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悪役令嬢、王国の決算を監査します。—婚約破棄より重いのは赤字ですわ  作者: 妙原奇天


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第4話 朝市の価格は嘘をつかない

 夜の裾がほどけ、王都の東門に朝風が通った。

 市場の石畳は昨日の熱を薄く残し、最初の荷車の輪がその上を線で引く。

 私はフードを目深にかぶり、ミナと並んで歩いた。ユリウスは離れた位置――衛士二名を連れて、あくまで「見物人」の距離を保つ。騎士団長は角の屋台に腰をかけ、串焼きの煙の向こうから市場全体を見ている。


「お嬢様、露出控えめでお願いしますね」

「露出は費用。必要時以外はカット」

「その言い方、なにか別の界隈に刺さりそうで怖いです」

「刺さらないよう、安全ピンで管理しましょう」


 朝市は五つの輪でできている。

 一、農家直送の青物の輪。二、粉とパンの輪。三、塩や油の乾物輪。四、行商の雑貨輪。五、買い手の流れを作る人の輪。

 輪どうしの嚙み合わせが良ければ、価格は滑らかに回る。嚙み合わせが悪い日は――価格は軋み、音は尖る。


「今日は音が硬い」

 私は粉の輪の前で足を止め、耳を澄ます。

 袋を持ち上げる音が短く、置く音が少し強い。在庫を持ちたがらない音だ。

 卸が値を上げる前の朝は、だいたいこの音になる。


 パン職人カールがこちらに気づき、帽子を上げた。

「嬢ちゃん――いや、監査官さま。粉、今日も質がまばらだ」

「裂け線を見せて」

 薄い生地の切口は正直だ。指で裂くと、良い粉は絹糸のように線が揃い、混ぜ物が多い粉は砂目が浮く。


 私は切口を二つ並べ、算棒の溝に落とした。

 青と赤が微かに点く。

 青は正規の粉。赤は混ぜ物。


「混ぜ物の量、ここ三日で二割増」

 私は低く言い、石畳の白線に粉を少しこすり付ける。粉の摩擦が奏でるきしみが、昨日より短い。

「卸の“臨時調整”が入る前触れ。今日中に値札が架け替わるわ」


 ミナが息を呑む。「またですか」

「またです。――ただし今日は、違う」

 私は粉の輪の端、いつもは空の籠が並ぶ細い路地を見る。

 紫のかごが二つ、早すぎる時間に据えられている。

 誰かが、値改定前に買い集めている。

 買い集めは悪ではない。けれど、「談合と抱き合わせ」は悪だ。


「ミナ、紫のかごの印を見て」

「はい……ええと、この織り、港南の“紐細工組”。エステ――」

「言わない。観察だけ。言葉はコスト」


 私は屋台をひとつひとつ回り、値札の筆跡を見た。

 同じ人物が数軒分の値札を書いている――線の跳ね、墨の吸い。

 談合の現場では、手間が惜しまれる。筆跡は怠慢を暴く。


「嬢ちゃん」

 背後から低い声。ブラント――小麦連合の代表だ。昨日、王城で薄紅の署名をした男が、帽子の縁を指でつまみ、わずかに頭を下げた。

「公開入札、動かした。今日の昼。だが、朝のこの分は、まだ旧来のままだ」

「だから来たのです。橋は、両岸から架けるもの」

 私は彼の目を見た。

 ブラントの瞳の奥に、薄く計算が灯っている。逃げ道を探す目ではない。残せるものを探す目だ。


「監査官。公平ってやつは、どこまでいく」

「“機会の公平”まで。結果の公平は、政治の領分。私は数字の線路を水平にする」

「水平にした先で転ぶやつは?」

「靴の問題。靴屋に仕事ができる」

 ブラントは苦笑し、肩をすくめた。「言うねえ」


 粉の輪の中央、エプロン姿の若い職人が高い声で言い争っている。

「紙が来ないんだ! 納入の紙!」

「紙なら昨日出した!」

 紙。

 私は耳をそちらに向けながら、算棒に触れた。

 紙の遅延は、価格転嫁の遅延。遅延はだいたい、誰かの利息を育てる。


 声の元に歩み寄る。若い職人――ルカの前に、中堅の卸――短い髭の男。

「納入紙、見せて」

 卸が渋ったので、私は柔らかく笑い、銀貨を一枚出した。

「閲覧料」

 男の顔つきが変わる。紙が私の手に渡る。

 紙は二枚重ね。上は公的控え、下は民間控え。

 上の紙の日付は今日。下の紙は昨日。

 日付のズレは、値札の架け替え直前に起きやすい。

 昨日の価格で買ったものを、今日の高値で売るために。


 私は二枚の紙を重ね、契約魔法の紋を通す。

 白い薄影が二重に浮き、署名の圧が違う。

 下の紙は、急いで書かれ、筆圧が浅い。上の紙はゆっくり、深い。

 昨日急いで仕入れ、今日ゆっくり高値で確定――そんな指のリズム。


「卸さん」

 私は視線だけで彼を捉える。「公開入札の前に、在庫を高値基準に合わせるつもりね」

「商売ってのは、先を見るもんでね」

「先を見るのは良い。けれど、情報の非対称を使って利ざやを濡らすのは――今日はやめて」

「なんの権限で」

「公開の権限で」

 私は声量を少し上げ、周囲に届くように言った。「――本日正午、王都市場にて試験入札を行います。

 粉の品質は市井立会い。筆跡は複数人に分散。納入紙は同時刻の印。

 それまでの値札の変動は、全部記録する」


 ざわり、と空気が動く。

 市場は賢い。見られていると知れば、行儀が良くなる。

 私はミナに目配せし、値札係を四人雇い入れた。読み書きの早い少年少女。彼らの手に青い紐を巻いて「監査手」とする。


「字を写して。時刻と屋台名も」

「はーい!」

 子どもは最速の監査官だ。対価は菓子パンでいい。ただし領収印はちゃんと押す。


 ユリウスが人混みを縫ってきた。「市場は蜂の巣だ」

「蜂には煙。今日は“公開”が煙」

「刺されないでくれ」

「刺されたら災害損失で処理」

 ユリウスが苦く笑い、目だけは笑っていない。「強がりは費用を膨らませる」

「それでも費用対効果、今のところは黒字」


 騎士団長が串を片手に近づく。「昼の入札、衛士を二十付ける。ついでに串もどうだ」

「在庫評価のために一本」

 齧る。塩が素直。素材が真っ直ぐ。良い串は良い帳簿に似ている。

 ミナは目を輝かせ、二本目を買った。

「ミナ、それは私費よ」

「はいっ、うれしい浪費です!」


     ◇


 正午。

 市場の中央に長机を並べ、試験入札の場をしつらえた。

 粉は三種。A:青(正規)。B:薄紅(混ぜ物少)。C:赤(混ぜ物多)。

 事前に市井の職人衆に目隠し焼成を行ってもらい、焼き上がりの膨らみ線と裂け線を並べる。

 数字だけでなく、舌と歯の証言も連結するためだ。


「入札は公開声出し。一巡めは品質Aに対し上限提示。二巡めでB、三巡めでC。均衡価格を探る」

 私はルールを読み上げ、ユリウスが王家印を机端に置く。

 ブラントが軽く頷き、連合の商人たちが散り、人々が輪を広げた。


 最初の声は意外にも、若い女の声だった。

 紫のかごの持ち主――かごの縁に手をかけながら、澄んだ声で数字を置く。

「A、二十六ルク」

 次いで別の男が「二十七」。

 私は算棒に声を落とし、波の立ち上がりを視る。

 声は興奮で上がるが、本当に払える者の声は腹から響く。

 腹の声が重なる二十八でいったん止まった。


「Aの均衡二十八、一斤換算三銅。――これが本来の体感価格」

 私はミナに目配せし、板に書かせる。

 Bの番。声は揺れ、均衡は二十三。

 Cの番。声は散り、均衡十八。

 掲示板に三本の線が並ぶ。

 **談合価格(二十五で一律)**が、現実の三線へ解体される。


 ざわめきが生まれた。

 値札を書き換える手が、ここかしこで止まる。

 止まるというのは、良い兆候だ。止まって、考える。考えて、正す。


「監査官!」

 紫のかごの女が前へ出た。短く切った黒髪、きりりと強気な目元。

「Aの二十八、全部もらう」

「全部はダメ」

 私は即座に答える。「上限比率。一商いにつき三割まで。残りは抽選」

 女は片眉を上げる。「公平か?」

「公平は全員の不満が薄く残る形。満足だけが残るのは、だいたい誰かが泣いている」

 女はふ、と笑った。「あんたの言う水平って、気に入らないけど嫌いじゃない。名前は?」

「レティシア」

「私はヴァーレ。――市場の“早耳”だよ」

 彼女は紫のかごを軽く叩いた。

「エステルの香りは、好きじゃない。けど、金の匂いは嫌いじゃない」

「金は匂う。数字も匂う。――今日は風通しを良くする」


 抽選は子どもたちの仕事。青い紐の小さな手が、紙片を二十枚引き、歓声と溜息が交互に立つ。

 公平は退屈だが、安心が生まれる。

 安心は、翌日の足取りを軽くする。軽くなると、消費は増える。

 数字は地味に回る。


     ◇


 入札の片づけをしていると、ユリウスが背中越しに囁いた。

「第一王妃の慈善財団から使者が来ている。会いたいそうだ」

 私は布巾の水を絞り、顔を上げる。

 慈善財団――昨日、王城で触れかけた穴。

 慈善は尊い。けれど、抜け道はいつもやわらかい場所に掘られる。


「断れない話?」

「断ると政治費が嵩む」

「会いましょう。費用対効果は未知。けれど、今日の黒字でカバーできる」


 ミナが心配そうに袖を引く。「お嬢様、気をつけて。第一王妃は……」

「噂は見積。実物は決算。――実物を見に行く」


 そこへ、さきほどのヴァーレが音もなく近づいた。

「王妃の財団、寄付の受け皿は三つ。表の“救貧”、裏の“記念碑”、そしてもうひとつ、名もない壺」

「名もない壺?」

「帳簿に名前のない壺。現金を入れる。――王妃の甥の取り巻きが、よく壺を持ち運ぶ」

 彼女は肩をすくめる。「早耳の礼はいらない。代わりにあんたの敵を、たまに先に嗅がせて」

「取引成立。情報は相互主義」

 ヴァーレはニヤリと笑い、紫のかごを揺らして人波に消えた。


     ◇


 午後遅く、王妃の離宮。

 庭の池に白い睡蓮。風は香油の匂いを運び、廊の影は冷たい。

 第一王妃は細い指で扇を撫で、笑みを浮かべていた。

「監査官。若い方が来てくれるのは嬉しいわ。年寄りばかりでは、寄付も古びるから」

「年季が入った寄付は、価値も深い。――帳簿が美しければ」

 扇の動きが一瞬だけ止まる。

 王妃はすぐに微笑み、脇の卓を指した。「見て行って。財団の帳。貧しい者が暖を取れるよう、私は尽くしているつもりよ」


 卓上には三冊の帳。

 一冊は救貧。丁寧な字。青がよく灯る。

 一冊は記念碑。やや芝居がかった字。薄紅が混じる。

 そして、もう一冊。名前のない帳。

 紐で綴じられ、表紙は無地。開けば、行の幅が不揃い。墨は濃いが、筆圧が軽い。

 軽い帳は、重い金を嫌う。

 私は指先で紙の端を撫で、粉の感触を探る。

 紙の間に、ほんのわずかな塩の粒。

 港の空気のにおい。


「王妃殿下」

 私は穏やかに言う。「この無名の帳は、壺の出納ですね」

 王妃の睫毛がわずかに震え、扇の骨がかさりと鳴る。

「寄付は現金で集まることもあるわ。速さは、善の味方」

「速さはときに、穴の味方」

 私は名のない帳の右下――押印欄に目を落とす。

 押すべき印は、押していない。代わりに、花押がある。

 王妃の花押ではない。甥の花押。

 線が若く、鋭い。自信のある手の線だ。


「甥は働き者で。壺を持って、よく街へ……」

「風通しを良くして差し上げます」

「風通し?」

「壺は透明に。寄付は連結に。――壺を番号で管理し、入と出の同時刻印。薄紅の制度で割賦是正。

 善意の速度を殺さず、穴に網を掛ける」


 王妃はゆっくりと扇を閉じ、膝に置いた。

 長い沈黙。

 沈黙は、言葉の減価償却に似ている。余計な音を落として、芯の価値だけ残す。


「あなた、面白いわね」

 王妃は笑った。「善も悪も、色で仕訳するのね」

「はい。色は人に勇気を与えます。

 真っ赤より、薄紅なら、手を伸ばせる」


 王妃は扇を持ち上げ、こちらへ差し出した。

「この扇、あなたに預けるわ。軽さの象徴として」

 私は受け取り、微笑む。「重さの側に置いておきます」


 退室しかけたとき、王妃がふと口を開いた。

「第二王子は、あなたに配当を出しているの?」

「まだ中間配当の段階です」

 王妃は楽しそうに目を細めた。「最終配当を楽しみにしているわ」


     ◇


 離宮を出ると、黄昏の気配。

 ユリウスが並び歩き、手に一枚の紙を持っている。

「市場の午後の値、安定した。三本線のあいだで揺れているが、談合の固さは崩れた」

「明日の朝、もう一度測る。再現性が信頼を作る」

「……君は、楽しいか?」

 問いは不意に。

 私は少しだけ考え、それから頷いた。


「楽しい。剣が守るのは今。帳が守るのはこれから。

 私はこれからが好き」

「なら、よかった」

 ユリウスは紙を渡す。

 王家布告案。公開入札の恒常運用、壺の連結、慈善の薄紅。

 下段に、私の署名欄があった。

「共同提案にしよう」

「責任の連結」

「そう」

 彼は、夕陽のほうを少しだけ眩しそうに見た。


     ◇


 夜。

 宿の窓辺で、私は今日の監査メモを書いた。


監査メモ/#04「朝市の価格は嘘をつかない」

・音で読む在庫心理:持ちたがらない朝は置く音が強い。

・値札は筆跡で連結。怠慢は線に出る。

・試験入札は三線(A青/B薄紅/C赤)で均衡価格を可視化。

・壺の現金は番号管理+同時刻印で透明化。

・公平=全員の薄い不満。安心は翌日の足取りを軽くする。

・情報は相互主義。早耳は資産。

・次回議題:慈善の穴を塞ぐ網/王家布告の制定/「甥」の花押。


 銀の栞を挟み、目を閉じる。

 拍を数える。一、二、三、四。

 市場のざわめきがゆっくり遠のき、代わりに明日の紙の音が近づいてくる。

 紙は軽い。数字は重い。

 軽いものは、重いものの側で、いちばんよく風を通す。


(つづく/次回「薄紅の慈善、透明の壺」)

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