと名乗った男は、敵意のない涼やかな笑みを浮かべた。


 リクは小さく首を傾げた。全国大会の対戦相手のデータなど、彼は一切見ていないし、調べる気もなかった。どうせ誰が相手だろうと、リクのやることは「自分の間合いに入ったものを斬る」ことだけだからだ。


「挨拶に来たんだ。君の地方大会の動画は、すべて見せてもらった。……君のやれることは、完全に分かっているよ」


「……別に、隠してるつもりはないけど、何が言いたい?」


「いや、素晴らしい剣だと思ってね。フェイントなどのノイズをすべて捨て、ただ間合いに入ったものに最速の一撃を叩き込む自動迎撃。その一筋ひとすじの鋭さのみで言えば、間違いなく君は全国の最高峰だ。素直に称賛するよ」


 ソウマの目は本気だった。これまでの連中のように、リクの剣をバカにしたり、不気味がる様子はない。純粋な敬意がそこにあった。


 だが、ソウマは次の瞬間、スッと目を細め、残酷な事実を告げるように言った。


「――それでも、僕には勝てない」


「……」


「試合を楽しみにしているよ」


 それだけ言い残し、ソウマは踵を返した。


 リクは遠ざかる背中を見つめながら、少しだけ拳を握り込んだ。ハッタリではない。あいつは本当に「勝てる」という絶対の確信を持って、リクの前に現れたのだ。



 ***



「両者、構え!」


 全国大会の第1コート。


 審判の声と共に、リクはいつものように木剣を右上段にスッと構え、重心を落とした。


 対するソウマは、剣の切っ先をだらりと下げた『下段の構え』を取っていた。


 ――その瞬間。


 リクは、背筋が粟立つような感覚を覚えた。


 相手を「見ない」と決めたはずの防衛本能が、激しく警鐘を鳴らしていた。


(……こいつ、俺と同じだ)


 理屈ではない、直感だった。


 ソウマの構えには、多彩な技を繰り出そうという気配が微塵もない。彼もまた、リクと同じように「たった一つの必殺技」だけを極限まで研ぎ澄ませたタイプの人間だ。


 あの下段の構えから放たれるのは、おそらく神速の『斬り上げ(逆袈裟)』。


「始め!!」


 ソウマが動いた。


 リクは目を見開いた。ソウマの足捌きは、芸術的だった。


 ただ真っ直ぐ突っ込んでくるのではない。リクの目線を散らし、踏み込みのタイミングをズラし、リクが最も『振り下ろしにくい』角度から、滑るように間合いを詰めてくる。


(……なるほどな。「僕には勝てない」って、そういうことか)


 リクはようやく、ソウマの自信の理由を理解した。


 ソウマは、リクと同じ「一つの技を極めた」同類。だが、ただ定位置で待つことしかできない不器用なリクとは違う。


 ソウマには、自分の必殺技を叩き込むための完璧な状況へと相手を『誘導』する、極めて高度な技術があった。


 一つの技の極致。そしてそれを当てるすべ


 ひと言で言えば、目の前にいる男は、リクという存在の『完全上位互換』だった。


 ――だが。


 ソウマの右足が、リクの「絶対領域」に踏み込んだ。


 どれだけ誘導されようが、角度を殺されようが、リクの思考放棄のオートエイムは強制的に起動する。


 リクの『右上段からの振り下ろし』が、空気を引き裂いて落下した。


 全く同じタイミングで、ソウマの下段から、必殺の『神速の斬り上げ』が放たれた。


 ガァァァァァァンッ!!!!


 アリーナ全体を震わせるほどの轟音。


 リクの振り下ろしと、ソウマの斬り上げが、空中で完璧に激突したのだ。


 互いの最高峰の一撃が拮抗し、完全に相殺される。


(――狙い通りだ)


 鍔迫り合いの形になった瞬間、ソウマの顔に確信の笑みが浮かんだ。


(君の攻撃は単調な一撃のみ。それを防がれ、態勢が崩れた今、君には次に繋ぐ技術はない!)


 ソウマはリクの剣を弾き返し、完璧な足捌きで次の攻撃モーションへと移ろうとした。


 相手の一撃を「防げば勝ち」だと、彼は合理的に計算していたのだ。


 ――もし、リクの剣がただの「必殺技」であったなら。


「……あ?」


 ソウマの顔から、余裕が消し飛んだ。

 激突し、弾かれたはずのリクの剣が、全く態勢を崩すことなく、異常な速度で再び『右上段の構え』へと吸い込まれるように跳ね上がったからだ。

 その一方で、自身の身体にも違和感があった。

 弾かれ、体制を整えようとする腕が、異常なまでに。


(──重い)

 

 ソウマは理解していなかった。


 リクにとって、この振り下ろしは試合の行方を決める『必殺の一撃』などではない。


 雨の日も風の日も、二年間、ただひたすらに繰り返してきた『日常の素振り』だ。


 素振りとは、振り下ろして終わりではない。


「剣を振り上げ、元の構えに戻す」ところまでが1セットなのだ。


 弾かれた? 防がれた? そんなことはどうでもいい。リクの身体は、剣を振り下ろした反動をそのまま利用し、無意識下で「次の素振り」への準備を完了させていた。


「な、ん――!?」


 ソウマが態勢を立て直すよりも早く。

 リクの二発目の『右上段からの振り下ろし』が、一発目と全く同じ威力と神速で、ソウマの頭上に落下した。


 ガキンッ!!


「ぐ、ぅぅっ!?」


 慌てて防御姿勢を取ったソウマの木剣が、悲鳴のような音を立てた。


 まともに受け止めた瞬間、ソウマはリクの一撃の「異常性」を両腕の骨の髄まで叩き込まれた。


(重い……!! なんだ、この非常識な質量は……ッ!?)


 それは技術や速度による重さではない。純粋な『物理的な腕力』の重さだった。


 一万時間以上、狂ったように重い木剣を振り下ろし続けたリクの身体。彼の肩、背中、そして腕の筋肉は、ただ「右上段から振り下ろす」という一つの動作のためだけに、バケモノのように異常発達していたのだ。


 完全上位互換の必殺技。確かに素晴らしい技術だ。


 だが、必殺技を放つために「誘導」や「駆け引き」という準備が必要なソウマと違い、リクには何もいらない。ただ呼吸するように、大岩を叩き割るようなフルスイングを連発できる。


 シュパンッ! ガァンッ!

 シュパンッ!! ガガァンッ!!


「バ、カなっ……! あんなフルスイングを、ノーモーションで……!?」


 三発目、四発目、五発目。


 リクは息一つ乱すことなく、機械のような正確さで、全国最高峰の一撃を無限に叩き込み続けた。


 ソウマは必死に剣を傾け、技術でその衝撃を受け流そうとする。しかし、リクの放つ圧倒的な膂力の暴力を前に、洗練された技術など何の意味も成さなかった。


 六発目を受けた瞬間、ソウマの両腕から「感覚」が完全に消失した。


(腕が、痺れて……いや、違う。握力が……!)


 強烈すぎる衝撃の連続に耐えきれず、ソウマの手のひらが限界を迎え、指先が勝手に開いていく。


「……あ、ああぁっ!」


 七発目。


 ついに握力を失ったソウマの手から木剣がポーンと弾き飛ばされ、そのままガラ空きになった彼の胸部装甲に、リクの無慈悲な刃が突き刺さった。装甲が真っ二つに叩き割られる破砕音がアリーナに響く。


「――勝負ありっ! 一本!!」


 静まり返った会場に、審判の絶叫が木霊した。


 リクはいつも通り、ゆっくりと木剣を下ろし、元の構えへと戻った。


 床に倒れ込んだソウマは、完全に痙攣して動かなくなった自分の両腕を見つめ、信じられないものを見る目でリクを見上げていた。




 ……一つの技を極めた、俺の完全上位互換。確かに、いい剣だった。


 だが、悪いな。


 俺はもう、技術なんて捨ててるんだよ。






 全国大会、決勝戦を目前に控えた選手控室の前の通路。


 アリーナから漏れ聞こえる地鳴りのような歓声をよそに、リクは壁にもたれ、静かに目を閉じていた。


「……ほら、スポーツドリンク。冷えてるわよ」


 不意に顔に押し付けられた冷感に目を開けると、いつものように呆れ顔を作ったシズクが立っていた。


「サンキュ」


 リクはボトルを受け取り、ゆっくりと喉を潤した。


 これから戦うのは、百年に一人の天才にして、この競技の完全無欠な絶対王者。そんな緊張感の極致にありながら、リクの呼吸は先ほどと何一つ変わらず、静かで落ち着いていた。


「……ねえ、リク」


 ふと、シズクがいつになく真剣なトーンで口を開いた。


「ずっと、気になってたんだけどさ」


「なんだ?」


「あんた、どうしてあそこまでやれるの?」


 シズクの真っ直ぐな視線が、リクを射抜く。


 才能がないと自覚し、周囲に嘲笑され、それでも思考を放棄してまで「たった一つの素振り」に一万時間以上を捧げた。その異常なまでの原動力。純粋な競技への愛や、勝利への執着だけで辿り着ける領域ではないと、間近で見てきた彼女だからこそ感じ取っていた。


「……お前、本当に覚えてないんだな」


 リクは小さく息を吐き、呆れたように、しかしどこか優しげに笑った。


「え?」


「いや。……試合が終わったら、言ってやるよ」


「ちょっと、何それ。気になるじゃない」


 不満げに唇を尖らせるシズクの頭にポンッと手を置くと、リクは木剣を手に取り、歓声の渦巻く光の舞台へと歩き出した。



 ***



 ――なんであそこまでやれるのか。


 暗い通路を歩きながら、リクは脳内でかつての記憶を反芻していた。


 十年前。まだ二人が小学生だった頃の、道場での記憶。


 当時のシズクは、大人顔負けの剣筋を持つ天才少女だった。対するリクは、不器用で、練習のたびにシズクにボコボコにされては道場の隅で泣いているような、情けない少年だった。


『もー、リクは本当に弱いわね! 男の子なんだから、もっとしっかりしなさいよ!』


『だって……シズク、強すぎるんだもん……』


『当然でしょ。私は将来、世界一になるんだから!』


 自慢げに胸を張る幼いシズク。そして彼女は、木剣を肩に担ぎながら、何気なくこう言ったのだ。


『だからね、私が将来結婚してあげるのは、私より強い男の人だけよ!』


 それは、ませた子供が口にした、他愛のない冗談。


 シズク本人は、次の日には忘れてしまうような、小さな小さな言葉。


 だが、不器用で馬鹿なリクにとって、その言葉は「世界のすべて」になった。


 彼女より強くなる。彼女の隣に立つにふさわしい男になる。そのための方法を、才能のない頭で必死に考えた。


 様々な技を覚えようとした。足捌きを研究した。しかし、才能の壁は残酷で、やればやるほど自分の無能さを思い知らされた。


 このままでは、一生彼女に追いつけない。


 だから、リクは決断した。防御も、回避も、技術も、競技者としての常識も、すべてを捨てる。


 才能がない無能が、天才より強くなるにはどうすればいい?


 答えは一つ。


 バカみたいに、一つの動作だけを、一万時間やり続けるしかない。


 血を吐くような反復の果てに、ただ一つの斬撃を、誰も到達できない神速の領域へと昇華させる。


 周囲の嘲笑など関係なかった。


 彼が握りしめた木剣の重さは、競技への執着ではなく、たった一人の幼馴染にたった一つの言葉を伝えるための、泥臭くも純粋な「恋心」の質量だったのだ。



 ***



 光溢れるアリーナの中央。


 リクが定位置につくと、正面には既に、絶対王者・ジンが静かに佇んでいた。


「……来たか」


 ジンは一切の油断もなく、手にした木剣を正眼に構えた。


「君のその異常な才能。理解したよ。僕と同様の『武の求道者』として、僕のすべてを懸けて、真っ向から打ち砕かせてもらう」


 ジンの狙いは、カウンターだった。

 一撃必死のリクの膂力と回避不能な剣速、そして無尽蔵のスタミナ。

 才能に愛されたジンが、相手を真っ向から打ち砕く手段として導き出したものだ。


 肉を切らせて骨を断つ。


 その狂気的なカウンターを本当に実行するつもりなのだと、ジンの研ぎ澄まされた気迫から、リクも何となく理解した。彼は純粋な武の求道者として、目の前の強敵を倒すことだけを見据えている。


「……悪いな、天才」


 リクは小さく呟き、いつものようにスッと木剣を右上段に構えた。


 呼吸一つ乱れない、いつも通りの日常の構え。


「俺は別に、『武』を究めようなんて思っちゃいねぇんだ。お前と違って不純な動機だ」


 ジンが何を仕掛けてこようと関係ない。


 肉を切らせてこようが、裏の裏をかいてこようが。


 俺はただ、一つ、あいつを超えるために極めた「最高の素振りの往復」を、お前の脳天に叩き込むだけだ。


「両者、構え!」


 審判の緊迫した声が、会場の空気をピンと張り詰める。


 観客席の最前列で、シズクが祈るように両手を握りしめているのが見えた。


「始め!!」


 空気を裂く号砲。


 天才の刃が、閃光となってリクの絶対領域へと踏み込んだ。


 それに呼応するように、才能なき無能が一万時間を捧げた狂気の一撃が、静かに、そして爆発的な速度で落下を開始する。


 ――約束の答え合わせは、この一振りの後に。

 装甲剣術競技『アーマード・フェンシング』。


 特殊な強化装甲を身に纏い、質量と速度を伴った剣戟をぶつけ合うこのフルコンタクト競技において、「才能」という言葉は残酷なまでに可視化される。


 動体視力、反射神経、空間把握能力、そして一瞬の交錯の中で最適解を導き出す思考の回転速度。


 そのどれか一つでも欠けていれば、一流の舞台には立てない。


 そして、リクには、そのすべてが致命的なまでに欠けていた。


「そこっ! 右を塞いで、左下段への連携だ!」


 道場にコーチの声が響く。リクは必死に木剣を振るうが、思考と肉体が全く噛み合わない。


(右を塞ぐ……そして、下段……!)


 頭では理解している。しかし、二つの動作を滑らかに繋げようとした瞬間、リクの身体は錆びついた機械のように軋み、ピタリと硬直してしまった。


「――隙だらけだぜ」


 ガァンッ! と鈍い金属音が鳴り響く。


 対戦相手の同期生の刃が、リクの無防備な胸部装甲を強かに叩き据えていた。体勢を崩したリクは、無様に道場の床に転がる。


「……またか。お前、本当に不器用だな」


 コーチが額を押さえて深々と溜息をついた。


「連携の基礎だぞ。他の連中はとっくに実戦形式に移ってる。いつまでそこで足踏みしてるつもりだ」


「……すみません。もう一度、お願いします」


「いや、今日はここまでだ。お前も頭を冷やせ」


 見放されたような冷たい声。コーチの目は既にリクへ期待を向けてはいなかった。


 息を荒げながら立ち上がるリクを、同期生たちが遠巻きに見てニヤニヤと笑っている。


「才能ないって辛いよなぁ。あれだけ練習してんのに、基礎すらできねぇの」


「真面目なのはいいことだけどさ、センスが絶望的だよな、あいつ」


 嘲笑が耳に届いても、リクに言い返す言葉はなかった。


 彼らが言う通りなのだ。リクは誰よりも早く道場に来て、誰よりも遅くまで残っている。それでも「相手の動きを見る」「自分の体勢を整える」「次の技を放つ」という、他人が無意識にできる複数のプロセスが、リクの脳内ではどうしても処理しきれない。


 才能がない。


 その冷徹な事実が、リクの両足に泥のようにへばりついていた。



 ***



 その年の地区予選。リクの夏はわずか十五秒で終わった。


 一回戦。対戦相手のフェイントにあっさりと引っかかり、体勢を崩したところを打ち下ろされて一本。何もできず、何も残らない、ただの「記録上の敗者」としての数分間。


 悔しさすら湧かないほどの、一方的な蹂躙だった。


 装甲を脱ぎ、控室の隅でうなだれていると、会場を震わせるような大歓声が響き渡った。


 リクは立ち上がり、観客席の通路へと向かった。コートの中央で、準決勝が行われている。

 そこにいたのは、同年代の絶対王者・ジンだった。


 ジンの動きは、まるで精巧な芸術品のようだった。


 相手の猛攻を紙一重で躱し、流れるような足捌きで死角へ回り込む。その剣閃には一切の無駄がなく、防御、回避、攻撃のすべてが一つの美しい連なりとなっている。


 ガァンッ!!


 鋭く重い一撃が相手の面を正確に打ち抜き、審判の旗が瞬時に上がった。


「すげぇ……」

「また五秒かよ……」


 観客たちがざわめく中、ジンは表情一つ変えることなく、深く一礼をしてコートを去っていく。


 彼は百年に一人の天才と呼ばれている。だが、リクは知っていた。ジンがその才能に胡座をかくことなく、誰よりもストイックに過酷な鍛錬を積んでいるという事実を。


「……才能があって、その上、誰よりも努力してる人間」


 あの美しい動き。完璧な攻防の切り替え。自分がどれだけ血反吐を吐いて練習したところで、あの領域には絶対に辿り着けない。普通に頑張っているだけでは、一生、あの怪物の背中すら見えない。


 別に、目標はそこではないが、あいつを超えたら、強くなったといえるのだろうか。


「――だったら、勝つためには、あいつの百倍、千倍、練習するしかない」


 絶望はなかった。リクの瞳の奥で燻っていた火種は、消えるどころか、より異常な熱を帯びて燃え上がり始めていた。



 ***



 翌日から、リクの練習量は正気の沙汰ではなくなった。


 道場が開く何時間も前から一人で走り込みを行い、夜は消灯時間を過ぎても暗がりで木剣を振り続けた。


 勝つために、もっと、もっと練習をしなければ。様々なステップ、防御からのカウンター、多彩な連撃。教本にあるすべての技術を身につけようと、泥臭く足掻いた。


 だが、現実は残酷だった。


 やればやるほど、リクの不器用さが浮き彫りになった。


 防御を意識すれば足が止まり、足を動かせば剣の軌道がブレる。無理に複数の技を組み合わせようとして、自分からバランスを崩して転倒する始末だった。


「お前、まだそんなことやってんのか」


 一ヶ月が過ぎた頃。道場の隅で一人、足の運びと剣の振りが合わずに何度も転んでいるリクを見て、同期生が呆れたように鼻で笑った。


「毎日毎日、おんなじトコでつまずいて。アホくさ。俺ら、もう次のパターンの練習入ってるぜ?」


「……」


 リクは無言で立ち上がり、もう一度木剣を構える。


 コーチすらも、もはやリクに声をかけることはなくなっていた。諦められたのだと、自分でも分かっていた。


 それでも、振るしかなかった。


 さらに数ヶ月が過ぎた、ある日の深夜。


 誰もいない静まり返った道場で、リクは一人、荒い息を吐きながら立ち尽くしていた。


 床には無数の汗の染みができている。だが、身体はボロボロになっても、思い描く「連携」は一つも形になっていなかった。


「……だめだ。どうしても、繋がらない」


 才能がない。器用にアレもコレもと抱え込めるようなキャパシティが、自分には存在しない。


 だったら、どうするか。


 全部を完璧にしようとするから、全部が中途半端になる。


「……一つだ。一つだけでいい」


 リクはゆっくりと両足を開き、木剣をスッと『右上段』に構えた。


 防御も、回避も、足捌きも、一旦すべて頭から追い出す。


 ただ、この構えから、最短距離で、最大の威力を叩きつける『振り下ろし』。色々と試した中で、一番マシに振れたのがこれだった。


 シュッ!


 鋭い風切り音が鳴る。 


 これなら、考えずにできる。複雑な連携を捨てるのではない。器用な真似ができない自分には、結果的にこの一つの動作に縋りつくことしかできないのだ。


「……あんた、またやってるわけ? 本当に、バカじゃないの?」


 ふと、道場の入り口から、呆れたような、それでいて棘のある声が飛んできた。


 振り返ると、腕を組んで壁にもたれかかる幼馴染のシズクの姿があった。


 彼女は、この道場のオーナーの娘だ。かつては女子部門で全国にその名を轟かせたほどの天才肌だが、「これ以上やってもつまらないから」という理由で、あっさりと公式戦から身を引いている。


 今は練習にも参加せず、気まぐれに顔を出してはマネージャーのような真似事をしているだけだが、その眼力と実力は現役の選手たちすら凌ぐ。


「シズク……。まだ起きてたのか」


「あんたが夜な夜な不気味な音を立ててるから、様子を見に来てあげたのよ」


 シズクはツンとした態度で歩み寄り、手に持っていた冷えたスポーツドリンクとタオルを、リクの胸にドンッと押し付けた。


「ほら、さっさと汗拭きなさいよ。……で、何なのその素振り。見ててイライラするんだけど。防御は? 次の展開への備えは? ただ大振りしてるだけじゃない。私なら、あんたが振り下ろすモーションに入った瞬間に三発は入れられるわよ」


「……うん。俺でもそう思う」


 リクはタオルで顔を拭いながら、力なく笑った。


「複数の動きを合わせようとすると、頭が真っ白になっちゃうんだよ。だから……せめてこの『振り下ろし』だけは、誰にも負けないくらい、完璧に速く振れるようになりたくて」


「呆れた。不器用にもほどがあるわね」


 シズクは大きな溜息をついた。


 実力者である彼女から見れば、リクのやっていることは戦術の放棄であり、ただのまとになるだけの自殺行為だ。


 だが、シズクはそれ以上強くは否定しなかった。才能がないと分かっていても、誰に笑われても、泥臭く一つの動作に縋り付く彼の異常なまでの熱量を、間近でずっと見てきたからだ。


「単純な興味で聞くんだけどさ、なんでそんな頑張ってんの? 別に、こんなのそんな真剣にやることでもないでしょ? プロになりたいわけでもないんだし」


「……まぁ、覚えてねぇよな」


「?……まあ、勝手にすれば。でも、明日の朝練の鍵開け、あんたの当番なんだからね。倒れるまでやって寝坊でもしたら、承知しないから」


「ああ、サンキュ。シズク」


 背中を向けて歩き出すシズクを見送り、リクは再び木剣を握り直す。


 不器用な無能が、無様に足掻いた末に行き着いた、たった一つの動作。


 来る日も来る日も、嘲笑されようが見捨てられようが、実力者である幼馴染に呆れられようが、リクはその「右上段からの振り下ろし」という狂気のループに囚われていくのだった。




 それから二年。


 リクの高校生活最後の年となる、全国大会へ繋がる地方予選が開幕した。


 会場の隅の第4コート。一回戦の開始を待つ対戦相手のシバタは、目の前に立つリクの姿を見て、苛立ちに舌打ちしそうになるのを堪えていた。


(なんだあの構え。人を舐めてんのか)


 柴田(シバタ)は県内でも中堅クラスの実力を持つ選手だ。対するリクの構えは、剣を右上段に真っ直ぐ構えただけの、教本の一ページ目にあるような基本中の基本。そこには実戦的な揺らぎも、次の動作への備えも一切ない。


 おまけに、重心はベタ足で完全に固定されている。動く気がない、いや、動けないのだと一目で分かった。


(余裕だな。一瞬で終わらせてやる)


 審判の「始め!」という声と共に、シバタは滑るようなステップで前進した。


 まずは軽いフェイント。右肩をわずかに下げ、下段への攻撃を匂わせる。並の選手なら、ここで反射的に視線が下がり、防御の姿勢を取るはずだ。


 しかし、リクはピクリとも動かない。


(引っかからない? いや……ただ反応できてねぇだけか!)


 シバタは確信した。相手は自分がこれまで磨いてきたフェイントに、全くついてこれていない。ただの案山子だ。


 ならば、そのまま叩き斬るだけだ。シバタは一気にトップスピードに乗り、リクの懐、すなわち「必殺の間合い」へと踏み込んだ。


 ――その瞬間だった。


 シバタの視界から、リクの姿がブレた。

 いや、違う。リク自身は一歩も動いていない。ブレたのは、右上段に構えられていたはずの「木剣」だ。


 ゴッァアアアンッ!!!


 会場の喧騒を切り裂く、爆発のような激音。


 シバタは何が起きたのか全く理解できなかった。自分が技を放つよりも早く、自らの胸部装甲が凄まじい衝撃で弾け飛び、身体が宙に浮いていた。


 呼吸が詰まり、背中から道場に叩きつけられる。


「勝負ありっ! 一本!」


 審判の旗が上がり、会場中が静まり返る。


 シバタは床に倒れ、荒い息を吐きながらリクを見上げた。


(は……? なんだ今の? いつ、振った……!?)


 フェイントは完璧だったはずだ。タイミングも、速度も、自分のベストだった。それなのに、間合いに入った瞬間、理不尽な質量の塊が降ってきた。


 信じられない思いで、シバタは自分を見下ろしているはずのリクの顔を見た。


 そして、戦慄と共に一つの事実を悟り、奥歯を強く噛み締めた。


(あいつ……俺を、全く見ていねぇ……!)


 リクの焦点は、床に倒れるシバタではなく、ただひたすらに前方の「空間」へと固定されていたのだ。



 ***



「……うそ、でしょ」


 観客席の最前列。腕を組んで試合を眺めていたシズクは、目を見開いたまま絶句していた。


 元・全国クラスの実力を持つ彼女の目には、今の攻防のすべてが見えていた。


 シバタのフェイントは、決して悪くなかった。リクのような不器用な選手であれば、間違いなく態勢を崩されていただろう。


 だが、リクの木剣は、シバタがフェイントを終え、本当の攻撃のために踏み込んだ『その0.1秒』にのみ、完璧に合わさって振り下ろされていた。


(相手のフェイントを見切って、本命の踏み込みだけにカウンターを合わせた? ……違う!)


 シズクは背筋に冷たい汗が伝うのを感じた。


 彼女は、この二年間、夜な夜な道場で狂ったように同じ素振りを繰り返すリクを見てきた。彼にそんな高度な読み合いや、反応速度があるはずがない。


(アイツ……相手を、一切見てない……!)


 シズクはようやく、その異常性に気がついた。


 リクの視線は、シバタの目も、剣も、肩の動きも追っていなかった。ただ漫然と、自分の前方数十センチの「空間」だけを見つめていたのだ。


 人間は、相手の動きを見ると、脳内で「フェイントか?」「どこを狙ってくる?」という『思考』が発生する。そしてその思考は、必ず肉体の反応をコンマ数秒遅らせる。


 だが、今のリクにはその『思考』が完全に欠落していた。


 彼は相手の動きを見ることを放棄した。駆け引きを捨てた。


 彼が極めたのは、ただ一つ。


『自分の設定した間合い(空間)に、相手が侵入した瞬間、無意識下で最も叩き込んできた素振りを放つ』という、機械的な条件反射。


 思考を挟まない脊髄反射の領域。だからこそ、フェイントという「心理戦」が一切通じない。相手がどれだけ高度な技術を見せつけようと、間合いに入った瞬間に問答無用で「100点の素振り」が自動迎撃オートエイムとして飛んでくるのだ。


「……バカじゃないの。そんなの、人間のやる闘い方じゃないわ」


 シズクの口から、震えるような呟きが漏れた。


 相手を見ない。防御もしない。ただ一撃のタイミングに全神経を置換する。それはもはや剣術ではなく、ただの機械だ。


 だが、才能のない無能が、一万時間という狂気の反復の果てに辿り着いたその『狂気』は、中堅クラスの選手を圧倒するほどの理不尽な暴力を生み出していた。



 ***



 その後も、リクの異常な快進撃は続いた。

 二回戦、三回戦。相手のレベルが上がり、より巧妙なステップやタイミングずらしを仕掛けてきても、結果は同じだった。


「クソッ! なんだあいつ、人を舐めやがって!」


「俺の技をなんだと思ってるんだ……! フェイントに一切反応しねぇ、完全に無視してきやがる!」


 敗退した選手たちは、皆一様に顔を真っ赤にして控室に戻ってきた。


 彼らの口から出るのは、恐怖よりも圧倒的な「苛立ち」だった。


 自分が必死に練習してきた戦術や駆け引きを、相手は「見る」ことすらしない。ただ間合いに入った瞬間に、死神の鎌のように無慈悲な一撃が振り下ろされる。それは競技者として、最悪の屈辱だった。


 地方大会の準々決勝を突破した日。


 道場に戻り、いつものように一人で素振りを始めようとするリクの背中に、シズクが声をかけた。


「……ちょっと、リク」


 シズクの声は、いつもの呆れたようなトーンではなかった。どこか探るような、底知れぬものを見るような響きがあった。


「あんた、今日の試合……相手の動き、全然見てなかったでしょ」


 リクは木剣を構えたまま、振り返った。その瞳には、かつての卑屈さは欠片も残っていない。


「ん? ああ……見てないよ。見たら、頭がこんがらがって、手が止まっちまうからな」


「……」


「だから、ただ待ってたんだ。相手が俺の素振りの範囲に入ってくるのを。入ってきたら、いつも通り振る。それだけだ」


 悪びれる様子もなく、平然とそう言い放つリク。


 シズクは小さく息を吐き、額を押さえた。


「……あんた、分かってるの? あんな戦い方、相手の武器が先に届いたら、あんたは一撃で骨折じゃ済まないわよ。完全に運任せの相打ち覚悟じゃない」


「運任せじゃない」


 リクは静かに、しかし絶対の揺るぎない自信を持って答えた。


「俺の『振り下ろし』は、この二年間で誰よりも速くなった。相手がどんな技を出そうと、間合いに入った瞬間なら、絶対に俺の剣が先に届く。……シズクだって、毎日見ててくれただろ?」


 その言葉に、シズクは息を呑んだ。


 確かに、毎日見ていた。最初は不恰好で隙だらけだった素振りが、何万回、何十万回と繰り返されるうちに、無駄な肉が削ぎ落とされ、洗練され、やがて視認すら困難な神速の領域へと到達していく過程を。


「……勝手にしなさいよ。バカは死ななきゃ治らないって言うしね」


 シズクはふいとそっぽを向き、いつものようにドリンクのボトルをドンッと台に置いた。


「でも、次は準決勝よ。今までの有象無象とはわけが違う。あんたのその『バカの一つ覚え』も、そろそろ本格的に対策されるわ。……次も無傷で済むなんて、思わないことね」


「なぁ、今の俺なら、シズクに勝てるか?」


「はぁ? 相手になる訳ないじゃん」


 そう言い捨て、シズクは道場を後にした。


 リクは再び正面に向き直り、木剣を右上段に構えた。


 そして、一切の迷いのない、恐ろしいほどに美しい軌道で――いつもの素振りを放った。


 シュパンッ!!


 空気を弾き割るような鋭い音が、深夜の道場に響き渡る。


 その様子を見つめながら、シズクは無意識のうちに自分の腕を強く抱きしめていた。


 勝てるかどうか?


「あんな馬鹿みたいに練習してるやつに、勝てるわけないでしょ」





 地方大会、準決勝。


 対戦相手の神谷カミヤは、県内でも屈指の戦術家として知られるシード選手だった。


 彼は試合開始前、リクの構えを見て薄く笑った。


(なるほど。確かに不気味な剣筋だが……タネが分かれば、どうということはない)


 これまでの対戦相手たちは、自分の技術に自信があるあまり、リクの懐に飛び込んで自滅していった。だが、カミヤは違った。


 彼は徹底した遠距離職レンジドクラス)だった。


「始め!」


 審判の声が響いた直後、カミヤはリクの間合いの『数センチ外側』を円を描くように回り始めた。


 そして、自分の踏み込みとリーチの限界ギリギリから、鋭い突きを放つ。


 ガツッ!


 リクの肩口の装甲に、軽い打撃がヒットする。


 リクはピクリとも反応しない。いや、彼の設定した「間合い」に侵入していないため、自動迎撃システムが起動しないのだ。


(やはりな。こいつの攻撃は、一定の距離に入らなければ絶対に発動しない)


 カミヤは確信し、冷酷な作業に移った。


 ヒット&アウェイ。リクの絶対領域を決して侵さず、外側からチクチクと有効打を重ねてポイントを稼ぐ。


 ガツン、ゴッ、と鈍い音が響き、リクの装甲にダメージが蓄積していく。防戦一方、というより、完全にただのサンドバッグだった。


 時折、カミヤの足が間合いの境界線を踏み越えそうになると、リクの『振り下ろし』が爆発的な速度で放たれる。しかし、最初からそれを警戒しているカミヤは、バックステップで容易に回避した。


「……終わったな。さすがにシード選手には通用しねぇよ」


「あんなバカげた戦い方、対策されたら的になるだけだ」


 観客席からは、そんな声が漏れ始めていた。


 誰の目にも、リクが一方的に嬲られているようにしか見えなかった。



 ***



 だが、観客席の最前列にいるシズクだけは、全く別の感情を抱いて試合を見つめていた。


(……カミヤ先輩は、私と同じタイプの選手)


 技や技術で、試合を組み立て、自分の土俵に持ち込むタイプ。

 カミヤの戦術は理論上は完璧だ。だが、彼は致命的な計算違いをしている。


 装甲剣術は、重い装甲を着込み、全力で動き回る非常に過酷な競技だ。


 常に相手の死角に回り込み、間合いを測り、フェイントをかけ、フルスイングを警戒してバックステップを踏み続ける。その精神的・肉体的な消耗は計り知れない。


 試合開始から十分が経過していた。


 カミヤの息は既に大きく乱れ、ステップを踏む足取りが目に見えて重くなっていた。


 装甲の下は汗だくで、木剣を握る手は疲労で痙攣し始めている。


(クソッ……なんだ、こいつは……!?)


 カミヤは荒い呼吸を繰り返しながら、目の前の光景に戦慄を覚えていた。


 リクは、既に何十発と打撃を受けている。さらには、カミヤを牽制するために、あの全力の『振り下ろし(フルスイング)』を何度も何度も空振りさせられている。


 普通なら、とっくに腕が上がらなくなっているはずだ。


 それなのに。


 リクの呼吸は、試合開始直後から『全く』乱れていなかった。


「……ふう」


 リクは小さく息を吐き、再び木剣を右上段にスッと構え直した。その構えには、一ミリのブレも、疲労の色も滲んでいない。


(ふざけるな……! なんで、こいつはこれだけ動かされて、一息も乱れていないんだ!?)


 カミヤの中で、苛立ちが明確な恐怖へと変わっていく。


 カミヤは知らないのだ。


 目の前に立つ無能が、この二年間、どんな夜を過ごしてきたかを。


 他の選手が「実戦形式」や「戦術指導」という、頭を使い、適度に休む時間を与えられる練習をしている間。


 リクは毎日、毎日、何時間もぶっ通しで走り込み、ただひたすらに同じ素振りを繰り返してきた。重い木剣を振り上げ、全力で振り下ろす。その動作だけを、一万時間以上。


 彼の筋肉、肺活量、そして神経のすべては、ただ『この一つの動作』を永遠に繰り返すためだけに最適化された、異常な燃費と耐久力を誇るバケモノへと変貌していたのだ。


 たかだか十数分の試合。数え切れる程度の空振り。


 そんなものは、リクの日常の「準備運動」にすら満たない。


「どうした? もう来ないのか?」


 面当ての奥から、リクの静かで、揺るぎない声が響いた。


 焦りや強がりではない。ただ純粋に、彼にとってはこの泥試合すら『いつもの反復練習の一部』でしかないのだ。


「舐、めるなァァッ!」


 苛立ちと疲労で限界に達したカミヤが、理性を飛ばして強引に踏み込んできた。


 ステップも、間合いの計算も、すべてが疲労によってズレていた。


 ――カミヤの右足が、リクの『絶対領域』を数センチ、踏み越えた。


「――っ」


 カミヤが自分のミスに気づいた瞬間には、もう遅かった。


 シュパンッ!!!


 これまでと寸分違わぬ、完璧な速度と質量を持った右上段からの振り下ろし。


 疲労の限界を迎えていたカミヤに、それを回避する力は残っていなかった。


 強烈な衝撃がカミヤの肩口から胸部装甲を打ち据え、彼の身体は道場の床へと無惨に叩きつけられた。


「……一本! 勝負あり!!」


 静まり返った会場に、審判の声が木霊する。


 床に沈んだカミヤは、薄れゆく意識の中で、ピタリと動きを止めたリクを見上げた。


(化け、物……)


 どんなに対策を練ろうと、どんなに技術で上回ろうと、基礎となる「体力スタミナ」の次元が違いすぎる。ただ一つの動作に人生の時間をすべてベットした人間の、削り切れない物理量の前に、カミヤは完全に心が折れていた。


「……あーあ。言わんこっちゃない」


 観客席で、シズクが呆れたように溜息をついた。


「才能がないなら、バカみたいに数をこなすしかない。……でも、そのバカみたいな反復を文字通り『極限』までやっちまったら、それはもう、才能よりも厄介な狂気なのよ」


 シズクは立ち上がり、大きく伸びをした。

 リクが全国大会への切符を手にした瞬間だった。





 全国大会、初日。


 各都道府県の猛者たちが集う巨大なアリーナの控室前で、リクは一人、壁にもたれて目を閉じていた。


 周囲の喧騒は耳に入らない。彼が考えているのは対戦相手の対策でも、会場の雰囲気に飲まれないためのメンタルコントロールでもない。ただ今日も何百回と繰り返してきた「右上段からの振り下ろし」の軌道を、脳内でなぞっているだけだった。


リクくん、だね」


 ふと、穏やかな声がかけられた。


 目を開けると、リクと同じ装甲を着た、線の細い優男が立っていた。感情の読めない、底知れぬ静かな目をしている。


「……誰だ、アンタ」


相馬ソウマだ。今日の第一試合、君の対戦相手だよ」


 ソウマと名乗った男は、敵意のない涼やかな笑みを浮かべた。


 リクは小さく首を傾げた。全国大会の対戦相手のデータなど、彼は一切見ていないし、調べる気もなかった。どうせ誰が相手だろうと、リクのやることは「自分の間合いに入ったものを斬る」ことだけだからだ。


「挨拶に来たんだ。君の地方大会の動画は、すべて見せてもらった。……君のやれることは、完全に分かっているよ」


「……別に、隠してるつもりはないけど、何が言いたい?」


「いや、素晴らしい剣だと思ってね。フェイントなどのノイズをすべて捨て、ただ間合いに入ったものに最速の一撃を叩き込む自動迎撃。その一筋ひとすじの鋭さのみで言えば、間違いなく君は全国の最高峰だ。素直に称賛するよ」


 ソウマの目は本気だった。これまでの連中のように、リクの剣をバカにしたり、不気味がる様子はない。純粋な敬意がそこにあった。


 だが、ソウマは次の瞬間、スッと目を細め、残酷な事実を告げるように言った。


「――それでも、僕には勝てない」


「……」


「試合を楽しみにしているよ」


 それだけ言い残し、ソウマは踵を返した。


 リクは遠ざかる背中を見つめながら、少しだけ拳を握り込んだ。ハッタリではない。あいつは本当に「勝てる」という絶対の確信を持って、リクの前に現れたのだ。



 ***



「両者、構え!」


 全国大会の第1コート。


 審判の声と共に、リクはいつものように木剣を右上段にスッと構え、重心を落とした。


 対するソウマは、剣の切っ先をだらりと下げた『下段の構え』を取っていた。


 ――その瞬間。


 リクは、背筋が粟立つような感覚を覚えた。


 相手を「見ない」と決めたはずの防衛本能が、激しく警鐘を鳴らしていた。


(……こいつ、俺と同じだ)


 理屈ではない、直感だった。


 ソウマの構えには、多彩な技を繰り出そうという気配が微塵もない。彼もまた、リクと同じように「たった一つの必殺技」だけを極限まで研ぎ澄ませたタイプの人間だ。


 あの下段の構えから放たれるのは、おそらく神速の『斬り上げ(逆袈裟)』。


「始め!!」


 ソウマが動いた。


 リクは目を見開いた。ソウマの足捌きは、芸術的だった。


 ただ真っ直ぐ突っ込んでくるのではない。リクの目線を散らし、踏み込みのタイミングをズラし、リクが最も『振り下ろしにくい』角度から、滑るように間合いを詰めてくる。


(……なるほどな。「僕には勝てない」って、そういうことか)


 リクはようやく、ソウマの自信の理由を理解した。


 ソウマは、リクと同じ「一つの技を極めた」同類。だが、ただ定位置で待つことしかできない不器用なリクとは違う。


 ソウマには、自分の必殺技を叩き込むための完璧な状況へと相手を『誘導』する、極めて高度な技術があった。


 一つの技の極致。そしてそれを当てるすべ


 ひと言で言えば、目の前にいる男は、リクという存在の『完全上位互換』だった。


 ――だが。


 ソウマの右足が、リクの「絶対領域」に踏み込んだ。


 どれだけ誘導されようが、角度を殺されようが、リクの思考放棄のオートエイムは強制的に起動する。


 リクの『右上段からの振り下ろし』が、空気を引き裂いて落下した。


 全く同じタイミングで、ソウマの下段から、必殺の『神速の斬り上げ』が放たれた。


 ガァァァァァァンッ!!!!


 アリーナ全体を震わせるほどの轟音。


 リクの振り下ろしと、ソウマの斬り上げが、空中で完璧に激突したのだ。


 互いの最高峰の一撃が拮抗し、完全に相殺される。


(――狙い通りだ)


 鍔迫り合いの形になった瞬間、ソウマの顔に確信の笑みが浮かんだ。


(君の攻撃は単調な一撃のみ。それを防がれ、態勢が崩れた今、君には次に繋ぐ技術はない!)


 ソウマはリクの剣を弾き返し、完璧な足捌きで次の攻撃モーションへと移ろうとした。


 相手の一撃を「防げば勝ち」だと、彼は合理的に計算していたのだ。


 ――もし、リクの剣がただの「必殺技」であったなら。


「……あ?」


 ソウマの顔から、余裕が消し飛んだ。

 激突し、弾かれたはずのリクの剣が、全く態勢を崩すことなく、異常な速度で再び『右上段の構え』へと吸い込まれるように跳ね上がったからだ。

 その一方で、自身の身体にも違和感があった。

 弾かれ、体制を整えようとする腕が、異常なまでに。


(──重い)

 

 ソウマは理解していなかった。


 リクにとって、この振り下ろしは試合の行方を決める『必殺の一撃』などではない。


 雨の日も風の日も、二年間、ただひたすらに繰り返してきた『日常の素振り』だ。


 素振りとは、振り下ろして終わりではない。


「剣を振り上げ、元の構えに戻す」ところまでが1セットなのだ。


 弾かれた? 防がれた? そんなことはどうでもいい。リクの身体は、剣を振り下ろした反動をそのまま利用し、無意識下で「次の素振り」への準備を完了させていた。


「な、ん――!?」


 ソウマが態勢を立て直すよりも早く。

 リクの二発目の『右上段からの振り下ろし』が、一発目と全く同じ威力と神速で、ソウマの頭上に落下した。


 ガキンッ!!


「ぐ、ぅぅっ!?」


 慌てて防御姿勢を取ったソウマの木剣が、悲鳴のような音を立てた。


 まともに受け止めた瞬間、ソウマはリクの一撃の「異常性」を両腕の骨の髄まで叩き込まれた。


(重い……!! なんだ、この非常識な質量は……ッ!?)


 それは技術や速度による重さではない。純粋な『物理的な腕力』の重さだった。


 一万時間以上、狂ったように重い木剣を振り下ろし続けたリクの身体。彼の肩、背中、そして腕の筋肉は、ただ「右上段から振り下ろす」という一つの動作のためだけに、バケモノのように異常発達していたのだ。


 完全上位互換の必殺技。確かに素晴らしい技術だ。


 だが、必殺技を放つために「誘導」や「駆け引き」という準備が必要なソウマと違い、リクには何もいらない。ただ呼吸するように、大岩を叩き割るようなフルスイングを連発できる。


 シュパンッ! ガァンッ!

 シュパンッ!! ガガァンッ!!


「バ、カなっ……! あんなフルスイングを、ノーモーションで……!?」


 三発目、四発目、五発目。


 リクは息一つ乱すことなく、機械のような正確さで、全国最高峰の一撃を無限に叩き込み続けた。


 ソウマは必死に剣を傾け、技術でその衝撃を受け流そうとする。しかし、リクの放つ圧倒的な膂力の暴力を前に、洗練された技術など何の意味も成さなかった。


 六発目を受けた瞬間、ソウマの両腕から「感覚」が完全に消失した。


(腕が、痺れて……いや、違う。握力が……!)


 強烈すぎる衝撃の連続に耐えきれず、ソウマの手のひらが限界を迎え、指先が勝手に開いていく。


「……あ、ああぁっ!」


 七発目。


 ついに握力を失ったソウマの手から木剣がポーンと弾き飛ばされ、そのままガラ空きになった彼の胸部装甲に、リクの無慈悲な刃が突き刺さった。装甲が真っ二つに叩き割られる破砕音がアリーナに響く。


「――勝負ありっ! 一本!!」


 静まり返った会場に、審判の絶叫が木霊した。


 リクはいつも通り、ゆっくりと木剣を下ろし、元の構えへと戻った。


 床に倒れ込んだソウマは、完全に痙攣して動かなくなった自分の両腕を見つめ、信じられないものを見る目でリクを見上げていた。




 ……一つの技を極めた、俺の完全上位互換。確かに、いい剣だった。


 だが、悪いな。


 俺はもう、技術なんて捨ててるんだよ。






 全国大会、決勝戦を目前に控えた選手控室の前の通路。


 アリーナから漏れ聞こえる地鳴りのような歓声をよそに、リクは壁にもたれ、静かに目を閉じていた。


「……ほら、スポーツドリンク。冷えてるわよ」


 不意に顔に押し付けられた冷感に目を開けると、いつものように呆れ顔を作ったシズクが立っていた。


「サンキュ」


 リクはボトルを受け取り、ゆっくりと喉を潤した。


 これから戦うのは、百年に一人の天才にして、この競技の完全無欠な絶対王者。そんな緊張感の極致にありながら、リクの呼吸は先ほどと何一つ変わらず、静かで落ち着いていた。


「……ねえ、リク」


 ふと、シズクがいつになく真剣なトーンで口を開いた。


「ずっと、気になってたんだけどさ」


「なんだ?」


「あんた、どうしてあそこまでやれるの?」


 シズクの真っ直ぐな視線が、リクを射抜く。


 才能がないと自覚し、周囲に嘲笑され、それでも思考を放棄してまで「たった一つの素振り」に一万時間以上を捧げた。その異常なまでの原動力。純粋な競技への愛や、勝利への執着だけで辿り着ける領域ではないと、間近で見てきた彼女だからこそ感じ取っていた。


「……お前、本当に覚えてないんだな」


 リクは小さく息を吐き、呆れたように、しかしどこか優しげに笑った。


「え?」


「いや。……試合が終わったら、言ってやるよ」


「ちょっと、何それ。気になるじゃない」


 不満げに唇を尖らせるシズクの頭にポンッと手を置くと、リクは木剣を手に取り、歓声の渦巻く光の舞台へと歩き出した。



 ***



 ――なんであそこまでやれるのか。


 暗い通路を歩きながら、リクは脳内でかつての記憶を反芻していた。


 十年前。まだ二人が小学生だった頃の、道場での記憶。


 当時のシズクは、大人顔負けの剣筋を持つ天才少女だった。対するリクは、不器用で、練習のたびにシズクにボコボコにされては道場の隅で泣いているような、情けない少年だった。


『もー、リクは本当に弱いわね! 男の子なんだから、もっとしっかりしなさいよ!』


『だって……シズク、強すぎるんだもん……』


『当然でしょ。私は将来、世界一になるんだから!』


 自慢げに胸を張る幼いシズク。そして彼女は、木剣を肩に担ぎながら、何気なくこう言ったのだ。


『だからね、私が将来結婚してあげるのは、私より強い男の人だけよ!』


 それは、ませた子供が口にした、他愛のない冗談。


 シズク本人は、次の日には忘れてしまうような、小さな小さな言葉。


 だが、不器用で馬鹿なリクにとって、その言葉は「世界のすべて」になった。


 彼女より強くなる。彼女の隣に立つにふさわしい男になる。そのための方法を、才能のない頭で必死に考えた。


 様々な技を覚えようとした。足捌きを研究した。しかし、才能の壁は残酷で、やればやるほど自分の無能さを思い知らされた。


 このままでは、一生彼女に追いつけない。


 だから、リクは決断した。防御も、回避も、技術も、競技者としての常識も、すべてを捨てる。


 才能がない無能が、天才より強くなるにはどうすればいい?


 答えは一つ。


 バカみたいに、一つの動作だけを、一万時間やり続けるしかない。


 血を吐くような反復の果てに、ただ一つの斬撃を、誰も到達できない神速の領域へと昇華させる。


 周囲の嘲笑など関係なかった。


 彼が握りしめた木剣の重さは、競技への執着ではなく、たった一人の幼馴染にたった一つの言葉を伝えるための、泥臭くも純粋な「恋心」の質量だったのだ。



 ***



 光溢れるアリーナの中央。


 リクが定位置につくと、正面には既に、絶対王者・ジンが静かに佇んでいた。


「……来たか」


 ジンは一切の油断もなく、手にした木剣を正眼に構えた。


「君のその異常な才能。理解したよ。僕と同様の『武の求道者』として、僕のすべてを懸けて、真っ向から打ち砕かせてもらう」


 ジンの狙いは、カウンターだった。

 一撃必死のリクの膂力と回避不能な剣速、そして無尽蔵のスタミナ。

 才能に愛されたジンが、相手を真っ向から打ち砕く手段として導き出したものだ。


 肉を切らせて骨を断つ。


 その狂気的なカウンターを本当に実行するつもりなのだと、ジンの研ぎ澄まされた気迫から、リクも何となく理解した。彼は純粋な武の求道者として、目の前の強敵を倒すことだけを見据えている。


「……悪いな、天才」


 リクは小さく呟き、いつものようにスッと木剣を右上段に構えた。


 呼吸一つ乱れない、いつも通りの日常の構え。


「俺は別に、『武』を究めようなんて思っちゃいねぇんだ。お前と違って不純な動機だ」


 ジンが何を仕掛けてこようと関係ない。


 肉を切らせてこようが、裏の裏をかいてこようが。


 俺はただ、一つ、あいつを超えるために極めた「最高の素振りの往復」を、お前の脳天に叩き込むだけだ。


「両者、構え!」


 審判の緊迫した声が、会場の空気をピンと張り詰める。


 観客席の最前列で、シズクが祈るように両手を握りしめているのが見えた。


「始め!!」


 空気を裂く号砲。


 天才の刃が、閃光となってリクの絶対領域へと踏み込んだ。


 それに呼応するように、才能なき無能が一万時間を捧げた狂気の一撃が、静かに、そして爆発的な速度で落下を開始する。


 ――約束の答え合わせは、この一振りの後に。


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