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悪役令嬢、王国の決算を監査します。—婚約破棄より重いのは赤字ですわ  作者: 妙原奇天


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第8話 鍛冶の赤、炉の嘘

 朝の鍛冶街は太鼓の村だ。

 とん、ととん、ことん。

 拍は炉の呼吸で、剣の骨格で、職人の生活費だ。

 路地の端でミナが耳を澄まし、私は色見本板を掲げる。桜(700℃)/柿(800)/朱(850)/真紅(900)/橙白(950)/白(1000↑)。

 色は温度の言葉。赤は赤でも、収支の赤と温度の赤は別だ。混ぜると焦げる。


「お嬢様、今日の拍、少しせっかちです」

「燃料が足りない日の拍」

 炭商の値が上がった。壺の帯を太らせた連中が、今度は炭に手を伸ばしている。

 鍛冶は火。火は費用。費用が削られると、赤は薄くなる。


 ギルドの中庭で、公開監査を宣言した。

 公開破断試験、炉温の同時刻記録、規格の読み合わせ。

 ユリウスは見物人に紛れず堂々と立ち、騎士団長は腕を組み、ヴァーレは紫のかごで柱に寄りかかる。


「本日の主題は赤です」

 私は声を張る。「温度の赤は鍛える色。帳の赤は直す色。

 ――混ぜた者がいるなら、ここで分けます」


     ◇


 第一工房。炉口の赤が美しすぎる。

 美しい赤は、時に嘘だ。

 炉の縁を指で撫でると、粉がついた。舌にのせる。甘い鉄分――赤土だ。炉口に赤土を塗ると、低い温度でも高温に見える。

 ミナが眉を吊り上げる。「化粧ですか」

「虚飾費」

 私は色見本板をかざし、職人に問う。「本日の狙い温度は?」

「朱(八五〇)」

「なら、鋼は桜寄りに見えるはず。――赤土で朱を演じてる」


 職人の目が泳いだ。背後で風箱ふいごの蛇腹が鳴り、風量は少ない。

「風が足りない。炭は?」「節約中で……」

「節約が赤字を呼び、赤字が節約を呼ぶ。負の螺旋です」

 私は炉口の赤土に同時刻印を押す。印は翳に濁り、粉は白で剥がれた。


 第二工房。風は充分だが、焼戻しの札が抜けている。

 焼入れだけ強く、戻しが浅い刃はよく切れてすぐ折れる。

 私は二本、同鋼同寸の試験片を預かり、曲げ試験の治具にかけた。

 一つ目はきぃんと泣いて七度で折れる。二つ目はぐうと腹で耐え、十五度で戻る。

 数字は正直、折れる音まで違う。

「焼戻しは面倒で手間。手間は費用。費用は赤」

 職人は目を伏せ、親方が代わりに前へ出る。「納期が前倒しでね。王都の武具調達局が、最近はやけに急かす」


 武具調達局。

 私はユリウスを見る。彼は顎を引いて頷いた。「後で連結する」


 第三工房。油の壺の匂いが酸に傾いている。

 焼入れ油を薄めると、冷え方が変わり、刃の中に濃淡が生まれる。

 壺に指を浸し、親指と人差し指で糸を引く。粘りが短い。

「魚油で水増し。――循環取引の匂い」

 ヴァーレが肩で笑う。「エステルの匂い、また出た」

 私は油壺の縁に花粉を見つけた。海藻灰。港北の灯台下。黒と川と、火が一本に繋がる。


     ◇


 昼、公開破断試験。

 中庭に三台の試験台。A:十分焼戻し、B:戻し浅、C:油水増し。

 市井の立会い、騎士の立会い、ギルドの長老。

 私は声を置く。「折るのは、恥ではありません。嘘が折れるのです」

 ミナが板に**『折れ音メモ』と書く。きぃん=脆/ぐう=粘。

 Aはぐうで踏み、戻る。

 Bはきぃんで折れ、破面はガラス**。

 Cはぴしと割れ、黒い筋が走る。油の層だ。


 騎士団長が短く言う。「戦場はぐうが好きだ」

「今を守る剣は、未来まで折れない剣」

 私はAに青を、BとCに赤/薄紅を灯す。

 薄紅は是正可能、赤は是正要。深紅は――逃げた時だけ。


 そのとき、武具調達局の局長代理が駆け込んだ。

 胸には新しい金具、目は慌てていない。慣れた人間の目。

「監査官、公開破断は威信を損なう」

「威信が折れる音はきぃんです。ぐうで守りましょう」

「納期がある」

「焼戻しの時間を予算に入れてください」

 私は掲示に新しい欄を立てる。『焼戻し時間の予算化』。

 納期=焼入れ+焼戻し+検品+冷却。どれかを省くと、人命が差額で支払われる。

 局長代理は視線を逸らし、「口約束はできない」と言った。

「口約束は白紙を増やす」

 私は同時刻印を差し出す。「署名を」

 彼はためらい、ユリウスの視線に押されて、署名した。

 印は薄紅で鳴る。是正の第一日。


     ◇


 午後、ギルドの集会室。

 帳場の隅に古い温度札の束。封蝋が溶けかけている。

 封蝋が低温で溶ける跡は、炉の印を流用した証拠だ。

 私は蝋の縁を爪で掬う。蜂蜜の匂いが強い。蜜蝋に獣脂を混ぜると、低温で柔らかくなる。

 封印は形があれば良いわけではない。融点が規格だ。

「封蝋の規格を掲示に」

 ミナがすらすら書き、子どもたち(青い紐)が融点試験の準備を始めた。小皿に蝋を滴らせ、温度色の上で溶け始めを記録する。

 遊びに似て、規格は覚えられる。


 ヴァーレが低く囁く。「早耳。調達局の納入規格票、最近裏版が出回ってる。焼戻し省略可の脚注つき」

 私は目を細める。「白を作る脚注」

 裏版の紙は、紙目が違う。王城の紙は縦目、偽版は斜目。

 水に晒すと、繊維の走りで真偽が出る。

 川で黒を晒したばかりだ。紙も晒せる。


     ◇


 夕暮れ、騎士訓練場。

 公開破断第二部――実打。

 A(規格遵守)、B(戻し不足)、C(油水増し)。

 騎士団長と若い騎士が同条件で打ち合い、刃の欠けを観察する。

 市井は静かに息を呑み、王太子が列の端で腕を組む。

 Aは刃先が丸く磨耗、Bは欠け、Cは剥がれ。

 私は掲示に耐用打数の目安を載せる。A:三十、B:十、C:七。

「剣にも耐用年数がある」

 私は声に出す。「国にも耐用年数がある。

 延ばすのは、英雄譚ではなく、焼戻しです」


 王太子がふと笑う。「君の言葉は、地味で刺さる」

「地味はだいたい長持ち」

 彼は少しだけ視線を落とした。「私の威信も焼戻してくれ」

「薄紅から、始めましょう」

 王太子は小さくうなずき、訓練場の端に銀貨を二枚置いた。「戻し酒だ。職人に」

 職人たちの顔に、少し青が灯る。

 恥の自走力は、今日も働く。


     ◇


 夜。鍛冶街の奥、古鍛冶師いにしえかじの工房。

 火は低く、赤は桜で止まっている。

 老人は風をゆっくり送り、鋼を待つ。

「若い監査官、赤に急くな」

「急いでません。拍を取ってます」

「なら、鍛えがわかる」

 老人は火箸で鋼を持ち上げ、私に色を見せる。

「ここが朱に見えるとき、心が柿に落ちている。だから、言葉を置きなさい」

 言葉?

 私は、声に出した。一、二、三、四。

 赤が、落ち着く。

 老人が笑う。「言葉は焼戻しだ。怒りと焦りの刃を、戻す」

 私は胸の奥で、誰かの羊皮紙の文句を思い出す。

 ――白は海で洗え。黒は川で晒せ。赤は火で鍛えよ。

 火で鍛えるのは、刃と、言葉と、仕組み。


「監査官」

 背後でユリウスの声。「王城から便り。造幣局の炉で銀の色が変だと」

 銀の色。

 火+貨幣。

 赤は火で鍛える。

 貨幣は色で嘘をつく。

「――次は、造幣局」

 私は栞を閉じ、白金の算棒を摘む。

 今日の赤は鍛えた。明日の赤は、国家の銀の赤だ。


     ◇


監査メモ/#08「鍛冶の赤、炉の嘘」

・炉口の赤土化粧=低温を高温に見せる虚飾。→同時刻印で剥離/粉は白で露呈。

・焼戻し省略は「よく切れてすぐ折れる」刃を量産。曲げ・破断・実打でぐう/きぃんの折れ音を可視化。

・焼入れ油の水増し(魚油・海藻灰)=冷却のムラ→破面の黒筋。港北と連結。

・焼戻し時間の予算化、封蝋の融点規格、温度色見本の掲示で地味な改善を制度化。

・武具調達局の裏版規格票は紙目と晒しで見抜く。脚注の白は制度で囲う。

・「剣の耐用打数」=耐用年数の感覚を武具へ。英雄譚より焼戻しが国を延命。

・次回:造幣局監査――銀の赤、品位の嘘、炎の帳簿。

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